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「サブリミナル」に誘われて ー1度きりの「ひとり映画」ー

あれはもう。

「私を呼んでいる」といっても過言ではなかったですよね。

皆さんは「ひとり映画」した経験って、ありますか?

ゆうて私も寂しがり屋でビビりなので1回だけなんですが、その時のことが先日なぜか急に思い出されたので、ここに残しておきたいと思います。

そんなわけで「あの時のあれは何だったんだろう?案件」シリーズ第2弾、よろしくお願いします。

2006年ですから、もう20年ほど前になりますか?

映画が始まる前って、長々と『予告編』のくだりがあるじゃないですか?

たまたま見た映画で2回続けて同じ映画の予告編が流されていて、それが「どうも気になるタイトル」で耳に残ったんです。

まあ、それはそれはムーディーに

「ぼくを、    おくる」

このくらいに溜めた感じでナレーションがありましてですね。私は

「『ぼくを葬る』で『ぼくをおくる』かあ。なんかオシャレ~」

なんて感じまして、その日そのフレーズがまるで『サブリミナル』のように脳内を「ぼくを」「ぼくを」とぐるぐる駆け回りましてですね。

変わり者の私は、最終的にもう辛抱堪らなくなりまして「じゃあ見てみるか」となりました。

この時はちょうど労組の書記をクビになる直前くらいの鬱々とした壁に当たっていた時期でして、なんかそこら辺の思いを吹っ切りたい気持ちもあったんでしょうね。

で、「いっちょ、今までやったことのないことでもしてみましょ!」と『ひとり映画』に踏みきりました。

「思い立ったが吉日」タイプの私。

もう、楽しくなっちゃいましてですね。

当時霞ヶ関に勤めていた私は翌日にはさっさと段取りを付けまして、いざ

「日比谷シャンテ」で「フランス映画」を「ひとり鑑賞」

する運びと、相成りました。

これは「あの映画見てみたい」というよりは、「人と違って、かつオシャレなことをしてみたい」というモチベーションからの行動だったと思います。

なので、内容をそこまで細かくは覚えていません。

ただ映像がとても綺麗だったことと(主人公もめっちゃイケメン)、主人公の祖母役のジャンヌ・モローさんの存在感は印象に残りました。

内容をざっくり言いますと、「3ヶ月の余命宣告」を受けた同性愛者の31歳のカメラマンの青年が、積極的な治療は拒否し、死を受け入れていく姿を淡々と追った「いかにもフランス映画」といった感じのお話です。

彼は恋人や親にも余命の件を告げず、前述のおばあちゃんにだけ真実を告げて「たった1人の静かな死を迎えて」いきます。

彼が「その時」を迎えるまでの様々なムーヴが、鑑賞当時の私にはかなり「エゴイスティック」に映ってあんまり好印象ではなかったのですが、今ふと思い出してみると「ああいう死に様もありだな」なんて思います。 

50歳を過ぎて痛切に思うのは「心の奥底を話せる存在なんて、そうそう居るもんじゃない」ということ。

私は運良く、人生36年目にして前述のように思える存在のママに出会うことが出来ました。

でも「ぼくを葬る」鑑賞時にそんな人は皆無でしたかから、その時映画の主人公と同じ境遇になったとしたら、私は彼と極めて近いムーヴをかましたような気がします。

「自分勝手」と「自分軸」。定義としてはハッキリ違うようですが、私が今まで生きてきた体感としてそこの境界線は曖昧です。

ある人が見たら主人公は「自分勝手」だし、またある人が見たら主人公は「自分軸」ということにもなる。私個人に限っても、31歳の時に見て「自分勝手」と感じた主人公が19年の時を経て「いや、これ自分軸かも?」って変わってる。

人間の心理って、面白いですよね。

この心境の変化の1番の原因は、やっぱりママという「絶対的な心の支え」が出来たことだと思います。

不意にこの映画を思い出したのは、

「改めてママに感謝した方がいいですよ」

ということなのかもしれないですね。

よくよく考えてみたら、映画鑑賞時の私は「ぼくを葬る」の主人公と同い年なんですよね。この作品を見たのは「偶然のような必然」だったのかな?

私の心中からの「サブリミナル」だったのかも(笑)。

私が見た映画の邦題の中で断トツ1番センスがあると感じた「ぼくを葬る」。「自分なりの死の迎え方」を考えるにはいい映画だと思います。

私自身も「改めて見てみたいなあ」と感じましたというお話でした☺️

#ぼくを葬る


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