海外転職②30代で初めてのホームシックになった話
前回の海外転職の記事の続きです。
日本では当たり前だった生活インフラが、海外では当たり前ではなかった話👇️
そもそも私が東南アジアへ転職した
理由は、旅行ではなく、
「海外で働きながら生活する自分」を、
経験してみたかったのだった。
仕事については、働いてみて良かったら
続けようと思っていた。
ホテル生活を終え、サービスアパートメントへ引っ越した。
80平米の部屋に、週3回来てくれるメイドさん。
生活は快適だった。
でも、仕事は想像以上に大変だった。
前任者からの引き継ぎはなく、営業管理システムもない。
離れた工業地帯にある取引先を
一社ずつ訪ね、人間関係をゼロから
築いていく毎日だった。
同じ海外駐在員は家族連れの男性ばかり。
仕事が終われば、それぞれ帰る場所が
ある。
唯一話しやすかった韓国人の同僚が、
ぽつりと言った。
「こっちで知り合った韓国人の駐在員は
9割帰っちゃった。」
「残った1割は、僕もそうだけど、元々家族持ちか、こっちで結婚した人だけ。」
確かに現地スタッフでさえ、新人以外は
独身はあまりいなかった。
そんな頃、新型コロナが広がり始めた。
街から人が消え、週2回で通っていた
マッサージ店も休業。
気づけば、孤独が限界を超えていた。
「この国で、本当に一人なんだ。」
日本にいた時は、仕事帰りに買い物へ
行ったり、同僚と飲みに行ったり
するだけで気分転換になった。
でも、こちらでは仕事終わりにモールへ行くだけでも、片道1時間半。
気軽にふらふらと散歩もできる道も
結局見つからなかった。
一晩眠れば元気になるタイプだった私が、
不安で眠れなくなっていった。
仕事への意欲も消えていった。
「あ、やばいかもしれない。」
高校留学でも、大学留学でも
経験しなかったホームシックだった。
そこで私は、一つだけルールを決めた。
「自分で自分をご機嫌にする」
まず変えたのは、食事だった。
おいしいものは、思っていた以上に
心を助けてくれた。
毎晩、おいしい夕食をデリバリーで頼む。
なるべく、ネットでお店を調べ
きちんとしてそうなレストランを選んだ。
カレー、イタリアン、寿司をよく頼んだ。
初めて食べたパキスタン料理の
チキンカラヒは、今でも忘れられない。
体重より、メンタル優先。
満腹になって寝落ちるように眠った。
次に、毎日誰かと日本語で
話すことにした。
家族や友人とオンラインで話しながら
夕食を食べた。
他愛のない話をダラダラするだけで、
「もしかして、色々悩みすぎなのかも
しれない」と思えてきた。
そして、楽しみな予定を作った。
近場のビーチやホテルを探し、
旅行を計画する。
まだ行っていないのに、それだけで少し
元気になれた。
実際に週末に有給を足して旅行に出かけた。
波の音を聞きながら過ごす時間は、
張りつめた心を少しずつほどいてくれた。
「もう少し働いて、また旅行に行こう。」
その小さな目標だけで、前を向く理由になった。
今振り返ると、私はスランプを気合いで
乗り越えたわけではなかった。
自分をご機嫌にする仕組みを、
一つずつ増やしていっただけだった。
おいしいものを食べる。
誰かと話す。
旅行を計画する。
小さな楽しみを用意する。
どれも特別なことではない。
でも、その積み重ねが、少しずつ私を元の自分へ戻してくれた。
その後、皮肉にもリモートワークへ
切り替わり、プロジェクトもほぼ
停止状態になった。
コロナの不安は残っていたが、
孤独とは少しずつ上手く付き合えるように
なっていった。
キャリア志向の人には
散々な一年だったのかもしれない。
でも、FIRE後の人生という視点で振り返ると、
学びが多い1年だった。
・孤独との付き合い方。
・自分をご機嫌にする方法。
・挨拶を交わせる顔なじみの大切さ。
・そして、自分の弱さを認めたこと
だから今は、一人の時間があまり苦にならない。
案外どこでも生きていける。
そう思えるようになった。
……とはいえ、当時の私は辞めるとビザの切り替えが面倒だったので、
「もう一回旅行してから辞めよう。」
を何度も繰り返していた。
会社ではなく、旅行に引き留められていたのである(笑)。
これは効くストレス解消、気分転換方法
ありますか?
良かったらコメントで教えて下さい!
スキ♡・フォローも励みになります!
最後までお読み頂きありがとうございました😊
