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本雑綱目 106 桑原隲蔵 中国の考道

[HL:少し前の時代との驚異的な家族感の違い]

今回は桑原隲蔵『中国の考道』です。
宮崎市定校訂、講談社学術文庫 162、ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061581623
NDC分類では222、歴史>中国。
前提知識必要度(儒教):★★☆☆☆
今回から小説とかと同じように、ヘッドラインをつけてみることにしました。昔のは基本そのままで、気が向いたら付ける。


これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。時々恣意的に選んでいることもあります。

★図書分類順索引

1.読前印象:桑原隲蔵 中国の考道

 孝道とは一般的に『親を敬え』という考えで、儒教以前、周礼のころからすでに中国では価値概念の中心に据えられていたはず。春秋戦国のあたりではよく自分の腿の肉を剥いで親や君子に栄養をつけさせるために食べさせるのが美談だったり美談じゃなかったりしてその違いがよくわからんなとは思っていたけれど、おそらくこの孝道という概念は結構近代まで生き残っていて、それが破壊された直近の一番の出来事が一人っ子政策なんだろうなという気はする。あれで親と子の権力が逆転したのだろう。昔は多産だったけれど、祀る存在がいなくなれば大切な祖先概念もそもそも消滅する。子どもは祖先を祀るものだから。
 日本の契機はおそらく開国と明治維新だ。江戸時代あたりまでは女子は親に薬を与えるために身を売るのが当然で、だからこそ開国より前は遊女の地位は低くなかったし、ある意味アイドル的な存在でもあった。そういえば前に読んだ災害の本で、津波から逃げるのに老いた母親の足を止めれば背負っていた娘を海に投げ捨て母親を背負ったのが当然の社会だったと読んで戦慄したことがある。
 一度破壊された文化が再び蘇るのは難しいものだけれども、尊属殺人が通常殺人と同じ量刑になったことをみても、良し悪しは社会評価に基づくものだなあと思う。

2.目次と前書きチェック

 1頁のまえがきを読む。
 今の中国は儒教批判が厳しくて考の価値が低下したように見えるが、考は長く中国を支配した考えで、これを無視して過去の中国は語れない。
 それはそうだな、と思う。特に昔の中国を書くなら。
 目次を見る。
 『中国の孝道』と『解説』しかない。ぐぬぬ、死都ブリュージュと同じパターンかぁ。とりあえず最初から手が止まるまで読んでみることにします。サブタイトルに「ことに法律上より見たる中国の孝道」とあるので、やや安心。小タイトルはないものの、複数章にはわかれているらしいので、章ごとに内容を段落分けしてまとめに代えます。
 いつも通り前段はまとめ、後段は感想・雑感。

3.中身

『中国の孝道』について

ー前半まとめ
1.孝道は中国の根本であり、中国人の家族的・社会的・宗教的・政治的生活の根幹をなす。この孝道を理解できなければ、中国の国体、家庭、文化を正しく理解できない。孝道は中国で発展した家族制度維持のためのシステムで、西欧では個人主義の興隆につれて崩壊したが、中国及び東アジア圏では直近まで維持されていた。
2.家族制度の発達した国ではその維持のためにも父母の孝養や祖先崇拝が盛んである。祖先とは生死の別はあるとしても、家族としての精神は一つである。中国では古代から祖廟が家族の中心であり、天子・貧民かわらず祖先の祭りに丁重を極めた。周代から宗法ができ、催事には宗家は廟に一族を集めて祭り、親睦を図って長幼を序した。不徳な者は謹慎されて催事に加われず、酷ければ除されて一族の墓に入れなくなる。これらは非常な不名誉である。国家も祭祀風俗を奨励し、宗廟や墓のある土地の売買を厳禁とした。

3.父母は生きる祖先であり、子はいかなる場合も父母が非理不道の場合でも、父母に絶対服従である。これに反すればどのような地位(皇帝)でも社会から排斥された。篆文てんぶんの父の字は手に杖を持つ形だ。父は子を折檻するための杖を忘れてはならない。功臣や名臣でも母の機嫌を損じたときは反抗せず鞭を受けた。中国人にとって天下は大きな家で、家族は小さな天下であり、両者は範囲の違いであって実質に相違はない。父に考を尽くす心が天子に対する忠の心である。
4.歴代の天子は考教の講習を奨励する。天子が考教の書物に注釈を加えるのは、孝治の意味を臣民に宣言するためである。蒙古語訳や鮮卑語訳のものも作られ勧奨されたことからも、国内については況やである。考をもって天下を治めることは天子が必ず守るべきことで、中国の天子自身も養老の礼を行い万民に模範を示した。天子のおくりなには必ず考の字が使われるべきで、使われていない者は略されたと考えるべきである。暗君であり政治を放逐しても考を忘れる天子はいなかった。

5.孔子の儒教は家族主義で、孝弟がその中心をなす。第一の仁は人と人が並ぶときに初めて親愛が生ずることを指し、それは親子の愛から始まる。次に現れるのが兄弟で、親子兄弟の愛、孝弟が仁の根本である。家族的孝弟を普遍の仁とするために、自己に対する制裁である忠と他人への同情である恕を必要とする。家族を超えて忠恕を押し広げると四海兄弟という博愛的仁に到達する。孔子の仁は博愛に至らず墨子と考えを分ける。孔子は仁と義をわけ、仁は義によって行い、義を離れた仁は儒家の仁(孝弟)でないと主張する。
6.中国の法律は道徳の延長である徳治主義で、法治主義ではない。礼は罪を未然に防ぎ刑は発生したものを懲らすの違いだけで、同じ目的である。だから親族間と他人間の刑を区別し、親族間は尊卑長幼の関係で一般より刑が加重軽減し、父が子を打つ場合は無罪だが子が父を打てば斬首される。
7.不孝が最大の罪であることは、殷から続く伝統だ。唐律(唐時代の法律)でも父母の服喪は3年と厳しく規定され、反すると罰され、流罪になることもある。父母の服喪中及び囚禁中の婚姻も罰せられる。
8.服喪中に妊娠した結果の出産も罰せられる。官吏であれば罷免となり、生まれた子も処分される(多分)。明の太祖は制度法令を革新し、当該禁条を解除した。人口増加と嗣族の保護を目的としたもので、当該禁条は法ではなく道徳として各自の時制にゆだねるものとしたが、反対する者も多かった。

ー感想
 宗廟土地の売却は韓国でも禁止されていた気がする。
 殷は呪術社会で、人が亡くなった時に妻や奴婢を殺して一緒に埋めた文化で、周も基本的には殷の文化を踏襲した(殷で紂王が廃止した生贄を復活させたりしている)。その周時代の礼法典である周礼(成立は戦国末といわれているけど)がその後の中国の全てを規定し異民族が政権を取った時にも踏襲された。そこが出発点なら孝道というか祖先崇拝はおそらく天や鬼神といった恐ろしい神概念に繋がっているんだと思う。つまり先祖を祀らなければ祟りで皆殺しにされる世界観だ。皆殺しにされるなら、子孫より祖先を重視することにつながる。
 神の世界が人の世界に移り変わった後も、規範として継続したんだろう。そう考えると西欧文明は周礼から続く中国の基礎概念を塗り替えたわけだから、力ってすごいなと思う。

 そんなわけで、祖先になりうる長を害せば祟りによって幼がまるごとなくなるわけだ。他人事ではない。賢い子ども1人2人が犠牲になっても粗暴で無知蒙昧な親の方がえらいのは当然である(言い方)。そして一度このような不孝が起これば社会全体が乱れる可能性があるわけで、見過ごしたり監督しなかった近親や隣人、時には担当自治体の長官まで首が飛ぶ。親の悪口で死刑というのは今の時代からすればおかしいと思うものの、中国では人の単位を西洋のような個人単位ではなく、家族という一つの生き物として捉えているのだろう。だから不孝は枝ごと切り捨てられると考えれば、理屈としては納得できる。純粋に子孫の価値が低い。
 なお中国では皇帝となる人は天が人々の上に立たせることを認めたという前提で、皇帝は最上位にいる。これを弑するのは忠義違反だけれど、皇帝が徳を失い人道にもとり、天が見切りをつけて新しい天子を欲した時の革命を易姓革命という。結果的に革命が起これば前王の不徳のせいにされるんだけれど、これが儒教が考え付いた王朝交代の理屈である。これほどのことがなければ王朝は交代しないわけで、個人一家単位の祖先の重要性は覆りようがない。

ー後半まとめ
9.他人に対する罵詈の禁条は乏しいけれど父母に対する悪口の禁条は明記され、唐律では死罪である。子孫が祖父母や父母を殴打した場合、最も重い斬罪となるが、情状にさらに加重された(減刑ではない)。明代にとある士人が妻と協力して母を鞭で殴打した事件では、夫婦とも生きながら剥皮の刑となり遺骸を焼棄し骨を粉砕して飛散させ、近親者も不行届のため絞罪となり隣家も告発しなかった罪で流罪、地方官は教科不十分で免職となった。日本でも養老律(奈良時代の法律)では父母への罵詈は禁固三年、殴打の場合は死刑となった、近年では父母にたいする罵詈雑言が世間の注意も引かないようになったのは嘆きに堪えない。
10.親殺しが生じた場合、周礼では一家の尊卑長幼を問わず誰でも殺してよいことになり、住居屋敷は全て官憲が取り壊して水たまりとし、再び住めなくする他、君主まで教化不行届として一か月酒を断つとする。漢代では腰斬となった。しかし唐律では親殺しの条項がない。その理由として、風紀上親殺しを法文に明記したくない(忌むべくすぎて)、父母に対する殴打や叔父や兄姉を殺害した時の斬刑が最上位でそれ以上に適用すべき刑がないことが考えられる。

11.五代・北宋から絞・斬の上に凌遅りょうちができた。宗史によれば肢体を断ち喉をえぐるとあり、時間をかけて苦しめて死なせる方法である。清代では24,36,72,120切の区別があり、元以降、親殺しは凌遅が慣例となった。そのうえで家を壊し一族を断絶させ、官吏は監督責任を負う。日本の養老律でも既遂未遂とわず斬刑に処していた。
12.中国の法はこのように不孝に苛酷な処分を加える一方、孝道を全うするためなら執行を猶予してまで便宜を与える。父母が高齢や病気があって自活できないときに他に養う者がいない時等だ。また家族にあたる広い範囲で相互に犯罪者を隠ぺいすることは罪を減ずる。父祖の裁判に子孫を証人としない。
13.日本の御定書百箇条(江戸時代の法律)でも父子・夫婦間で隠ぺいを認めている。近年では父子夫婦であっても裁判の証人に召喚することが目につくが、人道上無慈悲である。一方で孝道が行き過ぎれば公儀を忘れることになる。中国の法律は古代から親を告訴する子に死刑を含む厳罰を加え、訴えられた親は自首相当として罪を減ぜられた。
14.娘婿を殺害した事件で、何もしらない妻(娘)が夫の捜査を依頼し父兄が犯人であると露見した事件で、父は夫以上であるから娘は薄々父が犯人であると感知しているなら死罪に処すべきであり、全く感知しないことが明確であれば奴婢とすべきとの意見が出た。西漢時代に他人に害されようとする父を救助しようとした子が誤って父を傷つけた事件で、危急であっても父を傷つけた者は死罪にすべしという意見が出た。
15.考は百行の基で万善の始めである。考心があればそれ以外について必ずしも求めず、悪い行為も孝行から始まれば良とする。親のために股の肉を割いて与えることは弊害が多く原則禁止されるが、実際には無視される場合が多い。儒教は復讐のための人殺しを是認するが、社会維持のため政権はいつも折り合いに苦慮していた。唐律には復讐についての規定はなく、事例に応じて判断し、死罪になった場合も深い同情を寄せられた。元代に初めて復讐を公認する法律ができた。明律では状況に応じての復讐に対する刑罰を定めた。

17.中国にはあまねく孝道が広まり、孝道を除外しては国家も社会も存続できない。そのため中国では外交の際に他国の孝道の状況によって相手を測る。匈奴や蒙古は老を卑しみ排斥する。欧州では祖先を祭祀せず孝道を軽視する国は文化がなく野蛮で排斥しなければならないという。マニ教が迫害された理由も中国の孝道の考えに適合しなかったからだろう。仏教は四徳のうちに父母の恩を列するが、出家すると父母を顧みないため時折廃され、最終的に僧尼は孝道の点では一般人と扱いが同じになった。
18.基督教の東漸の際にマテオ・リッチは孝道に適合する必要を説いたが、他の宣教師にとって中国人が孔子や祖先を祀るのは迷信なので排斥し伝導すべきとしローマ教皇も同意したため禁教となったが、その後各種条約の保証に基づき流入する。
19.しかし孝道も家族制度の弛緩に従い勢力を減退させ、現行法律でも明律と著しく隔たっている。日本の孝道も維新前から明治、大正と移り変わる間に衰微している。孝道はアジアのみならず西洋でも有用なはずだ。西洋とアジアの違いは利己主義か利他主義かにあり、東洋は西洋に比べて著しく服従の義務を求める。西洋でも東洋の文化の必要性が近年指摘される。

ー感想
 凌遅刑ができた経緯に戦慄。親殺しが悪すぎて法文にしたくないお気持ちで法文にないというのもなかなか目から鱗だが、おそらくそういう発想自体が忌避されたのだろうとは思う。
 凌遅といえば過酷な刑罰界隈(なんだそれ)に有名だが、体の肉を生きたままそぎ落とす刑。つまり楽に死ぬ、ということが否定される点で現在の刑罰法典の理念の真逆を行く感じ。けどそれは文化が違うということだから、きっと今よりさらに後世からみて価値観の対立ということになるんだろうな。そもそも人道の人が何かという点で、人は全て平等で権利を有すると考えれば過酷な刑は反対されるのだろうし、親や祖先を最重視すると考えればこれを害するならば価値の低い子孫は苦しみで贖うという方向になりやすい。そして他国の文化にそんな文化は間違っていると乗り込んでくるキリスト教民はそういうメンタル、というか人格の形成根本が違うっていうだけの話だろう。ここを曲げたらお互いの属する社会で人間とみなされないということだから、それは受け入れられないものは受け入れられないと思う。それで負けた方は全てが悪で未開となり、奴隷になっても致し方がない、というのもまた一つのかつての価値観だったのだろう。

 ところで前から斉の桓公(春秋五覇)の料理人易牙えきがについて、桓公の求めに応じて自分の子供を料理したのに何故悪い行いとされていたのかわからなかったんだ(同時期に子供の肉を主君に捧げて善行となった事例がある)けれど、易牙が子を捧げたのが桓公が食うに困っているわけではなく立身出世のためとみなされたからな気がしてきた。けれどそれをいうなら基本的に君主に逆らうのは不忠なわけで、食ってみたいでチラッとした桓公に易牙が逆らえたかというとそこは難しいと思うのです。
 ともあれやはり、価値概念があまりに違い過ぎる。筆者は孝道は重視すべきだと考える勢力だったようだが、今この視点で論陣を張るのは価値観、つまり正誤の判断基準が変化しすぎて難しいだろうなと思う。少し前まで、日本でも中国でも親殺しに比べて子殺しは圧倒的に容認されていた。

まとめ

 結局全部読んだ。
 全体的に、孝道という今は薄れた概念がいかに中国の価値観に影響を与えていたかに改めて衝撃を受けた。そしてそれを裏付けたのはおそらく、刑法典だと思う。刑に処されるというのはそのまま悪を意味する。古来より親族に対する罪が今から考えると考え難いくらい重いのは、それが常識となり疑いのない概念となっていて、そして刑法にも反映されることで公知となり、その思想を循環させたからだろう。日本でも仇討ち御免のしきたりはあったけれど、細かくシステムが決まっていた。そう考えれば唐律に定めがないというのはいちいち検討が煩雑で、しかし成文にできないほど重要な常識且つ観念なんだろうと思う。 筆者は孝道が失われつつあって悲しいというが、既に現代文明に毒された僕にとっては冗談じゃねえぞと思うわけ。ともあれ人の捉え方自体が違うのだ。
 小説に使えるかというと、昔の中国を書くなら踏まえといてもいいとは思うが、これを踏まえてこの世界観を書いたとしてそのまま読者に伝わるとは到底思えないので悩ましいところ。でも考証とかきちっとやるなら短い本だし読んでもいいかもしれないとは思う。

4.結び

 日本で尊属殺の加重(昭和の真ん中頃まで、普通の殺人は3年以上の懲役、無期、死刑だったのに、尊属殺は死刑か無期だけだった。)が違憲になった時、日本の法曹はもろ手を挙げて大歓迎したけれど、これ唐のころの中国あたりにもってくと裁判官の一族郎党死刑案件だなというあたりで文化差って思ってるよりでかいなと思った次第です。何か色々忠孝について疑問に思ってたところがわりと解けたけど、今から見れば生きづらい世界だと感じる。
 次回は増渕雄一『おもしろレオロジー どろどろ、ぐにゃぐにゃ物質の科学』です。
 ではまた明日! 多分!

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 蔵書が6000冊に達したので、読む本を5冊までリクエスト受け付けます。残り4冊分。↓にDBの短縮URLをおいているので、リクエストがあればこちらからご連絡ください。

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