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本雑綱目 76 磯田道史 天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災

今回は磯田道史『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災』です。
中公新書。ISBN-13 ‏ 978-4121022950。
NDC分類では210。歴史>日本史。

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

★図書分類順索引

1.読前印象

 日本の天災というと雷と親父はさておき地震、火事。あとは飢饉とか噴火、洪水なども含まれるのだろうか。地震といえば法隆寺の免震、火事といえば倒壊を前提とした建築なんかが思い浮かぶけれど、火事は江戸時代までは木造前提だしなっていう気はするし、なんだろうー。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック

 まえがきを読む。
 ベネディット・クローチェが大地震の被災によってその哲学を生み出したように、天災は人の世界の見方を変化させる。近年の震災の経験を通して歴史を顧みれば、新たな視界と世界が開けるだろう。
 ということは主には地震の話かしら。
 目次は『秀吉と二つの地震』、『宝永地震が招いた津波と富士山噴火』、『土砂崩れ・高潮と日本人』、『災害が変えた幕末史』、『津波から生き延びる知恵』、『東日本大震災の教訓』です。小見出しをみるとわりと人によせた記述のような気はする。明暦の大火が欲しかった! けどあの頃の江戸の町づくりは今と全然違うから参考にならないと言えば確かにそう。
 『秀吉と二つの地震』、『宝永地震が招いた津波と富士山噴火』を読んでみることにします。富士山書いてるし。

3.中身

『秀吉と二つの地震』について。
 深夜の天正地震で長浜城は被災し御殿が倒壊した。山内一豊の妻は娘を失い、城下で捨てられた子を拾い、育てて寺に入れた。
 秀吉は対家康戦の準備をしていて一触即発だったが、天正地震が発生し秀吉は坂本城から大阪に避難した。前線備蓄基地である大垣城は出火炎上し、追討軍を予定していた長浜城も倒壊、火の海で出陣どころではなく、信勝の伊勢長島城も天守以下が焼けた。秀吉側は前線拠点をすべて失う一方、家康側の被害は軽微であり、これにより講和が成立、家康は力を蓄え後の天下に繋がる。
 また、天正地震は若狭湾に津波をもたらした。フロイスはこの津波が長浜村(若狭湾、高浜かも)を痕跡がないまでに破壊しすべてが海に飲み込まれたと記している。
 伏見地震では伏見城が台所棟を残して全壊し、秀吉は命からがら逃げ伸びた。被害が大きいのは瓦葺き(重い)だったからのようで、瓦葺き禁制とし、伊達秘艦によれば新しい伏見城は耐震性能を重視した造作(御殿は檜皮葺)にしたが、火に弱いため関ヶ原前夜に忍者の放火で燃え上がって落城した。当時も耐震構造の分析をしてるんだなという印象。
 木を骨とした方広寺の京の大仏(奈良の大仏より大きい)は地震で倒壊したが、大仏殿は二寸柱が地中にめり込んだだけで無事だった。木造りなのは金をけちったせいだが秀吉は大仏に文句を言い、その後秀頼が莫大な費用をかけて金銅仏に仕上げたけれど財政が減り釣鐘に難癖をつけられ、最終的に豊臣は滅んだ。
 おりしも朝鮮出兵で秀吉へのヘイトが溜まっていたところに伏見地震があり、伏見城をより豪華に再建せよと同時に再び朝鮮出兵せよと秀吉が命じたために求心力を急速に失った。このころはお天道様がみているのムーブが流行ってたころだから、風評を作りやすかったのかもしれない。
 釣鐘事件の経緯も含めて思ったより地震が時勢に影響を与えていて面白かった。
 
『宝永地震が招いた津波と富士山噴火』について。
 宝永地震における三保の松原の津波については資料が乏しく、津波高の算定が困難である。村中用事覚から遡上高は3.9メートルとされてきたが、土地沈降の表記もあるのでより高い津波だった可能性がある。いるか松の伝承からも5メートルを超えているのではないか。
 寿栄公御遺訓の記載における宝永地震と富士噴火の記載が生々しくて興味深い。
 歴史を紐解けば、南海トラフ・相模トラフと連動して4割程度の確率で富士噴火が発生している。
 江戸時代の記録については日記を辿るのが良い。江戸での岡本元朝日記に詳しく、振動や降灰の様子が見られる。天水桶は震度4以上で零れる等の基準になっていた等の記述も興味深いです。当時は当時なりに地震国として色々対策をしていたんだなと思う。
 柏井氏難行録には高知市種崎における宝永地震の津波状況が語られる。『考(親を敬う)』の重さの下りでは、父は5歳の娘を海中に投げ捨てて祖母を助けに向かうところが文化諭して感慨深い。祖母は津波が迫っても逃亡を拒否するけれど、考からおいてはいけない。やはり江戸時代は感覚が全く違うなあと思うわけ。
 大阪の津波被害をみるには橋の記録がよい。宝永地震では戎橋・相合橋が落ち、標高3.6mまで遡上したようだ。室町期の正平津波では、嘉元記において5~6mの津波が遡上した可能性がある。
 そのほか明応・慶長津波等を引いた防災の話。

 全体的に、日本史をベースに天災対策を考えるというよりは様々な日本史エピソードを散漫に並べている感じはするけれど、実地調査や各種資料から見える建材や地形から災害の状況等を推測する展開は面白い、というか僕の中で新しい視点だったのでとても興味深かった。
 小説に使えるかというと、例えば宝永地震の様子を描くなら当時の日記なんかの参考資料が引用されているから使えるけれど、母数が少なそう。

4.結び

 天災というのは当然ながら人々の生活に大きな影響を与えるものだけれど、これまではあんまりリンクして考えていなかったことを自覚。これで秀吉書いても面白そうだけど、秀吉はもっと別視点で書きたいんだよな。秀吉関連の資料はたくさんあるけど、ゴアやバタビヤからみた秀吉とかの欲しい資料になかなかみあたらない。かといって古いスペイン語はわからん……。
 次回は幸田成友『フランソア・カロン 日本大王国志』です。
 ではまた明日! 多分!

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これもあまり関連はしてないんだけど。

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