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本雑綱目 88 川崎房五郎 江戸ばなし 文明開化東京① 明治前期

今回は川崎房五郎『江戸ばなし 文明開化東京① 明治前期』です。
‎ 桃源社、ASIN ‏ : ‎ B00QA8LXCU。1976年の古い本。
NDC分類では213。歴史>関東地方。
前提知識必要度(明治時代):★☆☆☆☆

これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。自炊予定登録数で5500冊超えたから約6000冊に変更しました(何かと戦っているわけではない。

★図書分類順索引

最近長い傾向にあるので、目次を置くことにした。


1.読前印象:川崎房五郎 江戸ばなし 文明開化東京① 明治前期

 明治は45年までなので前期というと22年くらいまでかしらと思う。僕が書いてる明治は立地静岡あたりを想定した架空都市だけど、東京の場面もあるからわりに期待している。とはいえ表紙からでは方向性がわからない。なんとなく文明開化の香りのする文化(必ずしも西洋流入のものばかりではなく、人力車等日本初のものも結構ある)と移り変わりの気がするけれど。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック

 はじめにを読む。
 江戸を東京とあらためてはや百年がたち、明治は遠くなりにけり。明治、それはすでに錦絵や写真で追憶する時代。著者の頭の東京は明治時代の旧東京市十五区がイメージされ、政府のお膝元として江戸時代とそうかわらないまま文明開化の見本のように新しいものがなんでも試験的に植え付けられ、東京を首都として伸ばすのに役立った。
 多摩とかは確かに僕も『東京感』というよりは武蔵野のイメージ。旧東京市十五区とは麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区。主に江戸城直近とあとは下町というイメージで、新宿・池袋・渋谷あたりは含まれない。地理感なくもないあたりだな。
 目次は『江戸東京となる』、『市政裁判所と東京府開帳』、『府社「鎮火社」鎮座祭施行』、『品川県、小菅県、浦和県廃止』、『違式詿違いしきかいい条例』、『武家地はどうなったか』、『銀座煉瓦街』、『城門撤去と鳥居炎上』、『氏子守札と新しい宗教』、『娼妓解放』、『上野公園などの開設』、『兎の流行』、『警視庁設立』、『鉄道開通』、『文明開化と世相さまざま』、『郵便のはじめ』、『新聞発行と誹謗率』、『養育院設置』、『地租改正と地券』、『初等教育の普及』、『十五区六郡の誕生』、『府会、議員選挙』、『内国勧業博覧会と勧工場』。わりに網羅してる感じ。
 『違式詿違条例』、『銀座煉瓦街』、『氏子守札と新しい宗教』、『娼妓解放』、『文明開化と世相さまざま』、『内国勧業博覧会と勧工場』を読んでみます。中途半端に知ってるけど今! 必要な! 部分! 鉄道とか裁判所も読みたいんだけど、全部読む時間はない。まあそもそも資料に必要なときに使うためのチェック用なので。

3.中身

『違式詿違条例』について

 江戸期、一般市民は着物などめったに着れず、裸で暮らす者が多くいた。夏の職人はふんどし一つで周りも威勢がいいとほめていたし、長屋のおかみさん連中も腰巻と襦袢に細帯一つで、帯を締めているだけで上流階級だった。裸足で歩く人間も多い。錦絵の姿は江戸の実質とは大きく異なる。明治4年に政府は半纏又は股引き腹賭けをつけるようにと裸体禁止令を出し、川で不浄のものを洗うな、下水や溝にごみを捨てるな、出火場を見物するな、往来の妨げとなってはならない、往来で焚火や大声で歌うこと等を取り締まった。若い衆は祭礼では酒食費用を強要して拒絶すると神輿を店につっこませたり、鳶職も不義理に他の職人に頼めば暴れる等が横行していたので、度々禁止令が出される。明治5年に現在の軽犯罪法の走りである違式詿違条例が東京府全体に施行された。違式は租税滞納、粗悪食品販売、春画売り、混浴湯屋、外人の無届止宿、通行禁止違反等が含まれ詿違は無灯火車、人力車や馬車の通行妨害、犬猫鼠の投棄、婦人の断髪、蓋のない糞尿桶の運搬、喧嘩口論等が含まれる。その後伝染病予防違反や安眠妨害等が追加される。しかし浸透させるのは困難で、邏卒(警察)がしつこく取り締まった。
 違式は罰金、詿違は科料なイメージかもしれない。イザベラ・バードなんかは半裸の人力車引きの対応の丁寧さなどを褒めてはいたけれど、やはり西欧文明では半裸は未開の象徴なので、政府としては取り締らざるを得ないものだろう。というか外形を取り締まるのは簡単に見かけの文明度が上がるから(難易度はさておき)。ところで塵を溝に捨てる等の例がよく挙げられているけれど、江戸は当時下水と屎尿(屎尿は肥料になるので下水とは別ルート)は分けられ江戸時代を通して下水マスの清掃令もちょくちょく出ているので、屎尿を下水に流していた西洋よりは清潔なのだろうとは思う。オールコックも乞食がいるほかは綺麗だと言っていたし。そういえばパリの下水は古い時代のものが今でも使われ修復困難で、この間のオリンピックでも汚水が問題になっていた。この塵捨てに関する令は江戸時代から続いてちょくちょく出てるやつなのか、時代の変化によって新たに出されるようになったのかは気になる。立小便や痰吐きが大幅改善されるのは東京オリンピックのころだった気がする(うろ覚え。今も軽犯罪法に残ってる。

『銀座煉瓦街』について

 銀座は慶長171612年に駿府から銀貨鋳造発行所が移ってきたことに始まり、日本橋の両替町には両替商が並んだ。江戸の銀座通りは京橋から銀座4丁目までで、4丁目角は有名な呉服商が店を出した。江戸では火事が頻繁に起きたため「宵越しの金はもたない」文化が生まれ、明治5年の大火で京橋から銀座一帯、築地まで焼失したことを機に木挽町あたりの多数の貧困者の焼け出され対策が急務であり、かき集めた金の半分を救済、半分は銀座を不燃街として煉瓦造りの街を作り道路幅員も拡張することにした。工事に際して責任者の意見が対立して責任者不在となったり、焼け残った土蔵の移転困難等多くの問題があった。煉瓦自体は安いが輸入には運賃が高く、小菅に煉瓦窯が作られた。本所・深川近辺に煉瓦工場が増加し、江東が工業地区になった。煉瓦街は希望者から頭金を取り、残金は月賦償還として旧居住者を優先に収容したが、横町や裏通りはなかなか埋まらなかった。煉瓦作りの家はこれまでの木造と住環境が異なり、湿度のため脚気となったり、入れば病気になるというデマが横行した。そのため、不燃街計画は銀座以外に広がらなかった。明治7年に瓦斯灯が並び、明治15年に大倉組前に初めての電灯が灯る。14年から20年にかけて新聞社が煉瓦街に集中し、高級店が集まった。23年には歌舞伎座ができ、36年に市外電車が走るようになった。
 丁度この時代の銀座はちょくちょく書いていて、思ってたよりもっと裏表のある場所なんだなと感じた。街路樹までは気にしてなかったから、次に銀座を出すときは気を付けようと思う。そういえば昌平橋をアスファルト舗装しようとしたのも由利公正(煉瓦街計画時に意見対立した東京府知事)だなと考えると、当時の上層部の新進気鋭っぷりはなかなか熱い。でも公共事業で小説書いてもあたらないんだろうな。ちなみに銀座と皇居の間の日比谷あたりは当時武家屋敷で、明治の初めに大蔵省等が建てられて官庁街になったけれど、確か木造洋風建築だったから関東大震災の時に燃えたはず。都市計画好き。

『氏子守札と新しい宗教』について

 江戸時代の信仰は各家が産土として氏子神を参詣し、仏寺も檀家所属がはっきりしていた他は宗教にうるさくなかった。稲荷信仰は現世主義として活発だった。江戸内では祭礼費用は地主階級負担で、三社、山王、神田明神祭等の出費は莫大だった。明治維新後、江戸屋敷にいた武家が郷里に帰って江戸は寂れ、十万からの神官僧侶の生活が危うくなり、神仏分離と廃仏毀釈で大きな変化が生じる。江戸時代に混在していた寺社から神社を分離し、神社を第一として天皇制と結びつけて強化した。政府は神祇官制度を敷いて社僧(注:神社内僧侶。江戸時代は普通に神社内に寺、寺内に神社があった)を廃した。明治4年、氏子守札制が布告され、産土として氏子と神社の結びつきを強固にし人別帳にかわる氏子帳(注:江戸時代は寺社が戸籍を管理していたが、明治政府はこれを神社にすげかえようと氏子帳を作成)を作るが、庶民や寺院の不満が募り、戸籍法によって壬申戸籍ができた。神祇省は廃されて教部省となる。仏教勢力も一時団結がみられたが、内部抗争で統一はできず。キリスト教は幕府の政策を引き継いだが、岩倉具視の渡欧後、国禁のままでは条約改正困難として緩和される。築地居留地を中心に教会が設けられ、ニコライ堂、東京公会や陸橋学校が設立され、当初外国人主導でキリスト教教会が運営されていたがやがて日本人を中心とするものに変化していく。明治28年にライト大佐率いる救世軍が娼妓救済をはじめ職業紹介所、授産所等を設立し貧民階級から親しまれる。同時に天理教や大本教等の新興宗教が信者を獲得していく。明治2年に建てられた招魂社は12年に靖国神社となり、当初藩士に限られた祭神の範囲は広がり全国民戦没者の神となる。
 この辺は僕がわりと書いてるくせに知識が全然足りてないところ。おおむねの流れはこの通りではあるものの、このころの国家神道を作ろうとする流れはとても切実愉快で面白い。ベースとなった国学者はあっという間に内ゲバして内乱罪でとらえられ、教部省の大教院は増上寺に置かれたものの仏寺中神社に反発した廃仏主義者の旧薩摩藩士に放火されて全焼し、国家神道の成立が様々な事情や反発で困難と知ると、政府はイデオロギーを憲法に残して実務者ははしごを外されるとか、当時のこの辺界隈はみんな胃潰瘍なんじゃないかなという気分。この時代の人は活動がダイナミックで見切りも早いので、中途半端に管理職になると死ねる時代。なお隠れ切支丹は教義を魔改造しすぎて(神が許したから原罪なくなった)異端とみられ、新しくできた教会とはぎくしゃくしています。

『娼妓解放』について

 明治5年、厦門からペルーのカレオに向かったマリアルス号が破損し横浜に入港した際、清の船員が突然海に飛び込み英国船に泳ぎ着いて奴隷売買があると陳情した。外務省の命令で査問が行われ、マリアルス号には脅迫や甘言により奴隷として売られようとする者が230名いた。ペルーも清も当時条約未済国であるため異議が出たが、日本の裁判で清国側が勝利し釈放が命じられた。ペルー側は日本の決定を不当として国際仲裁裁判所に訴え、ロシア皇帝を裁判長に法廷で争うことになった。この際マリアルス号船長エリエロは日本の娼妓身売りは奴隷売買であり、国内で許しながら外国の売買を不可とするのは不当だと主張する。これにより、国際裁判に備えて日本には奴隷制度がないことを立証するため娼妓解放令が布告される。新吉原等数カ所の遊廓は貸座敷として残し、自主的に飲食を提供するのは差し支えないこととした。娼妓は暮らしに困窮して遊廓にいる者も多く、解放されても行き所がない。また、品川宿等は飯盛女を中心に繁盛していたので町自体が成り立たなくなる。そのためかえって私娼が横行し、公然と遊廓を設置しろという声が強くなり、貸座敷と名を変えても実質の営業形態は変わらなかった。尚、国際裁判は勝訴した。
 貸座敷理論って風俗の自由恋愛理論と同じってことはこの発想って明治からなんだ! という驚き。恥ずかしながらマリアルス号事件は知らず、娼妓解放令は単に外国外聞の為かと思ってたんだけど、思ったより契機が興味深い。ところで開国するまでは遊女、特に花魁はスターで市政の女性からも圧倒的な人気を誇っていた。日本の遊女が外国の遊女のように蔑まれないのは家族を守るためにやむを得ず身を売るという悲劇性を前提としていて、だからこそ身請けされてまともに結婚もできる。実際は犯罪を犯して奴刑になるパターンも多いらしいけれど。この日本の制度はかなり特殊らしく、外国では基本的に同じ宗教の者は奴隷にしたりはしないそうだ。だから同族を売買する日本の制度は西欧からは奇異に見えたらしい。ところで開国を契機に遊女の見られ方はだいぶん変化する。処女性を重要視するキリスト教の概念によって次第に遊女の立場は憧れから穢れに変化していく。遊女は遊廓内での扱いはもともと苦界と呼ばれる酷いものであったけれど、対外的にも蔑まれるようになってきたのがこの時代。この辺の時代感の変化が書きたいんだけどさ、単位が100年だから場面設定が難しいなあ。遊女3代とか難しいや。

『文明開化と世相さまざま』について

 明治維新によって武士は士族となり、明治3年に実録は数分の1に減り、5年に国民皆兵制度ができ、6年に秩禄処分によって身分を捨てれば多少の金が入るが商家となっても上手くいく者は少なく、大量の失業者が出た。東京府は利根川開墾等の救済公共事業を催し、婦女子にレース編み等を教えて自立を促した。日本は欧米文化を外形的に模倣し、断髪令によってちょんまげを捨て、廃刀令によって大小を捨てた。衣類に階級差がなくなり、洋服着用が推奨された。人力車が発明され駕籠が駆逐された。銀座煉瓦街後、官庁をはじめとして煉瓦建物が生まれたが、関東大震災をきっかけに大規模建物が増える。江戸の建物は障子を用いるため比較的暗かったが、ガラスの利用で生活は明るくなった。照明もランプからガス、電気へと移り変わる。明治3年ごろから横浜西洋料理店が外国人相手に洋食を出し、居留地の影響で築地精養軒ができ、洋食が流行り始める。牡丹鍋の影響で牛鍋が庶民の中で広がる。
 確か牛肉が流行ったのは明治天皇が大々的に洋食キャンペーンをやったのが大きかったんじゃなかったかな。当時は猫も杓子もというか、飲食店ならどこでも牛鍋を出す勢いだったそうで、その内容も見よう見まねで店によって結構違っていたらしい。人力車は駕籠を駆逐したけれど、やがて自動車に駆逐される。でも東アジアでは今も残っているのが興味深い。そういえば東京から日光東照宮まで一日で走った人力車の話を前に何かで読んだけれど、この時代感では嘘だろと思いきれない何かがある。雇ったの外国人だったから誇張しない気はするし。

『内国勧業博覧会と勧工場』について

 明治10年西南戦争敗戦が濃厚なさなか、上野公園で第1回内国勧業博覧会が開催され、殖産興業こそ日本の進む道であると示された。大久保利通は明治6年のウイーン万博、9年のフィラデルフィア万博から想起を得、本館、美術館、農業菅、機械館、動物館等が作られ、売れ残りは東京府が引き受けて丸の内に勧工場を開き販売したが、そのうち多くの個人商店がよりあつまった形態で民営になり、市内各所に設けられた。それらはやがて一つの資本によって運営される百貨店がとってかわる。
 内国博覧会は本草学展の図絵をみたことがある。明治33年の三越が百貨店の始まりと書いているけれど、浅草凌雲閣は多分それより早く多くの店舗が入っていたはずなんだ。でもあれは権利関係はどうなっていたんだろう。たしか法人なりしてた気はするけれど、一つの資本かどうかはわからない。このころは巨大迷路とか展望パノラマとか珍奇な施設が流行っては消えしていったとても楽しい時代であったと別の本に書いてあった気がするけれど、タイトルを思い出せない。

まとめ

 全体的に、とても読みやすく興味深かった、僕には。そういえば江戸話とは書いてあるけれど、時代的には明治。この時代はいくつもの強引な価値転換とゆるやかな新価値創造(江戸時代は新技術開発が多くの分野で禁止されていた)が発生した時期で、なんとなくカンブリア大爆発な気分なんだけど、とてもアグレッシブな人間が多くて素敵。
 小説に使えるかというと、明治を書くなら一通り目を通しても損はないと思う。明治時代というのはまさに激動で、政治も経済も恐ろしい速さで移り変わっていて、新しい技術が生まれてもあっという間に消え去っていく。その流行り廃りが早すぎるので、明治〇年に何があったのかは結構重要な観点。なので調査は案外重要なのだ。

4.結び

 明治の話はたくさん読みたいのだ。僕は歴史は全く専門外(というか高校は地理選択だから基礎知識がない)なので、ひたすら色んな本を読んで網をかけて知識の隙間を埋めていくみたいな活動をしている。
 次回はティモシー・ヴァースタイネン・ブラッドリー・ヴォイテック『ゾンビでわかる神経科学』です。
 ではまた明日! 多分!

★似たテーマの本
珍しく挙げたい本はたくさんあるんだけど、ジャンルとして似ているのはこれか。明治生まれで昭和初期に亡くなったジャーナリストの見た明治で視点は近いんだけど、エッセイみが強くてこの本みたいにまとまりはない。

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