2-6美ヶ原で山暮らし・バブルの絶頂期に月6万円で暮らす
仕事は移動販売と配達。南は塩尻「きんぴら工房」という天然酵母のパン屋さんから北は安曇野の舎爐夢(しゃろむ)ヒュッテ(今のシャンテクティ)というエコビレッジや、穂高養生園という自然保養施設へ、月に一度は大町市美麻のフリースクール遊学舎まで、軽トラを改造した移動販売車で有機野菜や自然食品、天然酵母パンなどを載せ、ぐるぐると回っていました。
給料は月6万円、1月から3月までは冬のお休みで、年末には売れ残った根菜やお米などがボーナス代わりに支給されました。オーナーは冬の休みにはインドや東南アジアへ行っていました。
そして、私にとっては、この冬の3カ月が最高にすばらしい日々でした。ヤギ・犬・ネコ・鶏との暮らし。暖房は薪ストーブ。電気は5アンペアでしたので、掃除機と洗濯機はいっしょには使えません。
移り住んだ当初は車も持っていなかったので、週に1度リュックを背負い1時間かけて松本の町へ。野菜や小麦粉、ちょっとした嗜好品を買い込んだあと、薄川(すすきがわ)のほとりの喫茶店でコーヒーを飲み、また1時間かけて戻ります。
夜には薪のはじける音とふくろうの声のほかに聞こえるものはなく、月明りが森を照らす夜や、あるいは遠くにぼんやり町の明かりが雲に映る月無き夜、人工の光は周囲には一切ありません。
貧乏だったけど、それが不幸と思うことはありませんでした。いやむしろ、この赤貧の生活を楽しんでいたのかもしれません。そのかわり薪がうず高く積まれていれば豊かだなあと幸福感に浸り、薪が寂しくなると心まで淋しく思っていたものでした。
世はまさにバブルの絶頂期。世の中がお金に踊らされているときに、ひとり山の中でたっぷりの時間と自然に囲まれた空間を堪能できたことは最高に幸せでした。
ひとつ今でも鮮明に残っている感覚があります。根菜ばかりの食生活でビタミンが不足していた冬が去り、水ぬるむ音に誘われて小川の小径を散策していた時に見つけたフキノトウ。食べたとたんに緑のエネルギーが体の隅々まで注入されていく感覚が強烈に広がっていきました。
生きている実感がここまでリアルに感じられたことはありませんでした。山羊を散歩に連れ出せば、「ああ、道草を食うってこういうことなんだな」と一人ほくそ笑み、夜中にハクビシンに襲われ瀕死を負った鶏を解体して食べたりと、それなりに楽しくて充実した毎日を過ごしていました。
でも何かが足りません。面白いこと、びっくりしたこと、頭にきたことなどがあっても、それを話したりシェアしたりする相手がいません。
時々は友人たちが遊びに来てくれますが、楽しい語らいの後に友が帰ってしまうと、どうしようもない寂寥感に襲われます。
畑や調理、簡単な大工仕事や動物の世話など、いろいろなことを覚え、一人暮らしが苦にならないところまでスキルは上達したのですが、幸せには何かが足りません。
そして2年目の夏、今のパートナー(たまさんといいます)が、やってきたのです。私の幸せはさらに二倍になりました。
