旅・景色 山北駅
いかがお過ごしでしょうか?
私が一番大好きな駅。一番思い出の詰まっている駅。山北駅について書きます。個人的な想いを抜きにしても、いい駅だと思います。鉄道と駅を中心とした物語があります。
写真36枚、約4200字、参ります。
これでも相当削りました。。書きたいことは山ほどあって、、御殿場線の他の駅とかにも話が飛んでしまうので、、それは山北駅を中心とした、建築・街・都市シリーズとして、別の記事にします。
鉄道ファンの間では有名?なこの駅。そのわけは、鉄道史のドラマがあるからです。今は、これでもだいぶ狭くなりましたが、、かつてはもっと広々としていました。私が幼かった頃=半世紀ほど前の昭和50年(1975年)頃には下の写真に写っているビル的な建物は無く、そこも線路敷のような空間が広がっていました。この駅が、生き生きとして輝いていたのは、それよりもずっと昔の話で、明治22年(1889年)〜昭和9年(1934年)のことです。
春は桜がきれいです。この風景に今日の話の種がいっぱい詰まっています。

私の祖父は、明治42年(1909年)に山北で生まれ、100歳を越えるまで山北で暮らしていました。幼少の頃、祖父母の家に東京の方から遊びに行くのがとても楽しみでした。祖父は、山北駅が一番賑やかだった頃、そして、静かになっていく中、どんな想いで街と駅を眺めていたのか。もっと話を聞いておけばよかったと思う今日この頃。祖父から「昔、ここから満州までの切符が買えて、親戚を迎えに行ったんだよ。」という話を聞いたことがあります。

ここから、満州まで!!
もちろん途中は船に乗りますね。
先程の駅の写真は、この写真の跨線橋の上からです。切り通しの幅が広く、跨線橋にはもう一本の線路が通れるような空間があります。そうです、御殿場線は複線だったのです。山北駅は、かつては東海道本線の主要駅として明治22年(1889年)に整備されました。熱海〜函南の間の丹邦トンネルが開通するのが昭和9年(1934年)。それからは、そちらが東海道本線となり、こちらは御殿場線になりました。丹那トンネルが開通するまでの間、山北駅から御殿場駅までの25‰=25/1000という急勾配を登るために、ほとんどの列車が山北駅に停車し、補助機関車(補機)を連結したり、重い貨物列車は分割したりという大変重要な役割を担った駅だったのです。単線になったのは太平洋戦争中の鉄不足から。ローカル線が複線であるのは勿体無いと。

切り通しの御殿場寄りで、幅が狭く深くなりましたが、複線の名残りで、左半分が空いています。桜の木は戦後に植えられたそうです。

この跨線橋のデザインも、、随分と昔のもののようです。こうした風景がいまなお残っています。
下の写真は、駅前広場です。現在、人口9000人ほどの町の駅としては立派な広さではないでしょうか。かつての駅の役割の名残りか、当時の登山ブーム(丹沢が近い)のせいか、小田急線からのロマンスカー「あさぎり」も停車していました。それに乗るのも大きな楽しみでした。もちろん毎回というわけでは無く。稀に、わざわざ新宿まで行って乗ったこともあります。しかし、今は、ロマンスカーは停車しません。。

駅前には懐かしい風景が広がります。駅前の通りは、その名も「山北駅前大通り」かつてのメインストリートです。その向こうには並行して(旧)国道246号が通っています。道路関係も山北の特徴です。山肌には東名高速道がチラリと見えています。みかん畑はだいぶ減ったようです。

駅前の1番目立つ位置にあるこの建物は、昭和初期かもしれません。どこかの白黒写真に写っていました。あぁ、なんとか残ってほしい。。駅舎は大正だそう!それは東海道本線だった頃!!乗降する人は、、それほどはいなかったのでしょうか?質素でこじんまりとしていて、とても雰囲気のあるいい駅舎だと思います。
素敵な記事があったのでリンクを貼ります。深い。
駅前の風景は下のストリートビューでもどうぞ。少し動き回ると、、ところどころにかつての繁栄の跡が感じられます。半世紀前は、、まだその名残りが濃かったです。。駅前への買い物にお供することも度々ありました。ザ・昭和な商店街でした。その頃はまだ人はそれなりにいたように思います。駅の脇(今の資料館のあたり)にたしか、、「こーばい」という建物(お店)があってその薬局で叔母が働いていました。国鉄購買部ですかね。。。昭和な感じの売り場でした。あぁ、懐かしい。
そんな山北の地形的なロケーションは下のGoogleマップの3D画像から。思いのほか、富士山が近いです。そしてその麓の御殿場まで、鉄道は山間を縫うように鉄橋とトンネルで急勾配をあがります。(鉄道唱歌でも歌われていますね。その頃の東海道線はこちら側ですから。90歳を超えた頃の祖父は「ボケねぇように」と鉄道唱歌を暗唱すべく学びなおしていました。)その上り坂の入り口であることがよくわかると思います。また、町の中心部に駅があるのですが、そのプラットホームの長さは約300m。最長15両編成が停車できます。今の運行は2〜5両編成の各駅停車のみ。かつての駅構内の長さは約500mほどあります。これは、日本最大の乗降客数のJR新宿駅の構内の長さに匹敵するほどです。駅周りの大きな新しい建物は構内の空き地に建ちました。
ちなみに、山北駅には最盛期には650人ほどの職員がいたそうです。現代のJR新宿駅は550人ほどらしいですから、、昔と今では職種等は違えども、現代の超巨大ターミナル駅以上の職員が働いていたのです。鉄道の町と言われた所以です。街の人ほとんどが何らか鉄道に関係していたのではないでしょうか。

御殿場線を中心として、(旧)国道246号が右側に、そして、東名高速道と(新)国道246号がチラリと写っています。ここ、実は、箱根を北方面に迂回する交通の要衝なのです。そして、それは大土木工事があることも示唆しています。その辺りは別記事でお話しします。
では、駅空間の写真を貼っていきます。つい最近のものです。

プラットホームの長さ(約300m)、わかりますでしょうか?残っている線路は少ないですが、広い構内の名残りはあります。

プラットホームの全長が写っています。写真の真ん中あたり、プラットホームの途中で高さが違うのがわかります?右手前に映るフェンスは鉄道公園の端です。

プラットホームは20cmくらいですかね、嵩上げされています。蒸気機関車・気動車時代から電車時代への対応かと。

その先の線路の勾配の様子です。もちろん、駅部分は完全水平です。「6」の標識の向こうは、低いプラットホームです。そこにはもう停車しないので嵩上げされていません。

おっ!!見つけました!!肉眼ではわかりませんでした。写真の高解像度に感謝。。拡大します。↓これです。

25‰の標識です!!急勾配の始まりです。

草が生えています。ここは嵩上げされていません。この縁石は当時のものではないでしょうか。保線用の資材が置かれていますが、そこも広い構内でした。

緩い坂を登ってきましたね。
あ、ここは神奈川県ですが、、御殿場線はJR東海です。JR東日本からスイカでの通し乗りはできません。切符をお買い求めください。間違えた場合は、戻った駅で「山北駅で、」といえば、往復の精算をしてくれると思います。

かつて、幼い頃、都会からロマンスカーでやってきて、長いプラットホームの端までテクテク歩いて、遮断機もない踏切を渡り、無人の改札に切符を置く、、(記念にもらう)は子どもゴコロ的には随分と遠くに旅をしたような気分になりました。そんな趣があります。

木の板で味があります。
さて、日も少し上ってきました。もう少し散策しましょう。

線路が何本も通っていました。こういう名残りがあちこちにあります。下の写真は、駅の隣の鉄道公園に保存されているD52こと「デゴニ」です。昭和43年(1968年)に電化されるまで走っていて、静態保存されたそうです。どうも、昔の駅構内の図面を見ると、その引き込み線上に配置されているように思います。かつて走っていた線路脇で大切に保管されているのはとても素晴らしいことかと。そして、2016年に奇跡の復活で、ほんの少しですが動きます!!!

プラットホームは昔の高さ部分です。

自走して屋根から出ています。
今は、圧縮空気による動態保存です!!!!これ、私が子どもの頃は、まだ動かなくて、大好きな遊び場でした。運転室はもちろんのこと、、よじ登り放題?で、ボイラーの脇やテンダー車の上、運転室では、あちこち動いたので、ガチャガチャと。。今思えば、、恐ろしい。今は柵があって触れることはできません。運転席は、、イベント時等は順番で入れそうです。

動態なので、磨き抜かれています。その想いを感じます。かつての東海道本線主要駅という誇りでもあると思います。蒸気機関車といえば石炭、石炭といえば黒ダイヤ、、、、山北はローカル線になりはしましたが、端島のように閉山したわけでは無く、、鉄道は細々と動いています。すぐに行くことができます。
そのデゴニにもドラマがあります。あの銀河鉄道999のモデル機関車「C62」は、戦後に余った貨物用「D52」の改造(動輪を4輪(D)→3輪(C))で生まれたのです。D52の大きなボイラー、迫力ありますね。
山北駅にロマンスカー「ふじさん」の、、通過です。。新宿からやってきます。(新松田・松田での、小田急線からの分岐もなかなかいいですよ。)この駅の物語を知っていると、近未来デザインの車両が来るだけでも、かつての栄光のようなものが思い起こされて、、なかなかいいです。

御殿場行き
↓昔のロマンスカーは下のリンクでどうぞ。私はこちらの方が馴染みがあります。ミュージックホーンも素敵で、、鉄道車両で一番好きなデザインです。幼少の頃、、祖父母の家のみかん畑で、ミカンもぎ手伝いの時、山間に響くホーンの音色が聞こえてくると、とてもワクワクしていました。
調べたら、「あさぎり」の動画、ありました!!しかも、オープニング部はちょっと昔(1991)の山北駅です!!!!山北駅、映像多め!そしてなんとも、2分45秒のところ、、必見です。山北駅でのミュージックホーン!!感涙。盛大(何度も)に鳴らしています。こんなに何度も鳴らさないぞ、普段は。映像で確認できただけで10回連続!!さよなら運転だからか。。なんと。小田急線内で鳴らしていないのは、、クレームがあったのかな。せちがらい時代です。ドミソド〜♩ドソミド〜♩(※ソは低いソです。)全体は8分ほどの動画です。当時、私はまだ若く、、懐かしむよりも目の前の日常でした。
この車両、形が特徴的なだけで無く、、実は、、新幹線の隠れたルーツ、、とも。昭和32年(1957年)製造、、戦後12年目!!!で、画期的な流線形デザイン。当時の狭軌での最高速度145kmを記録した車両です。航空機の技術も取り入れているそうです。御殿場線乗り入れに際し、SE(Super Express)車の8両編成が、SSE(Short Super Express)車として5両編成に改造された際に先頭のデザインが変わりました。どちらも愛嬌がありますね。
オリジナルデザインはこちら。
そして、その最高速を叩き出した路線は、、小田急線上では無く、、試験走行として借り受けた国鉄(現JR東海)の路線、(新)東海道線の丹那トンネルを抜けた、函南と沼津の間というのもなんだか物語があります。
そんな、東海道線と御殿場線の物語。素敵な絵本がありますのでおすすめです。(あ、山北駅の話は出てきますが、ロマンスカーの話は載っていません。。)文は、紀行作家の宮脇俊三(1926-2003)氏、絵はグリーン車のマークをデザインした人、黒岩保美(1921-1998)氏。お二人は、御殿場線が東海道本線として全盛期だった頃にお生まれになった方々ですね。この絵本、何度も読み返しても興味深い。大人でも楽しめます。むしろ大人の方が楽しめるかもしれません。
さてさて、最後の余談。ブラタモリ的なお話です。山北は山の間という地形から、川が流れていてもよさそうなのですが、、見当たらない。なぜ?と思って調べたら、なんともまぁ、富士山と山北の関係がありました。宝永4年(1707年)に何が起きたか?
富士山の宝永火口からの大噴火です。その直前に起きた大地震や、その噴火による降灰で山北は大変な被害を受け、後に駅ができるあたりを流れていた皆瀬川が氾濫しやすくなり、、なので、大土木事業として、町の入口(上流)部でその流路を変え、近くの酒匂川へ直接つながるように工事を行なったとか。そうしたら今度は、町が水不足となることもあって、、また土木大事業。皆瀬川から取水し、、川村用水を引いたそうです。それは、今も残っていて、、北山根堰、中通堰、南山根堰と大きく3本の流れとなっています。下の画像に追記した通りです。

かなり恐ろしいことだったと思います。
私が小さい頃は、これらの用水には滔々と水が流れていて、怖かったのを覚えています。流されたら大変なことになりそう、と。。今はほとんど暗渠化されてしまっているようで、、勿体無い気もしますが、、安全上は仕方ないのかもしれません。下の写真は駅の脇の暗渠化されていない中通堰の一部です。雨不足か、、水は少ない。用水路の分岐が手前に写っています。


緑の橋桁の線路の向こうの
コンクリートの台は、、
どうも、古いプラットホームの
遺構かもしれません。。
この付近はJR敷地との関係もあって、暗渠化の手続きや工事が煩雑なため残っているのかもしれません。この用水、富士山の噴火と関連があったとは、驚きました。
ここで、航空写真の比較です。1960年代と最近です。

電化前です。蒸気機関車はまだ現役なのでD52は保存されていません。東名高速道も(新)国道246号もありません。(旧)国道246号は駅前大通りに並行していますね。「購買」らしき建物も写っています。まだ出来立てか、白っぽいです。構内を横断する用水は、現プラットホームの南側に見える旧プラットホーム(今は一部のみ残っている)の東端でしょうか、そこにくっきりと。

東名高速道と(新)国道246号もできています。
オマケ!山北の夜景(日の出の前)です。オレンジ色の光は東名高速道。青っぽい光のライン(点々)は御殿場線に沿っている駅前大通り。その向こうの光のラインは(新)国道246号です。さらにその向こうに広がる明かりの群は足柄平野。


この狭いエリアに、高速道、鉄道、国道。
時代の流れを感じます。

まだオバケが怖かった子どもの頃、夜にトイレに行くときに小さな窓から見えた、山肌のオレンジ(霧が出やすいためだとか)の照明は独特で、、夜通しゴーッという低い音が山の間に静かに響いていることに不思議な感じがしたのを覚えています。緑と水が豊かな田舎なのに、、高速道路の車(トラック)の音が静かに響く。しかもそれは通過交通で、町とは縁が無い。そして、大動脈だった(旧)東海道本線はローカルな御殿場線となり静かに眠る。今は、そのことに時代の流れを感じてまた不思議な感覚になります。

日が昇ると、オレンジの照明が消え、町が動き出し、日常の風景に早変わり。夜のあの幻想的な風景と音はいずこへ。富士山を近くに感じ、みかん山の谷間に暮らしています。そして、かつては時々ロマンスカーのミュージックホーンがのどかに響き渡る。夜と昼のギャップが面白いと思っています。

樹齢300年くらいの巨樹たちです。
地面が盛り上がっているのではありません。
樹齢300年!宝永の噴火の後!
これが山北、という原風景です。
そして、最後に。。駅前の鉄道資料館に飾ってある写真から。

↓ほぼ同じアングルです。こうやって見てくると、かつての喧騒が聞こえてきませんか?


今日も駅は静かに朝を迎えます。
祖父母や親戚、従兄弟たちとにぎやかに過ごした山あいの空間の中心にある山北駅。何も新しい派手なデザインは無くとも、駅にはそれぞれの物語があり、歴史があります。山北は、そんな駅のなかで、かなり数奇な運命を辿った駅だと思います。この駅の貴重な歴史と物語は、この長いプラットホームと広大な構内が静かに語っています。そっと耳を傾けると、、蒸気機関車の元気な音が聞こえるかもしれません。そんなタイムスリップをさせてくれる駅だと思います。なんとか、この素晴らしい空間が、良い形で継承されるよう、願います。自分も何か役に立てないか考えます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
より詳しく、また、山北や御殿場線にまつわるあちこちに飛び火する拡大版も準備中ですので乞うご期待です。
では、また次の記事でお会いしましょう!
追記;拡大版を書こうと筆を取ったら、、構内図の話が詳しくなったので、先にそれをまとめました。図・写真が約70枚、11700字です。長くなりましたが、、マニアックにまとめていますので、、よろしければどうぞ。
