小学校教員|うつ病|病休・休職|復職|その3
前回の記事(小学校教員|うつ病|病休・休職|復職|その2)では、病休•休職をいただいた際に、私が何を考え、何をし、どう変化していったかを書きました。
今回は、復職時のこと、そしてその後のことについて書きます。
春休みに出勤→復職へ
お休みをいただいてから、およそ10カ月が経とうとしていた3月下旬。学校が春休みの期間に入ったころに心身を慣らすために数日間学校に行きました。現在は「復職プログラム」(呼び名は自治体によってさまざまなのでしょうか?)があるようですが、当時はなかったようで、校長先生と相談して決めたように記憶しています。
家から学校までの道のりでドキドキ、駐車場に着くと、さらにドキドキ、職員用の下駄箱では逃げ出したくなるような気持ちになりました。私が休んだことで、当然たくさんの方に迷惑をかけています。そんな私に対して、職員の皆さんがどんな感情を抱いているのか、想像すれば想像するほど悪いイメージしか湧いてきませんでした。
ただ、いざ職員室に入ってみると、「お帰りなさい!」「無理をしないようにね」「ゆっくりでいいよ」という、温かく優しい言葉をたくさんかけていただきました。
もちろん、心の中では苦々しい思いをもっていた方もいらっしゃったかもしれません。しかし、この温かな印象を与えてくれた職員室の雰囲気が、「大丈夫、やれる」と、当時の私を安心した気持ちにしてくれました。
初めての低学年•2年生担任
4月からは2年生の担任として復帰しました。それまで、低学年の担任はしたことがなかったため、初めは少し戸惑いましたが、それでも子どもたちの純粋な様子に素直に「かわいい」と思える毎日でした。
すべてが順調に進んだわけではありませんが、本当に素敵な子どもたちに、そして同僚に支えられながら、無事に1年間を終えることができました。
終了式の日には、無事にこの日を迎えられたことと、かわいい子どもたちとの日々が終わってしまう寂しさに、感極まって子どもたちの前で涙を流しました。
後にある男の子の母親に聞いた話ですが、その子は終了式の日、一度帰宅したものの、「先生が泣いていたのが心配だから、もう一回学校に行ってくる!」と言って、家を飛び出そうとしてくれたそうです。
そんな子どもたちに囲まれての復帰の初年度だったからこそ、こんな私でもきっとなんとかやりきれたのだろうと思います。出会ってくれた子どもたち、支えてくれた保護者の皆さんには感謝しかありません。
ちなみに、この学年は、後に4年生、6年生でも担任をすることになりました。卒業式の日は、嗚咽で話ができなくなるほど泣きました…。
その後、二十歳の集い(成人式の代わり)にも招待していただき、懐かしい再会を果たすこともできました!
今でも、この学年の子どもたちのことを思い出すと、ほっこりと温かな気持ちになります。
どうして悩み、苦しんだのか…①
さて、その後は、うつ病を再発することなく(少なくとも心療内科等に通うことなく)、現在教職21年目を迎えています。今でも心が折れそうになって、「仕事に行きたくないな…」と思うこともありますし、「もう、消えてしまいたい」と投げやりな気持ちになることもあります。ただ、私は一度病休・休職の経験があるため、目を閉じてじっと時が過ぎるのを待てば、いつか嵐が去っていくことを知っています。止まない雨はないことを知っています。
ここでは、当時の自分の考え方を振り返るとともに、現在の自分が思い悩むときの傾向を考えてみたいと思います。
まず、以前の私がもっていた考え方で、結果として自分自身を追い込むことになっていたと思われるものを挙げてみます。
年上が言うことは絶対!
絶対に完璧にやり遂げないといけない!
もし、〇〇したらどうしよう!
この人、私のことどう思っているのかな?
1.年上が言うことは絶対!
私は、幼いころから運動部に所属していました。小学生のときはあまり学年については意識していなかったものの、中学生になり部活動になると、一気に「先輩」と「後輩」の区別がはっきりします。当然、指導をしてくださる顧問の先生などは、誰も逆らえない存在でした。学年が一つ違えば敬語で話すことは当然で、小学生時代はフランクに話していた人とも敬語を使って話すようになりました。高校、大学となると、優しい先輩とは少し緩めの関係を築いていたものの、基本的には「縦社会」の中で生きてきました。
この学生時代に培ってきた「年上が言うことは絶対!」という感覚は、社会に出てからも簡単に変わることはなく、管理職が言うことはもちろん、先輩の先生方が言うことも必ずやらなければならないことだと捉えていました。当時の私には「理不尽」という意識はあまりなく、当然のこととして受け入れていたように思います。
以前の教員の世界は、きっと少しおかしくて、仕事をしようが、しまいが、別に給与に影響はありませんでした(現在の人事評価制度にも納得はいきませんが…)。そのため、仕事をする人はとことんやる、やらない人はさっぱりやらないとなります。もちろん、その中間の人も多数いるわけではありますが、「この人は仕事をする人」というレッテルを一度貼られると、次から次へと仕事が舞い込んでくるという流れに陥っていきます(これは今も変わっていないような気はしますが…)。
上記のように私は完全なる「イエスマン」だったため、研究授業の授業者やら複数の重要な校務分掌、各行事の学年の出し物、地域行事への参加、イノシシ対策としての学校の敷地回りの草刈りなどなど、たくさんの仕事を任せられることになります。時には隣の学級担任の成績の入力までやったこともありました。
当然、自分の学級をもっているため、日々の授業を含む学級経営をしながら、その他のことをこなしていくことになります。それだけでも両手がふさがっているのに、「もっと持てるだろう」と仕事がやってくるため、両脚も使い、背中にもお腹にも荷物を抱え、どんどん身動きができない状態になっていきます。次第に休みの日は「ゆっくりと仕事ができる日」になっていました。
自分自身の年齢が上がってきたことも大きな要因かもしれませんが、今は少し(だいぶ?)横着な考えができるようになりました。例えば管理職からいろいろと言われても、「それなら、お前がやってみろ!」と言っています。もちろん、心の中で。基本的には、自分の仕事は自分でしっかりと責任をもってやっていますが、周りの先生方が「手伝いますよ!」と言ってくれるときは、その言葉に甘えることもできるようになりました。
人としての「謙虚さ」は大切であることは間違いありません。ただ、その「謙虚さ」が過度に大きくなりすぎると、結果として自分を追い込んでいくことになります。私のことを思って、親身に考えて物事を言ってくださる人もいれば、自分の見栄を大切にするためや自己顕示欲のため、支配欲のために助言のふりをして無理難題を押し付けてくるような人もいます。そのすべてに「謙虚さ」で対応していれば、いつか限界を迎えるのは当たり前です。
「少し横着なくらいがちょうどいい」。今の私がたどり着いた、「年上が言うことは絶対!」へ対応する合言葉です。
「その3」の終わりに
今回の記事では、復職時の出来事と、その後のことについて書きました。特に、「どうして私が悩み苦しんでいたのか」について考えてみました。
実際に書き始めてみると、意外と長文になったため、「2.絶対に完璧にやり遂げないといけない!」からは、次の投稿以降で書いていきたいと思います。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
