介護日記 #6 |アルツハイマー型認知症と診断された日。
※今回は少し重たい内容になります。
笑いたい人は回れ右〜。
県外で生活をしていた私達が実家に戻って同居を始めたきっかけは、父の白内障だった。
手術を機に車を手放す事になったのだ。
車が無くても生活出来ない事も無いが、田舎なのもあり、車が無いと正直かなり不便。
姉と兄2人がいるのだが、家族で話し合った結果、一番動きやすいシングルの私が帰る事となった。
両親を呼び寄せるという案もあった。
が、
引きこもりの母はともかく、父は地域活動が生きがいの人。
呼び寄せた結果、環境の変化で体調を崩したり、ボケてしまったりした話を良く耳にする。それでは本末転倒では無いかという話となった。
「お前、シングルやし生活キツイやろ?実家に帰ったら家賃も生活費もだいぶ違うやないか。」
……まあ、そうなんやけどさ。
でも、「自由」ってお金に変えられんやん?
(母親はちょっと厳しい人なんです……)
両親が80歳を越えた辺りから、盆と正月に顔を合わせる度に家族会議。
そのたびに私は、のらりくらりと返事を曖昧にしていた。
そこへ父の白内障。
さらに、私が住んでいた賃貸がフルリフォームすることとなり退去が決まり、引っ越し先を探すこととなった。
ああ、なんか色々重なるやつね……
人生が大きく動く時ってこういう時あるよね。
「さっさと実家に戻りなさい」
って、誰かにグイグイ背中を押されている気がした。
「何で私が……」
って思う気持ちがあったか無かったかで言うと、めちゃくちゃあった。
兄貴が、
「オレが定年を迎えるまで頑張れ。」
って……
その時、両親いくつや(笑)
それでも私なりに腹を括って同居を決めた。
結果的には、同居して良かった。
私が生活していたのが隣の県だった事もあり(姉兄は遠方)、毎月一度は両親の様子を見に帰っていたのだが、見えてなかった。
一緒に生活をしてみて気付いた、些細な違和感。
何かがおかしい。
うまく説明できない。
ただ、“年相応の物忘れ”にしては何か違う気がして、病院でMRIを撮って貰った。
診断結果は―――
アルツハイマー型認知症。
しかも、脳の萎縮はかなり進んでいた。
それなのに会話は普通にできる。
だから余計に気付きにくかった。
でも、字が書けない。
字が読みにくい。
認知機能検査のテスト結果を見た先生が、
「本当に分から無いんですね…。」
って、驚いていた。
父との会話はちゃんと成立してた。
だから、月に一度様子を見に帰るだけじゃ気付けなかったんだと思う。
父は認知症にはならないと思っていた。
地域活動も積極的で、診断されたこの時もまだ老人会の会長をしていた。
「書類が作れんのや。作ってくれや。」
って言われて。
代わりに書類を作ったりもしてたけど、
「白内障のせいで見えにくいんかな?」
と思っていた。
認知症だなんて思ってもいなかった。
先生には、
「今の医学では回復の見込みは無く、薬で進行を緩やかにする方法しかありません。」
と言われた。
でも、納得出来なくて。
ネットで何度も検索した。
回復する方法は無いのか。
見落としている治療法は無いのか。
そして後悔。
自由を優先して同居を先延ばしにしてた自分を責めたりもした。
離婚したタイミングで帰れていたら……
もっと早く異常に気付けて進行を緩やかに出来たんじゃないか。
あれほど本を読んでた人が、
「内容が頭に入らんのや」
と本を読まなくなったのはいつだった?
昔からハマると同じものばかり買って来ては食べていた父。
「お父さん、ちょっと買いすぎじゃない?」
って言って冷蔵庫を見て笑ったのはいつだった?
加齢のせいだと簡単に片付けて、違和感に気付けなかった。
毎月、両親の様子を見に来てたのは私なのに。
見ていたつもりになって、何も見れて無いやん。
ただの自己満足でしかなかったやん。
………とまあ、こんな感じで。
しばらくはどっぷり落ち込んでおりました。
もう、同居して1年目は体調不良のオンパレード。
目眩症は出るし、原因不明の熱は出るし。
ストレス怖っ!!!
でも、後悔しても、落ち込んでも、過去には戻れんし。
自分を責め続けても、父の認知症が治るわけでもない。
そう気付いたら、気持ちも体調もジワジワ回復してきたよ。
気付けんかったんはしゃーない。
とりあえず前向こう!!
……ということで。
今では父のぶっ飛びぶりを笑いに変えながら、今日もなんとかやってます(笑)
