【子育て】敷かれたレールを降りて、子どもと並んで歩く お父さんは教育パパ
私(春菜子)が書いた「お父さんは教育パパ」の記事への夫(太楼)からの反撃だろうか。
と想いながらも夫自身(太楼)が丁寧に書いた記事を読みながら記事をアップしました。
いろいろ考えることの多い内容です。
あなたの子育に役立つことを願っています。
少し余談ですが、このnoteは、夫(太楼)と私(春菜子)が
交代で二人で書いています。書いていました。
夫目線からと私目線から、異なる子育て、教育の考え方を振り返りを綴りながら、今は二人でこのnoteを楽しんで書かせてもらっています。あなたにも楽しんで読んでもらえたらいいなと思っています。
2026年3月から春菜子のnoteを始めました。
親が敷いたレールから学んだこと
教育パパって何?
妻と子どもからすると、私は「教育パパ」らしい。
確かに私は勉強を教えることが嫌いではない。むしろ好きな方だと思う。中学受験の準備期間から中学卒業まで、子どもの勉強を見続けた。人に何かを教えるという行為は、自分の理解を確認する作業でもあって、苦にならなかった。「教え方が上手」と言われることもある。お世辞半分だとしても、悪い気はしない。子どものテストや模試の結果は必ずエクセルに入力していた。科目ごとの得点と偏差値の推移をグラフ化し、分野別の得点率から苦手箇所を洗い出す。そのデータを元に子どもと話をするのが、私なりのやり方だった。また、最近の受験事情や学校の情報、入試科目や日程の変更点などを調べることに抵抗がない。ネットやYouTubeで情報を集めて整理するのは、趣味に近い感覚だった。それをひっくるめて「教育パパ」と呼ぶなら、きっとそうなのだろう。けれど、そうなった原因は、違う意味で教育熱心だった私の親の影響だと感じる。
親が敷いたレール
幼い頃の記憶は、断片的にしか残っていないけれど、足元に積まれたテキストと、泣きながら問題を解いていた自分の姿だけは、今でも思い出せる。
小学校に上がると、テキストに加えて学習漫画が大量に買い与えられた。歴史、偉人伝、科学の本。繰り返し読んだ。テレビあまり見ていないと思う。親の言う通りに、平日は近所の塾、週末は全国展開している大手の塾に通った。中学に入ると塾内のクラスも上がり、課題の量は加速度的に増えていった。目標があったわけではない。何かを目指していたわけでもない。でもただ毎日、深夜2時、3時まで勉強をしていた。その結果、暗記科目ではない数学でさえ問題を一目見ただけで答えが分かることがあった。1度や2度ではない。今の言葉で言えば、完全に「オーバーキル」だ。定期テストで高得点を取るのは当たり前。学年480人中、順位は大体1位から5位。完全に親が敷いたレールの上を走っていた。そこに自分の意志はなかった。今思えば、あれは半ば洗脳に近い教育だったのかもしれない。
ある時、母から祖父が卒業した公立高校を勧められた。本当にそこに行きたいのか、自分でも分からないまま、漠然とその高校を目指すことになった。成績も内申点も問題なかった。けれど当時存在した市の制度により、希望した高校には入れなかった。それがショックで、私は完全に腐ってしまった。自分は何のために勉強してきたのか。その答えが分からなくなったからだ。そこで初めて、色々なことを考え始めた。それ以降、長い反抗期に入り、親の干渉は少しずつ遠のいていった。親からすれば不本意だっただろう。けれど、こうなったことには理由があると、私は後になって学んだ。
子どもの想いを尊重する大切さ
親が準備するレールが、子どもにとって最適だとは限らない。親が経験してきた狭い世界の中から引かれたレールは、今を生きる子どもの可能性を狭めてしまうこともある。自分の過去を振り返ってみると、どんなに辛いことでも自分で決めたことで後悔したことはない。反対に、自分の意志で決めていないことは大抵後悔しているか、途中で投げ出している。私は、自分で決めることの大切さを知った。そして自分の子どもには、自分で考えて決められる人間になってほしいと思った。
理由を伝えることの大切さ
小学生の頃、塾と親から有名私立中学の受験を勧められたことがある。
けれど家から徒歩5分の公立中学があるのに、なぜわざわざ遠い私立を受験しなければならないのか。その理由を、誰も私に伝えなかった。だから私は受験しなかった。不本意な公立高校に進路が決まった時、塾の先生は滑り止めで特待合格していた私立高校の特進コースを勧めてきた。それに対しても理由は言われなかった。もしかすると説明されたのかもしれないが、当時の私には全く響かなかった。35年以上前の話だ。インターネットもない時代で、自分で調べる手段は限られていた。周りがなぜ理由を説明しなかったのかは分からない。けれど、もし丁寧に理由を伝えられていたら、あの頃の自分は中学受験をしていただろうか。私立高校の特進コースで勉強していたら、その先の人生はどうなっていただろうか。未だに、時々そんなことを考える。人が何かをするには理由が必要だ。ましてや人生経験が少なく、選択肢が限られている子どもには、理由を丁寧に伝えなければならない。私はそう学んだ。
正しい努力を確認する大切さ
努力すること、努力できる人は尊いと思う。
けれどその努力が「正しい努力」なのかを確認しなければ意味がない。継続するだけでは努力ではない。間違った努力を続けても結果は出ないからだ。毎日リフティングの練習をしても、ホームランは打てない。自分で目標を見つけ、それに対してどんなアプローチをすれば良いか道筋を考え、計画を立て、あとはその通りに粛々と進めていくこと。それが大切だと思う。私のように人に言われた目標を目指し、人に指示された計画を進めていては、それが正しいかどうかさえ分からないから何も考えられず、ただ進むしかない。それは不幸なことだと思う。
子どもと対等に話をする大切さ
子は親の言うことに従うもの。その考えはどうかしていると私は常々思っていた。私は私の人生であり、親の夢や希望を乗せて進む人生ではない。親は子の並走者であればいいと私は思う。共に歩むのだ。その為には共通の話題が不可欠。友人関係はもちろん、学校のこと、中学受験、高校受験、大学受験とその時、その時で必要な情報をアップデートして頭に入れておくことで、対等に会話が出来るのである。子どもに「この人と話をしても意味ないわ」と思われたら終わりである。
私がしてきたこと
私が子どもにしてきたことは、自分の反省を踏まえて、子どもが自分で考えて判断できる材料を揃えることだった。そこから子どもが何を感じ、どう進めるかまでは強要していない。ましてや進路に口を出したり、受験に関する私の考えを押し付けたりはしない。私は「教育パパ」というよりも、子育ての延長を行った結果だと思っている。子どもが自分の足で立ち、自分の意志で道を選べるように。ただそれだけを願って、できることをしてきたつもりだ。
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最後までお読みいただきありがとうございます。