セックスは繁殖のためだけにあるのか【2】裸を見て興奮するのはいつから始まったか
前回は、繁殖以外のセックスの4つのパターンを記した。
今回はホモ・サピエンスに絞ってみていく。
現代の男性は、女性の裸を見て性的に興奮する。
これはあまりにも当たり前のことに思える。
だが少し立ち止まって考えると、奇妙な問いが浮かぶ。
それはいつから始まったのか。
そしてそもそも、生得的なものなのか、文化的に作られたものなのか。
■ 生得的か、文化的か
乳房・腰のくびれ・臀部への注目は、文化圏を超えて共通して見られる。
これらは生殖適性のシグナルと対応しており——授乳能力、骨盤幅——進化的に説明できる。
「女性の体に注目する」という傾向は生得的である可能性が高い。
一方で、何が「エロい」かは文化によって大きく変わる。
足首がタブーだった時代の日本、うなじ文化、西洋の胸強調。
隠れている部位への興奮は、明らかに文化的文脈に依存している。
おそらく構造はこうだ。
「女性の体に注目する」という傾向は生得的で、「どこに・どの程度興奮するか」は文化によって上書きされる。
生得的な土台の上に、文化的なフィルターが乗っている二層構造である。
■ 衣服が生まれる前
ここで時間を遡る。
衣服の起源は約17万年前とされている。
体シラミと頭シラミのDNA分岐年代を解析した研究による推定で、複数の独立した研究が収束している信頼度の高い数字だ。
では衣服が存在しなかった20万年前、ホモ・サピエンス初期の性的興奮はどういうものだったのか。
全員が常時全裸に近い状態であれば、「裸」は非日常ではない。
現代人が裸を見てドキッとする感覚の相当部分は、「普段隠れているものが見えた」という文脈依存の反応だ。
その文脈が存在しない世界では、裸への反応は今とは根本的に異なっていたはずである。
チンパンジーやゴリラが裸を見ても性的に興奮しないことを考えると、視覚よりも嗅覚・行動シグナル・発情期のサインへの反応が支配的だった可能性が高い。
「裸への性的興奮」は生得的というより、衣服文化が作り出した二次的な反応である——そういう仮説が成立する。
■ 隠すから興奮するのか、興奮しすぎるから隠したのか
ここに面白い逆説がある。
直立二足歩行によって性器・乳房が正面に来た。
四足歩行動物では性器が後方にあり、発情シグナルとして機能する。
直立後は「前から見える=常時シグナルが視界に入る」状態になった。
常時興奮していたら社会生活が成立しない。
だから衣服・タブー・文脈フィルターが「興奮のスイッチ」を制御する装置として発達した——という見方ができる。
「隠すから興奮する」のではなく「興奮しすぎるから隠すようになった」のが先、という逆説だ。
これを支持する神経科学的な証拠もある。
脳の初期視覚反応(N170)は、着衣→水着→全裸と衣服が減るほど線形に増大することが確認されている。
隠れているものが露わになるほど脳が反応するという構造は、「隠すことで興奮が強化された」という文化的条件付けと整合する。
ただし「興奮しすぎるから隠した」という因果の直接証拠はまだない。
これは論理的に筋が通った仮説であり、断定はできない。
■ では同性愛はどう説明するのか
ここまでの議論は異性への性的興奮を前提にしてきた。
だが動物界を見渡すと、同性間の性的行動も1500種で確認されている。
ヒツジ、コウモリ、マカク類では同性間のマウントに射精を伴う例まである。
これは誤発火なのか。
それとも何か別の機能があるのか。
そして人間の同性愛は、進化的にどう説明できるのか。
「繁殖に不利な行動がなぜ消えないのか」——これはダーウィン以来、進化生物学が答えを出せていない問いのひとつである。
次回は同性愛について見ていく。
