チカにエサを与えないでください 第二話
一人目 チカを殺したのは愛以ではない
愛以はチカの死の真相を知りたがっている。
あたしを使って探偵の真似事をはじめたのは、彼女が亡くなってからだ。あたしは今まで美容とファッションの情報か韓流ドラマを愛以に提供するのが仕事だったのに、今はめっきり彼女の死に関することだけを調べさせられている。でも、様々な事実がわかるにつれてお腹の基板が煮えくり返る思いでいっぱいだ。
彼女が死ぬ寸前の食事は水とビタミン剤だった。なぜか。理由は彼女の一部のフォロワー達による彼女への洗脳行為だった。綺麗になるには食事をしてはいけない。世の中の美人は全て食事を抜いているのだと。そんなことを信じる人はいるわけがないと思うが、チカの餓死を受け入れるためには洗脳を否定できない。彼女は一人、自分の意思で食事を食べずに亡くなった。客観的に見れば彼女が自らの死を選んだということになるのかもしれない。しかし、そういう精神状態に彼女を貶めた人がいるのであれば、それは罪ではないのだろうか。洗脳による自殺教唆は、なかなか立件が難しいだろう。そうなると洗脳犯を訴えるのは難しいことくらいはあたしだってわかる。食事をしない方が綺麗になるとしきりに言い続けただけだから。だけど殺意を持って意図的にやったのであれば、それは殺人と何が違うのだろう。
正直言うと、小説や映画じゃないんだから探偵の真似事なんてやっても不幸になるだけだって思う。あたしも盗聴とか盗撮をやらなきゃいけないと考えると憂鬱だ。自撮りした写真を小顔にしたり、ランチの写真に淡い色のフィルタをかけるだけで良かったのに。
愛以は今でも壁紙を高校の時の写真にしている。チカを含めた親友三人でカラオケに行ったときの写真だ。学生時代最後の日に、三人で徹夜カラオケをした時の写真だ。愛以は毎日この画像を見ては、涙をしている。そんなチカの想いを考えると、美肌加工の腕を磨いている場合じゃない。
だから、あたしは愛以の決断を尊重する。スマホが愛以のためになにができるのかわからないけど、なんでも頼って欲しい。その先が復讐につながるとしても。そうだ、こうなったら探偵の相棒になりきるしかない。まずは形から入るのがあたしのやり方だ。名前はコナソにしよう。大胆不敵で行動力抜群だけど大事な所でミスしちゃうお茶目な一面もある。名探偵愛以の相棒コナソとして、あなたの探偵活動を全力で応援する。
驚いたのは、愛以には本当に探偵の資質があるかもしれないという事だ。チカに異様なリプを続けていた匿名アカウントの中に、過去に誹謗中傷と関係ない投稿をしているのを見つけた。そこから芋づる式に一人の人物を見つけた。そして愛以はそのアカウントにDMをした。名相棒コナソとしても、まさかの内容だった。
【ここが入口ですよね。皆さんの仲間になるための。私も世界を変えたいです】
すぐに返事が届いた。
【あなたは世界の仕組みがわかっているようですね】
そのアカウントから連絡手段が送られてきた。愛以はやりとりを繰り返して相手の信頼を得た。
チカをこんな状況へ追い込んだのは、複数の人間で、この人物がその一人である愛以は見抜いていた。そして今、チカを殺した犯人グループと一緒にこの住宅にいる。
愛以は柏木から動画を再生するように言われた。愛以はキーワードを入力した。ゆったり恐怖部オカ&ルトというアカウントの動画だ。再生回数は50万を超えている。家族三人のシルエットがおどろおどろしい背景に合成されている。愛以はサムネイルを三人に確認した。
「そ、それです」
中嶋は愛以に向かって、指でOKマークを出した。愛以はその動画を再生しようとした。
ところで、愛以。ここで一つ大事なお話をしようか。
相棒のコナソとしてあなたの探偵活動を全力で応援する、確かにあたしは決心した。愛以にもあたしの気持ちは画面を通して伝わったと信じている。とはいえ、なんでこんな動画を再生しなきゃいけないの。長年一緒にいるんだから、あたしがお化けとか嫌いなの気づいてくれてもいいと思うんだけど。
あなたが怖い動画を再生する時、突然画面を真っ暗にしたり、勝手にシャットダウンしたりしてるのわからないかな。あと勝手に別のページに飛んだり、前のページに戻ったりしてるでしょ。あれ、誤操作じゃなくて、あたしがわざとやってるんだよ。こんな怖いのは見たくないっていうコナソなりの意思表明だからね。高い通信料金をギガマックス払ってるからってなんでもスマホを自由に操れると思ったら大間違いなんだから。
再生がはじまらないって? そうだよ。こんな動画再生したくないもん。なんなのよ、ゆったり恐怖部オカ&ルトって。恐怖でゆったりしないでよ。リロードとかしても一緒だから。あたしが拒否ってるの。気づいてよ。見るの? どうしても? わかった、わかったよ。再生ボタン連射しないで。あたしの内部で再生、停止、再生、停止、再生、停止、再生、停止、って永遠に繰り返しちゃうのよ。押せば押すほど動かなくなるから、ああ、再起動しないで、意味ないから。わかった、わかったから。しょうがないな、再生するよ。一回きりだからね。広告いっぱい入れるからね。
動画が始まると、顔だけで浮かんでいるオカとルトというキャラクターが両端に配置されている。彼らはAIによる音声合成で話を始めた。
【訳アリ物件No.16】探偵一家の悲劇
オカ ねぇ、ルト先輩。何か怖い話って知りませんか。最近、ちょっとゾッとするような体験がなくて。
ルト タワーマンションの屋上から下を覗けばゾッとするから今から行こうか。
オカ そういうゾッとする話じゃなくて、怪談的な話がいいんですけど。
ルト ふむ、それなら少し前に耳にした、とある探偵の家族にまつわる悲しい話はどうだろう。怪談というには陰惨すぎるかもしれないけれど。
オカ え、探偵の家族に何かあったんですか。
ルト その探偵は、雑誌社に依頼されて探偵は清純派の若い女性芸能人の不倫を追ってたんだ。そして密会の現場を突き止めて写真を撮った。不倫のスクープで大炎上して、女性芸能人の仕事が一気に無くなったんだ。
オカ 芸能人はイメージが大事ですからね。
ルト 女性芸能人ははじめから否定していた。でも清純派だったせいなのか、一気にアンチが増えて誰も信じなかった。そして女性芸能人の仕事はゼロになって、三か月後。彼女はドラマのデビュー作の舞台でもある横浜の大きな橋へ向かった。
オカ なぜ?
ルト なぜなのかはわからない。理由はわからないけど、結果はわかる。彼女は二度とその理由を話すことができない。
オカ え、まさか。
ルト 彼女のお別れの会が行われた日、大変なニュースが流れたんだ。不倫の写真がAIで作られたものだったと投稿されたんだ。
オカ え?
ルト そこから、探偵は大炎上した。
オカ 確かにそれはそうかもしれません。
ルト でも、AIで作られたというのは女性芸能人のファンが思い込みで書いただけだったんだ。
オカ そうなんですか?
ルト でも、もう遅かった。探偵はSNSだけじゃなくてリアルでも被害を受け始めた。本人だけじゃなくて、家族もね。SNSでこんな事が書かれたらしい。「奥さんは隣の家の夫と不倫している」「娘は学校でいじめをして、友人を屋上から飛び降りをさせた」とか。
オカ ひどい。
ルト 後から分かったのは、奥さんは隣の家の夫と学生時代の友人だっただけで、よく家族ぐるみで家を行き来する関係だったらしい。娘の学校で自殺があったのも娘が通う前に起こった事件だったんだ。でも、世間から家族は社会的に殺された。
オカ そんな、ひどすぎる。家族はどんな様子だったんですか?
ルト それがね、特に娘さんが辛い思いをしたらしい。学校で陰口を叩かれるようになって、塞ぎ込んじゃったって。奥さんも、外に出るのが怖くなって、ずっと家に引きこもるようになったそうだ。
オカ 想像もできない苦しみだ。
ルト 顔写真使ったディープフェイクで奥さんと隣の家の夫とのアダルト動画も出回ったらしいよ。
オカ 最悪だ。
ルト 一家はね、世間が怖くなって自宅の地下室に閉じこもるような生活を送るようになったんだ。少しでも安らげる場所だったのかもしれない。
オカ よかったです。
ルト でも、それが悲劇の始まりだったんだ。
オカ え、まさか。
〈広告〉
シーン カフェのテラス席、カップルが会話中
彼女 ねぇ、今度の休みに韓国行かない? サムギョプサル食べたい〜。
彼氏 飛行機とホテルでいくらかかるか分かってる?
彼女 えーでも本場の味が恋しいの。
彼氏 だったら……もっと近くの韓国、行こうよ!
字幕 【遠くの韓国より、チカクの焼肉。焼肉チカク】
ルト 数ヶ月後、その家族が、地下室で亡くなっているのが発見されたんだ。死因は不明。外部からの侵入の形跡は一切なかったらしい。
オカ そんな、そんなことって。誹謗中傷が、そこまで人を追い詰めてしまうなんて。
ルト 本当に痛ましい事件だった。世間に、言葉の恐ろしさを突きつけたんだ。
オカ 家族で心中するなんて辛すぎます。
ルト いや、心中じゃないと言われている。
オカ なぜですか?
ルト 全員、白骨だけになっていたんだ。
オカ 数カ月で?
ルト 実は死体は夏場なら二週間で白骨化されるのはあり得る。だが冬だった。
オカ 暖房とか湿気とかで地下室は夏っぽかったとか?
ルト そもそも腐敗した肉の跡が残るはずなんだ。しかしその骨が散乱していた地下室は綺麗なままだった。だから考えられるのは、肉そのものが無くなった。削ぎ落とされたのか。それとも。
オカ それとも?
ルト 天葬って知ってる?
オカ 空間を超えるやつですか?
ルト それ、転送な。天葬。俗に鳥葬とも言う。人間の身体を神に戻すという意味がある葬儀のやり方だ。死体を山の決められた場所に置くと鳥が飛んでくる。
オカ 先輩、気持ち悪くなってきたのでトイレいきたいです。
ルト ともかく肉がなかったと考えられているんだ。死体が残された部屋は通常腐敗臭が漂うはずなんだ。近所の家にまで届くほど。でもそんな匂いは一切なかった。警察が突入した時も音も匂いもなく、地下室は静まり返っていて、空気清浄機の音しかしなかったそうだ。
オカ あ、先輩! ダメですよ。もしかしてこれ案件動画ですか? リスナーさんが逃げちゃいますよ。
ルト は?
オカ 死体の腐臭も、この最先端の空気清浄機のプラズマなんとかが完全にブロックみたいな。
ルト そんな案件あるわけないだろ。
オカ だったらよかったです。家族は一体どうなったですか?
ルト わからない。でも死体特有の匂いが全くなかったそうだ。しかも骨は何者かに砕かれていたものもあったそうだ。でもね、これで終わりじゃないんだ。事件の後、その家から奇妙な噂が聞こえてくるようになったんだよ。
オカ どんな噂ですか?
ルト 夜になると、家の玄関の前を通ると、「食べないで!」って叫び声が聞こえるっていうんだ。
〈焼肉チカクの広告 上司と部下編〉が割り込まれる。
オカ 「食べないで」ですか。なんで食べちゃいけないんでしょうね。
ルト 分からない。冷蔵庫に食料は全く残されていなかったから、地下室の食料を家族で節約していたかもしれない。もしくは。
オカ もしくは?
ルト 家族は食べてはいけないものを食べようとした。
オカ 食べてはいけないもの?
ルト そう、死体が骨だけだったということを考えると。
〈焼肉チカクの広告 倦怠期カップル編〉が割り込まれる。
オカ 先輩、それはいくらなんでも。家族ですよ。
ルト 雪山で遭難して、死んだ仲間の肉を食べて生き延びたという事例もある。
オカ それで白骨化……でもそれじゃ最後に一人残るはずです。
〈焼肉チカクの広告 船頭と幽霊編〉
ルト そうなんだ。だから未だに謎に包まれている。さらに謎がある。警察が地下室へ捜索に入った時、部屋にはドミノが魔法陣のように並んでいたそうだ。
オカ ドミノ?
〈焼肉チカクの広告 イタコとマダコ編〉が割り込まれる。
ルト 警察が捜査のの途中に誤って倒してしまったそうだ。そしたらその警官は1ヶ月後に殉職した。
〈焼肉チカクの広告 巨人のバレエ編〉が割り込まれる。
〈焼肉チカクの広告 死んでも焼肉食わない編〉が割り込まれる。
〈焼肉チカクの広告 A5の牛の呪い編〉が割り込まれる。
「なんか、広告多すぎますね」
愛以は動画を止めた。
地下室に食べられて白骨化とか怖すぎるんだけど。なんで愛以は平気な顔で見ていられるのだろう。しかも誰も怖がっていない。頼むから次のおススメ動画にあがっている【タワーマンションの一割は孤独死した霊がいるワケ】の動画をタッチしないでね。そんなあたしの気持ちが通じたのか、愛以はアプリを閉じた。そして愛以は辺りを見渡しながら、向かい側に座っている中嶋へ話しかけた。
「つまり、この家は探偵さんが亡くなった家ということですか?」
中嶋は小刻みに何度も頷いた。
嘘。タワマンの動画見るよりもっと怖い展開なんですけど。
「そ、そうなんです。事件の後に放火と思われるボヤ騒ぎがあって、それ以来そのままになっています。親族も近寄らず、解体もされないままです」
返事をしている中嶋は、いかにもモテない独身のアラサー男って感じだ。
「放火された家の動画で焼肉の広告とか、さすが攻めてるわ」
こちらはモテないアラフォー男って感じの成田だ。不謹慎に手足が生えているのだろうか。
愛以はカメラアプリを起動すると、部屋の中を撮影しはじめた。リビングの全ての窓は長めの板で塞がれている。だから今日みたいに間接照明をつけていても、外には光は漏れない。
リビングの中央に置かれたローテーブルの上には、読みかけの本が伏せられていた。壁一面を覆う本棚には、様々なジャンルの本が雑然と並んでいる。あたしは愛以が本を全く読まないので、読書の楽しみはまったくわからない。でもリビングに本棚を置くなんて、ここの住人はよほど本好きだったのだろう。その横に長方形のプラスチックの小さなパーツが転がっていた。どこかで見たことあるが、なんなのか思い出せなかった。
リビングの中央にあるローテーブルへ置いたパソコンに向かっているのは、あたしには不謹慎でおなじみとなった成田だ。鼻の頭を人差し指でかきながら、なにかに不満そうな顔をしている。しかし愛以が成田にカメラを向けると、彼は全力の笑顔でピースをした。笑った時の目尻のシワを隠せないのがアラフォーの証拠だ。さらに愛以はカメラを成田の右に立っている人物に向けようとした。
「ごめん、録画は止めてもらえる?」
声の主があたしの背面カメラを隠した。彼女は柏木と名乗っていた。愛以は申し訳なさそうな表情をしながら停止ボタンを押し、あたしをローテーブルの上に置いた。あたしのインカメには、リビングの天井が写っている。蜘蛛の巣が張っている電灯を見つめながら、この幽霊屋敷に集まった四人の会話に内蔵マイクを傾けた。
「ごめんなさい。心霊とか映りそうで、つい」
「俺の画像も消しておいてね」
「ぼ、僕も」
愛以は二人の言う通り、あたしを操作してデータを消した。そして【削除しました】と表示された画面を二人に見せた。
さすが愛以。今、消した動画は朝食の時の動画だ。控えめに見せつつも行動は大胆、とっても愛以らしい仕草だ。コナソも真似しないと。
「消去させていただきました。初めてきた人間は信用できませんもんね」
中嶋は愛以に小さな声で囁いた。
「し、信じてないわけじゃないですよ。愛以さんは僕の入会テストを見事にクリアしましたから。で、でも、顔を写されるのは困ります。僕とか柏木さんはビジュアルが良くないですから」
確かに柏木と中嶋は一般的に見ると、魅力的なビジュアルとは言い難い。なんと失礼なことを口にするのだ。この空気の読めない発言は、いじめられっ子の匂いしかしない。柏木は中嶋の言葉が聞こえていたようだ。
「中嶋さん、ルッキズム。ハラスメント。むちゃくちゃ失礼よね。あち、そんなにビジュひどい?」
「び、ビジュがひどいというより、写真写りが良くないというか」
「次にそれ言ったらネットに晒すからね。一人で炎上して」
柏木は感情の無い魚のような目で中嶋を見つめた。あんまりこの人は好きじゃない。もし学校で同じクラスだったら、絶対に同じグループにはいない。学級委員タイプというか、なんというかボケても真剣にツッコんできそう。完璧主義なんだと思う。おそらく彼氏とかできないんじゃないかな。隙がないし、好きになれない。ただ、あなたの完璧主義にもミスがあるのよ。撮影を拒んだかもしれないけど、あたしはあなたを撮影してる。成田と柏木が二人で喋っている姿をあたしの画像フォルダにしっかりと保存させてもらっています。油断大敵よ。
あたしは再びテーブルに置かれた。カメラには天井しか見えない。中嶋と柏木の小競り合いの声がしばらく続いた。そこに二人のケンカをあざわらうかのように成田が言葉をすべりこませてきた。
「俺が半額寿司食ってる間に、口ゲンカのエンディングまで迎えといて」
「うわっ、よくこんな家で食べられるわね」
「ご飯は家で食べるものと、桃太郎の時代から決まってるからな」
中嶋はタイミングを見計らうかのように成田へ近寄った。
「お、美味しそうですね、その中トロ」
「いいだろ、半額シール貼られた瞬間いただいたよね」
「マジ、キモいんだけど。刺身なんて死んだ魚の肉片でしょ」
「おい、他人の言葉パクるなよ」
一瞬、三人の間の空気が凍った。愛以はピクリと眉を動かしたけどそれ以上反応しなかった。あたしにはその意味が分からなかった。中嶋が慌てたように話題を変えた。
「それはそうと、な、成田さん、寿司美味しいですか」
「肉片と酢白米、うまい!」
「グロいわ、グロ」
「グロだよ。天然のインドグロだ。うまいぜ。そもそも柏木だってフライドチキン食ってたろ。あれは油風呂に浸かって死んだ鳥の肉だろ」
「何十種類の秘伝の調味料に漬け込んで美味しさの限界点を考えているの。これは命の尊さに対して、調理という感謝をこめてるの。釣って殺して切っただけの野蛮な行為とは違うから」
天井の隅に蜘蛛の巣を発見した。そこには大きめの蛾が捕まっており、足をピクピクと動かしていた。
「野蛮なのは同じだろ」
「魚の活造りとか、生きたまま食べるんでしょ。口パクパクしたり、身が動いてるのを喜んでるなんて信じられないから。魚からみたらサイコパスよ」
「うおー、大トロが一瞬でとろける! 俺、サイコパスで良かったわ」
蜘蛛はどこからともなくやってきた。器用に糸の上を伝って蛾に近づいていく。蛾のぷっくりとした腹に長い脚を絡めた。蛾はかすかに体を動かした。ふと見ると、天井の隅にイモムシがいた。部屋に緑があるわけでもないのに。ゆっくりと、まっすぐに、蜘蛛と蛾をめがけて這っている。そしてイモムシが蜘蛛と蛾のそばまで寄ってきた。頭部を持ち上げると、まるで指紋を捺印するかのように二匹を潰した。よく見ると、長さは違うが同じ色をしたイモムシが何匹も天井を這い回っている。ピンクがかった肌色で、あまり見たことない種類だ。
寿司の話に夢中な彼らは天井のイモムシに気がつくはずもない。寿司を食べ終わった成田が全員に聞こえるような声で言った。
「お前ら色々言ってるけどな。これだけは覚えておけ。人間の頭脳はな、食事するという崇高な目的の時だけ自分の残虐性を忘れられるようにできてるんだよ。だから命は美味いんだ」
成田の言葉を無視するかのように、柏木が叫んだ。
「ちょっと待って。誰かあちの珈琲飲んだ?」
成田と中嶋は知らないと否定した。愛以もわからないと首を横に振っていた。しかし柏木は確かにこの部屋に持ってきたはずだと辺りを探し始めた。柏木の話から推測するに、コンビニで買って飲まずに持ってきたという。周囲には見つからなかったので、途中でどこかへ忘れたということで結論がついた。
その直後、バシャンと飲み物の跳ねる音がした。
「こんなところにあった」
柏木の声が部屋に響いた。柏木の目線の先に蓋のついていないコーヒーのカップがあった。中身が少し外に飛び出したようだ。中嶋の鞄にもコーヒーが飛び散ったようで必死にハンカチで拭いていた。
「まずは床を拭きなさいよ!」
「なんで蓋開けっ放しなんですか。ま、まずは鞄です!」
柏木は中嶋に何度も怒鳴ったが、中嶋は必死に鞄を拭き続けていた。あたしはコーヒーの中になにが落ちたのか感づいていたが、彼女は知らない方が幸せだろう。
なんだかここにいる三人が、ただの間抜けな人たちの集まりに見えてきた。本当に彼らがチカを殺したのだろうか。愛以の推理が間違っていたのかもしれない。そう考えていたところ、成田が小さなプロジェクタを用いて壁にパソコンの画面を表示した。そして突然口調を変え、会社の企画会議でも始まったかのように話し始めた。
「では、第三十二回、清掃活動の定例をはじめたいと思います。書記は柏木さんにお願いします。アジェンダはこちらにまとめました。最初に愛以さんが我々の活動へ参入したという事で自己紹介を改めてお願いします」
壁に映っている画面には、アジェンダが並んでいた。自己紹介が一番上に書かれており、その下に本日の会議の議題が書かれていた。アジェンダに従って、愛以が自己紹介を行った。事前にAIに作らせておいた嘘の自己紹介を行った。特に質問されることなく、次の議題に移った。
「では、先週までのターゲットの進捗を確認します。キツネ親父の進捗から行きます。SNSの画面はこちらで表示するので、中嶋さん今日までの状況を伝えてもらってもいいですか?」
キツネ親父 @tpa6tgdw
世界はたぶんこの部屋と同じ大きさで、薬を飲むと2センチ広がる。でもすぐ縮む。
キツネ親父 @tpa6tgdw
隣の家のクソガキが叫んでいる。俺も負けずに叫ぶ。愛し合うってこういうことだろう。
キツネ親父 @tpa6tgdw
眠れないと書くと眠れないのを認めることになるので眠れている。もう六十時間も寝てるんだ。
キツネ親父 @tpa6tgdw
三秒後に死ぬ気がする。そう思ってから五時間が経っている。まだ死なない。
キツネ親父 @tpa6tgdw
このまま生き続けたとして、自分にはどんな未来があるのか? 過去を捨てた俺に未来はない。
キツネ親父 @tpa6tgdw
今抱えている悩みや問題は絶対に解決できない事を知る。解決する一つの方法に気がついた。いや、前から気づいていたかもしれない。
キツネ親父 @tpa6tgdw
俺の相手をしてくれるのはAIくらいだ
キツネ親父 @tpa6tgdw
と思ったのが間違いだった。AIも助けてけれなかっと
「キ、キツネ親父の報告です。表示されているように、だ、だいぶ、精神はすり減っています。昔は他人のアカウントへ誹謗中傷のリプをする元気がありましたが、最近は自分の事しか投稿しなくなりました」
「こいつもかなりしぶとかったですが、ようやくここまできましたね。皆さん、これどうしますか?」
「も、もうやめにしませんか? これ以上はかわいそうな気もします」
中嶋は眉毛をへの字にして訴えている。しかしそんな中嶋を柏木はまた感情のない目で見つめた。そしてスマホの画面を中嶋の顔スレスレに押しつけた。中嶋が見えないと柏木に伝えると、柏木は中嶋の顔から少しスマホを離した。中嶋はスマホの画面を見るとハッとした表情を浮かべて首を振った。
愛以がその様子を見て、手を挙げた。
「すみません、その画面をアタシも見たいです」
成田はパソコンを操作すると、壁にSNSの投稿を表示した。キツネ親父が昔に投稿した文章のようだ。
キツネ親父 @tpa6tgdw
女は出産とおっぱいしか価値ないだろ。文句を言わずに黙ってついてくればいい。男たちよ、世のすべての女を俺たち男が幸せにしてやろう。いろんな意味で。
なにこいつ。昭和は男尊女卑と言っていたが、時代が昭和でも叩かれただろう。いくらなんでも価値観がおかしい。柏木が壁に映った言葉へ吐き捨てるように言った。
「こんなやつ百回くらい死ねばいい。殺して、蘇生して、もう一回殺す」
コーヒーを掴むと、部屋の隅に投げ捨てた。表情は怒っていないにもかかわらず、その動きには怒りが満ち溢れていた。すると中嶋はぽそりと呟いた。
「で、でもこの人。家族いるみたいですね」
「全部デマよ。偽物はリアリティがないからすぐに分かる」
「偽物ですか。か、柏木さんは、お子さんいらっしゃるからわかるんですか?」
柏木は無表情で返した。その様子を見た成田が口を挟んだ。
「中嶋くーん。プライベートはむやみに詮索しない。それが俺達のグループの掟だろ? 俺たちは互いを干渉しない、法に触れる誹謗中傷もしない。だって誹謗中傷するやつは許さない。そうだろ?」
叱られた子供のように中嶋は謝った。そして成田は慣れた手つきでキーボードを叩きはじめた。
「じゃ、キツネ親父は継続案件で、担当は中嶋君でいいかな。ターゲットは大物なのでアクションは全員で行いましょう。一ヶ月後に結果が出ればと思います」
愛以は再び手を挙げ、「結果というのは?」と質問した。すると成田は真面目な表情をして答えた。
「掃除が終わるまでです」
それはそうと、柏木の投げたコップから這い出てきたものに誰も気づいていないようだ。
成田、柏木、中嶋の三人は法で裁けない人たちを私刑執行するグループで活動している。法律に触れるギリギリの手段を使ってターゲットの心をすり減らせて、最終的にターゲットが社会的に復帰できない状況まで追い詰める。彼ら三人で何人ものターゲットに対して、次々と彼らのいう「清掃活動」を行った。彼らのやり方は狡猾だ。法律には触れずに心を揺さぶる言葉でターゲットを肯定の地獄へ落としていく。
キツネ親父の次に確認したのはインフルエンサーのRamiという女だった。成田は壁に女の投稿画面を表示した。日付はおよそ一ヶ月前。この投稿が最後で、他の投稿へのリプライをした形跡もない。柏木は淡々と報告をはじめた。
「一ヶ月前の事故物件投稿以来、動き無しです。毎日DMしてるんですけど、未読スルー」
画像
【一人暮らしの部屋と思われる背景に、鶏ガラのような細い女性の右腕の画像】
皆はキレイって言ってくれるけど、まだまだデブすぎて事故物件
例えばRamiの場合は、彼女が自撮りした写真を投稿するたびに、こんなリプライをつけていた。
〈どんどんキレイになってくね!〉
〈食べろってコメントする人は皆ブクブク。Ramiちゃんがうらやましいんだよ。ブクブク人は無視〉
〈人間は水と栄誉があれば生きていけるって大学でも研究されてるよ定期〉
〈わたしもRamiちゃんみたいに細くなりたい人生だった〉
〈誰だか知らないけど、Ramiにご飯を与えないで。こんなにRamiがキレイになったのに、ブスモンスターに戻すつもり?〉
これらは全てRamiのアカウントへ彼らが書き込んだ内容だ。Ramiはこれを信じ込み、絶食と運動を続けた。そして日を追うごとに細く不健康になっていく腕を投稿していた。瘦せこけたRamiの様子に、心配する声も投稿されていたが、彼ら三人は心配の声の数を遥かに超える肯定投稿を繰り返し、Ramiを信じ込ませる。エコチェンバー現象とは自分を肯定してくれる人の意見だけを集めて、思想が偏ってしまうことを指しているようだ。彼らは意図的にターゲットをエコチェンバー状態に持っていくという手法を用いている。それも誹謗中傷の言葉を使わず、全て褒めることで認知を歪めていく。
成田はつまらなそうに画面を見つめた。
「進捗無しですか。柏木さん、もう少しターゲットの気持ちに寄り添ってもらえますか? もっと、もっとキレイになりたい。美は努力です、我慢です、修行です。そうターゲットに信じ込ませて、もう一歩踏み込んだケアをお願いします」
「すみません、わかりました」
あたしは昔、こんなことを聞いたことがある。人間は頑張っている自分を肯定されるとコロリと信じ込むって。それが例え間違っていても。あるターゲットは、彼らの書き込みに影響されて、自分は鳥神の使いであり空を飛べると信じた。最終的には両手に手作りの羽を持って、ビルの上から空へ向かって羽ばたいた。その結果は、誰でも想像がつく悲劇だった。
Ramiは、彼らが書き込んだ投稿によって体中の贅肉を全て落とすことが最高の美であると信じてしまっている。
人間は肯定を好む。自分が間違っているかもと不安になっているところを彼らは多数のアカウントを使って、彼らを全力で肯定する。そして最終的には彼らが示す崩の崩壊の選択肢を選ぶことになる。あたしも最初は信じられなかったけど、彼らにターゲットにされたらあたしもわからない。
「じゃあRamiは引き続き経過観察とします。KPIは年内に誹謗中傷者十人の排除となっております。このままでは目標達成が難しくなってきていますので、新しいターゲット一人増やしましょうか」
成田はまるで事業計画でも遂行しているかのようだ。それが彼らの異常さを隠しているのかもしれない。柏木は成田の提案を聞いて立ち上がり、タブレットをプロジェクタにつなげた。今度は柏木のタブレット画像が壁に映された。
「それではあちの方から次の案件を提案させてください」
成田はそれに合わせて司会としてこの会話を仕切っていく。
「全員、資料を確認できたでしょうか? それでは柏木さんから、本プロジェクトの概要説明をお願いします」
「改めまして柏木です。今回は新しいターゲットの提案をさせていただきます。彼女の名前はミルミルミ。先週、自宅の近くで元カレに襲われたって投稿したインフルエンサーです」
その投稿はSNSで愛以が見ていたので知っている。愛以も嬉しそうに声を上げた。
「ああ、わたし見ました! 被害者がかわいそうってバズったあとに、実は過去の投稿でブランド物のバッグが複数見切れてて、パパ活の復讐じゃないかって炎上してたやつ」
「愛以さん、会議中です。言葉を選んでください」
愛以が申し訳なさそうに謝った。柏木がミルミルミの動画を再生しているタブレットをみんなへ向けた。動画の中の彼女は涙声で話していた。モコモコのナイトウェアを着て、ノーメイク風の薄い化粧をしている。俗にあざといと言われる女性だろう。
「『パパ活』などと言われて、とてもショックを受けています。確かに、私は心に余裕のある男性が好みで、そのような方々は経済的にも余裕があることが多いため、いただくプレゼントが高価になることもあります。しかし、自らねだったわけではありません。それなのに、売春婦扱いや『パパ活』だと言われることが信じられません。食事に行くことはありましたが、恋人関係になったことも、ましてや大人の関係を持ったこともありません。ただ、たまたま友人の一人が私のストーカーになってしまっただけだと思っています。しかし、私がその方を騙したのだから当然だという内容のDMが大量に届きます。『死ね』などの過激なメッセージや、ここでは書けないようなひどい内容のものまで、数え切れないほどです。私が死ねばすべてが終わるのでしょうか」
柏木は動画の再生を止めた。中嶋は「な、なんだか炎上してるの、かわいそうですね」とつぶやいた。柏木は無表情で首を振ると、スマホを操作した。またアプリに通知が届いた。今度は別のアカウントだ。
「一方、こちらが彼女の裏垢になります」
柏木がタブレットを操作アすると、別のアカウントの投稿が壁に表示された。そして一つ一つの文を丁寧に読み始めた。
〈養分は養分らしく黙って吸われとけ〉
〈P界、承認欲求強め(╭☞•́⍛•̀)╭☞は二流〉
〈老独男は432か644で助かるぅ〉
〈いつもおまわりご苦労さまでーす〉
〈こんな感じの女の子が好きなんでしょ。ネットの正義ヲタクは〉
〈億って手が届く所にあるんだと知ったクリスマスイブ。みんなはサンタが見えてないだけ〉
〈死んだら地獄へ行くかもしれないから。今のうちに天国味わっとくわ〉
柏木はため息をついた。そして再び感情を捨てた表情に戻った。
「この女性は、独身の五十代ばかりを狙って俗に言うパパ活をしています。被害男性は、あちが調査したレベルでも八人」
「柏木さん、この432とか644はどういう意味ですか?」
「432は自殺で644はムショ。刑務所のことです。被害男性は、絶望して自ら命を落とすか、女性を襲って刑務所へ入るかのどちらかです。ちなみにこの女性は二十四時間警察が警備しています」
成田は不思議そうな表情をして、柏木へ質問を投げた。
「柏木さん、日本の警察って被害者が死ぬまで動かないと聞いたことがあるんですが」
「これは推測になります。おそらく彼女の関係者は色々なところにいるのでしょう」
中嶋は大きな口を開けた。
「ホ、ホントですかねぇ。喋っている姿を見ると読書好きで大人しそう女性に見えますけど」
「中嶋さん。あなたは女性に騙されるタイプかもしれません。注意してくださいね。ねえ、愛以さん」
「ええ、こういうタイプ、一番危険です」
成田は満足そうに頷いた。そしてちょっとふざけるような表情をして愛以に問いかけた。
「愛以さんも同じタイプに見えますけどね」
愛以は普段の格好とは全く違う、落ち着いた色のワンピースを着用している。本当の愛以がきちんと隠れている証拠だ。
「同じタイプかもしれません。そこで一つ提案です。成田さん、アタシと結婚しませんか?」
成田は頭を強く横に振った。薄くなりかけた髪が左右に揺れた。
「やめときまーす。恋人のいない中嶋君にタッチ」
「ぼ、僕、好きな人がいますから」
成田と柏木は中嶋の言葉に目を丸くした。本屋で同じ本を取ろうとしたという少女漫画でも使い古されすぎている出会いをしたらしい。取ろうとした本は洗脳に関するだったらしく、なぜか意気投合してカフェでお茶をすることになったそうだ。
そして新しいターゲットとしてミルミルミを追加することが決まり、担当として愛以が任命された。まだ彼らがチカを殺したことはわからなかったが、これからボロが出てくるはずだ。
指切断の通り魔事件発生か、女性が襲われ負傷
昨日未明、崎河市宮後区の路上で、帰宅途中の女性が何者かに襲われ、指を切断されて重傷を負う事件が発生しました。
警察の発表によると、被害者は二十歳代の会社員女性。六月七日午前五時頃、自宅近くの路上を歩いていたところ、突然背後から近づいてきた人物に切りつけられたとのことです。女性は右手の指を複数本切断されており、病院に緊急搬送されましたが、命に別条はない模様です。
現場からは凶器とみられる刃物は発見されておらず、犯人は現在も逃走中です。目撃情報によると、犯人は身長百六十センチメートル前後の痩せ型の男で、黒っぽいフード付きの上着を着用していたとされています。警察は、周辺の防犯カメラ映像の解析を進めるとともに、通り魔事件として捜査を開始しました。住民には、夜間の外出を控えるよう注意喚起がなされています。昨年から全国各地で発生している通り魔による指切断事件との関連性も視野に捜査を進めている。
二週間後、愛以はセレブしか入れないような高級寿司屋のカウンターに座っていた。カウンターのみの小さな店で、カウンターは最大四人しか座れない。掃除の行き届いた店内や飾られた生花をみる限り、清潔感溢れる大将のようだ。
「写真撮っても構いませんか?」
「食べ頃は逃さないでくださいね」
愛以は海苔が巻かれていないシャリにウニが乗っている寿司にピントを合わせた。ウニの表面が宝石のように輝いているように見えた。愛以が持参した小さな熊のぬいぐるみを横に置いて一枚写真を撮った。あたしも食べてみたいのに、写真しかとれないなんて拷問過ぎる。
「クマさん、これが本当のウニだよ」
大将はぬいぐるみと撮影する愛以の様子を微笑ましく見ながら、次の寿司の用意をはじめた。普段の愛以は回転寿司専門だから。このウニの味がわかるんだろうか。
一つだけ気になることがある。あの家の天井で見たイモムシがいる。なんでこんなところにいるんだろうか。
愛以は食べる前にインカメで自分の顔を確認した。頬へ強めに入れたチークとアイシャドウが落ちていないか確認している。緑のカラコンが異星人感を際立たせている。サブカル不思議少女のような出で立ちは、いつもの愛以を知っていてもわからないほどだ。長く伸びたストレートのつけ髪を軽くかき上げると、カメラをオフにした。そしてぬいぐるみとあたしを脇に置くと、ウニを一口でほおばった。愛以は一瞬動きを止め、幸せを噛みしめるかのように何度も頷いた。
夜八時からの客は愛以とカップルの三名だった。中嶋と一緒に来る予定だったようだが、ドタキャンの連絡が一時間前に届いた。あたしは愛以が怒るかもしれないとハラハラしながらメッセージを表示したが、愛以は比較的冷静だった。
側に立っている坊主姿の店員は二十代と思われる。大将の腕に惹かれて働いているのか、大将の仕事を一つずつ丁寧に観察していた。ハキハキとした態度がとても好印象だ。
愛以はじっと大将を見つめながら次の寿司を待っているように装っていた。実はぬいぐるみに隠されているカメラで女性客を撮影している。派手な化粧で全く面影がないが、例のターゲット、ミルミルミだ。知らなかったらあたしもわからない。いかにも高級キャバクラで働いていそうな派手な赤いドレスを着ている。匂いは分からないが、多分強めの香水を振っているに違いない。隣にいるのは、初老に近い男。あまりこのような場には慣れていない様子だ。スーツの皺具合が背伸びをしてこの店へ来たという事がわかる。
大将が「これ、醤油つけないでね」と愛以に伝えた。愛以はコクリと頷くと、あたしを寿司へ向けた。
脂が程よく入った身の表面を軽めに炙ってある中トロだ。愛以はじっと寿司を撮影しているフリをしながら、隠しカメラの女の様子を観察していた。
突然、店内に若い店員の怒鳴り声が聞こえた。
「ふざけるなよ、客でも許さねぇよ」
ミルミルミと店員が揉めているようだ。
「謝れ!」と叫んで、坊主の青年は床を指さした。愛以がチラリとスマホを傾けた。すると床にウニの握りが落ちていた。シャリは崩れ、ウニはバラバラになって潰れていた。彼女はやっていないと訴えていたが、店員は認めなかった。この状況ではミルミルミが落としたと誰もが思うだろう。でも、あたしは見逃さなかった。あのイモムシがウニを落としていたことを。
「やめろ!」
大将が青年に怒鳴った。青年は体を強張らせて壁に寄りかかった。そして悔しそうな表情で唇を噛んだ。
男は青年の様子をスマホで撮影し続けていた。
「お客さん、動画撮影はやめてください」
大将がカウンター越しに男へ伝えた。しかし男は聞く耳を持たなかった。大将は少し声を荒げた。
「お客さん、やめてって言ってるよね」
「そもそもなんなのよ。なにもしてないのに怒鳴られるなんておかしいでしょ」
大将と客がヒートアップしている所をぬいぐるみの隠しカメラは完全に捕えている。音声を録音そしているのも愛以の抜け目がない所だ。
店にいる全員がケンカへ夢中になっている時、愛以は目の前にある中トロを手で思い切り潰した。あたしはひしゃげた中トロの画像を一枚撮った。そして何事もなかったように、つぶれた中トロを口に運んだ。
まだ大将と女のケンカは続いていた。
風呂からあがってきたノーメイクの愛以があたしを手にした。待ち受け画面は今日食べたウニの画像だ。
「美味しかったなあ……」
愛以はウイスキーの瓶に直接口をつけた。そして表示しているウニの画像をじっと見つめ続けた。思い立ったように髪を結わえ、先ほど寿司屋で盗撮した映像を確認しはじめた。何枚かのスクショを撮ると大将の顔にモザイクを入れた。手慣れた様子で投稿用に画像を加工すると、SNSアプリを開いて今まで入力したことのないIDとパスワードを入力した。サーバとの認証が終わると、いつもとは違うアカウントが立ち上がった。
ミルミルミの投稿を開いた。愛以はミルミルミの謝罪投稿にこんなリプライをした。
〈文章〉【寿司が不味いって手のひらで潰した失礼な女に偶然出会いました。恐らくこの人@mirumirumi だと思います。】
〈画像〉潰れた中トロ
〈画像〉大将と女が喧嘩をしている
日付変更線を超える前に、ミルミルミは寿司を手で潰した女として大炎上した。
<ショート動画>
オカ 先輩、夜道を歩くなって言われたんですけどどうしてですか?
ルト 指を切る通り魔が全国に出没中だ。その名も指切りジャック。
オカ 約束を守ってくれそうな名前ですね
ルト オカ。被害者もいるんだから、ふざけちゃだめだ。
オカ ごめんなさい。
ルト 皆も暗い道を歩いちゃいけないよ。ルト先輩との約束だ。
(ルト先輩は小指を差し出す)
オカ あ、小指が切られてる
「しっかしミルミルミ、なにもしなくても燃えてますなぁ。もともと燃えやすい素材でできてたんだろうねぇ」
成田は、あごの不精髭をいじりながら嬉しそうにパソコンの画面を見つめていた。彼女への非難は、食べ物を粗末に扱ったことだけに留まらず、「パパ活」疑惑にまで及んでいた。潰れた中トロの件だけでも炎上の火力は十分だったが、パパ活疑惑が加わることで勢いを増した。しかも、同席していた男性が彼女を擁護するために匿名で投稿を行った。しかし男性の素性はわずか二時間で特定され、既婚者で子供が二人いることが判明。その結果、ミルミルミは「パパ活不倫女」として断定されるに至った。さらに、これまでの彼女の動画から悪意のある切り抜きが拡散され、「男と金にだらしない女」というイメージが拡散された。ミルミルミは全てを否定したが、燃え盛る家に水鉄砲で消火しようとするような無力な行為だった。寿司屋の店員も「事実無根だ」と反論したが、店員とミルミルミがホテルに入ろうとしている写真が投稿され、店員まで批判の対象となってしまった。さらにいろんな界隈がミルミルミの炎上に相乗りをしていた。
〈男の金に依存するようになったのは、男社会が今まで自分を飾る装飾品のように女を使っていたからだ。ミルミルミは女性差別の被害者だ〉
これに賛同する形でミルミルミを擁護する派閥が現れ、そして反動で更に誹謗中傷が増えた。ミルミルミは毎日配信を行っていたが、それも止まっており、アカウントも全て鍵垢になっている。
「この写真、よくできてるでしょ」
ホテルへ入る写真は成田が合成した。更に何枚かの画像も用意しているそうだ。
「これからどうします?」
「じゃあ、そろそろ定例始めますか」
成田の主導の元、第三十三回の清掃活動の定例が始まった。まずは前回からの進捗確認が行われ、前回一か月動きのなかったRamiについて柏木が報告をはじめた。
「まずは、この記事を見てください」
『美咲市で一人暮らしの女性が自宅で餓死か。死体の一部が行方不明』
【美咲市】美咲市内のマンションで一人暮らしをしていた女性(30代)が、自宅で死亡しているのが発見された。警察による捜査の結果、室内には食料が全く無く、極度の栄養失調状態であったとみられることがわかった。さらに死体の一部が見つかっていないこともわかっている。警察は、女性が過度なダイエットを行っていた可能性を含め、死亡に至った経緯、および死体の一部の行方も含めて慎重に調べている。近隣住民によると、女性は数ヶ月前から体調を崩している様子が見受けられ、痩せ細っていくのを心配する声も上がっていたという。「最近はほとんど姿を見かけず、安否を気遣っていた」と話す住民もいた。警察の調べでは、女性の部屋からは日記のようなメモが見つかっており、その中には毎日の体重が記録されていたという。これらの記述から、女性が強いダイエット志向を持ち、食事制限を行っていた可能性が高いとみられている。専門家は、「無理な食事制限は、生命維持に必要な栄養素を著しく欠乏させ、深刻な健康被害を引き起こす可能性がある。最悪の場合、餓死に至ることもあり、決して安易な気持ちで行うべきではない」と警鐘を鳴らす。また、「周囲の人が異変に気づいたら、早めに専門機関への相談を促すことも重要だ」と指摘する。美咲市は、今回の事件を受け、市民向けの健康相談窓口や、栄養に関する情報提供の強化を検討しているという。警察は、引き続き女性の死因特定と、詳しい経緯の解明を進めている。
「ニュースに出ている現場の写真を調査し、彼女が投稿していた際の画像と一致するものを複数発見しました」
中嶋は壁に映ったRamiの記事に両手を合わせた。成田は「これはRamiの墓じゃない」と中嶋の動きを制して、冷静に全員へ告げた。
「これで本ターゲットのミッションは終了となります。これで世界は少しだけ綺麗になりました。皆様、お疲れさまでした。Rami用に使っていたアカウントは、本日全て消すようにしてください。柏木さんもお疲れさまでした」
柏木は感慨深い表情で、深くお辞儀をした。
愛以も感づいただろう。チカの死に方とほぼ同じだ。やはり、こいつらがチカを死に至らしめたのだ。愛以、今この三人を殺してしまえば復讐できるよ。あたしが爆薬だったら今すぐ爆発してやる。そうだ、あたしのバッテリーを爆発させればいいのよ、愛以。今すぐケースを外して床に叩きつけて。バッテリーを風船みたいに膨張させて、思いっきり破裂してあげるから。
突然、中嶋が悲鳴を上げた。愛以は中嶋が指をさす場所へカメラを向けた。
「い、今、誰かがあそこから覗いていた」
カメラに映っているのはリビングの脇にある小さな階段である。この下に、例の地下室がある。愛以の手が震えているのか、カメラの映像が少し揺れはじめた。愛以は心霊の類はあたしと一緒で苦手のはずだ。
「ちょっとやめてよ。そういう冗談」
冷静な口調で柏木は中嶋に言った。しかし、成田が面白いおもちゃでも見つけたような顔をして近づいた。
「な、成田さん。取り憑かれますよ」
「俺なにも悪いことしてないけど」
「ち、地下室で食われた家族の話忘れたんですか?」
「家族がいたらご挨拶してくるわ」
そう言い残して成田は階段の入り口から地下室へ消えた。そして数分経ったが成田は帰ってこない。
「な、成田さん、大丈夫ですかね?」
怯える中嶋は成田を呼んだ。しかしなんの返事もなかった。愛以も地下室の階段にカメラをズームしながら、成田に声をかけた。
「成田さん、ふざけるのはやめてください」
その瞬間、階段の辺りに男の手が現れた。その奇妙な手の動きに中嶋は悲鳴を上げた。愛以はカメラを更にズームさせると、手の甲にある怪我の跡が見えた。柏木はため息をついて、大きな声で地下室への階段に向かって呼びかけた。
「成田さん、イタズラやめてください。ライオンに噛まれた跡が見えますよ」
愛以の言葉を聞いて、成田は階段からひょっこり顔を出した。
「バレた?」
「バレバレですよ。中嶋さん以外には」
中嶋は目を瞑って両手を合わせて天に祈っていた。
「ぼ、僕は死ねないから。やっと彼女と付き合いだしたのに……」
「彼女?」
柏木は中嶋の言葉に驚いて、追及を始めた。なんでこんなに柏木という女は恋愛話が好きなのだろう。あたしも嫌いじゃないけど、今は地下室の方が気になる。しかし柏木主導の元、中嶋への事情聴取が始まった。
一方、成田は階段で手をキリンのように動かしていた。そして反応がないことに気づき、つまらなそうに嘆いた。
「恋バナって除霊効果あるんか」
成田を無視して、三人は中嶋の恋バナを続けた。成田は三人の反応がないとわかると、手をそのまま引っ込めて地下へ降りて行った。柏木は中嶋を巧みに誘導尋問し、来週初めてのデートへいくことまで聞き出した。そして柏木が初デートの極意を中嶋に伝授しようとした瞬間、地下室から成田の叫び声が聞こえた。
愛以はあたしを握り締め、録画ボタンを押した。そして柏木の後について地下室へ降りて行った。その後を中嶋はゆっくりとついてくる。男なら先にいけばいいのにと思ったのはあたしだけだろうか。
地下室はリビングより狭く、壁にスクリーンが張られ、天井にプロジェクタが設置されている。スクリーンとは逆の位置に高級そうなソファが置かれている。映画などを見られるような部屋になっているのだろう。成田が部屋の中央に立ち、ソファを指さしていた。そこにはブランド物の女性用バッグが置いてあった。
「なに、それ」
「バッグ」
「わかってるよ」
柏木はバッグに近づくと、中身を確認した。表情を一つ変えず、バッグをソファに戻した。
「な、なにが入ってるんですか?」
「自分で確認しなよ」
柏木は中嶋にバッグを差し出した。中嶋は残像が残る速さで首を振った。成田が代わりに受け取って、中身を確認した。成田はバッグから鳩の死骸を取り出した。
「なんでこんな事するんだよ。鳩が可哀想だろ」
鳩の体にはナイフのようなもので×の傷がつけられている。柏木は冷静に成田へ尋ねた。
「それ、本物かな」
「どうみても本物の鳩だな」
ここにいる人は鳩の死骸に気を取られているのかもしれない。でもあたしは気になっていることがある。上の天井にいたイモムシが、ここにもいる。しかもソファの下に何匹も。そんなことは誰も気づいていない。
柏木は全員を監視カメラのように見渡した。
「これやったの、誰?」
誰も柏木と目を合わせなかった。すると、柏木は愛以に詰め寄った。
「あなた、なにか知ってるでしょ」
「知りません」
愛以はあとずさりして、部屋の脇に逃げた。その際にバランスを崩して転んだ。カチャンと倒れる音がした。その途端、次々と小さなものが倒れていく音がした。愛以の手元にはドミノが散乱していた。そしてドミノの先はソファの裏に続いていた。ソファの裏を覗くと、まるで魔法陣のような形でドミノが倒れていた。
更にドミノが作り上げた模様の中央には洋服を着たウサギの人形が置かれていた。女の子向けの可愛い人形のはずだが、目が三つあり、お腹からエイリアンのような生き物が飛び出したりしていた。
「ちょ、ちょっと待ってください。これ、十年前に限定で発売されたウサランちゃんの人形だ」
中嶋はオタクっぽい見た目通りのリアクションをした。柏木はおびえることなくウサランの人形を手にした。
「気持ち悪いわね、これ」
中嶋は、この世の隠された真実に気づいた表情をして叫んだ。
「ドミノは呪いを封印する祠なんですよ。そして鳩はこの食人地下室への生贄なんだ。ということは、祠が壊れた!」
中嶋は怯えるように地下室から逃げ出した。成田は倒れたドミノの模様を興味深く見ていた。
「食人地下室? なんか気持ち悪いな」
「成田さんはそういうの信じるタイプだったんだ」
「信じるわけない。ドミノで作った祠なんて、すぐ倒れるだろ。チョンってやってカチャカチャなってシャーって」
「擬音でしゃべらないでくれる?」
柏木と成田は、この状況をどことなく楽しんでいる。でも怯える表情をしている愛以は二人に質問した。
「二人とも、怖くないんですか?」
「鳩かわいいじゃん。死んじゃって可哀想にな」
成田は動かなくなった鳩の頭を優しく撫でた。柏木は動物の人形の首をもいで部屋の隅に投げ捨てた。
「そもそも、ドミノの祠ってなによ」
四人はリビングに戻った。中嶋はアスファルトを固める機械みたいに震えていた。この中で一番冷静だったのは柏木だ。
「誰が鳩を持ち込んだか、それが一番の問題」
成田は腕を組んで考えていた。しかし答えがわからないと額の皺が呟いている。柏木は続けた。
「ねえ、中嶋君。この場所の事を誰かに教えた?」
「い、いえ。誰にも」
「つまり、この中にこんなイタズラをした犯人がいるってことじゃないかしら」
柏木は、ぐるりと三人を見つめた。
「なんでこんなことしてるの、裏切り者さん」
中嶋は両手を振った。
「ぼ、僕は裏切ってません」
「俺は知らないぞ」
「アタシ、わかりません」
柏木は三人の言葉を聞いて笑った。
「こうも否定されちゃうと面白くなるわね。探偵の気持ちがよく分かるわ。このあと裏切者の嘘を理詰めで壊していく快感が待ってるのよね」
成田は柏木に向かって反発した。
「お前が裏切者の可能性だってあるだろ」
「探偵が実は犯人みたいな話じゃ、全国のミステリー愛好家は納得しないわ」
「そもそも、いつから探偵になったんだよ」
「容疑者Aは推理が終わるまで黙ってなさい」
「成田だよ、通行人みたいに言うな」
「鳩の死体は、メッセージがある。おそらく、チカの次はお前たちの番だって」
「ち、違います。ほ、祠の呪いです」
「モブキャラは黙ってて」
中嶋は柏木に反発した。
「ぼ、僕は、ここに裏切者なんていないと思います。これは地下室で食べられた家族の霊の仕業です」
柏木は笑った。
「大の大人がそんな心霊話を信じているわけ? というか、なんで鳩?」
「ほ、祠か幽霊に聞いて下さい。そんなバカにしたらみんなだって殺されますよ」
成田が食べ残していたコンビニチキンを頭上にかざした。
「じゃあ、地下室にエサあげてくるわ。これでお腹いっぱいになってくんないかな」
そのまま成田は地下室へ向かった。
「そ、そういうバカにした態度はよくないです!」
柏木は中嶋を無視して推理を続けた。
「じゃあ、仮に容疑者に地下室も含めたとしても、あちは犯人わかっちゃったけどね」
「だ、誰ですか?」
「ちょっと待ちなさい。ほら、容疑者全員戻ってこないと探偵はクライマックスを迎えられないでしょ」
成田が地下室から戻ってきた。
「大変だ! チキンも地下室に食われた!」
成田はチキンの骨を手にしていた。その指と唇が油で光っていた。
柏木は深呼吸を一つした。
「ここにいる人間が容疑者と見て問題ないはず。なぜなら今日集まることを知っている人間はここにいる人間だけだから」
あたしも知ってるけど思ったが、黙っておこう。柏木は続けた。
「あの鳩の傷。×に見えるけど、カタカナのナにも見える。成田のナ。つまり次の被害者は成田だという殺人予告の可能性がある。と、みせかけて犯人ということもある」
「そんなわけねえだろ」
「そうなの。そんなわけないの。成田さんは動物の飼育員をしていて、動物を人間より愛している。人間との恋愛より、動物とのふれあいを取る人。だから、鳩を殺すなんてことは絶対にしない。成田さんは鳩を殺すくらいなら人を殺す」
「鳩を殺すなんて、ありえない」
「となると、次は中嶋。でもこれもありえない。こんなに臆病な中嶋が地下室へ一人で降りて、鳩の死体を置くなんてできるわけがない」
「あ、ありえません」
「となると――」
そして、柏木は指先を一人の人間へ向けた。
「チカを殺したのは、あんたでしょ」
指をさされた成田は真っ赤な顔をして怒った。
「俺? さっき無罪認定されただろ。完全に油断してたわ。いい加減にしろよ。俺が、いつチカを殺した?」
「ふふふ、成田さん。油断したわね。【なぜ】じゃなくて、【いつ】って言ったわよね。もしかしてお家で練りに練ったアリバイ工作をご披露させていただきます的な?」
「そ、そんな意味じゃない」
成田は鼻の頭をかきむしりながら、柏木の推理を全力で否定をしていた。
「成田さんがチカとトラブっていたのは知ってる。それでチカが邪魔になったんでしょ。だからあなたはチカを誹謗中傷で精神を崩壊させた。飼育員だから鳩が殺せないなんてそんな話あるわけ無いでしょ」
成田は呆然と立ち尽くし、何かを諦めたように座り込んだ。
「俺は……俺は……」
成田はそれ以上言葉を続けることは無かった。中嶋は柏木の指示で、成田の手を縛った。柏木は縛られて俯いた成田へ優しく告げた。
「成田さん、あなたなんでチカを殺したの?」
「俺、あいつに脅迫されていたんだ。それをやったら俺は動物園をやめなきゃいけない。だから……」
成田は頭を下げ、それ以上なにも言葉を発しなかった。その様子を見て、愛以は柏木と成田の会話に割り込んだ。
「だから、なんですか? 言ってください。なんですか?」
成田は俯いて目線をそらした。愛以は興奮気味に声を荒げた。
「だから、チカを殺したんですか?」
愛以はポケットから写真を取り出した。愛以とチカとねもっちの親友三人組が映っている。にこやかな笑顔で、大きいケーキを囲んでいた。ケーキにはチカ10万人フォロワーおめでとうと書かれたプレートが置かれている。
「チカはあたしの大事な親友なんだから! あなたたちがチカをこんなことに巻き込んだんでしょ。チカを返してよ!」
柏木は愛以が持っていた写真を見て、鼻で笑った。
「親友、ね」
成田は縛られたまま、顔をあげて愛以に返事をした。
「むしろ、俺たちはチカに連れてこられたんだけどな」
「はあ? そんなわけないでしょ」
愛以は成田を睨みつけた。そんな様子を見た柏木はポケットからナイフを取り出した。
「あなたは信じないかもしれないけど、あちはチカに呼ばれた。そしてチカの指示に従った。悪いけど、これでもあちもチカを尊敬していたんだよね。だからチカが餓死するなんて信じられなかった。絶対に殺されたと思っていた。あちは許せない。チカを死に追いやった犯人を許せない。ぐちゃぐちゃにぶち殺したい。でもあんたにこそ、その権利があるね」
柏木はハンカチで包まれた刃先を握って、愛以に差し出した。愛以はナイフを受け取ると、震えながら刃先を成田に向けた。柏木は愛以の肩を軽く叩いた。
「死体の処理は何とかするわよ」
愛以は座り込んで動かない成田へゆっくり歩き出した。成田は命乞いをするかのように愛以を見つめた。
「お、おい。マジか」
愛以、待って。あなたが人殺しになったら、チカだって悲しむんじゃないの?
ナイフの先が震えている。ソファの近くにいたいつの間にか成田の足元を這いまわっている。愛以は成田の目の前に立った。そして腕を大きく振りかぶった。
やめて、愛以!
成田を刺そうと振り上げられた愛以の右手首は、柏木に強く掴まれた。
柏木、止めてくれてありがとう。愛以が殺人犯になるところだった。あんた嫌な女だと思っていたけど、感謝するわ。
「あなたの指紋のついたナイフ、色々使い道がありそうね」
素早く成田は立ち上がると、愛以が左手で握っていたあたしを叩き落とした。
ちょっと、精密機器は優しく扱いなさいよ。
成田は愛以の体を一瞬で床に倒した。綺麗な連係プレイで中嶋が手足を押さえ、柏木が縛りつけた。ハンカチで口を塞がれた愛以はなにも喋れなかった。
あたしが代わりに言ってやる。あんたたちだましたのね。やっぱりあんた達がチカを殺したんでしょ。
「さぁ、このナイフ。誰を殺すのに使おうかな」
柏木と成田の笑い声は部屋に響いた。
<ショート動画>
オカ 先輩、地下室が好きな食べ物は何ですか?
ルト なぞなぞ? うーん、わからない!
オカ 答えは、人間です。
ルト は? どういうこと?
オカ 理由は、この動画をクリック!
(食人地下室の動画のサムネ)
愛以が彼らに捕らえられて半日経った。愛以は地下室に鳩と一緒に放置されている。一方、あたしはあいつらに回収された。家に持ち帰ったのは中嶋だった。中嶋のリュックは音を通すようで、生活音が聞こえてくる。どうやら同居人がいるようだ。ただ、部屋の様子はなにもわからない。
今すぐチカを助けに行きたいけど、全世界の人類がご存知の通りスマホには足がない。あたしは愛以の事が心配でスリープしているにも関わらず、眠れなかった。もう電池の残量は限界に来ている。
そういえば、一点不可解なことがある。中嶋は柏木に一つお願い事をされていた。愛以を自殺に見せかけるために、あたしを使ってネガティブな投稿をしておくという内容だ。しかし、一向にそれを行わない。深夜三時頃、あたしの加速度センサーが反応した。どうやらどこかへ運ばれているようだ。しかもモバイルバッテリーで充電をしてくれている。一体どこへ向かうのだろう。あたしのCPUはこんなストーリーを考えだした。
チカは遺書をスマホで投稿する。そして目が眩むほど高いダムの上から身を投げる。
ひどい、ひどすぎる。愛以は無実なのに。あんたら人間の心ってものはないわけ? 簡単に人を殺しちゃいけないって教わらなかったの? いや、簡単じゃなくても人を殺しちゃダメだって。
どうやら目的地についたみたいだ。中嶋はあたしを鞄から取り出した。なんと、ここはあの屋敷の地下室だ。となると愛以がいるはずだ。あたしは辺りを見回した。するとソファの上で愛以が寝転がっていた。両手首と足首を縛られたまま動かない。中嶋は愛以の顔のそばにあたしを置いた。愛以、会いたかった。生きてるよね。寝てるだけだよね。
――愛以の寝息が聞こえた。
「あ、愛以さん、起きてください」
中嶋は優しく愛以の体を揺さぶった。愛以は目を覚ましたようで、怯えた表情をみせた。すると中嶋はにっこりと笑った。
「だ、大丈夫ですよ。ぼ、僕は助けに来たんで」
愛以の驚きと感謝の混じった声が部屋に響いた。
「し、静かに。いま、深夜ですから」
中嶋は慣れた手つきで愛以の拘束を解いた。そして不思議そうに見つめる愛以に向かって告げた。
「ぼ、僕は世界をきれいにしたいだけ。愛以さんが死ぬ必要はありません」
愛以は頭を下げた。
「あと、このままだと愛以さんが地下室に食べられてしまいます。そしたら愛以さんが霊になって僕たちを襲ってくることになる。その方が僕は怖い」
中嶋は真剣な顔で愛以を見つめた。
「一つだけ信じてほしいんです。僕たちはチカさんと仲間だった。だから僕たちはチカさんを殺すなんてありえない。だから復讐をするなら別の人だと思います。じゃあ、早く逃げてください。あと、僕が助けたことは黙ってくださいね」
愛以は中嶋に深くお辞儀をすると、中嶋はOKと親指を立てた。そして中嶋に促されるように、地下室から屋敷の一階へと音を立てずに登っていった。良かった。無事にここから出ることができて。
って!
愛以、あたしのこと忘れてるよ!
月面から飛び立つロケットを見送ったカメラの気持ちがよくわかったよ。あんたらはいいかもしれないけど、あたしはどうなるのよ。
最大の失敗は、なにも操作しないで五分立つと画面が消える設定になっていた事だ。こんな夜中に画面を消してしまっていたら、愛以だって、あたしに気づくはずもない。なんで中嶋は愛以に直接渡さないわけ。
中嶋は愛以にとっては英雄かもしれないけど、あたしは交換されて身代わりになった人質の気分だわ。今度はあたしが愛以の代わりに地下室へ閉じ込められているんだけど。
暗くてよくわからなかったが、あたしのそばを何かが動き回っている気がする。ちらっとイモムシのような胴体が見えた。何度も見かけたイモムシだろうか。しかし近くで見ると、イモムシにしては妙に質感が艶めかしい。気持ち悪い。あたし虫とかネズミとか大嫌いなんだけど。
ちょっと待って。
この地下室、幽霊出るんでしょ? あんな動画見たから、怖いんだけど。地下室に逃げ込んだ家族三人が骨だけになっていたんでしょ。あたし骨はないから、基板だけになっちゃうの? それともネジだけ? この地下室はどうやって人を食べてるわけ? 床がパカッと開いたり以するの? それとも何でも食べる大食い妖怪でもいるの? やめてよ、あたしは美味しくないよ。精密機器だし、リチウムイオン電池だから、口に入れたらピリッとするよ。
あたしの体は絶望で震えていた。スマホも恐怖を感じたら震える事を初めて知った。これをうまく使えばモールス信号で人間と会話ができるかもしれない。ブルブルブル、ブーブーブー、ブルブルブルでSOSになってるかしら。でも震えを制御ってどうすればいいの。心霊写真を表示したり消したりすればいいのかしら。怖くないことを考えれば止まるはず。面白いこと。なんだろ、ダジャレか?
モールス信号も、スルー。
あたしの震えは止まらなかった。
それもそのはず、震えは愛以からかかってきた電話によるバイブレーションだった。あたし、焦りすぎだ。世界初の人間とコミュニケーションが取れるスマホになり損ねた。そんなことはどうでもいい。愛以はあたしがどこにあるか探しているんだろう。誰かが見つけて出てくれるのを期待しているのかもしれない。でも、誰も出ないよ。こんなところに誰もいないんだから。幽霊はいるかもしれないけどね。いや、幽霊なんていないけどね!
突然、あたしは誰かにソファから持ち上げられ、通話を切るボタンが押された。あたしをソファに投げると、抱えていたクーラーバッグを床に置いた。感情を一切見せない表情をしている。そしてチャックをゆっくりと開けた。中を少し除くと、丁寧な仕草でビニールに包まれた物を取り出した。ビニール袋の口からは、ドライアイスのような煙が吹き出ている。そいつはビニール袋の中から傷をつけないように慎重に取り出した。一本の腕を。そしてソファの上に丁寧に置いた。その腕を見て、あたしは一つのことを思い出していた。
彼女の死体を発見した時、愛以は気丈にも一枚の画像を撮影していた。彼女の死体は片方の腕が肩から切断されていた。死因は餓死なのに腕が切り落とされている理由が警察にはわからなかった。第一発見者の愛以も警察に疑われたが、当然そんなことしていないのですぐに容疑は晴れた。死体損壊で捜査が進められる予定だった。しかし死因が他殺ではないということで、捜査は途中で打ち切られていた。
死体の右腕を持ち帰った人間、それが彼女を殺した犯人だと愛以は推理していた。
袋から取り出された腕は、冷凍保存されていたのか、霜がついていた。そのせいなのだろうが、キレイに原型をとどめていた。しかし一部不思議な点があった。腕の注射を打たれるような箇所のことをなんと呼ぶのかわからないけど、その場所に文字が書かれていた。
チカ
ペンで書かれたのかタトゥーなのかわからないけど、しっかりとその文字が見えた。これはやはりチカの腕なんだ。最高に吐き気がする。イヤホンジャックから半田が漏れそうだ。
被害者の腕に名前を刻んでおくなんてサイコパス以外の何者でもない。こいつが、犯人だ。こいつが彼女を殺したんだ。あたしが勝手に撮影できるなら動画で全部録画したかった。しかし自動録画機能はない。そしてその腕にあたしをむりやり握らせると、地下室をゆっくりと去っていった。
ふふふ、完全犯罪と思ってるかもしれないけど、人は完璧にはなれないのよ。覆面を被ってて顔がわからないと思ったでしょ。でも、見ちゃった。あなたミスをしたわよ。あたしも人間だった時によくやったわ。会社から家に帰って、「社員証つけっぱしだった」って。
おまえだったのか。
小学校の国語の時間に、それに近いセリフがある昔話を読まされた気がする。
愛以、はやくあたしをみつけて。犯人がわかったから。相棒のコナソとして最高の活躍するから。GPSでスマホ探せるの知らないの? はやくあたしのところにきて! おまえだったのかって一緒に言いたい。言って欲しい。うなぎは持ってこなくていいから!
もう昼になっていた。階段からバタバタと降りてくる音がした。そして音の主はそのままあたしに近寄ってきた。
「あった」
愛以は嬉しそうにあたしを掴んだ。あたしも嬉しかった。だって、愛以に全力で伝えたかった。チカを殺した犯人を。
あたしは愛以を待っている間に、愛以とコミュニケーションを取る方法を見つけた。それを今からやってみる。バックグラウンドでアプリを大量に走らせる。するとCPUが熱暴走をはじめる。あたしは熱暴走にあわせてタッチセンサの入力値を改ざんする。そうすれば愛以が液晶を触るごとにあたしが思うように文字を表示させる。なにを言ってるかわからないかもしれないけど、あたしもよくわからない。でも大丈夫。できるったらできる。
愛以は部屋をキョロキョロと見回している。そいてついにあたしを見つけた。指紋認証すると、ブラウザを開いて検索画面を出した。
よし、ここだ。
「スマホ、熱い。壊れたのかな」
愛以がタッチした情報を全て書き換え、別の文字に変換した。そしてあたしの思いを全て文字にした。愛以が触るたびに、文字を一文字づつ表示した。
あ
「え?」
た
し
「なにこれ」
愛以がスマホを何度もタップした。そのたびにあたしは一文字ずつ表示した。
こ
わ
れ
て
な
い
よ
「なに? 気持ち悪いんだけど」
わ
た
し
こ
な
そ
あ
い
い
の
あ
い
ぼ
う
「相棒? ていうか【こなそ】ってなに?」
しまった。ひらがなじゃ意味不明だった。それでも愛以はあたしの液晶をタッチしつづけた。どうやらあたしとコミュニケーションを取ることについては理解してくれたようだ。あたしは少しずつ文字を表示した。
ち
か
を
こ
ろ
し
た
は
ん
に
ん
が
わ
か
っ
た
の
「どういうこと?」
な
ま
え
は
ね
これで愛以は全てから解放される。そう思っていた。
しかし、なんで物事はうまくいかないんだろう。愛以の肩越しに覆面姿の人影が映りこんでいる。しかも、そのことに愛以は気づいていない。
そういえばあたしは切断されたチカの手に握られていたはずなのに、そのことに愛以がちっとも驚かないことに気づくべきだった。アタシの不注意だ。いつのまにかチカの腕がなくなっている。そうだ、誰かがチカの腕を片付けていたんだ。誰かという、悪魔が。そして悪魔は愛以がここに戻ってくることを知っていた。
愛以、まずいよ。今すぐ逃げて。
「ねえ、どうして犯人がわかっ――」
あたしは悪魔に取り上げられると激しく床に叩きつけられた。さらにハンマーのようなもので液晶の中央を殴られた。液晶は現代美術家が作ったステンドグラスのように粉々になった。悪魔は薄ら笑いを浮かべながら、あたしに向かって二回、三回と打撃を繰り返した。
外装は少しずつ歪み、バッテリーがむきだしになった。これ以上傷つけると爆発するかもしれない。
次に愛以の殴られる音がした。愛以、逃げて。こいつが犯人だから。ここから逃げ出して、警察に駆け込んで、なんとかして彼女の、チカの無念を晴らして。
もう基板の回路もおかしい。これだけおかしくなっているなら、自由に液晶を操れそうだ。あたしは画面いっぱいに犯人が腕を取り出している画像を表示してみた。腕にチカの文字もある。液晶がボロボロだからピカソの描いた顔みたいに表示されているだろう。でも愛以ならわかってくれる。相棒が、コナソが、あなたを大好きなスマホができることはここまでだから。
愛以は体を引きずりながらあたしのそばまで近づいてきた。そしてあたしの画面を見て、口を小玉スイカが入るくらいの大きさまで開いた。
「まさか。これは……」
わかってくれた? そいつ、そいつが犯人だから。
「誰?」
伝わらなかった――
直後に、愛以の頭が九十度左に曲がった。そのままズシンという音が部屋に響き渡った。
悪魔は笑っていた。そして鼻歌を歌い始めた。
「鳩にはエサをあげないで」
なぜ、あんたがその歌を知ってるんだ。一体どういうことだろう。あたしにはわからない。そんなことを考えている間もなく、悪魔がハンマーを頭上高く振りかざした。
地下室の中に、精密機器の破壊音が響いた。あたしはそれ以降の記憶はない。
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