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チカにエサを与えないでください 第三話

二人目 チカを殺したのは成田ではない


 羽田知輝
 あなたの名前。知識が輝く人生になりますようにって。赤ちゃんの頃のあなたは、かわいかったのよ。今だって可愛いところあるけどね。母さんはね、ずっとトモくんのそばにいれると思ってた。毎日トモくんの面倒をみながら生きていくんたまろうと思ってた。でも、あんなに小さかったトモくんがあっという間に大きくなって、私の元からいなくなった。ずっとトモくんは私の可愛い息子だと思ってた。ずっとなんて、ただの幻想。いつまでも同じままじゃいられない。だって、命はいつか消えるの。確実に。必ず。突然。自分で予想していないタイミングで。

メロンステーキ
生ハムメロンは有名なのに、意外と知られていないメロンとステーキ牛肉のハーモニー。一度食べてみて欲しいチカのおススメレシピです!

材料
 ステーキ肉 250g
 メロン半玉
 塩・こしょう 適量
 牛脂またはオリーブオイル 大さじ1
 にんにく 1片(スライス)
 バター 20g
 醤油 大さじ1
 料理酒 大さじ1

作り方
1.下準備
 ステーキ肉を調理の約30分前に冷蔵庫から取り出し、室温に戻す。筋切りを施し、両面に適量の食塩および黒胡椒を均等に振りかける。
2.焼成開始
 フライパンを強火にて十分に加熱し、牛脂またはオリーブオイルを投入。にんにくを加え、香りが立った時点でステーキ肉を投入する。
3.焼き加減の調整
 片面を約2分間焼き、適切な焼き色が付いた後、裏返し同様に2分間焼成。その上にスライスしたメロンをのせる。焼成後、アルミホイルで包み、肉汁を安定させるため約5分間休ませる。
4.仕上げ
 フライパン内の余分な油分を除去し、料理酒および醤油を加え、適度に煮詰める。最後に無塩バターと絞ったメロン汁を加え、ソースとして仕上げ、ステーキにかけて完成。

 ガスコンロの火を点け、フライパンを熱する。その間に塩を指先でつまみ、均等に振りかける。電動ミルで胡椒をまぶすと、肉の表面に細かな黒い粒が散らばった。「調味料は極力シンプルにするのが素材を活かすやり方なのよ」と私がいつも言っていたのをトモくんは忠実に守っている。十分に熱したフライパンにオリーブオイルを注ぐ。ゆっくりと広がる油の輝きに目を留めた後、肉を慎重に置く。肉の焼ける音が勢いよく鳴り響き、瞬時に部屋がステーキハウスに変わった。トモくんは立ち昇る煙を吸い込んで、笑顔になった。
 トモくんは焼き上がった肉を皿に乗せて机に運んだ。そして私を使ってお気に入りのアングルで何枚か撮影したあと、大きく頷いた。きれいに撮れたのは母さんのカメラのスペックのせいでもあるんだからね。近くのものにピント合わせるの大変なんだから。
 ワインをグラスに注ぐと、ナイフを手にした。刃を入れた瞬間、適度な弾力と肉汁の流れを確認する。トモくんは軽く息を吐き、ゆっくりと口へ運んだ。そして、さっきA4サイズで印刷したデンの写真を額に入れてテーブルに置いた。トモくんの部屋の壁には動物園で死んでいった仲間たちが沢山飾られている。あのシマウマはトモくんが最初の配属でお世話をしていたゼブちゃん。子どもが抱っこするモルモットや南国系の珍しい鳥もいる。写真の横には料理の写真も飾ってある。トモくんは園の動物が死ぬと、今日みたいにトモくん流のお別れ会を行う。
 食事が終わると、昨日死んだキリンのデンの写真と印刷したばかりのメロンステーキの写真をソファの横の壁に飾った。
 そして小さな子どもの手からりんごを食べようとしているデンの瞬間を撮影した写真を懐かしそうに見つめた。小さな子どもが目を丸くして驚いた顔をしているのが可愛くて、数年前の動物園のポスターでも使った写真だ。どことなくデンと同じ表情をしている。
「デン、お前は天国に行ったかもしれないけど、俺の中ではちゃんと生き続けてるからな」
 そうよね。トモくんはデンのことをいつでも思い出してあげられる。だからデンは死んだかもしれないけど、トモくんの中で元気に首を伸ばしているに違いない。
 動物と料理の写真が壁に並んでいる中で、二枚だけ違う写真がある。一枚は外国の海でビキニを着て飛び跳ねた一人の女性、チカだ。もう一枚はトモくんが五歳の頃に一緒に撮影した私の写真だ。トモくんはチカの写真の前に立って、じっと見つめていた。
 トモくん、チカのことをまだひきずっているの。もう忘れなさい。あの子はもういないの。あなたがどんなに想っていても、生き返ることはないんだから。
 厳しいことを言うようだけど、母さんは厳しい母なので言うね。そもそもチカはあなたを恋愛対象としてみていなかった。あの子、あなたを同志として信じていたかもしれないけど、それ以上の感情はなかったはずよ。
 前から言ってるでしょ。恋愛というのは、くじだから。はずれを引いたら、そこで諦めるか、もう一枚くじを引くしかないの。そのはずれくじがあたりくじに変わることはないから。そんなことより、隣の写真のことを教えて。チカの写真の横に飾られたハンバーグへいちごをのせてるじゃない。母さん、酢豚パインは反対派だったわよね。ましてハンバーグいちごって何なの。今日のメロンステーキも同じ。全部チカの料理の影響でしょ。映えだか萌えだか知らないけど、母さんそんな料理認めないから。メロンは生ハム、いちごは練乳。パインは飴。それ以外は邪道だからね。せっかく料理の腕前は確かなんだから、チカが作ってた変な料理を真似しないで。チカは死んでくれたからいいけど、これ以上変な女にトモくんをおかしくされたくないわ、ほんと。
 トモくんが付き合う女性は綺麗で優しくて、親思いのあるおとなしい女性じゃないとトモくんには似合わないんだからね。変な女と付き合ったら母さんは許さないからね。スマホから飛び出すわよ。わかった? わかったの? 聞いてるの? トモくん? トモくーん? トーモーくーん?
 ごめん、母さん興奮しちゃった。 スマホ熱くなってた? 
 トモくん、夜は心の涙を拭いてくれる黒いハンカチだからね。今日はデンのことをだけを考えておやすみなさい。トモくんの涙を流れ星に変えてくれるからね。そうか、こんばんはトモ座流星群になるわね。

(ショート動画)
 目がどこか焦点の定まらない様子の妙齢の女性が、髪の毛を振り乱しながら話をしている。
 「皆さんはまだわかっていない。指切りジャックと皆さんは犯罪者のように扱っていますが、それは違います。人間の手は本来不浄なのです。人間に五本指は扱いきれなかった。だから人間は盗みや殺人を繰り返した。人間の指は本来三本でいいのです。指が余っているんです。指が余っているからこそ、盗みや殺人などに使ってしまうのです。神様から人間はもう少し不器用に戻って、正しい事だけを死なさいというお告げなのです。指切りジャックと、未来の指切りげんまんをしましょう」

 次の日、トモくんはお休みの日にも関わらず、この場所にいた。母さんはここが好きじゃない。
 トモくんはパソコンのエンターキーを強く叩いた。
「成田さん。そのクセ、治らないの?」
 いつも柏木って女はトモくんに厳しい口調で話しかけてくる。ダメね、こういう女は。自分の世界が唯一無二で、揺るがないと思ってるわ。人は自分に従って当然ってメイクしてるもの。ほらトモくん見てごらん、あのアイシャドウ。私の目が黒いうちはエンターキーの音をターンって響かせないって顔してるわよ。
 この女、もしかしてトモくんの事が好きだったりするのかしら。やめてよ、あんたみたいな行き遅れた三十路超え女は。トモくんが素敵なのはわかるけど、あんたには不釣り合い。
「定例はじめるけど、愛以は見つかったのか?」
 愛以、あの子もダメね。男に媚びるタイプ。母さんはわかるのよ、見えちゃう。人生経験という透視能力を持ってるから何でも見えちゃう。見た目は良いかもしれないけど、母さんは認めないからね。まぁ、もう来ないんだろうけどね。
 中嶋はトモくんの質問に首を振った。
「い、いえ」
「逃げ出すなんて、油断してたな。柏木だろ? あいつ縛ったの」
「あたしは山登りのエキスパートに教わった通りだから」
「と、登山で人を縛る必要あるんですか?」
「知らないけど。遭難したときに暴れるやつを捕まえておくんじゃない?」
 この女、無知ね。なにをふざけたこと言ってるの。柏木と中嶋は学がない。トモくんは中学の頃に模試で全国十位以内に入ったことあるんだからね。バカをトモくんにうつさないでよ。
 トモくんは指を鳴らした。
「とにかく、もし愛以が俺達のことをバラしたら、終わりだ」
「そうね」
「と、とりあえず愛以さんがどこにいるかは、調査しますね」
「あたし、地下室になにか残って無いか調べてくるわ」
 柏木はそういうと、地下室の階段へ向かった。そうそうあんたは頭じゃなくて体を使って。
 柏木は降りる寸前、一瞬こちらをみた。
 トモくんについてきて欲しいってアプローチ? やめてくれるそういう青春謳歌中の女の子がやるメルヘン仕草。あの目線で恋が芽生えるのは十代の特権だからね。三十路超えの恋視線はただの呪いよ。石化するかもしれないわ。はい、地下室へ行って。
「か、柏木さん。霊感とかないんですかね」
「あいつ自体が霊みたいな存在かもしれないな。そんなことより中嶋、それ最新機種じゃね?」
 トモくんは中嶋が持っているスマホにうらやましそうに見つめた。
「は、はい。古かったので買い替えました。凄いんですよこれ。画像の編集がすごく便利」
 中嶋はアプリを立ち上げて、写真を開いた。柏木と中嶋とトモくんの三人が写っている。それをささっと操作すると、トモくんと柏木が寄り添っているような写真に変わった。やめて、トモくんがあの女とつきあってるみたじゃない。
 トモくんは驚きの声を上げた。
「いーなー、俺も変えようかな。俺のスマホなんかイマイチなんだよね」
 トモくん、親に向かってイマイチってどういうこと。訂正しなさい。これでも数年前は最新スペックって褒めらてたんだからね。アプリが良くないのよ。アプリがどんどん色々進化するからついていけないの。メモリばっかりつかうし。母さんは悪くないからね。だから、買い替えようなんて考えはすぐに改めなさい。お母さんがそばにいられなくなっちゃうじゃない。
「でもさ、なんか愛着湧いちゃうと、なかなか買い替えられないんだよね」
 さすがトモくん、母さんがここにいるって薄々気づいているのかもしれないわね。ラブよ、ラブ。
「そ、そういえば柏木さん遅いですね」
「なにか変なものでも見つけちゃったのか?」
「ま、まさか幽霊?」
 中嶋はトモくんの腕を恋人がしがみつくように掴んだ。ちょっと待って。あんたももしかしてトモくんを狙ってるの? やめてよ、トモくんモテモテ。
 すると柏木の声が地下室から聞こえた。まるで学校の先生みたいに声を張り上げている。
「集合ー、地下室のソファー前集合ー、大至急ー」
 集合ってなによ。自分が来ればいいのに。
 トモくんと中嶋は地下室へ降りていった。何度降りてもあまりいい気分はしない。子供の頃のきもだめしみたいな気分になる。何の変哲もない地下室なんだけど、何の変哲もないのが怖い。変哲が欲しいわけではないけど、恐怖を感じない程度の変哲があって欲しい。変哲よ、いまこの地下室に舞い降りたまえ。
 柏木は無表情でソファを指さしていた。指が示す先には、長さ40センチ近くある骨が転がっていた。しかもおかしなことに、ソファの前には愛以が倒したドミノが、全てきれいに並んでいた。なんなのよ。変哲があったらあったで怖いじゃない。
「人の腕だ!」
 中嶋はそう叫ぶと一階へ逃げ出した。トモくんはソファに近づいて、じっくりと観察している。
「鳩の次は、人ですか」
「これ、愛以がまだ生きてるってことね」
「愛以はどこからこんな物持ってきてるんだ」
「あの子、もしかして流行りの通り魔?」
「あれは指だろ。もしそうだったら俺達直接襲われてる。これ、ホンモノの骨か?」
 トモくんは不思議そうに近づいて骨を確かめた。確かに人間の腕くらいの長さがある。よく見ると、手の平や指の骨も近くに落ちている。不思議なのは全く肉がついていないことだ。トモくんは辺りを見渡した。
「ホンモノだな。哺乳類の腕だ」
「あんたのところで死んだ動物の骨なんじゃないの?」
「俺が犯人だとしたら、なんのためにこんなことをするんだよ」
「あんた、チカとなにか二人で企んでたでしょ」
 なにこの女。チカとトモくんの計画を知ってるの? でもトモくんは笑い飛ばした。
「やっぱりお前、知ってたのか。この間のアドリブにしては妙に真実味があると思ってた。本当なんだな」
「なんなのよ」
「チカとスイーツ食べ放題行こうとしてた」
 トモくんは華麗に切り抜けた。柏木はつまらなそうな表情をして、ドミノに近寄った。ドミノは円を描きつつ、中に複雑な模様の並び方をしており、まるで魔法陣のようだった。
「やっぱり祠なのかねこれ。魔法陣みたいに見えるけど」
「祠って日本の文化だよな。なのに、魔法陣って」
 中嶋が再び地下室に降りてきた。そしてタブレットを二人に見せた。画面にはオカルト研究所のサムネイルが表示されていた。
「や、やっぱり、ここは食人地下室なんだ! それ、愛以さんの腕だ!」
 成田は中嶋の声の大きさに、少し後ずさった。するとドミノに触れてしまったのか、シャーという音とともにドミノが倒れていった。
「な、なにやってるんですか。そ、そのドミノは祠だっていったじゃないですか……」
 柏木は中嶋に近づくと、タブレットの動画をストップさせた。
「あなたは愛以がドミノを倒したから、殺されたと。そしてあの腕が愛以だと。そう言いたいわけ?」
 中嶋は首を細かく縦に動かした。
「じゃあその祠の中に封印されてた霊さんに聞いて。なんで腕だけなの? なんでドミノなの? そんなの信じられるわけないでしょ」
 柏木は床に落ちているドミノを鷲掴みにすると、中嶋の顔に投げつけた。ドミノを避けながら中嶋は悲鳴と共に逃げ出した。
「ねえ、成田さん。この骨処理しておいて。動物のお墓へ一緒に入れておいてよ。こんなイタズラ」
 トモくんは骨をじっくりと見た。
「イタズラにしては、本物すぎるぞこれ」
「ホンモノでもなんでもいいから、廃棄しておいて」
 柏木は一階へ戻っていった。中嶋は慌てて柏木の後を追った。トモくんは近くに落ちていたビニール袋に骨を入れてして、一階へ上がった。
 母さんからの重要なお願いです。
 トモくん、もうここに来るのやめなさい。鳩の死体とか腕の骨とか物騒すぎるわ。この人たちとは縁を切ってください。
 
連鎖する通り魔事件か、再び女性が負傷 指切断と酷似
 先日の通り魔事件に続き、本日未明、再び崎河市内で女性が刃物で襲われ、指に重傷を負う事件が発生しました。事件の状況が先の事件と酷似しており、警察は同一犯による連続通り魔事件の可能性も視野に入れ、厳戒態勢で捜査を進めています。
 本日午前五時頃、田実区昇都町の路上で、三十歳代の自営業女性が帰宅中に、突然現れた人物に襲われました。女性は左手の指を深く切りつけられ、出血多量で病院に搬送されました。幸い命に別条はないものの、指の一部が切断されているとのことです。
 現場の状況や被害者の証言から、犯人は黒っぽいフード付きの上着を着用した痩せ型の人物で、無言で襲いかかった点、そして指を狙った犯行である点が、先日発生した宮後区での通り魔事件と酷似しています。
 崎河市内で立て続けに発生した事で、市民の間では不安と警戒が広がっています。崎河警察署は、管内全域でパトロールを強化するとともに、地域の防犯ボランティアにも協力を呼びかけています。また、住民に対しては、夜間の不要不急の外出を控え、複数人での行動を心がけるなど、厳重な注意を促しています。警察は、両事件現場周辺の防犯カメラの映像を改めて詳細に分析し、不審者の洗い出しを急いでいます。市民からの情報提供も強く求めており、不審な人物を見かけた際はすぐに警察へ連絡するよう呼びかけています。

 次の日。また入園口でデモ隊が騒いでいた。しつこい人たちね。特にキリンのデンが死んだのは、飼育員のせいだって叫んでる。今まで見たことなかった人もそこにいた。あんたたち、ふざけるのもいい加減にしなさい。トモくんが、園長さんが、どれだけ涙を流したのかわかってるの?
 でもトモくんは私のように取り乱すことはなかった。いつものように警察に通報をした。
 相変わらずトモくんは昼食中にドラマの続きを見ているかと思ったら、そうではなかった。ずっとチカの写真を見ていた。
 そして思い立ったようにチカからのメールを開いた。チカが死んでから、トモくんが何度も読んでいるメールだ。
 トモくん、やめよう。チカの言うことなんて聞かなくていいから。チカの考えがおかしいんだって。
 園長が事務室にやってきた。今日は珍しく事務室に何人も飼育員が集まっていた。
「きんぴら、うまそうだな」
「お惣菜屋で買ったので」
 自分で作ったのに、トモくんは相変わらず嘘をつく。なんのこだわりなの、それ。
 園長は寂しそうな声でトモくんと話し始めた。
「なんだか、デンが死んでから元気が出なくてな。今まで何匹も動物の死には向き合ってきたのに。特別だったのかな、デンは」
 園長は窓から空を眺めた。雲ひとつないとはいわないが、空は澄んでいる。
「デンも喜んで天国にいったはずだ。次に俺が天国にいくのを首を長くして待ってくれてるはずだから」
 周りにいた何人かの飼育員が笑った。副園長は「園長は地獄へ行くと思ってた」と言い、さらに笑い声が増えた。
 トモくんは園長に向かって強く言った。
「デンは、生きてます」
 園長は驚いてトモくんの顔を見た。トモくんは休憩室に飾られている動物たちの写真を指さした。
「デンだけじゃない。タンタンもネジローもリックも。みんな俺の中で生きてます。だから園長がそんなに悲しい顔をしていたら、みんなが悲しんじゃいます」
「そうだな。目をつぶれば見えるもんな。りんごちょうだいって甘える顔が」
 園長は涙を拭いた。園長の手にしてるハンカチはキリン柄だった。

 午後のペンギンお散歩タイムとなった。トモくんには内緒なのだけど、実はお散歩タイムは私にとっては面倒だ。というのも、ペンギンのお散歩を録画しなくてはならない。動物園のSNS担当をやっているからだ。しかしこの動物園ではSNS用のスマホを提供されていない。つまり私が動画担当なのだ。トモくんと一緒に仕事をするのは悪くないのだが、毎日となると飽きてきている。観客はペンギンの見分けがつかないと思うが、私はすでにペンギンの名前が一瞬でわかるくらい撮影している。歩き方としても別に毎日同じ歩き方をしているので、なにも変化がない。
 もっと正直なことを言うと、母さんはペンギンの顔はあまり可愛いとは思っていない。なんなら怖い。でも、トモくんの仕事だから、母さんもちゃんとやらないと。ピントがボケたり、録画できていなかったりしたら、トモくんが怒られるのだから。
 この動物園のペンギンには花の名前がつけられている。ローズやジャスミン、ひまわりなんてのもいる。いつも先頭を歩くのはコスモスだ。コスモスの後ろをローズ、そしてレンゲ、サクラと他のペンギン達がついてくる。
 今日もいつものようにトモくんは片手に私を構えながらペンギンのお散歩を誘導していた。またいつもと同じ時間、同じような歩き方だ。少し離れて見ている子どもたちもその様子を笑顔で見ていた。同じ動画を繰り返し再生しているんじゃないんだから、面白いことが起きてくれてもいいのに。
 突然、あまり動物園では見かけない風貌の男が、子どもの後ろから飛び出してきた。
 トモくん、あぶない!
 男は手慣れた手つきでコスモスとローズを両手に抱えると、入園口へ逃げ出した。トモくんは私をポケットにしまい、犯人に向かって走りだした。加速度センサからすると、高校生のインターハイ記録くらいのペースだ。母さん、トモくんがこんなに速く走れるなんて知らなかった。中学の時に陸上をやりたいといっていたのを思い出した。塾にいけなくなるからって諦めさせたけど、こんなに走れるんだったらオリンピック目指してもよかったかもしれない。
 絶叫と悲鳴、そして人間が争う音がした。ペンギンが鳴く声もした。鳴くというより、叫ぶが正しかったのかもしれない。
 そして騒ぎは終わった。ペンギンを盗もうとした男たちは警察に連行された。トモくんは転んだときに軽い傷を負ったが、病院へ行くほどではなかった。それよりペンギンだ。コスモスとローズは倒れた際に二人の体の下敷きになって死んだ。客が撮影していた動画には、トモくんが犯人を取り押さえた様子だけでなく、潰れて血まみれになったペンギンも映っていた。
 警察が男を逮捕したあと、なんだか色々あった。一旦全てが終わったので、トモくんは休憩室でドラマを見ていた。いや、多分見ていない。ドラマを流しながらぼーっとしていた。足元にはコスモスとローズの入ったクーラーボックスが置かれている。信じられない。られないってば、トモくん。
 園長が休憩室に入ってきた。「羽田くん、今日は帰ってもいいぞ」と肩を叩いた。トモくんはゆっくりと首を振った。園長の話によると、ペンギンを盗難した男は警察に捕まっており、関係者にも事情を聞いているそうだ。どうやら入口でデモを行っていた人たちの仲間と思われる。やっぱり野蛮だったわね。動物の敵はどっちなのよ。ペンギン殺しておいて、動物の味方とか意味がわからない。
 トモくんは動画を見はじめた。最初はペンギン散歩コースの入口だ。門が開くと、コスモスが先頭に飛び出してくる。その後はローズだ。ローズがコスモスを抜こうとすると、絶対に抜かせないとばかりにコスモスが邪魔をする。二匹の先頭争いがなんとも憎めない可愛さだ。もう二度とこれが見られないと思うと、さみしくなった。
 トモくんは園長に強い口調で返した。
「コスモスとローズは、オレが最後まで面倒みます」
 トモくんは名残惜しそうにクーラーボックスを見つめた。そして再び動画に目を落とした。

 動物園の森の奥にある施設で、トモくんは私をポケットから取り出した。一人でクーラーボックスを足元に下ろすと、そこに座ってSNSに投稿する文章を書きはじめた。この場所はいつきても心が引き締まる。私は霊感を一切持っていないが、それでもここでは無口になってしまう。無口と言ってもスマホが喋ることはできないが。ここは飼育員しか知らない場所であり、それ以外には秘密にされている。
 ここは動物園で死んだ動物を火葬する焼却炉だ。小さいサイズの動物はここで火葬している。骨を森に撒いている時もあれば、そのまま灰として炉の中で消えてしまうこともある。
 トモくんはクーラーボックスからコスモスとローズを取り出した。ペンギンたちの血は全てキレイに拭かれ、まるで生きているかのようだった。しかし鳴くことも歩くこともない。ただの魂の抜け殻だ。トモくんは優しく布に包むと、コスモスとローズを焼却炉へ入れた。トモくんは炉のドアを閉めて、両手を合わせた。
「ごめんな。ごめんな」
 焼却炉の煙とトモくんの願いは、空へゆっくりと広がっていった。

 その日、動物園のSNSには、コスモスとローズを追悼する投稿がアップされた。ペンギン散歩で元気に歩くコスモスとローズが歩く写真に文章が添えられていた。
〈今日、ペンギンの二羽を天国へ送りました。コスモスとローズは静かに、穏やかに遠くの空に飛んでいきました。コスモス、ローズ、初めて空を飛んだ気持ちはどう?〉
 二匹の死を嘆くコメントがたくさん寄せられた。トモくんは自宅のベッドの上に座り、コメントをひとつひとつ見ていた。コメントを読んではお礼を返すトモくんが、健気で泣けてくる。やっぱりトモくんは優しい子だ。液晶に落ちてきたトモくんの涙が、ジワリと温かい。母さんも涙を流せるものなら流したい。
 トモくんはプリンタに電源を入れると、コスモスとローズの写真を印刷した。今まで亡くなった動物は写真に額にいれて飾られている。コスモスとローズはベッドの真横に立てかけられた。トモくんは部屋に揃っている動物たちを見渡すと、両手を合わせてゆっくりと祈った。そしてキッチンへ向かった。

ガイヤーン (チカ風)
タイの屋台の味であるガイヤーンにアレンジを加えたチカのオリジナルレシピです。ぜひ作ってみてくださいね。

材料
 鶏もも肉:2枚(約600g)
 ナンプラー:大さじ3
 チョコレート:2欠片
 おろしにんにく:小さじ2
 おろし生姜:小さじ1
 白こしょう:小さじ1/2
 味噌:小さじ1/2
 ごま油:大さじ1

作り方
1.鶏肉の下準備
 鶏もも肉は余分な脂を取り除き、厚みのある部分には火が通りやすいように包丁で数カ所切り込みを入れるか、フォークで穴を開ける。
2.マリネ液を作る
 ボウルにマリネ液の材料(ナンプラー、チョコ、おろしにんにく、おろし生姜、白こしょう、ごま油、味噌)をすべて入れ、よく混ぜる。チョコは温めながら混ぜるのがポイント。
3.漬け込む
 鶏肉をマリネ液にしっかりと絡め、ジッパー付き保存袋に入れるか、深めの容器に入れてラップをする。冷蔵庫で最低2時間、できれば半日〜一晩漬けこむ。
4.焼く
オーブンを200℃に予熱。天板にクッキングシートを敷き、漬け込んだ鶏肉を皮目を上にして並べる。200℃で20〜25分焼き、皮に美味しそうな焼き色がついたら完成。

 トモくんは料理をオーブンから取り出し、テーブルに並べた。そしてビールを冷蔵庫から取り出し、写真に向かって乾杯した。トモくんなりの告別式なのだろう。時折、ペンギンたちの名前を呼んではビールを傾けた。長かった一日は、トモくんの涙が枯れるまで終わらなかった。

 次の日の朝。
 私はトランペットの音色を激しくトモくんの耳へ響かせた。トモくん、起きなさい。ほら! 大変なことになってるよ!
 起き上がったトモくんは眠そうに目をこすると、届いている通知の数を見て驚いた。そうでしょ? 昨日の夜から大変なんだから。おやすみモードさえなければ通知の音を鳴らしまくって無理やり起こせたのに。トモくんはDMのひとつをタップした。
〈なにメルヘンしてんの、ペンギン殺し〉
 トモくんは慌ててDMについていたリンクを確認した。再生されたのはペンギンを盗もうとした男の動画だ。サムネイルはコスモスとローズを脇に抱えた男だった。ちょっと、トモくん。まだ目が半分も開いていないよ。ちゃんと見なさい。ほら、動画再生されてるよ。
 あのシーンがよみがえる。男はペンギンを持って走りだした。トモくんがそれを追った。追いついたトモくんは、男へタックルをした。その拍子に男はペンギンを手放した。その勢いのまま二人は倒れこんだ。そこで動画は止まった。ペンギン二羽は、ちょうどトモくんの体の下敷きになっていた。そして字幕に【ペンギンは飼育員の男に潰されてる】と表示されている。
 トモくんは目を大きく開いた。
〈これ、飼育員がムキになってタックルしたから死んだんじゃね?〉
〈もっと他に方法があったはず。俺だったらもっとうまくやれるぜ〉
〈正義感出して、人質殺すタイプだな〉
〈ああ、周りの迷惑何も考えてない新人の警察官的な。マジ迷惑〉
〈私たちのペンギン、返してください〉
〈先週この人見た時、超やる気なかったよ。トラブル起こしてペンギンの散歩やめたかったんじゃない?〉
〈なんか動物嫌いそうな顔してるもんね。裏で動物の虐待してる、絶対〉

 悲劇の飼育員から、一夜にしてペンギンを殺した飼育員に情報を上書きされていた。
 普段は動物園の投稿にいいねは二桁だったが、既に引用は一万を超え、誹謗中傷のリプライは数えきれないほどぶら下がっていた。見るに堪えないDMもたくさん届いていた。トモくんは誹謗中傷のリプライを無表情で眺めていた。
 母さんわかってる。あれはわざとじゃなかった。母さん見えてなかったけど、トモくんがどれだけペンギンの事を大事にしてたか知ってるもの。
 トモくんは枕を壁に投げつけた。部屋に飾られているサイの額にあたり、床へ落ちた。本当は今日こなくて良いという連絡がトモくんへ届いていたらしい。でも通知がバグっていてメッセージを見れず、いつものように準備をして家を出た。

 日頃、トモくんは通勤時に歩きスマホをしている。そのせいで母さんも通勤経路が完璧に頭へ入っている。母さんとしては危ないのでやめて欲しいと思っている。でも個人的にはずっとトモくんの顔が見れるので嬉しい気持ちもあり、強く言えない。そもそもなにも私がトモくんに伝える手段はないけど。せめて危険が迫った時にスマホの画面を消すくらいしかやれることはない。
 玄関を出ると、静かな住宅街の小道を抜けて、大通りへ出る。トモくんはコメントをひとつひとつ確認しながら歩いていた。
 〈お前が死んでたらよかったのにな。クソが〉
 五分ほど大通りを歩いて地下鉄の駅まで向かう。
〈価値のない人間のほうが潰されるべきだろ〉
 駅のホームで急行列車を見逃し、各駅停車を待つ。
 〈助けてペーン! 飼育員につぶされるペーン〉
 急行列車に乗る。トモくんは普段より周りをキョロキョロと確認する。トモくんのことを認識している人がいるとすれば、かなり今回の炎上は広がっていると言える。
〈マジで北極に怒られろ〉
 駅を降りると動物園までは徒歩だ。横断歩道は5回あり、全部で止まらなかったら良い日だとトモくんは決めている。今日は一回目の信号で足止めされた。横断歩道に立っていると、トラックが目の前を通り過ぎていく。
〈しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね〉
 動物園の門が見えてきた。
〈お前の自宅、特定したから。ご愁傷さま〉
 愛護団体のデモが集まっている。昨日の倍以上の人数がいる。
〈罰として校庭三万周な。コウテイペンギンだけに〉
 トモくんは門に入ろうとしたが、振り返って道を戻りはじめた。
〈私たちのペンギンを奪わないで〉
「奪ってねえよ」
 空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。車に潰された空き缶がトモくんの声と一緒に、太陽へ向かってまっすぐ飛んでいった。

 この家に来るのは一ヶ月ぶりだ。前回、地下室に置かれていた骨を追って、警察などが捜査に来ないか様子を見ていたからだ。
 トモくんはめっきり痩せた。なぜなら、あの日以来動物園には通えていないからだ。園長がテレワークをして良いと気を使ってくれている。実際に飼育員がテレワークでできる仕事じゃないことくらいトモくんもわかっていた。監視カメラで動物の様子を眺める毎日だった。動物に会いたくて仕方がないのだろう。
 中嶋と柏木も、少しトモくんに気を遣っているようだ。三人は集まってから誰も口を開こうとしてなかった。沈黙に耐えきれないのか、中嶋が恐る恐る話しはじめた。
「あ、愛以さんの行方ですが、まだ見つかりません。やはり、あの腕は愛以さんじゃないかと思います」
 柏木はコーヒーを一口飲んで、悩ましい顔をした。
「愛以、どこにいるんだろうね。ま、あちたちの事をばらすつもりがないならいいけどね」
「た、多分大丈夫だと思いますけどね。愛以さん、秘密は守るタイプだと思います」
「なんでそんなのいい切れるの」
「ま、眉毛が」
「眉毛?」
「あの眉毛は、意思の強い眉です。眉占いで見ました」
 柏木は中嶋の言葉にため息をついた。
「つまり、女性は鏡の前で毎朝大吉って書けるのね」
 中嶋と柏木の会話にトモくんは入っていかない。それはそう。トモくんは今、そんな状態じゃない。中嶋はトモくんに恐る恐る声をかけた。
「そ、そういえば愛以さんペンギン好きだったから、北極とか行ってるかもしれませんね」
 今、ペンギンというワードを使うなんて、中嶋という男は本当にデリカシーがない。トモくんは中嶋を睨みつけた。
「そ、そういうつもりじゃ。ご、ごめんなさい」
 中嶋はトモくんに向かって手を合わせた。柏木は鼻で笑ってスマホを操作しはじめた。
「悪魔の飼育員、羽田知輝。もう有名人よね。本名までバラされちゃって。羽田だから成田って名乗ってたわけね。安直」
 トモくんは柏木を睨んだ。しかし柏木は全く怯みもしなかった。
「世界発のペンギンキラーになっちゃったんだから、目立つ行動しないでね。この間の骨とか絶対バレないようにしてね」
 トモくんはコクリと頷いた。
「なんだか元気ないわね。炎上がそんなに辛かったの?」
 ほんとに空気が読めない女ね。トモくんは落ち込んでたの。動物に会えないことがトモくんにとっては辛かったの。トモくんは動物に愛されていたし、動物を愛していたの。でも一日中パソコンに向かっていたのは事実。母さんは寂しかった。三日間スマホを放置して、電池が切れることもあった。母さん、充電しないと動けないんだからね。

 突然、地下室の方で大きなものの倒れる音がした。中嶋は怯えた表情で階段を指さしていた。トモくんは私を手に持つと、録画をしながら地下室へゆっくりと降りていった。
 地下室は薄暗かった。トモくんがスイッチを入れると、暗闇が突然明るくなった。私は光の調整に何秒か時間がかかった。
 トモくんは「あっ」と声をあげた。そして部屋の中央へ私のカメラを向けた。床に人が倒れていた。まったく動かない。寝てるのかもしれないが、それにしては手首の曲がり方がいびつだ。柏木はゆっくりと近づくと、顔を覗き込んだ。
「これ、愛以?」
 後から降りてきた中嶋が大声をあげた。
「やっぱりあれは、祠だったんだ……」
 柏木は幼稚園児に優しく伝えるような口調で中嶋へ伝えた。
「心霊現象なんてあるわけないでしょ」
 しかし中嶋は「呪いは放たれた、僕達は終わりだ」と叫びながら壁の隅で震えていた。柏木は突然中嶋を指さした。
「あー、そういうこと。あんたが愛以を殺したんでしょ、中嶋。霊の仕業にしようとして」
「な、なにを言ってるんですか」
「だって、あちやってないもの。成田さんも家を出られなかったんだから、あんたしかいないじゃない」
「ぼ、僕はやってない。柏木さんがやってないっていうなら、成田さんが犯人だ」
「なんでだよ」
「あ、愛以さんはチカさんを殺した犯人を捜していた。だ、だから愛以さんが死んで嬉しい人は、チカさんを殺した人だ」
「俺はチカを殺してない」
「成田さん、チカさんと付き合ってましたよね。別れ話がこじれたんですか?」
 柏木の目が、メロンパンくらい大きくなった。
「ちょっと待って。あち、聞いてないんだけど」
「な、成田さんが自分の復讐したい人をターゲットに選ぶの、わかってましたよ。でもチカさんは仲間だからターゲットにできなかったんですよね。だから一人でやったんですよね。僕たちと同じ方法で」
 トモくんは中嶋の髪の毛を強く掴んだ。
「お前、言っていいことと悪いことがあるぞ」
「じゃあ、これは言っていいことだ。チカさんの名誉のために。チカさんは成田さんに殺されたんだ」
 中嶋は壁際まで吹っ飛んだ。トモくん、やりすぎちゃダメよ。トモくんは中嶋のそばに近寄り、再び髪の毛を強く掴んだ。
「俺はな、チカと――」
 トモくん、余計なことを言わないの。
 柏木が割って入った。
「チカのことはいいからさ、とりあえずこれなんとかしない?」
 愛以の死体を指さした。死体が置いてあるのに物語の中心にならないなんて、この人たちはおかしいよ、トモくん。中嶋は慌てて柏木の指を掴んで手を降ろさせた。
「死体に【これ】とか言ったら、呪われますよ!」
「なんで。指さしただけでしょ」
「柏木さんもそんなこと言ってると呪われますからね」
 柏木は中嶋の言葉を無視して、トモくんへ質問した。
「あなた、愛以も殺したの?」
「ちょっと待って。も、ってなんだよ」
「ごめん、チカはあんたが殺したってあちも思ってたから」
「俺は絶対にチカを殺さないし、こいつも殺していない」
 柏木はトモくんの顔をじっと見つめた。ちょっと、探偵のふりしてトモくんの顔を見たいだけとか言わないでよ。
「じゃあ、愛以を殺したのは中嶋でしょ。死体を運ぶのを彼女に手伝ってもらって」
「か、彼女にそんなことを手伝わせたら、すぐ別れちゃいますよ」
「愛は、恋人のためにモラルすら飛び越えるのよ」
 柏木は恋の話をするときにいつも目をキラキラとさせる。中嶋はその様子にもう慣れてしまったのか、柏木に言葉を返さなかった。
 すると、トモくんは左の耳たぶを強く引っ張った。考え事をする時のくせだ。
「柏木、俺の推理を聞いてくれ。まずは愛以を殺した犯人が人間だった場合だ」
「そんなの人間がやったに決まってるでしょ」
「まぁ、聞けって。その場合には、この中の三人がやったということは考えにくい。なぜならば死体をわざわざここに置く理由がない。こんなところで死体が見つかったら、こうやって犯人の疑いが自分に降りかかる事が目に見えるから。まあ柏木みたいに相手になすりつける方法もあるけど、賢い方法じゃない。柏木ですらそんなことはしないだろう」
「遠回しに、バカにしてる?」
「そうなると、犯人として考えられるのは愛以の関係者だ。愛以の恋人か親族辺りが一番怪しい」
「愛以があちたちの事を漏らしたってこと?」
「仲間になって時間は経っていないし、俺たちを裏切ることなんて容易にありえる」
 トモくんはソファへ横たわる愛以にカメラを向けてズームした。何かに苦しんでいるような表情をしている。いったいこの子の死因はなんなのだろう。
「しかし、今までの俺たちのターゲットと愛以の関係性を調べたが何も出てこなかった。つまり、人間が犯人であるということは、理屈的に考えられない」
 中嶋は立ち上がって叫んだ。
「そうです。愛以さんは斑目家の霊に殺されたんですよ」
 その目は完全に霊が愛以を殺したと信じているそれだった。柏木は中嶋に近寄って、頭をポンポンと撫でた。
「中嶋くん。大人になってもそういうのを信じているのは、少年の心を持っているとは言わないんだよ」
「か、柏木さんは人間の心を持ってないんですよ」
 柏木は無表情で中嶋の襟を掴んだ。トモくんは柏木の肩を抑えた。
「柏木、聞いてくれ。俺だって地下室で人が食われるなんて怪談を信じているわけじゃない。だけどな。これを見てくれ」
 トモくんは私を掴んで、ペンギンを盗む犯人にタックルをするあの動画へ飛んだ。
 動画は再生され、トモくんが犯人を追いかけていた。そしてトモくんが停止ボタンを押した瞬間に動画を止めた。トモくんが犯人にタックルを繰り出す寸前の瞬間だ。
「ここで俺は誰かに足首を掴まれた」
「だ、誰もいませんよ」
「ここを、よく見てくれ」
 トモくんは画像に映っているトモくんの右足首を指さした。よく見ると、細い手のようなものがしっかりとトモくんの足首を掴んでいる。
「なにこれ、誰の手?」
「わからん。でも気になっていることがある。この間の腕の骨だ。あの腕が、地下室で食べられた腕だとしたら。そして腕が襲ってきているのだとしたら」
「ち、地下室の呪いだ。地下室が腕を食べて、生き返らせたんだ。成田さんは呪われてる」
 中嶋は悲鳴をあげて、トモくんから遠ざかった。柏木は神妙な面持ちでトモくんを見た。
「それで?」
「中嶋の言う通り、俺達は地下室に呪われている可能性がある。愛以の死体は地下室に捧げられた生贄かもしれない」
「ということは、愛以さんはこのまま放って置くと食べられてしまうということですか?」
「しかも、蘇るかもしれない」
 トモくんはニヤリと笑った。
 
 トモくんは推理小説大好きだったものね。母さんは怖くて読めなかったけど。高校生になって、将来は探偵になるって言いだした時には冗談だと思ってた。そりゃ医学部に合格するのは大変なのはわかってたけど、あれは逃げてる気持ちだって母さん思ってた。母さんは何浪しても良かったのよ。トモくんが母さんのそばにいてくれるなら、別にお金なんて関係なかった。トモくんが子供の頃に言ったのよ。「僕、お医者さんになる。そして母さんがしゃべれるように手術するんだ。だって、お母さんの声聞きたいもん」って。嬉しかったのよ、母さん。だからトモくんにはお医者さんになるのを諦めて欲しくなかった。しかも結局探偵は浮気調査ばかりでつまらないからってすぐにやめたでしょ。あの時、医学部をもう一回目指すのかなって母さん嬉しかったのよ。でも飼育員だったね。別に飼育員が嫌なわけじゃないのよ。でもね、母さんやっぱりあの言葉が嬉しかったんだ。結局、トモくんには一回も声を聞かせることは出来なかったけどね。

 トモくんは柏木に問いかけた。
「俺は足首を掴まれた。それは間違いない事実だ。そしてこの映像もある。柏木は霊ではないとどう説明する?」
「そんな動画いくらでも作れるでしょ」
「じゃあ、俺の足首を掴んだのは?」
「知らないわよ」
 中嶋は興奮気味に言った。
「だから、あの腕の骨。あれは地下室に食べられたんですよ。そして腕として蘇って成田さんを襲ったんですって」
「ばっかばかしい。なに言ってんの」
「俺もどうかと思う。でもな、俺達がやるべきことはひとつだ」
 柏木はトモくんの言葉を聞いて頷いた。中嶋は何事かわからずにオロオロとしていた。
「ど、どうするんですか?」
「愛以の死体を処理するの」
「さすが柏木。じゃあ、取りかかるぞ」
 トモくんは床に設置して愛以を私のカメラで撮り始めた。
「死体処理は全員でやるんだ。この動画は俺達が裏切らないための絆だ。中嶋、まずは服を脱がせろ」
 中嶋は渋々愛以の服に手をかけた。上下のつながったワンピースで背中のチャックを開ければすぐに脱がすことができる。しかし中嶋は手間取っている。
「ど、どこから脱がすんですか?」
 中嶋は背中のチャックを開けられずにモタモタしていた。
「もう、そんなんじゃ彼女の服脱がせないでしょ」
 柏木は中嶋を押しのけると、背中のチャックを乱暴に開けた。開いたワンピースから愛以の背中が見えた。それを見ると三人は言葉を失った。
「なにこれ」
「な、なんなんですか」
 愛以の背中には隙間がないほどびっちりと大量の文字が書かれていた。書いてある文字は彼らにとっては見覚えのある文言だろう。私もいくつか見覚えがある。彼らが誹謗中傷で書き込んだメッセージだ。私を使ってトモくんが書き込んだメッセージもいくつもある。
 愛以は下着をつけていなかった。ワンピースを乱暴に剥ぎ取ると、体中に文字が書かれていた。
 首から下、肩から胸、腰。太ももから足の裏まで、どこから見ても文字が書かれている。まるで怪談の耳なし芳一のようだ。
「や、やっぱりやめませんか?」
 中嶋はトモくんへ訴えた。しかしトモくんは真剣な表情で聞き返した。
「このまま放置されたら、愛以が地下室に食われて蘇るぞ。そしたら愛以が俺達を殺しに来るけど。お前の彼女が最初に殺されたりしてね」
「こ、困ります」
 柏木が呆れた顔をして、ナイフを手に取った。そしておもむろに愛以の肩に刺した。驚くほどに血が出ない。
「中嶋、これはあちたちの人生を困らせるゴミだ。だからゴミは処理しないと」
 トモくんは中嶋にナイフを手渡した。しかし中嶋の手は震えがとまらなかった。
「だ、ダメです。僕できません」
 トモくんは苛立ちながら私を中嶋に手渡した。
「じゃあ、お前が動画を撮れ。俺と柏木で解体するから」
 こうしてトモくんたちは黙々と作業を進めた。解体した体は地下室に残さずに全て一階へすぐに運んだ。運び役が中嶋だった。トモくんの指示で内臓は風呂場、解体した体はビニールに詰めてリビングへ運んだ。
 三人はすべての作業を終えた。死体の肉の一部を柏木と中嶋に持たせた。そして頭部や内臓など面倒そうな部分はトモくんが担当となった。

 息子が人間の死体を解体して、処理しようとしている。世の中の母は、これをどう受け止めるのだろう。私はもう受け入れるしかないと考えている。だって、トモくんがやってる事は間違っていないから。SNSにはクソみたいな誹謗中傷をする人がたくさんいる。トモくんがこの一か月、どれだけ誹謗中傷にさらされた、母さんはよくわかる。だって母さん全部のDM見たからね。許せない。トモくんをいじめる人は、この世から消えてしまえばいい。
 母さんわかったの。トモくんはお医者さんにはなれなかったけど、この時のために勉強してたんだって。トモくんが望んでる優しい笑顔に溢れる世界にするには、しょうがないものね。決めた、母さんは全力で応援する。例え世の中が許さなくても、私はトモくんを支える人間になる。それが母親でしょ。ねえ、トモくん。絶対に警察に見つかっちゃダメだからね。ちゃんと死体は見つからずに処理するのよ。
 
 動物園の奥に設置されている焼却炉は、今日も静かにたたずんでいた。ここで火葬された数え切れない動物たちの魂を鎮めるかのように。それを自分の宿命として受け入れるかのように。
 大きなカバンをひとつ抱えて、トモくんはその前に立っていた。胸ポケットから覗く背面カメラには、焼却炉がはっきりと見える。トモくんはゆっくりとかがんでカバンのチャックを開けた。中には太い骨や頭蓋骨が見えた。愛以の亡骸だ。トモくんは慣れた手つきで炉の中へ入れると、薪と一緒に燃やし始めた。
 炎が全体に回り、煙突から煙が出始めた頃、背後から声が聞こえた。
「コスモスとローズについては残念だったね」
 慌ててカバンのチャックを閉めて振り向くと、そこには園長が立っていた。
「羽田君は、入園以来ずっとまじめに働いてくれて、本当に信頼のおける飼育員として活躍してくれている。今後の園を任せようと思ってたくらいだ」
「でも、炎上しちゃって」
「あれは不慮の事故だ。誹謗中傷のひどいものは開示請求を考えている。あれは動物園の飼育員全員への誹謗中傷と私は考えている」
「ありがとうございます」
「気にするな、私たち飼育員は同志だ。そして動物たちだって、私たちの同志だ」
 園長はトモくんへ優しく微笑んだ。トモくんも釣られて笑った。
「でもね、羽田君。君がインステで料理の写真をアップしているのは知ってるよ。なんでいつも料理が上手いのに教えてくれないんだろうって思っていたよ」
「いや、恥ずかしくて」
 もしかして私に教わったという事を人に言いたくないの?
「僕はね、なにかよっぽど隠したい理由があるのかなって思ったんだ。そしたらひとつ奇妙なことに気づいたんだ。園の動物が亡くなった日に、君は裏アカで肉料理をアップしている」
「俺は裏アカなんてありません」
 園長はスマホをトモくんに向けた。そこにはありとあらゆる生き物を食べる趣味の男のアカウントだった。
 アカウント名は【動物園という精肉店】
 トモくん、たぶん言い逃れはできないんじゃないかな。母さんには園長の目の奥に山火事のような炎が見えるよ。
「それは、違います」
「じゃあ、今燃やしてるのがなんなのか教えてもらえないか?」
 園長が焼却炉へ近づくと、トモくんはそれを抑えた。
「羽田君。私は未だに信じられないんだ。どういうつもりでこんなことをしてるんだ」
「……みんな俺の中で生きてるんです。俺が食べることで、彼らの命は生き返るんです」
 園長はトモくんに感情を抑えた声で伝えた。
「命は輪廻する。確かにそういう考え方もある。でもね、羽田君。私は、同志を食べるような人とは仕事ができない」

 トモくんは家に帰ると園長に渡された手紙へ目を通した。私には何が書いてあるかは見えなかった。トモくんは真ん中で破り捨てて手紙をゴミ箱に捨てた。そして冷蔵庫からビールを取り出して飲み始めた。
 気がつくと、大量のビールの空き缶がボーリングピンのように三角形に並んでいた。いつもトモくんは一缶で酔ってしまうのに大丈夫だろうか。トモくんは真っ赤な顔をしながら壁に飾られたたくさんの動物達の写真を見ていた。そしてペンギンのコスモスとローズの写真に近寄ると、涙を流した。
「お前たちはちゃんと俺の中に生きているからな。つまり、俺は動物園なんだ」
 隣に飾ってある焼き鳥の写真を見ると、トモくんは自分のお腹を優しく擦った。
「そうだ、お前達はまだ残ってたな」
 冷凍庫を開けて、凍った肉を取り出した。袋には油性マジックでコスモスと書かれている。そしてキッチンで料理を始めた。
 トモくんは全く間違っていない。動物たちの命はトモくんの一部になっている。そしてトモくんの中で生きている。食べることで生き返る、トモくんはいつもそう言っていた。母さんもそれ信じる。園長はそれを認めてくれなかったということだ。トモくんは動物たちのために、動物たちがまた元気に生まれ変わるために食べているんだから。
 テーブルにガーリックで味付けしたシンプルな塩焼きを運んできた。そして口にひとつ運ぶと、美味しそうに笑った。缶ビールをもう一缶開けると、壁の写真を眺めながら歌い始めた。

 ♪
 うちらの友情 無限大
 うちわの風量 オレ次第
 鳩にはエサをあげないで
 地蔵にカサをあげないで
 ましてや大トロお供えしないで
 刺し身はね 刺し身はね
 死んだ魚の肉片だ

 トモくんがチカに教わった歌だ。へんてこりんな歌なのに、頭から離れない。そしてトモくんはチカのメールをまた見た。そこにはチカがトモくんへ提案したある野望が書かれていた。私はチカが提案していることに反対だ。トモくんも反対だったはずだ。それが二人の喧嘩のきっかけだったから。しかし、失うものがなくなったのかもしれない。メールを閉じると、小さくつぶやいた。
「チカ、俺やるわ」
 トモくんは立ち上がってゆっくりと部屋を見渡した。
 ペンギン、キリン、うさぎ、モルモット、シマウマ、ラマ、沢山の動物たちが飾られている。トモくんが愛し続けた動物たちの中に私が混ざっているのは本当に嬉しい。トモくんは私の写真の前に立った。私の写真の横にはギョウザの写真が飾ってある。母さんが大好きだったのを覚えててくれたのね。
「あんたに教わって良かったのは料理くらいだ。柏木たちには感謝しないと」
 このトモくんの言葉の意味がわかったのは、いつ頃だっただろうか。

 夜の動物園は、水墨画だ。そこにあるのは黒だけで描かれた世界。鳥が鳴くこともなく、吠える獣がいるわけでもない。夜行性の動物たちも繁殖の季節以外に鳴き声を上げることはない。しかし今夜の動物園はすでに失いかけている野生の勘が働いているのか、賑やかだ。
 動物園の入門口には、毎日デモを行っていたあの集団が集まっていた。彼らは各々が手にハンマーや大きなハサミなどの器具を持っている。歩きスマホのまま、トモくんは彼らに近寄った。
「チカ、ついに決行だな」
「ああ、頼むぜ」
 そしてトモくんは集まっているデモ隊と軽くハイタッチをして、私を胸ポケットへしまった。
 トモくんが一人でこんな計画を考えられるわけがなかった。方法はすべてチカが考えて、トモくんを同志として誘っていた。チカもこのデモをやっている人たちの仲間だった。動物の肉を食べ始めたのだって、チカから教わったことだ。だから、トモくんがこんなことになってしまったのは、全部チカのせいだ。
 私は死ぬ前にチカの所に直接文句を言いに行った。でもチカは私のいう事なんて聞こうとしなかった。母さんは「あなたのせいで、トモくんがどんどんおかしくなっている」ってスケッチブックに書いて、何度も見せた。メールだって、DMだって、何度も送り付けた。でもトモくんなんて人は知らないの一点張りだった。だからあの時、母さんはチカをこの世界から消すしかないって思った。母さんはトモくんのためなら何でもできたから。
 でもトモくんはチカが死んだら、もっとこの計画にのめりこんだ。まるで遺言のようにチカの想いを背負ったのかもしれない。
 トモくんは仲間たちに自分のことをチカと呼ばせている。”知輝”を”チカ”と読ませたようだ。まるで自分がチカの生まれ変わりになったかのように。
「さて、行きますか」
 トモくんは事務室へ忍び込んだ。事務室には園に設置されている全ての映像が見えるようになっている。警備システムを全てオフにすると、監視カメラの画像をひとつずつ見つめた。寝ている動物もいれば、ゆっくりと檻の中を徘徊している動物もいる。それらの画面を確認すると、嬉しそうに頬んだ。
「お前達、ようやく人間どもから自由になれるぞ」
 仲間へGOサインを出した。するとデモ隊は動物園へ侵入を始めた。入園口のカメラ映像に20人ほどの人間が園内へ走っていくのが見えた。トモくんはパソコンを操作すると、監視カメラをストップさせて、データを全て消去した。
 私は彼らとのやり取りを昔から見ていた。チカの計画は、日本全国に囚われた動物たちの解放だ。現在、日本各地にいるトモくんの仲間たちが動物園を一斉に襲撃している。そして人間たちが見世物のために囲ってきた檻から全ての動物を解き放とうとしている。
 本来はトモくんがこの動物園の園長になってから行われるはずだった。しかし、先日のペンギンの事故で全てが狂った。ペンギンを盗難したのも彼らの仲間だった。だからトモくんがタックルを行うことも、そのせいでペンギンが死んでしまったことも彼らにとっては想定外のことだった。
 事務室を出ると、みんなのアフリカエリアに向かってゆっくりと歩いていた。すでに檻の一部は壊されていた。オウムが飼ってある檻には、今夜の警備員が猿ぐつわをされて寝転がっている。一方、動物が遊歩道に出て、走りはじめている。その様子を笑顔で見届けながら、トモくんはまっすぐにひとつの場所へ向かって歩いていた。
 捕まったらトモくんは犯罪者としてニュースで大きく取り上げられてしまうのだろう。でもトモくんは間違っていない。そうよね、父さん。
 トモくんは頭につけた懐中電灯でひとつの建物を照らした。そして私を胸ポケットから取り出すと、被っている覆面のシワを伸ばして、動画配信をはじめた。
「こんばんわ。今日は人間という愚かな生き物に捉えられた可哀想な動物たちを解放に来ました。その一部始終をこちらで配信させていただきます」
 配信をしながら、建物の中へ入っていった。合鍵などは全て用意してある。警報が発動することもなく、動物が休んでいる檻まですぐに到達した。すでに配信して五分以上が経過している。
 SNSであっという間に拡散され、開始十分で500人以上の人がトモくんの配信を見ていた。
「すでに仲間たちが多くの動物は逃がしています。この動物園だけじゃない。日本中の動物園で同じ事が行われています。これは本来地球上に住む動物のヒエラルキーに戻す重要な方法です」
 錆びの目立つ鉄のドアの開く音がした。
「クマが人を襲うから害獣。おかしくないですか? クマは人より強いです。ですが人間は武器を用いてクマを殺害します。それって、ただのチートですよね。でもゲーム界隈でチートしたらアカウントBANで大炎上ですよね。プロゲーマーがチートなんかしたら一生ゲーマーとして生きていけないですよね。でも地球上では人間がチートを使ってヒエラルキーのトップに立ってるんです。しかも誰もルール違反だって言わないんです。本来、人間はアカウントBANされなきゃいけない存在なんですよ」
 ゆっくりと檻の中にいる動物に近寄った。
「俺達は、動物があるべき姿に戻す。例えば、王は、王でなくてはならない」
 カメラを檻の隅で座っている動物へ向けた。顔の周りにたくましく生えているたてがみを軽く揺らし、こちらをぎろりと睨みつけた。トモくんはライオンに近づき、ゆっくりと頭を撫でた。ライオンの名前は、キングという。
「これが、百獣の王です」
 そしてキングの横に座り、まるで自撮りをするかのようにキングとトモくんを画角に入れて撮影をはじめた。
 キングは大人しくトモくんのスマホを見ていた。覆面をしているものの、飼育員としてのトモくんの匂いがわかるのだろう。
「本来、ライオンはこの世界のありとあらゆる動物の頂上に立ってもおかしくないんだ。こんな牢獄に閉じ込められている場合じゃない」
 トモくんは立ち上がると、私を胸ポケットに入れてキングを誘導しはじめた。そして門をくぐって建物の外までキングを連れ出した。 
 計画が順調なのは、ここまでだった。

 獣舎の外でキングはキョロキョロとあたりを見渡していた。見慣れない景色を観察しているのだろう。トモくんはキングの様子を撮りながらゆっくりと後退りししていた。
 突然、コツンと音がした。そのあと、水面に広がる波紋のように、ドミノが倒れる音が夜の動物園に響いた。
トモくんが振り返ると、足元から熱帯雨林エリアへの道に向かってドミノが倒れていた。その先に地下室の魔法陣のような模様が完成していた。
「なんでこんなところにあるんだよ」
 トモくんはドミノを蹴り飛ばした。そして鞄から何かを取り出そうとした。その瞬間、鞄の中から細い腕が飛び出した。トモくんの右手の手首辺りから血が噴水のように吹き出した。トモくんは慌てて止血しようとした。しかし溢れ出る血を止めることが出来ず、服で必死に手首を押さえた。鞄から飛び出した手は、サバイバルナイフを握っていた。トモくんは慌てて草むらの影に隠れた。足元は少しずつ流れている血が水たまりのようにひろがっていく。キングがその匂いに気づくのも時間の問題かもしれない。
 しかしキングは動物園で飼われているせいなのか、近寄っては来ない。トモくんは呼吸を止めてキングが遠くへいくのを待った。キングはゆっくりと明かりの方へ歩いていこうとした。
 トモくん、こんな時に申し訳ないんだけど。母さんさっき気づいちゃったの。一個だけ。一個だけ教えて。
 なんで、あいつらに母さんを殺させたの?
 母さん、トモくんに殺されるようなことをした?
 いつだってトモくんのことを考えていたわよ。
 トモくんが幸せになれるようにってずっと思ってたわよ。
 トモくんは間違っていないってずっと思っていた。いや、今でも間違っていないわよ。でもね、トモくん。
 母さんと一回ちゃんと話をしようか。
 私は懐中電灯の機能をONにして、液晶を最大輝度で光らせた。勝手にスマホをいじれるとは思ってなかったけど死ぬ気になったらなんでもできるみたいだ。向こうへ歩いていこうとしていたキングの足が止まった。そして振り返って、トモくんの方へ少しずつ近寄ってきた。トモくんは慌ててスマホの光を消そうとしたが、どこで消していいかわからず私の色々な設定を操作した。しかし光を消すことができなかった。近づいてくるキングに恐れをなしたのか、トモくんは私を胸ポケットに入れて、手でライトを塞いだ。
「チカ! どこにいるんだ、チカ!」
 トモくんの仲間の声がする。トモくんを探しているのだろうか。
 その直後、彼らは「おい、やめろ」と叫んだ。
 私の加速度センサーが激しい揺れを検知した。そして、夜空をふたつに切り裂くような声が響き渡った。
 カメラを塞いでいた手がなくなり、激しくジェットコースターのように映像が左右に揺れた。そして時折、赤い液体が目の前を飛んでいく。ライオンの咆哮と痛みでのたうち回るような声が何度も聞こえた。
 トモくん、あなたは私の言う事をちっとも聞かなかった。二十歳になってもずっと私に反発していた。中学二年で始まった反抗期はいつか終わると信じていた。でもあれは反抗期じゃなかったのかな。幼稚園の頃は本当に可愛かった。そういえば一緒に動物園へ行ったね。「ライオンさんかっこいい」ってぬいぐるみを欲しがったのを思い出した。幼少期に手に入らなかったものを、大人になって欲しがる傾向があると聞いたことがある。あの時ぬいぐるみを買ってあげていたら、トモくんは飼育員じゃない未来を生きていたかもしれない。ましてや、こんな事を起こさなかったのかもしれない。
 激しく左右に揺れていた揺れていたカメラは、ゆっくりと倒れて夜空を映しだした。そして揺れは止まった。しかし時折ビクンと揺れている。
 夜空だ。星がまたたくというのはこういう事を言うのだろう。雲ひとつない空に、星が瞬いている。ライオンが住んでいたアフリカの星空はもっともっと美しいに違いない。そうだ、トモくんは自然が豊かなところで育てたら良かったんだ。あの時に夫を単身赴任で送り出さなきゃよかった。そうすれば夫が他の女を作らなくて済んだし、トモくんがこんなことにならなかった。
 そうだ、トモくんがこうなったのは、全て夫のせいだ。
 夜空を黒い影がゆっくりと遮りはじめた。
 影は少しづつ大きくなって、夜空を全て隠した。その影の脇に、人間の手のような影が現れた。
「助けてくれ、助けてくれ、母ちゃん!」
 トモくん!
 私は目を覚ました。
 息子を殺そうとするなんて、私は母親失格だ。なにを考えているんだ。ダメだ。自分の愛情が息子に伝わらなかったからって、息子に自分を拒否されたからって、息子に自分が殺されたからって。息子を拒否しちゃダメだった。私だけでも信じてあげなきゃダメだ。
 トモくん、逃げて。
 今からでも遅くないから。
 まだ間に合うから。
 陸上部になりたかったあの時の速さで逃げて。
 トモくん! 
 トモくん!
 トモくん!
「トモくん!」
 夜の公園にひときわ大きな声が響いた。私の声? そうだ、私の声だ。トモくん、聞こえたでしょ。
 母さんの声だよ、初めての母さんの声。どう?
 トモくんはつぶやいた。
「誰だよ……」
 直後、トモくんは空に向かって悲鳴を上げた。私の液晶は真っ赤な血で覆われた。
 アフリカのドキュメンタリーに出てきそうなライオンの捕食シーンが目と鼻の距離にある。
 止めて。
 誰かキングを止めて。
 私の可愛い息子なの。
 息子はキングのことを好きなの。
 お願いします。
 なんでもします。
 あたしで良かったら身代わりになるから。
 お願い。
 助けてあげて。
 もしダメだったら。
 誰か、私の録画を止めて。
 トモくんが襲われている映像が、現在私を通じて全世界へ配信されている。私が配信し続ける限り止まらない。間違いなくこの動画は永久にネットの海で流され続けるだろう。私は自分の息子が食い殺される音をそばで聞き続けなきゃいけない。しかもなにもできずに。どんな罪を犯したら、こんな拷問を受けるのだ。
 あなたを産んだ時には全く想像していなかった未来だ。私たちの小さな宝物は、どんな素敵な未来に出会えるのだろうと思っていた。
 キングが一際大きく鳴いた。

 ねえ、トモくん。母さん、どこで間違ったの?

#創作大賞2025 #ミステリー小説部門

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