「墓じまい」を考えた日。超前倒しのお盆と荒れた墓地で
まーかー、はんにゃはらみーたー。
座敷に響き渡る、般若心経。
若住職の声は、やたら高くて、耳にキンキン響く。
「あ、どうも。お盆です。早かったですかね?」
カレンダーは、まだ7月の頭。
梅雨も明けてない平日の真っ昼間。
我が家にオッ様がやってきた。
約束の時間よりも30分も早い。
ーー早いって。
日にちも時間も。
出来上がっていたお霊供膳を慌てて仏前に供えた。
参加者は「仕方ないなぁ」と、仕事を休んでやって来た娘と私の2人きり。
若住職は、袋から束になった教本を差し出したが、上から2冊取って、静かに前に押し返した。
調子の悪いCDプレイヤーみたいにブツブツ途切れる住職のお経に合わせて般若心経を唱える。
娘を見ると、恥ずかしいのか「ブツブツ」と口パクでお経を読んでるフリをしている。
これはマズイと私は声を張り上げた。
「ぎゃーてー、ぎゃーてー、はーらーぎゃーていーーーー!」
渾身の絶唱。
先代の住職さんの時は、お盆の宅施餓鬼と言えば、8月のお盆の頃。
兄弟やいとこ同士が集まって、ワイワイ迎える。
みんなで声を合わせて般若心経を唱える一体感。
ところが、代替わりした若住職さん。
効率化なのか、超前倒しの日時を指定してきた。
7月の平日の昼間に誰が来れるねん!?
お経は続いている。
正座の足が痺れてきたし、
もう、そろそろ…。
終わってくれ。
あとは、仏壇の奥に並べられたご位牌の戒名を読み上げて終了だ。
ここで、急に若住職の挙動がおかしくなった。
「しょ、しょ、しょー??」
「…あれ?」
戒名が読めないのか…?
ついと立ち上がり、仏壇の中に頭を突っ込んで、「あれ?見えないなぁ」と、右から左からご位牌をのぞき込んでいる。
今まで、存在を消していた口パク娘が、ここですかさず微妙なフォローをいれた。
「重なってて、読みにくいですよね~」
……そこは、動かそうよ。
帰り際に、きちんと整えたお霊供膳やナスの牛、キュウリの馬を眺めながら住職が言った。
「今では、これだけきちんと整える家は珍しいですね」
…珍しい?
これだけきちんと。
その言葉が妙に引っかかった。
若い頃からずっと、見よう見まねでやってきた。
お霊供膳も、般若心経も、お墓の掃除も。
お盆とはそういうものだと、当たり前だと思っていた。
そして今日、お墓を掃除しようとお寺に行った。
墓地に入ると、掃除道具置き場に大きな張り紙が貼ってある。
「はながらは、各自持ち帰ってください」
遠方から墓参りに来る人もいる。
そんな人たちに、枯れて溶けた花がらをバッグに入れて、電車や車で持ち帰れという。
釈然としないまま掃除道具を手に自分の家の墓石に向かった。
すると、墓地全体が荒れているのが目に付いた。
あちこちに枯れ葉がうず高く積もっていて、折れた小枝が散乱している。
以前は、ボランティアの人たちがよく掃除に来ていた。
だから、とても綺麗な墓地だった。
それが今は嘘みたいに汚れてる。
木も剪定してないし、落ち葉も片付けてない。
ボランティアの姿も見ない。
それなのに、花がらだけは持ち帰れという。
帰りがけ、
目に飛び込んできたのは、
花立に差された造花だった。
死んだ者の墓に、
死んだ花。
もう、そうするしかないのかもしれない。
そして、歯抜けのようにところどころ墓石がなくなっている。
これほど、空いていたっけ?
墓じまい
この言葉が急に重くのしかかって来た。
墓掃除のあと、友達の家に寄った。
彼女も「墓じまいをやらなきゃいけない」と言っていた。
もう自分たちの代で終わりにしなくては、と。
「子どもたちには負担をかけられないし、出来ないから」
親の代は、墓や仏事は子どもが引き継ぐのが当たり前だった。
ところが私たちは違う。
親の墓をどうするかを考えながら、自分の終わり方まで決めなければならない。
墓じまいには百万単位のお金がかかると聞く。
それでも、自分たちの代で終わらせるしかない。
そして彼女は真顔で、
「自分の骨は海にでも撒いてくれればいい」と言った。
チラチラと魚と共に海に漂う。
悪くない、と私も思った。
私たちは、親を送り。
墓を守り。
墓をしまい。
そして、当たり前のように自分の死後の居場所まで準備する。
私のために、大声で般若心経を唱えてくれる人は、もういないのかもしれない。
未桜さんが、この記事を紹介してくださいました。いつもとてもユニークな観点から記事を書いていらっしゃる素敵なクリエーターさんです。
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