夢二のカフェ【カフェ浪漫主義42】
立夏となり、緑滴る我が楽園の散歩も日々爽快だ。唯一の悩みは朝な夕なの珈琲を温めるか冷やすかで、朝晩はまだ熱い物を、昼は氷を入れない冷まし珈琲を選んでいる。
以前何度か取り上げた竹久夢二の肉筆画が、今春運良く入手出来た。

天青釉花瓶 清時代
古上野焼珈琲器 大正〜昭和初期
しかも我が【カフェ浪漫主義】にぴったりのカフェテーブルの和服美人図だから、初めてこの軸を文机の前に飾り珈琲を飲んだ時には大変満足した。
日本では大正時代に始まったカフェだが、和服にエプロン姿の女給さんは当時最新の流行で大きな話題になったようだ。そしてその姿を描いた夢二の版画も100年を経た今も大変な人気で、オリジナル版は入手困難となっている。
夢二の場合は木版画の方が有名で肉筆画はあまり知られておらず、さらに肉筆画の真贋判定はそれなりの資料と照らし合わせないといけないから、ネットオークションではしばしば肉筆画の方が版画より遥かに安値で落札することもある。
また、掛軸は額装に比べ和室や床間が滅亡した現代の洋風生活では飾りにくく不人気で、そんな条件が重なりこのハイカラな画軸が我家に来た訳だ。大正風和洋折衷の我がカフェ浪漫主義の部屋に掛けるのに、これ以上ふさわしい絵は無いだろう。
この絵に花を添えるなら、日本種の紫紅の芍薬と気品ある清朝天青釉の輪花瓶の取合わせが良い。暖色がかった窓の光で釉調は柔らかな色味となり、芍薬も大正美人の薄紅兆す頬もより優しげに見える。
この撮影に使ったオールドライカのレンズも100年前の物なので、そのやや彩度の低い発色が大正〜昭和初期の雰囲気に丁度良く似合った。
晩春初夏の花が咲き乱れる我が谷戸の楽園は、今が野点珈琲を楽しむにも絶好の時期だ。小椅子と竹久夢二の詩画集を持って近所の野辺に出た。

古織部茶碗 江戸時代
白いヒメジオンに紫の豆の花が交ざり咲く野は、まだ蚊や蜂も少なくのんびりと読書にも浸れる。
古い木椅子を持ち出し茶座とすれば、織部茶碗の緑釉も五月野の情趣に良く似合い、茶筅で泡立てた珈琲の香が草上に漂う。これだけの道具立でも十分に離俗の結界となり、翠潤う夢幻世界に移転できるだろう。
写真の夢二の没後すぐに出た『ざつさう』は詩画随筆に短歌俳句と短編小説まで集めた雑多な本で、評価はあまり高く無かったが、夢二ファンには未発表の佳作が幾つも見られる貴重な一冊だ。表紙絵と挿絵もかなり良い絵ばかりなので見逃せない。
大正昭和初期のまだ珈琲が貴重で高級な飲み物だった頃から、川端康成や永井荷風らの珈琲好きは有名だったようで、荷風に至っては角砂糖を3つも入れて底に溶け残っていたと言う。
夢二の挿絵を見ながらそんな時代の鎌倉に想いを馳せれば、今よりずっと自然豊かな中での高雅な暮らしが目に浮かぶ。
この野辺の小楽園でヴュータンの「エレジー」でも聴けば、しばし至福の時が過ごせるだろう。
アンリ・ヴュータンは、ロマン派を代表するベルギーの作曲家であり、かのパガニーニも賞賛した天才ヴァイオリニストである。演奏家としての卓越のみならず、研究者・教師としても彼の業績は際立っていた。パガニーニの奏法を徹底的に研究・昇華することで確立した彼の演奏様式は、後にフランコ・ベルギー派と呼ばれる一大流派へと結実してゆく。
しかしヴュータンの真骨頂は、パガニーニの模倣に終わらなかった点にある。その作品群は弦楽におけるロマン主義の黎明を告げるものであり、ピアノ音楽においてショパンが果たした役割を、弦楽の領域においてヴュータンが担ったと言っても過言ではあるまい。彼の偉業はもっと評価されて然るべきだ。
彼が遺した数多の名品の中でも、このヴィオラのための「エレジー」は最高傑作だ。ブルッフの「ロマンス」と並んで、ロマン派ヴィオラ音楽の精華と呼ぶにふさわしい一曲である。
ヴィオラを志す者ならば誰もが目標に据えるであろうこの曲だが、それゆえに真に弾きこなせる奏者は少ない。今回紹介するタベア・ツィンマーマンは当代一、二を争うヴィオリストであり、この難曲を見事な優雅さで手中に収めている。序盤はレガートを存分に活かして滑らかかつ重厚に歌い上げ、超絶技巧が連続する終盤においてもその余裕は微塵も揺らがない。ピアノのトマス・ホッペもまた徐々に熱を帯び、後半のアンサンブルはある種の神懸かりとでも呼ぶほかない境地へと達する。
ところで、夢二や大正浪漫を思い浮かべるとき、耳に響くのはツィゴイネルワイゼンやサン=サーンスのヴァイオリンかもしれない。しかしあの時代の持つノスタルジックな夢想に寄り添う音色は、ヴァイオリンよりもむしろヴィオラの翳りある声ではないだろうか。「エレジー」という語が湛える詩情もまた、夢二の世界と静かに響き合う。音楽と詩画集が織りなす温かな愁いの世界を観想することこそ、ロマン主義的風雅の真髄といえるだろう。
