星風の町【鎌倉の隠者50】
百日紅は8月を代表する花で鎌倉のあちこちの家で咲いているが、真っ赤な種類は近年の酷暑の8月には見た目に少し暑すぎる気がする。
我家の御近所のやや紫がかった百日紅には涼味があり、京壁の黄土色を背景に補色の取り合わせが見事だ。この家は7月にも薄青紫の木槿を涼しげに咲かせて、界隈にまで清浄感をもたらしてくれる気配りには感謝したい。
また鎌倉も奥まった我が谷戸には、その辺の路傍にも自然に露草桔梗竜胆など涼趣を呼ぶ彩りの花が咲いているのが、昔からそれらを大切にして来た住民達の良き習いだったのだろう。
我家の門脇にも毎年小さな露草の紫紺の花が咲き、外出時の暑さが和らぐ思いだ。
美しく歩む姿を保つべし
露草の路地桔梗の小径
(旧作)
鎌倉の8月は夏越の大祓、ぼんぼり祭、実朝祭、花火大会、盂蘭盆会、旧暦七夕に星祭秋祭と美しき行事祭礼が次々とある。海風星風が吹き渡る町の長い酷暑を凌ぐ夕涼の行事の数々は、数々の古い風習を伝える我が町の最も愛すべき所だ。

ただ近年の八幡宮のぼんぼり祭はライトアップのやり過ぎで、せっかくの絵灯籠が暗く見えてしまうのは頂けない。
この写真では精一杯修正しているのだが、仄かな灯火の美しさも闇の美しさも周囲の強力な電気照明のせいで台無しで、昔の幽玄なぼんぼり祭を知っている者には魅力激減なのだ。
鎌倉の闇美しや灯籠会 (自詠)
それでもこの暑い中を驚くほど大勢の人々が、参道に数多並んだ絵灯籠を楽しみに見に来る。浴衣姿の子供達娘さん達も沢山訪れ、納涼の風趣に華を添えてくれる。
一方盂蘭盆の伝統行事は各家でやる物だが、門火を焚く家はだいぶ少なくなって来た。花屋ではプラスチック製の胡瓜の馬に茄子の牛と芋殻のセットを売っていて、つい我家でももうこれで良いかと思ったりする。
都会のマンションでは盆の迎え火送り火も禁止だと聞くが、もうこの美しき風習も次第に絶えて行くのだろう。それに代わる新しい美祭でもあるなら良いがどうもそう言った話は絶えて聞かず、未来の我が子孫達の精神生活は貧しくなる一方ではないか。

李朝硬手盃
茄子と胡瓜の馬
我家にある戦前昭和頃の盆灯籠は当時の電球ソケットが付いていたが、壊れていて使えず交換部品も今の物ではうまく合わず、代わりに燭明を使うも余程の大蝋燭でないと古い色硝子には少し明るさが足らないようだ。
それともすっかり人工光に慣れてしまった現代人の眼がいけないのだろうか、古人達の仄かな明るさで十分夢現に浸れた眼とはだいぶ性能の差があるのかもしれない。
この隠者もせめてそうした滅びゆく美を詩句の中くらいには残しておきたい。
盆の灯に寄るほど翳る背後かな (自詠)
精霊会はまた幽かなるスピリチュアルな世界に近付く稀少な機会でもある。電力に任せて辺りを煌々と照らし出しては、精霊達が近寄れないだろう。
諸賢も是非旧盆の夜には深淵を照らす仄かなる光と、その世界を優しく包む潤黒の闇の美しさを見い出して頂きたい。
さて、自詠した鎌倉の和歌から夏の楽曲が出来たので披露しよう。
8月の鎌倉の行事を歌詞に、三味線と尺八を使って小唄調の曲に仕上げた。
「星風の町」
(作詞/編曲:探神翁三郎)
祭り笛 遠く聴こえる街裏の
闇も灯りも夏の夜の夢
涼風の路地 子供らの藍浴衣
みな美しき影となりけり
舞こころ 風に託して短夜の
諸手扇に揺れる灯火
涼星の郷に散り敷く一夜花
晨に白む夢後の季
昔の道に夏草戦ぎ
昔の歌は風音となる
©️探神翁三郎
