英国世紀末の浪漫【カフェ浪漫主義6】
英国ロマン派の詩人ワーズワースたちの『リリカル・バラッズ』は英国湖水地方の美しい田園生活を抒情的に詠んだ名作中の名作だが、その他コールリッジやイエイツの詩集にしても良い日本語訳の本が少ない。
そんな中でも日夏耿之介だけは英語詩を多少はまともな日本語の詩に翻訳しようと心血を注いでいたようだ。

珈琲器は昭和前期の高取で、明るい黄味がかった斑釉の垂れ模様が珈琲色を引き立て長年使っても飽きない。後ろに寝そべっているのはアジアン・アンティークの木彫の猫だ。
日夏耿之介が訳したワイルド作の戯曲サロメは、これを読んだ三島由紀夫が感激の余り自分の葬儀代わりに是非上演してくれと頼んだほどの訳だ。
ワイルドが画家のビアズリーと組んだ当書には英国19世紀末の耽美主義の魅力が充満している。
ビアズリーは若くて亡くなったのでこの本の挿絵が生涯の代表作となったが、彼は私が若い頃から気に入っているD・G・ロセッティやバーン=ジョーンズらのラファエル前派にも匹敵する大画家だと思う。
気品がある上でなお浪漫主義を解する画家は真に稀少なのだ。もう一つの小型の本は同じく日夏耿之介訳のワイルド詩集。
英語詩の良い訳詩が少ないのはシェイクスピアを始め原典のほとんどが定形韻律なのに、日本語訳はみな行を分けただけの散文調口語訳で原作の品格も美も損なわれているからだ。
特に戦後日本の韻律を捨て意味だけ通じれば良いと割り切った口語訳は、もはや詩とは呼べないと思う。
そこで当稿【英浪漫詩韻律訳】で英国ロマン派の詩の文語韻律訳を試み、徐々に増やして行く予定なので乞う御期待。
我が地元鎌倉文士の澁澤龍彦も、ビアズリーの世紀末浪漫の画風を大いに気に入っていた一人だ。

ビアズリーのヴィーナスの宴の詩を澁澤龍彦が訳したこの詩画集は、戦後の本にしては格別に美しく仕上がった良書だろう。
挿絵はモノクロームの繊細極まるペン画で、その後の世界中の挿絵画家やイラストレーターにも多大な影響を与えている。
龍彦は我が地元の鎌倉文士なので近所の古書肆でも初版本をずらりと揃えてあり、よりどりみどりなのが嬉しい。
美麗本でも今ならまだ安いので耽美主義や黒魔術方面が好きな人には彼の本はお薦め出来る。
また彼の本は読むと言うより眺めたり飾ったりして楽しむべき物が多く、コーヒータイムにちょっと開くには実に好適なのだ。
さてこの19世紀末の浪漫と耽美の趣きをより深めてくれる音楽は、リムスキー・コルサコフの「シェヘラザード第二楽章(カランダール王子の物語)」だ。『千夜一夜物語』の語り手シェヘラザードをテーマにしたこの曲のオリエンタリズムが、ジャポニスムの影響下にあったワイルドやビアズリーの雰囲気とよく合う。
演奏はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、指揮はリッカルド・シャイーだ。コンサートマスター(首席ヴァイオリニスト)ズヴェーデンのヴァイオリンの音色がとにかく美しい。冒頭のヴァイオリンソロも極めて耽美的だ。この曲を聴きながらワイルドやビアズリーのページをめくれば、劇的なゴシック・ロマンスの世界をさらに楽しむことができるのだ。
今週の鎌倉は思っていたほど暑くはならず如何にも青葉冷えの風情だ。
我が荒庭の竹林には遅まきながら筍が次々と出て来て、毎年の事ながら食べきれず最後は折って倒すだけになる。
竹はとにかく己が領土を広げようと邪魔な場所にまでどんどん根を伸ばすし、伸びるまで放って置くと始末に追えなくなる。
この時期が過ぎれば牡丹芍薬に菖蒲に薔薇の、絢爛たる花達の初夏がやって来るのだ。
