名作抒情詩二十選【古詩歌浪漫解】

日本名作詩歌選
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戦前文語定型詩(新体詩)の名作二十選。中でも薄田泣菫の『望郷の歌』と蒲原有明(訳)の『天津郎女』は浪漫主義を代表する傑作。
新体詩
島崎藤村
『初恋』『小諸なる古城のほとり』『千曲川旅情の歌』
初恋
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
小諸なる古城のほとり
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なす蘩蔞は萌えず 若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る
あたヽかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
千曲川旅情の歌
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか榮枯の夢の 消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば 砂まじり水巻き歸る
嗚呼古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ
過し世を靜かに思へ 百年もきのふのごとし
千曲川柳霞みて 春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ
薄田泣菫
『公孫樹下にたちて』『望郷の歌』『ああ大和にあらましかば』
公孫樹下にたちて
一
ああ日は彼方、伊太利の
七つの丘の古跡や、圓き柱に照りはえて。
石床しろき囘廊の きざはし狹に居ぐらせる
青地襤褸の乞食らが、月を經て來む降誕祭、
市の施物を夢みつつ ほくそ笑する顏や射む。
ああ日は彼方、北海の
波の穗がしら爪じろに、
ぬすみに獵る蜑が子の
氷雨もよひの日こそ來れ、
幸は足りぬ、と直むきに
南へかへる舟よそひ、
破れし帆脚や照すらむ。
ここには久米の皿山の
巓ごしにさす影を、肩にまとへる銀杏の樹、
向脛ふとく高らかに、青きみ空にそゝりたる、
見れば鎧へる神の子の
陣に立てるに似たりけり。
二
ここ美作の高原や、
國のさかひの那義山の 谿にこもれる初嵐、
ひと日高みの朝戸出に、遠く銀杏のかげを見て、
あな誇りかの物めきや、わが手力は知らじかと、
軍もよひの角笛を、
木木に空門からとに吹きどよめ、
家の子あまた集へ來て、
黒尾峠の懸路より
風下小野のならび田に、
穗波なびきてさやぐまで、勢あらく攻めよれば、
あなや大樹のやなぐひの 黄金の矢束鳴だかに、
諸肩つよく搖ぎつつ、賤しきものの逆らひに、
滅びはつべき吾が世かと、
あざけり笑ふどよもしや、
矢種皆がらかたむけて、
射繼早なるおろし矢に
射ずくめられし北風は、
またも新手をさきがけに
雄詰たかく手突矢の
鏃ひかめく圍みうち。
頃は小春の眞晝すぎ、因幡ざかひを立ちいでて、
晴れ渡りたる大空を 南の吉備へはしる雲、
白き額をうつぶしに、下なる邦のあらそひの
なじかはさのみ忙しきと、
心うれひに堪へずして、
顧みがちに急ぐらむ。
黄泉の洞なる戀人に 生命の水を掬ばむと、
七つの關の路守に、冠と衣を奪はれて、
『あらと』の邦におりゆきし
生身素肌の神の如、
ああ爭ひの七八日、
銀杏は征矢を射つくして、
雄々しや空手眞裸に、
ほまれの創の諸肩を、
さむき入日にいろどりて、
み冬の領にまたがりぬ。
三
ああ名と戀と歡樂と、夢のもろきにまがふ世に、
いかに雄々しき實在の 眩きばかりの證明ぞや。
夏とことはに絶ゆるなく
青きを枝にかへすとも、
冬とことはに盡くるなく
つねにその葉を震ひ去り、
さては八千歳靈木の 背の創は癒えずして、
戰ひとはに新らしく、はた勇ましく繰りかへる。
銀杏よ、汝常磐樹の 神のめぐみの緑葉を、
霜に誇るにくらべては、いかに自然の健兒ぞや。
われら願はく狗兒の 乳のしたたりに媚ぶる如、
心よわくも平和の 小さき名をば呼ばざらむ。
絶ゆる隙なきたたかひに、馴れし心の驕りこそ、
ながき吾世のながらへの
榮ぞ、價値ぞ、幸福ぞ。
公孫樹よ、汝のかげに來て、
何かも知らぬ睦魂の
よろこび胸に溢るるに、
許せよ、幹をかき抱き、
長き千代にも更へがたの
刹那の醉にあくがれむ。
望郷の歌
わが故郷は、日の光 蟬の小河にうはぬるみ、
在木の枝に色鳥の 咏め聲する日ながさを、
物詣する都女の 歩みものうき彼岸會や、
桂をとめは河しもに 梁誇りする鮎汲みて、
小網の雫に淸酒の 香をか嗅ぐらむ春日なか、
櫂の音ゆるに漕ぎかへる 山櫻會の若人が、
瑞木のかげの戀語り、壬生狂言の歌舞伎子が
技の手振の戲ばみに、笑み廣ごりて興じ合ふ
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、楠樹の 若葉仄かに香ににほひ、
葉びろ柏は手だゆげに、風に搖ゆる初夏を、
葉洩りの日かげ散斑なる 糺の杜の下路に、
葵かづらの冠して、近衞使の神まつり、
塗の轅の牛車、ゆるかにすべる御生の日
また水無月の祇園會や、日ぞ照り白む山鉾の
車きしめく廣小路、祭物見の人ごみに、
比枝の法師も、花賣も、打ち交りつつ頽れゆく
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、赤楊の 黄葉ひるがへる田中路、
稻搗をとめが靜歌に 黄なる牛はかへりゆき、
日は今終の目移しを 九輪の塔に見はるけて、
靜かに瞑る夕まぐれ、稍散り透きし落葉樹は、
さながら老いし葬式女の、
懶げに被衣引延へて、
物歎かしきたたずまひ、樹間に仄めく夕月の
夢見ごこちの流眄や、鐘の響の靑びれに、
札所めぐりの旅人は、すずろ家族や忍ぶらむ
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、朝凍の 眞葛が原に楓の葉、
そそ走りゆく霜月や、專修念佛の行者らが
都入りする御講凪ぎ、日は午さがり、夕越の
路にまよひし旅心地、物わびしらの涙目して、
下京あたり時雨する、うら寂しげの日短かを、
道の者なる若人は、ものの香朽ちし經藏に、
塵居の御影、古渡りの 御經の文字や愛しれて、
夕くれなゐの明らみに、黄金の岸も慕ふらむ
かなたへ、君といざかへらまし。
ああ大和にしあらましかば
ああ、大和にしあらましかば、いま神無月、
うは葉散り透く神無備の森の小路を、
あかつき露に髪ぬれて
往ゆきこそかよへ、斑鳩へ。
平群のおほ野、高草の 黄金の海とゆらゆる日、
塵居の窓のうは白み、日ざしの淡に、
いにし代の珍の御経の黄金文字、
百済緒琴に、斎瓮に、彩画の壁に
見ぞ恍くる柱がくれのたたずまひ、
常花かざす藝の宮、斎殿深に、
焚きくゆる香ぞ、さながらの 八塩折
美酒の甕のまよはしに、
さこそは酔はめ。
新墾路の切畑に、
赤ら橘葉がくれに、ほのめく日なか、
そことも知らぬ靜歌の美し音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲の
あり樹の枝に、矮人の樂人めきし
戯ればみを。尾羽身がろさのともすれば、
葉の漂ひとひるがへり、
籬に、木の間に、──これやまた、野の法子兒の
化のものか、夕寺深に聲ぶりの、
讀經や、──今か、靜こころ、
そぞろありきの在り人の
魂にしも泌み入らめ。
日は木がくれて、諸とびら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒に、
そそ走りゆく乾反葉の
白膠木、榎、楝、名こそあれ、葉廣菩提樹、
道ゆきのさざめき、諳に聞きほくる
石廻廊のたたずまひ、振りさけ見れば、
高塔や、九輪の錆に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、緇衣の裾ながに地に曳きはへし、
そのかみの學生めきし浮歩み、──
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月、日のゆふべ、
聖ごころの暫しをも、
知らましを、身に。
蒲原有明
『智慧の相者は我を見て』『瑞香』
智慧の相者は我を見て
智慧の相者は我を見て 今日し語らく、
汝が眉目ぞ こは兆が悪しく日曇る、
心弱くも人を恋ふ おもひの空の
雲、疾風、襲はぬさきに遁れよと。
噫遁れよと、嫋やげる君がほとりを、
緑牧、草野の原の うねりより
なほ柔かき黒髪の 綰の波を、──
こを如何に 君は聞き判きたまふらむ。
眼をし閉づれば打続く 沙のはてを
黄昏に頸垂れてゆく もののかげ、
飢えてさまよふ獣かと とがめたまはめ、
その影ぞ 君を遁れてゆける身の
乾ける旗に一色の 物憂き姿、──
よしさらば、香の渦輪、彩の嵐に。
瑞香
艶なる夜の黑髮は
月にきえぎえ映ろひぬ。
節にゆるびて瑞香の
花の小笛のたゆげなる。
朧のかげはゆらめきて、
膚に染み入る物の音よ、
匂ひの海を春は、今、
すずろに夢の櫂やうつ。
かがよひ、融くるあめつちの
宴はいともまどやかに、
新妻の、あはれ、新室と、
壽ぎめぐらせる月の暈。
風は紋羅の浮織に
條と色とのけじめなく、
おぼめかしめる眞玉手を
ささらえをとこ差纏ける。
靜かに更くるうまし夜は
戀をなだむる巫女か、
手草に取れる追憶の
影をば月に交へつつ。
戀のみぞ知る深き夜の
ねがひは、げにも金泥の
紺紙にきえぬ世のまこと、
あだしごころに、えこそわかたね。
石川啄木『みちのくの神無月』
みちのくの神無月
今、みちのくの神無月、
花のき散らふ裳のみだれ、
かたむきかゝる日の錆の
幹あからさま透きいれる漆の木原。
──夢白の裾長らかに枝づたひ、
幻にひく秋姫がわかれ心に、
朽箜篌の弛み緒鳴らす
浮鳴りのそそ音に走る空名残、──
それとし聞くは、金蝶の
籠ばなれせし千万羽、──
霜の絵映の黄染葉の日にひらめきて、
秋の舞、散りに散り布く葉ずれ言。
今、野がへりの田つくりは、
かなた、下田の杉寺の山の上そそり、
かたむける五輪、入日を支へ立つ
古塔の尖天蓋、
九万日老いて朽ち落ちし破れのさまも
そのままに影を投げたる広穂田の、
今年凶年、みのらねば、穂波も浅く、
さながらに草原めきし畔を指し、
『みのらで枯れし稲よりは、閨の戸迄も
来てわめく税吏らが首をこそ
刈るべけれとて鎌研げ。』と、
しはがれ声の高らかに、藁帯したる
老腰の二人ここをば過ぎゆきぬ。
見れば、五輪の空高く
ひらめき出でし九つの昼の星かと
目もはるに、輪形に浮ぶ白鴿の、
天座やうやうかたむくや、
忽ち落つる天降り矢の、入日に映えて
しろがね矢、続きにおつる幾筋や、
今杉寺の広庭に落葉を焚いて、
老比丘が無量寿品を口ずさむ
代赭の色の額や射む。
ここ木原路、たえまなく秋の舞する
黄染葉の、さや、金摺りの子扇を
ひらくと見しは、麓につづく後の丘の
高公孫樹、散りのみだれの手狂ひや、
五片六片十二十片、風の煽りに
浮立ちて、蒼の空吹く巴舞ひ、
はららぎ降りて、めでたさの御神楽や
木原黄殿の夕扉、
今神無月、舞納。
逈かに、聳る荘厳の神色迫る
五輪塔、その背がくれにかくろひて、
消えのまぎはに香沈む頭光のさびの
透冠紐とくひまもあらばこそ、
天蓋にかけたる入相日、
花めき散らひ物染めし、うすら寒げの
裾長の黄紗を高くひきからげ、
天梯遠に逃げのびのみだれのさまに、
薄明り、ひそまりかへる漆原、
霜を降るべき冷やぎや。
ふとしも起る人げはひ、近づきまさる
足音にささら鳴りする散葉道、
──さは、金蝶の千万羽、石ならなくに
ふみ布かれ、羽袖あはせて燻らせし
終焉の夢のにじられに、
音に立つ歎き泣くやらむ。──
木の間透かせば、影二つ、旅労れせし
足重の、芸人めきし扮装や、
提琴抱ける丈高の、聲の濁りも
力なく、『今日山越えの鄙めぐり、
八里に暮れしむだあるき、労れしや。』とて
都訛りにふりかへる、五つの紋の
古袷、肩も寒げの三十男。
『否。』と答へて女聲、
笑みもするらむ艶きに、木隠れ見ゆる
村を指し、『君にし添へば、飢じさも
忘れて、唄もくりかへし、宿だにあらば、
蝦夷が島そこにも行かむ、さは思へ、
ただこの夜さの宿りのみ覺束なし。』と、
容目こそ見えね、顔白の、二十歳か、
いづれ、門毎に扇をかざす唄少女、
桃色褪せの長襷、褄ばさみせし
縞袴、今悄悄と落ちにたれ。
行き過ぎにして、男また、
琴絃を掻くすさび言、
『安宿の吊洋燈にもかぎはあれ、
とまるすべなき法界屋かな。』
いつしか、見れば、木原路、
散りを急ぎの葉時雨の降る音もたえて
亥中月まつ宵闇や、
遠き羽音は、公孫樹立つ丘の後の
麓の沼にかりがね群れて落ちぬらむ、
かなた、五輪のいただきに、
秋ゆく空の一つ灯の路しるべとぞ、
うるみたる金星青く瞬いて、
今みちのくの神無月、
石の泣音も聞きぬべき夜とこそ成りぬ。
室生犀星『小景異情』
小景異情
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
三好達治『羈旅十歳』『かへる日もなき』
羈旅十歳
湖の上に朝ぎりたちて
いづこにか雉子しばなく
みづちかきしもとの丘は
うら枯れしままに霞めり
われ十歳旅をさまよひ
かかる日の春にまたあふ
そはたえて消息をだに
知りがたきをちかたびとの
おんかげを山川のへに
たづねつつへたる國々
うたかたのうたはなかなか
消もはてねかかるうつつの
夢ならぬ夢のさかひは
漂泊のあいだにつきぬ
明けの鐘 暮れがたの鐘
野に山にあるは小島に
くさ枕ころもかたしき
もとよりもことわりならぬ
かりぶしのあいなだのめも
すがの根のながきとしつき
へてのちはおしなべて空
かくまでもふかきこころを
あはれよとさとりて老いぬ
しかすがにいまは老いたり
いつまでか夢をたのめや
かくてまたわれ旅にいづ
このこころ秋ふかくして
ひもすがら澗泉のこゑ
たえやらず木葉とぶに
まのあたり春は霞みて
いづこにか雉子しばなく
かへる日もなき
かへる日もなきいにしへを
こはつゆ草の花のいろ
はるかなるものみな青し
海の青はた空の青
訳詩
上田敏(訳)『落葉』『山のあなた』『春の朝』
落葉 ポオル・ヱ゛ルレエヌ
秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
山のあなた カアル・ブッセ
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
春の朝 ロバアト・ブラウニング
時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
蒲原有明(訳)『天津郎女』
天津郎女 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
神の召されし郎女は 天津御園を
境ひたる黄金の垣に寄り添へり。
眼色のにほひは夕暮に和みわたれる
渡津海の淵よりもなほ深まさり、
その手に取りてまさぐるは三つの百合花
甕星の七つぞ髪にかがやける。
豊かに被ぐ衣には紐も結ばず、
刺繡の花飾さへ退けて、
ひとり聖母が賜物の白薔薇のみ
奉仕の徽章に帶びつ、つつましく。
さてその髪は弱肩にすべりかかりて、
麥秋の足穂の色と黄ばみたり。
姫は思ふやう、大神の楽部の員に
備はりて僅かに一日を過しつと。
うべ落居ぬる眼差のそこはかとなく
驚きのけはひえ去らであるならむ。
さもあらばあれ、後にせし浮世の人に、
その一日まさに十年や、數ふれば。
(其處の一人に、げに誠、年の十年ぞ。
……さるからに、この隅わにて、今しもよ、
君が我身に寄り添ふと見しは現か、
垂髪はわが面かくし落ちかかる……
空なる夢よ、落ちくるは秋の木々の葉。
一年は歩み早めて急ぎ行く。)
召されし姫が佇むは嚴の御神の
領りたまふ女墻の下、其處よりぞ
大空界の始まれる至極の奥所、
そが上に神は宮居を築きます。
いと高ければ青雲のそきへの遠に
日輪の影をはつかに見おろしぬ。
その女墻は天の原、伊吹の海を
架橋のわたすが如くうち跨ぎ、
橋の下には晝と夜の潮流れて
熖また闇のさざ波たち寄する
虚空の涯のその涯を、地のこの界は
蚊の蟲の噪めき廻る姿かと。
姫が眺むるこのあたり、戀人どちは
盡せざる愛の賛辭につつまれて、
二人今しも相見つつ絶えず呼へり、
村肝の心にかけし人の名を。
かくて愛であふ魂は神の御許さし
幽かなる火群なしてぞ昇りゆく。
この舞ひはやす神祝をなほ餘所にして
姫はただ身をうち屈め覓ぎわびつ。
標結ふ垣はもたれ凭る胸乳に壓され
いつとなくその温みをば傳ふらむ、
かの百合花のまどろみてありやとばかり
こまぬける腕に萎び頸垂るる。
此處天上の要なる隈より見れば
「時」の脈全き宇宙を貫きて
頻りに高くひよめきぬ。姫はいよいよ
こころ急き、八重棚雲の底ひ求め、
路も開けと眼を張りて、さてうちいづる
言の葉は星の界にある歌のごと。
日はうすづきぬ。縮かめる月讀は、今、
いと小さき鳥毛にも似て、深淵の
彼方遙かに顫へつつ、あたりのけはひ
しめやぎて見ゆる折しもうちいづる
その聲音こそいみじけれ、聲を諧して
諸共に星と星との唱ふごと。
(あな嬉しもよ、今まさに鳥は囀づる、
その歌に戀しき君が聲の文
籠りたらずや。またここに鐘は鳴り出づ、
その鐘の領りてただよふ眞晝時、
わが側にと降り来ます君が跫音の
階段に響かひし日の忍ばるる。)
姫は云ひける、
「汝脊の君、はや来たまひね、
来たまはむ君にしあれば。吾はしもよ、
ここ天にして祈らずや、地なる君も、
御主よ、主よそこにして祈らずや、
二つ相合ふ祈禱こそ眞の力
爾あらば恐るることは露あらじ。
「君が頭に輪後光の耀き繞り
すがしくも白衣を装ひたまはむ日、
吾はまた君と携へて、御手洗どころ、
光明の深き泉に赴かむ、
川の流れに二人して下らむがごと、
大神の眼前にて禊せむ。
二人は忌々しく、嚴かしく、神寂びにたる
神殿の廣前にありて禮拝まむ。
願ぎし祈禱の昇り来て此處に届けば、
燈明は それに應へて揺れ止まず。
そが中に見る、二人が祈禱、
ささやけき雲かとばかり融け合へる。
「二人はかくて影向の注連木尋め行き、
樹下の蔭に立寄り憩ひてむ。
その隠れたる繁みには嚴の御鳩の
時ありて現れゐますこともあり、
やむごともなき御羽の触るる木の葉は
音高に聖き御名をば言擧す。
「さても吾はまた脊の君に教へまつらむ、
心安く自ら此處に憩ひつつ
歌はむ歌を。君はそを口籠りながら、
たどたどと、いと不束にうち模び、
一節毎に奥ふかきこころをたどり、
めづらしき物事をさへ悟りなむ。
(あはれ、二人は、二人はと、わが君は云ふ。
げに誠、そのかみの日に一度は
一つにてありき、君と我。しかはあれども
魂合へる、唯それのみの愛により、
天津御神はわが魂を召したまはむや、
盡きせざる縁を君に結べよと。)
姫は云ひつぐ、
「二人して聖母マリヤの
居籠らす森に分け入り詣でなむ。
齋きかしづく侍女の五人の名は、
いみじくも、これぞ五つのジンフオニイ、
セシリイ、ゲルトリユウド、マグダレン、
マアガレツトとロザリイス。
「まろく圍みて居ずまへる侍女づれは、
束ね髪、額に花の鬘して、
金絲を交へ織り込めし白き衣の
和布ぞ熖のごとく輝やける。
彼處に死て、今此處に生れ来つれば、
その爲の産衣姿と似つかはし。
「わが脊の君の、たまさかに、怯ぢて默さば
さらばよし、頬と頬うち寄せ聞えあげむ、
人目耻ぢ、性根弱りしこともなく
あり經にし二人が戀の語らひを。
高き御祖の神はわが誇りを愛でて、
なほもまた語りつがしめたまはむか。
「御自らぞ、手に手組む二人を誘ひ、
主の神の御前に引かせたまふらむ。
魂のすべては跪づき、許多の頭
列並みて輪後光ながら額づけり。
天使二人をうち迎へ、天の詔琴
はた外の玉琴鳴らし歌ふべし。
「其處にして吾は御主キリスト神に、
この一事二人が爲と請ひ禱まむ。
祈願と云ふは地の世にありて一度、
たまゆらに愛と睦びて住みにしか、
今は目離れず、永劫の契をこめて、
脊の君と諸共にあらむこころのみと。」
姫は眼を遣り、うち聽きつ、
その言の葉は痛ましといふ程もなくあはれにて、
「わが脊来まさむ時なり」と、云ひさす刻み
光明はただここもとに射し渡り、
天使一列、滿ち溢れ、飛び翔り来ぬ。
姫が眼は祈りぬ、かくて微笑みぬ。
(その笑ひをばわれは見つ。)さあれ何時しか、
御使の行方は逸れて判きがたし。
爲む術なければ、黄金色標結ふ垣に
わが姫は萎えし腕を投げかけぬ。
さて双手もてその顔をうち掩ひつつ、
哭きけり。(その涙をばわれは聽く。)
歌詞
土井晩翠『荒城の月』
荒城の月 土井晩翠 (作曲:瀧廉太郎)
春高樓の花の宴、
めぐる盃影さして、
千代の松が枝わけ出でし
むかしの光いまいづこ。
秋陣營の霜の色、
鳴き行く雁の數見せて、
植うるつるぎに照りそひし
むかしの光いまいづこ。
いま荒城のよはの月、
變らぬ光たがためぞ、
垣に殘るはただかづら、
松に歌ふはただあらし。
天上影は變らねど、
榮枯は移る世の姿、
瀉さんとてか今もなほ、
あゝ荒城の夜半の月。
三木露風『赤蜻蛉』
赤蜻蛉 三木露風 (作曲:山田耕筰)
夕燒、小燒のあかとんぼ、
負はれて見たのはいつの日か。
山の畑の桑の實を
小籠に摘んだは まぼろしか。
十五で姐やは嫁にゆき
お里のたよりも絶えはてた。
夕やけ小やけの赤とんぼ
とまつてゐるよ 竿の先。
竹久夢二『宵待草』
宵待草 竹久夢二 (作曲:多忠亮)
まてどくらせどこぬひとを
宵待草のやるせなさ
こよひは月もでぬさうな。
吉井勇『ゴンドラの唄』
ゴンドラの唄 吉井勇 (作曲:中山晋平)
いのち短し、戀せよ、少女、
朱き唇、褪せぬ間に、
熱き血液の冷えぬ間に、
明日の月日のないものを。
いのち短し、戀せよ、少女、
いざ手を取とりて彼の舟に、
いざ燃ゆる頬を君が頬に、
ここには誰も來ぬものを。
いのち短し、戀せよ、少女、
波にたゞよひ波の樣に、
君が柔手を我が肩に、
ここには人目ないものを。
いのち短し、戀せよ、少女、
黒髮の色褪せぬ間に、
心のほのほ消えぬ間に、
今日はふたゝび來ぬものを。
日本名作詩歌選
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