夏の夜の妖精学【カフェ浪漫主義17】
昼間の暑さはまだまだ9月も続くだろうが、今週の鎌倉では随所で祭りや盆踊りが催されている。我が荒庭では蟋蟀や鈴虫が例年通り鳴き出し、日が暮れた後の我が谷戸は多少涼しく過ごし易くなった。
これなら夜の読書も詩歌以外の少し長めの物も読める。

ピューターマグ 19世紀
本格的な秋の気候となる前に楽しんでおきたい古書に、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』がある。妖精ファンタジーの開祖とも言うべきこの書は英国ロマン派やファンタジーのファンなら必読だ。
読むと言うよりは、アーサー・ラッカムの美しく幻想的な挿絵を眺めるのが主と言い直した方が良いか。
シェイクスピアの17世紀の原典初版本などの入手は全く不可能だが、このラッカム挿絵版の初版はだいぶ前に運良く買えた。
英国では19世紀からこのラッカム始めリチャード・ダッド、ジョン・シモンズ、リチャード・ドイル、エドマンド・デュラックらのファンタジックな妖精画が大いに人気を博し、人々に豊穣なファンタジー世界のイメージを定着させる強力な武器となった。
この本を眺める時に最適なBGMは、イングランド16〜17世紀の古楽を集めた『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』全7巻だろう。
ライトノベルやコミックで大流行の西欧中世ファンタジーの世界観にも同時代の古楽が合わない訳が無く、曲数も多いので読書中に流しておくにはちょうどいい。
チェンバロに似た鍵盤楽器の種類は多様で、フランスではクラヴサン、イタリアではスピネットと呼ばれるものがよく使われていたようだ。ヴァージナルもその一種で、強弱の無い簡素な音色とバロック以前の中世的な旋律が涼しげで良い。エリザベス朝イングランドでは、ヴァージナルと言うと鍵盤楽器全般のことを指していたらしい。
「フィッツウィリアム」は曲集を手に入れて大学に寄贈した子爵の名前だが、「ヴァージナル」という語はラテン語のvirga(杖、爪)に由来するという説があるものの、よく分かっていない。
曲集によく登場するウィリアム・バードやジョン・ブルといった作曲家の古楽録音は近年増えつつあり、長い間忘れ去られていたこれらの曲も、今世紀に入り古楽復興の流れの中で名手ピーター・ヤン・ベルダーによる全曲録音が出されたのは喜ばしい。
一方、日本人ながら妖精学を大成したのが、ケンブリッジ、オックスフォードの客員教授にして世界的な妖精学の泰斗、元は日夏耿之介の弟子だった井村君江氏だ。

今世紀に出た女史の『妖精学大全』は歴史的名著となり、今では定価の数倍のプレミア価格となっていて私にはもう手が届かない。発売当時にちょっと高いなと思い買い控えた事を大変後悔している。その前に出版された井村女史の妖精本は何冊か持っていたので、すっかり油断していたのだ。
ルネッサンス以降の大陸方面では、ギリシャローマの神々がキリスト教一神論の本地垂迹によって姿を変えた姿が妖精だったと言う考えも広まり、ケルト伝説以外の妖精譚も数多く生まれた。その辺が多神教自然信仰のわが八百万の神々とも似て、花の精、四季の女神、風神雷神、また悪さをする妖怪達なども共通していて親しみ易い。
また、イエイツやラングらがそれらの妖精譚や伝説を集めた本もまた人気が高く、私も数冊は集めたが猟書界でも大変な入手難となっている。
それらの神話や伝説のイメージは後世の映画やゲームの中に多大な影響を及ぼし、現代の日本のライトノベルやアニメにおいても新たな物語を生み続けている。
涼風の吹く荒庭の木椅子で19世紀の妖精達の絵を眺めていると、我が国にも八百万の小さな神々の生きていた明治時代頃の鎌倉の風景も思い浮かんでくる。
草木虫魚、花鳥風月全てに神聖なる物が宿っていた美しい四季の中での暮しは、戦後20世紀の物質文明より少なくとも精神面では美しく充足していただろう。
我が谷戸の風景もその頃とはだいぶ違って西洋風になっているものの、久遠なる自然の山河には古代も近代も無く、いつか物質主義が廃れる頃にはまた小さな神々が姿を見せてくれる時が来るのだろうか。
