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幻想のカフェ文化【カフェ浪漫主義21】

【カフェ浪漫主義】
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大正から昭和初期の鎌倉には若き文士達が次々と集い、助け合い励まし合って暮らしていた。避暑避寒の療養地でもあったので病弱な文芸の徒達には丁度良い気候で、生活費も東京よりはだいぶ安かったのも都合良かったようだ。

その頃のヨーロッパでは第一次大戦後のパリに、疲弊した周辺国から若き芸術家達が集い、後に言うエコール・ド・パリの活況を呈していた。

カフェレストラン 織田廣喜
益子焼珈琲器 昭和前期

ランタンが魔法の如く灯る路地
雨に古びて「カフェ浪漫主義」
(自詠旧作)

鎌倉の貧乏文士達が屯ろしたのはお互いの家だったようだが、パリでは皆が街のカフェに集い芸術論の花を咲かせていた。その中心地がセーヌ川を挟んで北側のモンマルトルと南側のモンパルナスだ。

ただし、有名なモンマルトルの「カフェ・コンセール(黒猫亭)」などもその実態は劇場や酒場で、日本人が思う珈琲や紅茶のカフェとは全く違う店だった。モンマルトルにはサティやドビュッシーといった印象派の音楽家たちもよく通っていたようだ。

その後のパリでは、モンマルトルの方は高級住宅街となってしまい、若く貧乏な芸術家達はカルチェラタンにも近いモンパルナスの学生向けの安下宿に移り住んで行った。

ピカソもモディリアーニもシャガールもコクトーもモンパルナスでは皆等しく貧しき異国人で、似た身の上同士親しく気軽に付き合えたようだ。

下宿には水道も暖房も無い彼らに暖かい場所に軽食や珈琲を提供していたのが、当時まだ小さかったカフェ「ル・ドーム」や「ラ・ロトンド」の主人達だった。

持ち金が無い時にも付けで飲み食いさせ長時間居座っても追い出さず、時には代金の代わりに彼らのデッサンで支払いを済ませてやったと言う。

モンマルトルに比べればモンパルナスは安っぽく場末の街だが、そこに住む人々はこよなく美しく純粋だったのだろう。

私には佐伯祐三や織田廣喜が描いた美しき時代のカフェや哀愁のパリの裏路地のイメージが拭いがたく染み付いていて、今や有名観光地となった現実世界の高級カフェではなく過去の幻想の中にしか存在しない、若く貧しく美しき芸術家達の安カフェこそ我が理想なのだ。

我が「カフェ浪漫主義」もそんな夢幻世界の中に存在し続けたいものだ。

織田廣喜がモンパルナスに住んだのは第二次大戦後だったが、そこは20世紀後半になっても相変わらず貧しい街だった。

カフェのスケッチ 織田廣喜

彼もまた貧苦の中で制作活動を続けスケッチ用の紙にまで事欠き、近くの朝市の後に落ちている包装紙などを拾い集めて描いたそうだ。

写真のカフェ店内のデッサンもそのようなペラペラで薄い縞模様の入った包装紙に描かれた一枚で、私には立派な大作の油彩画より貴重に思える作品だ。

このデッサンの店は軽食と珈琲中心のカフェレストランらしいが、コーヒーとケーキのカフェ文化を色々調べるとそれはフランスにもイギリスではなく、遥か離れたウィーンにだけ日本人の思い描くカフェの姿があった。

イギリスは勿論コーヒーではなく紅茶中心で、フランスはケーキよりガレットを薄く切ってバターやジャムをぬったタルティーヌやクレープなのだ。

鎌倉にあった古くからの喫茶店も閉店や改装で古き良き面影を失ってしまった。代わりに出来た今風のカフェは私にとってはあまりにも高価で、新しすぎる。

秋薔薇の二本寄り添ひ静かなる
暮れゆく街のカフェの窓下
(自詠)

哀愁や憧れは、世界を現実よりも美しくしてしまう。今回紹介するジャッキー・エヴァンコの「ジュテーム(Je t'aime)」もそんな一曲だ。

この曲はベルギー人歌手ララ・ファビアンの代表曲で、フランス語の作詞もララ・ファビアン自身によるものだ。シャンソン風の語りに抑揚と伸びのある歌声がララ・ファビアンの特長で、それを引き出すように歌詞にも強い情感がこもっている。

しかし、それをカバーしたジャッキー・エヴァンコの録音は抑揚と力感で奮いたてるのではなく、情感の制御と透明感によって繊細な美しさを生み出している。それが歌詞に合わないと捉え原唱版の方がいいと感じる人もいるだろうが、こと美しさに関してはジャッキー・エヴァンコ版がそれを上回る。フランス語ネイティブでないからこそ、かえってその美しさだけに浸れるのかもしれない。

幼少期から天才少女として輝かしい舞台で美しい歌声を披露していたジャッキー・エヴァンコも、今はクラシカルな楽曲ではなくヒップホップ調のものばかり歌うようになってしまった。ヒップホップ自体が悪いわけではないが、それでは彼女の才能を十分に発揮できないだろう。麗しき過去のものとしてその才を惜しむのもまた哀愁である。

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