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亜細亜の古魂【カフェ浪漫主義31】

【カフェ浪漫主義】
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普段どこの国だかわからない生活様式の家であっても、正月ばかりは日本人に戻り多少なりとも伝統行事をやると思う。

庭の梅も咲く旧暦の立春時が我が家の正月だが、来客用に1月にも形ばかりの正月らしい飾りを設える。まあ、新暦と旧暦で二度正月気分を味わうのも悪くはない。

まず今年の玄関飾りには、我が先師奥村土牛筆の龍の絵(干支の辰とは別)を主に、谷戸に早くも咲き出した水仙の花を取合わせた。

龍図 リトグラフ 奥村土牛
青磁花入 宋〜元時代
蒟醤蓋物 安南 18〜19世紀
九谷孔雀燭台 明治時代

灯明と橙を飾るだけでそこそこ正月気分は出るから、世間的にはこれで御容赦願おう。

孔雀の燭台は明治の古九谷、花入は格調高い宋〜元時代の青磁瓶にした。

繊細可憐な蒟醤の香合は安南(東南アジア)方面の18〜19世紀の物だと思う。いずれも小品ながら古い民族の魂が籠った、美しく気高い文化の遺産だ。

現代日本人も正月の伝統行事をきっかけに日本や東洋文化の美しさに思い至れば良いのだが、わざわざ鎌倉で初詣をするというのに祝賀の寸志もない暗めの色の普段着で来る人が多い。

そんな様ではせっかくの新春でも肝心の精神が晴れがましくならないだろうに、現代日本人の似非西洋風の生活なら一年中そんなものでも支障はないのだろう。文武百官威儀を正して集う古の朝賀のような品格は、もう我が国にはどこにも存在しないのだ。

科学面や工業化で遅れを取っていた20世紀のアジアでは、どの国も欧米の文化浸透を免れ得なかったが、それでも他の諸国は日本より余程自国の伝統文化と民族のソウルを大事にしていて、西暦のニューイヤーより伝統の春節を盛大に祝う国が多い。

マレーシアやインドネシアの最新音楽にも土着の音感や母語を尊重する様子が見てとれる。それは欧米トップチャートへの追従ではなく、むしろ日本の古き昭和歌謡に通ずるものがある。

紹介したのはインドネシアの歌姫ファディラ(Fadhilah Intan)の"Dawai"という曲だ。ファディラのピッチコントロールは驚異的で、美しく透き通った声は終盤の高音部でも品の良さを損なわない。マレー語特有のシンプルで落ち着いた声調はスローバラードとの相性が良く、メロディーがよく引き立っている。

近年の日米音楽ストリーミングのトレンドでは抒情的なソウルバラードがすっかり埋もれるようになってしまったが、中華圏やマレー半島周辺ではこのような曲が未だに根強く支持されているのだ。

さて、文机には戦前昭和の日本文化を象徴する名句を飾り、美しかった昔の正月の光景を思い起こそう。

直筆短冊 高浜虚子
古織部酒器 桃山〜江戸時代
古丹波油壺 江戸時代

東山静かに羽子の舞ひ落る

虚子

1月の私は毎年この短冊を眺めて、昔の美しい家並みに春着の乙女達が遊ぶ夢幻世界の正月に浸っている。

薩長明治政府の唱えた「脱亜入欧」はとことん愚かで恥ずべき言葉だと思うが、今日の日本の街並みを見れば残念ながらその通りになっており、人々は何処の様式かわからない建物や服装や風習で生きている。

鎌倉もすっかり和風の旧家が壊され、美しかった路地も次々消え失せ、年々つまらない街に変わって行くのだ。

愚痴ばかり言っても仕方がないので、この辺で一つ日本文化にとって喜ばしい話題を紹介しよう。あの昭和演歌の巨星だった細川たかしが近年本気で民謡に取り組んだ成果か、恐るべきパワーと覚醒した絶技で生まれ変わった動画が出ている。

パワーも技量も自身の若い頃を遥かに上回り、共鳴制御のためのマイク芸にも磨きがかかっている。悠久の民族精神が轟然と迸り、まさに神懸かったパフォーマンスだ。

このようなパワー民謡をやるようになって代表曲「望郷じょんから」もより壮大になった。

この演奏は三味線と尺八のソロアレンジも凝っており、海外歌手のトップパフォーマンスと比べても遜色ない。

昨年75歳になった細川たかしが年末の歌番組で50人の三味線隊と一緒にこの曲を披露していたが、老境で衰えるどころか音域もテンションもさらに熟達していて衝撃を受けた。

爺さまが叩くじょんから節の泣き三味線が
風にちぎれて聞こえてくるよ

里村龍一 作詞 「望郷じょんから」

これほど抒情的な詞は他の文芸にもそう多くはない。名詩だからこそ何十年もかけて歌い続ける価値があるのだ。

望郷とは個人個人の生まれ故郷というだけでなく、民族的な魂の原住の地にして、いつかは帰り着くべき理想郷への想いだ。

諸賢もこの冬の深みに己が魂の安住の地とはどんな所なのか、じっくり考えるのも良いと思う。

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