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宗教2世だった私が、自分の人生を生きるまで|40代シンママの谷あり底あり人生

こんにちは。
伸びしろしかない女、ユウです。

実は私、いわゆる「宗教2世」として生まれました。

産まれた瞬間から信じるものが決まっていて、何をしても良いのか、何をしてはいけないのか、そして何をしなければいけないのか、すべて教えに従って生活しなければいけませんでした。

でも今はその宗教からは離れ、自分の人生を生きています。

どうやって抜け出したのか?
なぜそう決断したのか?
そして、自分の人生を生きるためにはらった大きな代償。

今回は、私の「谷人生の始まり」について綴ります。


幼少期の記憶

実を言うと、小さい頃の記憶はほとんどありません。

なぜなら、嫌なことに蓋をして生きてきたから。

「宗教2世」として生きることは、蓋をして記憶を消すほど嫌だったのです。

私が当時入信していた(させられていた)宗教ですが、ちょっと前になんだかワイドショーを賑わしていました。

輸血を受けさせないのは虐待だと言われていたあれです。

私も小さい時から首に「輸血を受けません」という意思表示カードのようなものをぶら下げていました。友達に何その紐と聞かれた時は、家の鍵ということにしてました。

その他の思い出せる記憶として、一番強く残っているのは、集会という集まりで居眠りした日に、家に帰って孫の手でお尻を叩かれていたこと。(ちなみに生のお尻です)

孫の手ですからね。ほぼ木の棒ですね。
もう少しソフトなものは無かったですかねー。

一応参考までに、孫の手貼っておきますね。
ほんと、まさにこんなやつでした。

孫の手

集会中もトイレでお尻を叩かれたこともありましたね。そんな痛い経験だけは結構鮮明に覚えています。

我が家では、このお仕置きを「お尻ペンペン」と名付けていました。んな可愛い名前にしちゃ絶対いかんですよね。

お姉ちゃんとするお母さんごっこでは、子供に見立てたお人形のお尻を、ペンペンするお仕置きまでしっかり真似していました。

それくらい、当たり前のことだと思っていたため、あ、あれ虐待だったんだ〜。
と、ニュースで問題にされていて初めて気が付いた私。

※もちろん自分の子供たちにお尻ペンペンはしていません。

そんな感じで、私の谷人生が始まったわけです。産まれた時から宗教2世。私の意思は関係ありません。

友達に嫌われたくなくて、なんとかバレないように嘘をつくこともありました。

信者の人達はクリスマスは基本祝ってはいけなかったのですが、子供ですからね、何プレゼントもらったとか、話しますよね。

私はもちろんプレゼントはもらっていないのですが、その時欲しいものを「もらった」ことにして、なんとか乗り切っていました。そんな小さな嘘で自分も傷付けていたんだよなーと今になって思います。

気持ちの変化

実はこの話、知り合いや友達にもあまり話してこなかったんです。嫌われたり、めんどくさい人かもと思われたくなくて、蓋をしていました。

でも、別に私は悪いこと何もしてないし、もう関係ないし、別にいっか。と言う気持ちになったので、ここ数年は結構普通に話してます。

それでも、いろいろなことを飲み込むまでに30年以上かかってしまいました。

ちなみに、母と兄弟全員は今でもあの宗教にどっぷりです。唯一父だけは宗教を嫌っていました。

もう亡くなってしまったのですが、可哀想な最期だったと思います。この話はまた機会があれば綴りたいと思います。

ということで親兄弟と疎遠なわけです。

でも、別にみんなを恨むとかそんな気持ちは全く無く。他の人に迷惑をかけない程度に楽しんでもらえれば、それで良いのではないかと思っています。

救われ体験

この宗教ですが、当時は信者同士、もしくは、信者になる予定の人以外と恋愛してはいけないというルールがあり。(今のルールは知らないです)

それを破って娘を身籠った私は、「排斥」という一番重い罰を受けることになりました。

宗教をやめるのであれば、父以外の家族と口を聞くことを一切許さないという謎の罰。そのため、もう何十年もまともに話をしていませんし、顔も合わせていません。

でも、宗教が嫌で仕方がなかった私にとっては、娘はまさに救世主。

これまでたくさん子供達に救われてきた人生ですが、これが初めての「子供に救われ体験」です。

大好きだった家族を捨てるという代償は伴いましたが、宗教から抜け出すきっかけをくれた娘には感謝しかないのです。

二度の記憶の欠落

私の人生、なんだか他にも記憶が欠落している期間が二度あるのですが、記憶が無いので大したことはかけません。

蓋がなかなか開かなくて困ってます。(あ、困ってはないですね)

二度離婚していますので、もしかするとその期間なのかなー?と予想しています。

不思議ですね。

二度の結婚ですが、諸々嫌なことはあったんじゃないかなーと思います。想像ですけど。

私は宗教の教えで、我慢すること、忍耐することが美徳として育てられたのですが、蓋をしてしまうほどの何かがあったのでしょう。
想像の域を出ませんが。

ということで、二度の記憶欠落についてもざっくり振り返ってみました。

ざっくり過ぎやろがーい。
という突っ込みにはあえての、華麗なるスルーを決めたいと思います。

もし、万が一にでも蓋が空いたら、またその時に綴りたいと思います。

それでは、今回はこの辺で。

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▼ このnoteを綴ったのはこんな女です ▼

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