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オスカーワイルド『幸福な王子』の倫理学

幸福な王子の幸福
王子は、生きて人間の心を持っていたころ、無憂宮(サン・スーシー)に住んでいた。周りは高い塀が囲んでいた。彼の周りには、あまりにも美しいものがあったので、外に何があるのか聞いてみたいとも思わなかった。王子は言う、「廷臣たちはわたしを幸福な王子と呼んだし、わたしもじっさい幸福だったのだ、もし、快楽幸福であるとしたらね。」と。しかし死後、彼の像は高いところへ立てられた。そのため、「わたしの町の醜さみじめさがすっかり見えてしまうのだ、そしてわたしの心臓は鉛でできてはいるが、それでもわたしは泣かずにはいられないのだ。」と王子は語る。王子は自分の足元で休んだ小鳥を使って、人助けをする。そして、最後、死んだ小鳥と王子は神様に天国へ行くことを許可される。

幸福の解釈
快楽の幸福を劣位に置いている点に禁欲主義が見て取れる。また、人を助けるという行為に大きな価値を置いている。最後、王子の鉛の心臓は貴きものとして神様に受け入れられる。この物語は道徳的思想を反映していると思う。つまり、快楽を疑問視し、自己犠牲を美徳としている。

王子の共感
しかし、ただ単に道徳的物語とみなすにはもったいないとも思う。それは、王子が義務的に人を助けているのではない。カント的定言命法ではないということである。王子は、人々の苦しみ、困窮に心を痛めて助けている。王子は、リアルに相手の苦しみを想像できている。王子の心臓を鉛としたところにオスカーワイルドが一流の耽美主義者たる所以を感じる。この物語を美しくしているのは、王子の誠実な美しい心である。

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