自由はやさしい。でも、選ぶ責任もついてくる。
自分の好きなことをしていい。
でも、自分の好きなことを自分で見つけなければならない。
合わない場所から離れていい。
でも、次の場所を自分で探さなければならない。
無理しなくていい。
でも、何もしないままだと何も積み上がらない。
自分らしくていい。
でも、自分らしさだけでは生活は成り立たない。
令和に思春期の女の子を育てていると、平成初期に思春期を経験してきたこととの違いに、まぁ戸惑う。
そしてそれは、優しくも厳しい。
一年前にも同じようなことを書いていた。
そのもどかしさは一年経ってもなかなか完全には切り替わらない。
強制されること、選択肢が無いことは自分も嫌だ。
が一方で、「考えなくて済む楽さ」はあると思う。
「どっちか正解か」と言う訳ではなく、程よいバランスがいいんだろう。
部活の選択肢も減り、地域活動に移行しつつもあり、選ぶ責任、選ばない責任もついて回る。
自分の時の中学時代は、部活動は強制参加。
その代わり、人もいたので選択肢も多かった。
今振り返ると、大人になる第一歩として、選ぶ自由、選んだ責任、続ける責任、の練習とも言えた。
そして、良くも悪くも濃厚な人間関係になりがちなので、ぶつかり合いも多く、関係性を学ぶ練習の場とも言えた。
その中から、より深い関係を持ったり、離れたり。嫌な奴とは程よく距離を保ちながらやり過ごす。
しかし、部活動はある意味教師の犠牲に成り立つ仕組みでもあったのだろう。
現代では現実的で無い。
当時の顧問の先生ありがとう。
今の子は、どこで練習をするのだろう?
選ぶ練習。
崩れても戻る練習。
人と薄くつながる練習。
合わない場所を通過する練習。
自分の足場を複数持つ練習。
選択した場と強制の場をうまく使いながら、行ったり来たりしながら、成長を願う。
たまにホンネ:子どもを通じて、自分の時代には見えていなかった良し悪しを考えるようになった。
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