昭和と令和、“強さ”の定義が変わったことに気付かされる
子育てを通じ、色々とアップデートを求められる。
頭ではわかっていても、実際直面するとすぐには切り替えらえていない自分。
毎日、親も勉強です。
昔の“強さ”は、我慢やった
私は氷河期世代に当たるが、その社会では、
「我慢するのが当たり前」
「ちょっとの嫌なことは飲み込んで当然」
「理不尽に慣れるのが強さ」
という“耐える強さ”の文化。
今思うと、全く理不尽極まりない。
けど、それが普通だと思っていた。
会社でも学校でも、ちょっとやそっとじゃ心を折ったらあかん、
それが“強い人”とされていた。
毎日学校や職場に来ることが美徳とされていた。
成果でなく、姿勢に重きが置かれるという感じだろうか。
今の子どもたちは、別の“強さ”を求められている
けど、今は違うらしい。
「自分を大切にする」
「不快なことを言語化してよい」
「無理に合わせなくていい」
という“心の境界線を守る強さ”を求められている文化。
また、私たちの時代には無かったストレスにさらされている。
「感じすぎる」けれど、「処理する力」がまだ育ちきっていない状態において、情報があふれ、SNSなどで常に人の目を意識する世の中。
簡単に言えば今の子供たちは、「神経がむき出しの状態」になっているとも言えるらしい。
それはそれで、かなりしんどいなと思う。
我慢の美徳とはちがう、“別のしんどさ”だ。
たまにほんね
時代が違えば、“強さ”のかたちも変わる。
頭ではわかっていても、自分の経験が邪魔をする。
時代背景を理解することが、アップデートには大事なのかもしれない。
自分が生きた時代の“強さ”を、そのまま今の子に当てはめるのは違う。
わたしも、まだまだ手探りやけど…
たまにほんね:
「耐える強さ」と「心の境界線を守る強さ」の違いを知る。
他にも、こんな“ホンネ”をぽつぽつ置いています。
よければ、【子育てと気づきのホンネ】の棚も、そっと覗いてみてください。
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