市定古蹟となった台北・旧菊元百貨店
◆はじめに
先日の弊note記事で二度にわたって取り上げたように、台北駅の南側には今も数多くの近代建築が残されています。
このほど、先日の記事で触れられなかったとある近代建築について、気になるニュースが飛び込んできたので、以下リンクのとおり紹介させていただきます。
フォーカス台湾記事(2026年4月28日付)
◆「台北市歴史建築」から「市定古蹟」に昇格した旧菊元百貨店

台北市の審議会は2026年4月27日、台湾初の百貨店建築である旧菊元百貨店ビル(現国泰金融大楼)(台北市中正区博愛路150號)を「市歴史建築」から「市定古蹟」に格上げする旨を決定しました。
このビルは1932年に綿布卸売業を営んでいた山口県岩国市出身の実業家・重田栄治氏により、台湾初の百貨店として繁華街・栄町に建てられました。
場所は現在の衡陽路(栄町通り)と博愛路(京町通り)の交差点北西角。鉄筋コンクリート造7階建てで、当時の台北では総督府(現総統府)に次いで2番目に高い建築物でした。
また、台北の民間建築物としては初となる流籠(エレベーター)が設置され、市民の注目を集めたとも伝えられています。
戦後、重田氏の経営する企業の資産が全て国民党に接収された後も、菊元百貨店は経営主体・屋号をたびたび変えつつ営業し続けましたが、1979年以降は百貨店としての営業を止め、商業施設(注)兼オフィスビルとして使用されるようになりました。
メインのテナントは百貨店から世華聯合商業銀行(現国泰世華銀行)に代わり、ビル自体の外装も大きくリニューアルされ、一見した限り戦前の百貨店建築とは分からないガラス張りのデザインに生まれ変わりました。
そんななか、2014年に国泰世華銀行の支店が少し離れた場所に移転することになったことがきっかけで同ビルの持つ歴史的価値が再評価され、保存活用を求める声が高まることになりました。その結果、2017年に同ビルは台北市の「歴史建築」に認定され、今日に至っています。
「歴史建築」から「市定古蹟」への格上げの理由として、審議会では同ビルが台湾初の百貨店として産業発展や消費文化の歴史において大きな意味を持つ建物であること、台湾全土における最大の商業のランドマークだったこと、台北市の生活史と密接に関連していること、建設当時としては最先端の耐震構造を導入していたことを挙げています。
ちなみに地元の商工団体は同ビルを貴重な歴史遺産として活用したい考えで、2024年にはライターの片倉佳史先生らの協力を得て同ビルで菊元百貨店の歴史に関する展覧会「守護城中、再現菊元」を開催、地元の人や日本からの観光客が数多く訪れました。
この際、同ビルの外装は会期中限定で往時の旧菊元百貨店風に復元されています。
(注)2026年3月現在、1階では衣料品店が営業中。
【参考サイト】片倉佳史「台北の歴史を歩く その27『城内散策~中山堂と旧「栄町」周辺』」(交流 2015.2 No.887)公益財団法人日本台湾交流協会
https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2015/2/02_02.pdf
【参考】日本統治時代の「栄町」を再現するイベント(2023年開催)のポスター

◆菊元百貨店と同時代に建設された台南・ハヤシ百貨店の現在



台北で菊元百貨店が開店したのは1932年12月3日。
その2日後の同月5日、台南の目抜き通り・銀座通り(現中正路)に開店した台湾2番目の百貨店がハヤシ百貨店(台南市中西区忠義路二段63號)です。
ハヤシ百貨店の創業者は、奇しくも菊元百貨店の創業者と同じ山口県出身の林方一氏。
建築家・梅澤捨次郎氏の設計で、菊元百貨店と似た規模の鉄筋コンクリート6階建てエレベーター付きの百貨店建築を建設し、1~4階を売場、5階をレストラン、6階(屋上)を機械室・展望台・神社(注)としました。
戦後は商業施設としては用いられず、工場や空軍、警察の施設などとして用いられた後、1980年代から空き家となり荒廃が進んでいました。
しかし、こちらも1998年に台南市の市定古蹟に指定されたことを機に、保存活用に向けた動きが始まりました。
同店については建物の権利関係などの課題をクリアしたうえで、2010年から本格的な修復工事が開始され、2014年6月に台南の地場産品やレトロな雑貨を扱う商業施設「林百貨」として実に69年ぶりの再開店を果たしました。
再開店後は地元の人はもちろん、日本からの観光客にとっても定番の人気スポットとなり、連日多くの人で賑わっています。
(注)ハヤシ百貨店時代(日本統治時代)は関係者以外立ち入り禁止


ハヤシ百貨店(林百貨)とは異なり、旧菊元百貨店については戦後のオフィスビルへの転用時に内外装の大幅な改修が実施されているため、保存・活用に際して竣工当時の姿を復元するにあたっては莫大な時間とコストが必要になるのではと予想されます。
それでも、増築部分の撤去や外装・塔屋の復元などにより、創建当初の姿を取り戻した国家撮影文化中心台北館(旧大阪商船台北支店)の先例があることを考えれば、旧菊元百貨店を往時の姿に復元することは決して不可能ではないのではと思われます。
ハヤシ百貨店(林百貨)のリノベーション事業が台南市旧市街の活性化に寄与したように、そう遠くないうちに旧菊元百貨店がかつての栄町エリアの中心に華やかな都市文化のシンボルとして戻ってくれば、また新たな賑わいの創出に繋がるわけで、一日も早くそのような日が来ることを期待したいものです。
◆おわりに
本稿では、台北城内の古くからの繁華街に佇むオフィスビルが、実は日本統治時代に街の賑わいの中心となる商業のランドマークとして機能していたことについて、受け売りの知識ですがお話しさせていただきました。
結びに、菊元百貨店関連で忘れてはいけないエピソードをもう一つ紹介しておきます。
5階に入っていたレストラン「菊元」は、当時の台北市民にとってハレの日の大切な場所でした。
このレストランで食事やデザートを楽しんだとある少年が、日本に引き揚げた約30年後、ある商品を世に出した話、そして里帰りを果たした話については、また別の機会にお話しできればと思います。
