台北駅前、スルーしがちな近代建築3選
◆はじめに
本稿では、台北駅前の便利なロケーションに立地しているものの、つい見過ごしてしまいがちな3件の近代建築を紹介させていただきます。
◆1.国家撮影文化中心台北館(旧大阪商船台北支店)
1つ目に紹介するのは、忠孝西路と懐寧街の交差点(中正区忠孝西路一段70號)に位置する「国家撮影文化中心台北館」です。

このビルは、日本統治時代の1937年に渡辺節建築事務所の設計で、「大阪商船(現商船三井)台北支店」として建てられました。
戦後は台湾航業、台湾省公路局→中華民国交通部公路総局など交通・運輸関係のオフィスとして長らく供用されてきましたが、2014年春に交通部公路総局が萬華区の新庁舎に移転したことでオフィスビルとしての使命を終えることになりました。その際、ビルが持つ歴史的・文化的価値が高く評価され、台北市の市定古蹟に認定され、また中華民国文化部のもとで保存・活用が図られることになりました。
2017年から文化部文化資産局により開始された修復工事では、台湾省公路局時代の1968年に増築された4階部分や東側の9階建ての新館を撤去したうえで、エントランス部分の塔屋や外観デザインも復元するなど大掛かりな作業が行われ、ここに旧大阪商船台北支店竣工当初の装いが蘇りました。
そして、コロナ禍真っ只中の2021年4月19日より、旧大阪商船台北支店は国立台湾美術館管轄の「国家撮影文化中心台北館」として新たなスタートを切りました。
思えば、コロナ禍後初めての訪台を果たした2024年夏、忠孝西路を貸し切りバスで走っている時にこの建物を見つけて、「あれ、いつの間にこんな近代建築が」と驚いたことがありました。帰国後に古い記憶をたどってみると、10年以上前に懐寧路沿いのホテルに宿泊した時に、懐寧路と忠孝西路の交差点でクラシックなビルを見かけたことを思い出し、ここで初めてこのクラシックなビルがしばらく台北に行けていない間に創建当初の姿に復元されていたという事実に気づき、「なるほど」と納得したものです。
「国家撮影文化中心台北館」は写真や映像に関する博物館で入館料は無料、館内には土産物を取り扱う店舗もあるということで、今後また訪台する機会があれば一度立ち寄ってみたいと考えています。

◆2.撫臺街洋楼
2つ目に紹介するのが、北門のすぐ南側、延平南路に面した「撫臺街洋楼」(中正区延平南路26號)です。
石造と木造を組み合わせた建築で、石造部分には清朝時代の台北城の城壁の廃材が流用されたと伝えられています。

この建物は建設業を営む合資会社高石組の本社屋として1910年に竣工したもので、現存する日本統治時代の台湾の店舗建築としては最古の部類に入るといいます。1930年代に入り、高石組から酒造・貿易を手がける佐土原商事の手に渡り、終戦を迎えました。
戦後は1946年1月1日に創刊した新聞「人民導報」の社屋になりますが、同紙は翌年の二・二八事件で社長が刑死するなどしたためほどなく廃業。
その後は電気工事の会社、警備総部の施設や漢方医学の診療所として使用され、1997年に台北市の市定古蹟に認定されています。
もっとも、市定古蹟に認定された時点で「撫臺街洋楼」はすでに各部の傷みが進行しており、追い打ちをかけるかのように2000年には隣接地の火災による延焼の被害を受けました。
それでも関係者の尽力により修復工事が実施され、2009年からは展示施設として内部が一般公開(注)されています。
(注)2024年から一般公開を休止中。
◆3.台北記憶倉庫(旧三井物産北門倉庫)
最後に紹介するのは、台北駅のすぐ西、忠孝西路沿いにある「台北記憶倉庫(旧三井物産北門倉庫)」(中正区忠孝西路一段265号)です。
この赤レンガ造りの倉庫はもともと1914年に三井物産北門倉庫として、現在地より70m西の土地に建てられました。当時、北門周辺の地域は大稲埕の舟運や台北駅へのアクセスが至便であり、物資の集散地としての側面を持っていました。
倉庫は戦後の国民党政権下でも台湾省政府物資局の建物として活用され、台湾省の機能が中華民国行政院に吸収された後の2002年に台湾鉄路管理局に移管されました。
写真は移築保存前の2009年に撮影していた旧三井物産北門倉庫。
ちなみに、このちょうど目の前を地下化前の台湾鉄路管理局縦貫線が通っており、台北駅から南行の列車に乗車すると、発車後ほどなくして進行方向左側にこの倉庫と北門が見えたといいます。

その歴史的・文化的価値が認められ、2012年に中華民国の歴史的建造物に登録された旧三井物産北門倉庫でしたが、長年にわたる放置で荒廃が進んでおり、台北駅西側の再開発「西区門戸(ゲートウェイ)計画」の予定地に支障するということで移転や保存の問題に直面することになりました。
専門家(注)や市民団体、政治家など様々な立場の人々が議論を重ねた末、2016年から2018年にかけて2年がかりで70m東の現在地への移築保存が実施され、現在は日本統治時代の台湾を支えた樟脳・木材・茶葉産業や台北の都市史に関する展示施設、カフェが入居する文化施設「台北記憶倉庫」として活用されています。
移築保存にあたっては、煉瓦、瓦などのうち使用できる部材が活用されたほか、基礎部分には最新鋭の耐震装置が設置されています。
(注)洪致文台湾師範大学教授は、台北市政府(市役所)宛の書簡で、旧三井物産北門倉庫の所在地が持つ台北市の近代化における歴史的意義を示し、また建築家で台北市都市発展局長を務めていた林洲民氏は同倉庫の70m東への移転保存を提案しました。

◆おわりに
台北駅の南側、いわゆる清朝時代の台北城内にあたる地域は太平洋戦争末期の1945年5月31日に米軍の大空襲を受け、数多くの建物が大きな被害を蒙ることになりました。
それでも、街を歩いてみれば2026年現在も数多くの近代建築が残っており、その多くが金融機関や商店として現役で活用されています。
街歩きや近現代史が好きな方は、台北を訪れる機会があればぜひ一度日本統治時代の地図や街並みを紹介した図書を片手に、台北駅南側をぶらりと散歩してみてください。そこではおそらく、日本で刊行されている書籍だけでは分からない新鮮な発見の数々が出迎えてくれることと思います。
【参考】原辰馬商会本町店舗(専売局台北分局→彰化銀行台北分行)を紹介した弊ブログ記事(2026年3月20日付)
