多数決とは
世界が称賛する日本No20
自尊史観を持って進むために~実は人種差別撤廃案は可決されていた?
我々黒人は講和会議の席上で「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に最大の敬意を払うものである。
全米1200万人の黒人が、息をのんで会議の成り行きを見守っている。
レジナルド・カーニー著「20世紀の日本人」より
皆さんは多数決と言えば、どういうことを連想されますか。
えっ?
多数決は多数決でしょう?
賛成と反対に分かれても
一票でも多いほうの意見が
全体の意見となることでしょう?
子供でも分かることじゃない?
何を今さら・・・
そうです。
それが多数決です。
そしてそれが世界中の民主主義国家で通用する
ワールド・スタンダード
です。
ところが、このワールドスタンダードを破ってでも、かってのアメリカが維持したかったのが
人種差別政策
でした。
そしてそれに対して唯一声を挙げたのが日本でした。
時は第一次世界大戦後に設立された国際連盟での出来事です。
戦勝国に名を連ねた日本は常任理事国となり、その発言権は大きなものとなっていました。
席上、満を持して日本が世界に訴えたのは
人種差別政策の撤廃
でした。
冒頭の言葉は、会場となったアメリカのニューヨークで、日本の発案を聞き知った黒人社会の指導者から
世界中のあらゆる人種差別と偏見を
なくすことに尽力して欲しい
との嘆願書を手渡された西園寺公望公爵率いる日本全権団に対する並々ならぬ思いを述べたものです。
日本が発案した人種差別撤廃条項は、16票中11票という圧倒的な賛成を得ました。
ところがこれに横槍を入れたのが、当時のアメリカ大統領ウィルソンでした。
彼は
全会一致の賛成が得られなかったので
採択されない
ということを言い出したのです。
賛成票を投じた他の西欧諸国も、植民地を抱える実情から本音は反対だったのでしょう。
結局この案は可決されませんでした。
その背景には、当時のアメリカ社会では、社会のあらゆるところで黒人に対する人種差別政策が横行していたからです。
公共の場所や乗り物は、黒人と白人は別々にされていたほどでした。
しかしこのウィルソン大統領の横暴は、後にアメリカ国内で黒人による全国的かつ大規模な暴動を引き起こし、それは全世界中の植民地の独立運動にも波及しました。
その後日本は同盟国となったドイツでさえも、そのユダヤ人排斥運動に異を唱え、難民と化したユダヤ人にも救いの手をさし伸ばしています。
このような日本人の
万民平等
という高潔な国民性はどこからきているのでしょうか。
それは我が国の理想を掲げた建国の詔(みことのり)から来ているようです。
日本書記には、神武天皇の建国の詔として次のように記されています。
恭(つつし)みて寶位(たかみくら)
に臨みて
大元(おおみたから)を慎むべし
六合(くにのうち)を兼ねて都を開き
八紘(あめのした)を掩(おお)ひて
宇(いえ)にせむこと亦(また)
可(よ)からずや
現代語訳
謹んで皇位につき
人民が安寧に暮らせるようにしよう
国家をまとめて都を作り
四方の人々が大きなひとつ屋根の下で
仲良く暮らせるようにすることは
素晴らしいことではないか
三千年近く前の皇室が、現在も実現できていない気高い理想を掲げてきたことは驚きであり、そのDNAを代々引き継いできたのが日本人なのです。
だから世界に先駆けて人種差別撤廃を発案できたのです。
この詔に出てくる
八紘一宇の精神
は、自虐史観に染まった識者からは
戦前の軍国主義を美化するものだ
という的外れな解釈が生まれていますが、決してそのような安直なものではないことが、前後の文脈から読み取れます。
しかしそのDNAを引き継いだ我々の祖先が漕ぎ出した明治以降の国際社会の荒波はとてつもなく高いものでした。
なにせ多数決という民主主義の大原則をかなぐり捨てでも固守したかった権益とぶつからざるを得なかったからです。
それは欧米人にとって、もはや植民地支配の前提となる国是とも言えるものでした。
その後日本は、欧米との乾坤一擲の勝負に出て敗れはしましたが、その戦いの結果は全世界に波及し、今では植民地政策と人種差別は、ほぼ姿を消し
多文化共生、多様性
という価値観を共有する社会となりました。
負けて勝つ
とは、まさにこのことで、多大な犠牲を払いながらも二つの悪政を地球上から葬り去った日本人の働きには、ただただ頭が下がる思いです。
