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旧統一教会の「コンプライアンス宣言」(2009年)とは?②


Ⅰ、「教会員の献金奨励・勧誘活動及びビデオ受講施設等における教育活動等に対する指導について」

1,3.25「コンプライアンス宣言」発出の経緯

からの続き。

もう一度、2009年3月25日付「コンプライアンス宣言」(以下3.25文書とも略記)のオリジナルをリンクします。

正式なタイトルは「教会員の献金奨励・勧誘活動及びビデオ受講施設等における教育活動等に対する指導について」。

『朝日新聞』は、2009年2月に捜査が始まったいわゆる「新世事件」(①で略述)がきっかけで、危機感を強めた旧統一教会が対応を余儀なくされ、「コンプライアンス宣言」発出に至ったと見ているようです。

「闇に葬られた冤罪『新世事件』」(『月刊Hanada』25年2月号所収、①で略述)を発表した福田ますみ氏も、きっかけは「新世事件」だったとしています。

ただ、正式文書はこの事件には一切触れていません。民事裁判で敗訴し教団側に不利な判決が出たため、「一定の指導基準を設け、指導を進める」ことにした、とあるだけです。


これまで当法人を被告とする一部の民事裁判等において、伝道や献金勧誘行為に関わる教会員の行為が不法行為と認定され、当法人に使用者責任が認められてきました。

そこで当法人としても教会員の活動に対して、以下のような一定の指導基準を設け、指導を進めることに致しました。

09年3月25日付


民事裁判で負けて、信者の行為が不法行為(民法709条)とされ、宗教法人統一教会も「使用者責任」(民法715条)を認定された。

そういう判決がいくつも出たので、これまでのやり方をそのまま続けるわけにはいかない。信者はやり方を改めてほしい。

教団としても新たな基準を設けて指導を徹底していく、といった趣旨です。

2,警視庁公安部が家宅捜索。統一教会は「新世事件」を深刻に受け止めた

このように、正式文書に「新世事件」は出てきません。出てこないのは、同年2月12日付「信者らの活動に関する事件報道について~教会指導者に対する注意と指導」(以下2.12文書とも略記)の中で既に言及されているからです。

ウェブ上の当時の「INFORMATION」欄の1つ前の文書を見てみましょう。それが以下のリンクです。


当法人信者らの関わる物品販売活動においては、これまでにもいくつかの民事・刑事上の問題が起きて、民事裁判では当法人の使用者責任が裁判上認められた判決もあります。

そのような中、今般の事件は刑事事件であり、報道によれば当法人との関わりが問われているような事態であることに鑑み、改めて当法人の教会指導者として以下のような点について、当法人信者らに対しこれまで以上に指導を徹底するようにして下さい。

09年2月12日付


「今般の事件」が、印鑑を販売する有限会社「新世」に公安の捜査が入ったことを指すのは明らかです。

容疑は特定商取引法違反。

刑事事件としてその年11月に有罪が確定したわけですが、2.12文書は、事件は「(信者や信者経営の会社が個人的に起こしたものではなく)当法人との関わりが問われている」、すなわち宗教法人統一教会が組織的に関わっているとの疑いを持たれ、統一教会自体が刑事罰を受ける恐れがある、と危機感を露わにしています。

教団トップの徳野英治会長(当時)は、全国責任者会議における決定として、既に2月12日の時点でこのような文書を出していました。

家宅捜索があったのは前々日ですから、教団側はかなり焦ったようです。

3,2月12日付で「物品販売活動などの収益事業」について注意喚起

2月10日、警視庁公安部が有限会社「新世」を家宅捜索。

これを知った統一教会は、2月12日付で教会指導者と信者に注意喚起。それが上記リンクの2.12文書です。


特に物品販売活動等の収益事業は、法人としての目的外のことであり、法人指導者としてそれに関わることは出来ません。

従って、教会指導者が信者らの指導において、今般の報道に見られるような物品販売活動との関係において、関わりを問われるような誤解や嫌疑を受けるようなことのないように厳重に注意いたします。

09年2月12日付


その後、教団幹部が「一定の指導基準」なるものの細部を詰め、約40日経った3月25日に発表したのが「コンプライアンス宣言」、という流れになります。

4,第1は、信者の献金奨励・勧誘活動についての指導基準

3月25日付「コンプライアンス宣言」は大きく2つに分かれていて、1つめが「教会員の献金奨励・勧誘活動についての指導基準」です。
ポイントは3点。

  1. 献金と先祖の因縁等を殊更に結びつけた献金奨励・勧誘行為をしない。また、霊能力に長けていると言われる人物をして、その霊能力を用いた献金の奨励・勧誘行為をさせない。

  2. 教会員への献金の奨励・勧誘行為はあくまでも教会員本人の信仰に基づく自主性及び自由意思を尊重し、教会員の経済状態に比して過度な献金とならないよう配慮する。

  3. 献金は、統一原理を学んだ者から、献金先が統一教会であることを明示して受け取る。

以上の点について、


教会指導者(地区長、教区長、教域長、教会長)が責任を持ち、教会員の献金奨励・勧誘行為において、教会員等による社会的な批判を受けるような行為が行われないよう指導・監督する。

09年3月25日付


としています。

2つめが「教会員が自主運営するビデオ受講施設等における教育活動等についての指導基準」です。

5,第2は、信者が自主運営するビデオ受講施設等における教育活動等についての指導基準

冒頭にこう書かれています。


これまで、教会員が自主運営するビデオ受講施設等における教育活動等については、当法人とは法主体の異なる信徒会の活動の一環であったため、当法人は教会員の信仰活動の自由の観点からその自主性を尊重し、指導・監督を行ってきませんでした。

しかしながら、これまでの民事裁判の判決においては、教会員等が自主運営するビデオ受講施設等において行ってきた勧誘活動について違法性が認定されたものがあり、当法人に対して使用者責任が問われてきました。

そこで、今後は教会員が自主運営するビデオ受講施設等における勧誘及び教育活動等についても、以下の事項が遵守されるようご指導下さい。

09年3月25日付


話が少し難しくなってきました。

「教会員が自主運営するビデオ受講施設等」とあるのは、勧誘された人に、その人の抱えている悩みや苦しみを解決するヒントを与えるビデオを見せたり、過去の過ちや人間の罪を見つめさせるビデオを見せたりする、いわゆるビデオセンターと呼ばれる施設のことです。

6,ビデオセンターは自己の内面を見つめ直す場所

ビデオセンターで自己の内面を見つめ直すうちに、勧誘された人のうち一定数の人に宗教心が芽生える(または強まる)と思われます。

例えば、職場で妻子ある男性と不倫関係になってしまった女性は、そのことを誰にも言えず、関係を清算することもできないまま、1人苦しんでいたりします。

しかし、それを正直に打ち明けることができ、「不倫はよくないから思いきって関係を断ちましょう」と背中を押してくれる人と場所に出会ったらどうでしょうか。

その人にとって、ビデオセンターは救いの場所となるに違いありません。

「そうだ、不倫はよくない。誘惑に負けない強い人間になろう」「なぜ人間は悪いと知りながら過ちを犯してしまうのか」というように宗教心を啓発された人は、たいてい「もっと学びたい」と思うものです。

これは人間の普遍的な感情だと私は思います。

三浦綾子の『塩狩峠』や『氷点』、遠藤周作の『沈黙』、倉田百三の『出家とその弟子』、菊池寛の『恩讐の彼方に』など、海外文学ではドストエフスキー、トルストイ、ジッドなどをたまたま読んだことで、キリスト教や仏教に関心を持ち、その系統の本を次々に読むようになった、という人は大勢いるはずです。

7,宗教心の芽生えた人は「もっと学びたい」と思う

信者は、この「もっと学びたい」という気持ちを持った人に、何よりも自分が信じるところの教えである「統一原理」(統一教会の教理)を伝えたいと思うはずで、これもまたしごく当然のことだと思います。

目の前に宗教心に目覚めた人がいる。

キリスト教徒ならばキリスト教の教理を伝えたいと思うでしょうし、エホバの証人なら『聖書』をベースにした彼ら独自の教えを、創価学会、立正佼成会、幸福の科学など新宗教の信者なら、やはり自分たちの教えを伝えたいと思うでしょう。

統一教会の信者も同じで、その人の財産を根こそぎ奪い取るために教理を伝えるなんて、あり得ないことです。

もしそれが事実なら、日本で数万人もの信者を獲得できるはずがありません。

福田ますみ氏が前記の『月刊Hanada』25年2月号でいみじくも書いていたように、そもそも信者になろうとする者などいるはずがないのです。

8,カネ目当てなら、わざわざ貧しい国や共産圏に布教(勧誘)に行く理由を説明できない

また布教がカネ目当て、財産目当てなら、信者がわざわざ海外の貧しい国へ出かけていって布教(勧誘)する理由を説明できません。

統一教会は発展途上国に数えられる南米やアフリカでも布教していますし、ロシア正教の強いロシアや共産圏(無神論国家)の中国でも布教してきました。

前者ではいくら布教しても大した儲けは得られないでしょうし、後者は(布教が困難を極めるため)儲けどころか持ち出しになるはず。

費用対効果を考えれば全く割に合わない行動です。

解散命令請求を行った文科省は「統一教会は財産獲得の受け皿」と断罪しました。

誰に吹き込まれたのか知りませんが、「疑えば目に鬼を見る」の類で、良識のタガが外れた人たちの妄想には果てがないようです。

へつづく