見出し画像

札幌「青春を返せ裁判」法廷証言から⑨⑩~マインド・コントロールされていた?/洗脳を提訴理由にした郷路征記弁護士


異常で倒錯した札幌「青春を返せ裁判」(1987~2001地裁判決)

⑦⑧の続き。
10年以上前、『世界日報』は旧統一教会(家庭連合)信者の「拉致・監禁による脱会強要」問題を取り上げ、200回以上の長い連載を行いました。そのうち、なぜか分かりませんが第9部と第10部、それ以降の関連記事だけ今も公開されています。どうせなら全部公開してくれたらいいのに…。
というより、これだけ長い連載をしたのに、なぜ書籍として刊行し、世に問わなかったのか? とても不思議です。
それはともかく、第9部は1987(昭和62)年に始まり2001(平成13)年6月29日に地裁判決が出た札幌「青春を返せ裁判」の証人尋問(反対尋問)に注目し、この裁判がいかに異常であったかを浮き彫りにしています。
何が異常かというと、提訴した原告20人が「拉致・監禁による脱会強要」を受けた人ばかりなのです。
監禁中に行われたことについては、脱出を逃れてきた被害者(信者や元信者)の証言(体験手記、取材インタビュー、動画など)が数多く残されています。例えば、以下の全国拉致監禁・強制改宗被害者の会の「書籍紹介」「被害者の映像証言」などを参照のこと。

それらを読めば(見れば)、監禁により脱会した元信者は「お前をだました統一教会に憎しみを持て」「統一教会は犯罪者集団だからつぶさなければならない」と繰り返し刷り込まれ、脱会支援者や牧師、両親らの意に沿わない発言をすれば再び監禁されるかもしれないという恐怖すら抱えていたことが分かります。
そういう元信者が旧統一教会による被害を訴えたところで、その被害が誇張されていることは明らかです。
しかも、彼らは「拉致・監禁」という犯罪行為と、「内心の自由」を強制的に奪われた人権侵害の被害者なのです。
犯罪行為と人権侵害の被害者が、犯罪を行った相手や人権侵害の加害者を訴えるのではなく、「拉致・監禁という犯罪行為をやめよ! 人権侵害をするな!」と声を大にして叫んでいる教団を提訴するという、極めて倒錯した裁判、それが札幌「青春を返せ裁判」でした。
誰が見ても異常としか言いようがありません。残念ながら、裁判官はこの異常さを見抜くことができませんでした。
さて、第9回には、第8回の井上しげこさん(仮名)と同じく、

  1. 自分はマインド・コントロールにかかっていた

  2. それは強制的な措置を取らなければ解けないものだった

  3. 拉致監禁も仕方がなかった

という思考回路が働いている証人が登場します。1997(平成9)年9月26日に出廷した青山ひとみさん(仮名)です。

「自分はマインド・コントロールにかかっていた」という証言の奇妙さについては、前回書きました。
どこが奇妙なのか? たとえば、心神耗弱だった人が「あの時、自分は心神耗弱でした。今は回復しました」と言うとき、「あの時の心神耗弱」は自己認識ではなく、精神科医の鑑定を受けて知らされた専門的な臨床判断です。
ところが、マインド・コントロールには、そのような鑑定をする(科学界で承認された)専門医は1人もおらず、何をもってマインド・コントロールと判断するかという国内外共通の基準も存在しないのです。

だというのに、井上しげこさんや青山ひとみさんは、「自分はマインド・コントロールにかかっていた」と証言しました。そう判断した根拠は何だったのでしょうか?
専門の鑑定医がいない以上、「自分はマインド・コントロールにかかっていた」は自己認識にすぎず、客観的、合理的根拠を欠いています。
医者でもない人に「あなたはインフルエンザにかかっている」と言われて、鵜呑みにするようなものです。本当はただの風邪かもしれないのに。

郷路征記弁護士は、「洗脳」の実態がないと知りながら「洗脳」を理由に提訴した

第10回は、札幌「青春を返せ裁判」の主役とも言うべき郷路征記(まさき)弁護士を取り上げています。

同裁判を起こした1987~92年当時、提訴理由は「統一教会に洗脳された」というものでした。
しかし、統一教会の勧誘に「洗脳」にあたるものがないことを、郷路弁護士はよく知っていました。提訴理由自体が虚偽だったのです。
「このままでは裁判に勝てない」と焦っていた郷路弁護士が、わらにもすがる思いで飛びついたのがマインド・コントロール論でした。
記事はこう書いています。


『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)が出版されたのは、平成5(1993)年4月、また西田公昭氏の調査・研究とその諸論文が発表されたのは94年。裁判中途の93、94年ごろに「マインド・コントロール」理論を知り、それに飛びついたのだ。


『マインド・コントロールの恐怖』や西田公昭氏の調査・研究に飛びついたが、所詮は疑似科学

「マインド・コントロール」論は疑似科学にすぎません。記事では、宗教学者・渡邊太氏の批判を紹介していますが、実はマインド・コントロールという言葉を国内に広めた立役者の心理学者・西田公昭氏自身、学術的な言葉としては使えないと認めています。
『我らの不快な隣人』(2008年)で米本和広氏は、


西田公昭は2000年の名古屋高裁の法廷で次のように証言している。
〈学術的な言葉としてマインド・コントロールは使いにくいです。ですから、どちらかと言えば括弧付きで用いるほうがよろしいかと思います〉
学術の立場に身を置く学者が、自説で明らかにした「マインド・コントロール」を学術的な言葉としては使いにくいと法廷で語る。信じられないことである。

『我らの不快な隣人』p.394


と書きました。
その筆致から「呆れて物も言えない」という気分が伝わってきますね。
「マインド・コントロール」はオウム真理教裁判でも、最終的に却下されました。被告・死刑囚の中には、「自分は教祖によってマインド・コントロールされていた」として、だまされた被害者の立場を強調し、死刑を免れようとした者が複数いました。
しかし、法廷は一切その主張を認めませんでした。
にもかかわらず、今もマスコミやSNSでは、「統一教会の信者はマインド・コントロールされている」とまことしやかに語る者が後を断ちません。
健忘症も度が過ぎると思うのは私だけでしょうか?

へつづく