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杉原誠四郎氏が東京地裁決定を批判(④完結)~旧統一教会への解散命令は「法の公正」を逸脱


民法の不法行為ですらない和解・示談に加え、自称被害者の申告まで「法令違反」に含めた東京地裁

から続く。
民法の不法行為は「法令に違反して」のうちに含まれないと従来、文科省(文化庁)も政府も解釈し、宗教法人法の解説書もそう述べていたのに、一夜にして解釈変更が行われました。
これだけでも法の安定性を損なう行政権の裁量の逸脱であり、驚天動地と言うべきですが、なんと東京地裁は、民法の不法行為ですらない訴訟上の和解と訴訟外の示談に加えて、自称被害者による被害申告までも「法令違反」の中に含めました。
こんなことがあり得るでしょうか?
目を疑うような異常、異様にして不可解な決定だと、ただただ呆れるばかりです。
常識で考えれば誰でも分かるはず。文科省のヒアリングによる被害申告は、自称被害者が「自分(または家族)が被害に遭った」と申告しただけです。どこまで本当なのか全く検証されていません。
本来、彼らの申告、すなわち証言は、公開裁判をやらない限り、その真実性は保証されないのです。
公開裁判では証人を法廷に呼んで証言してもらいますが、必ず反対尋問が行われます。そして、この反対尋問で証人のウソ、誇張、勘違い、記憶違い、発言相互の矛盾などが明らかになるのはよくあること。
新米裁判官じゃあるまいし、そんなのは「基本のき」じゃないでしょうか。
陳述書提出者は約170人だそうですが、数が多いからといって真実を語っているとは限りません。
1人ずつ検証する時間はないから裁判所は未検証のまま受け入れるだろうと見越しての、文科省による一種の人海作戦なのでしょうね。全くやることが汚い。
そうした怪しげな証言の全てをひっくるめて、文科省は「被害人数約1550人、被害額約204億円」と言い、東京地裁はその一方的な主張を丸呑みしました。

自称被害者の陳述書を捏造した文科省。狂気の沙汰ではないか!

杉原誠四郎氏は、「訴訟上の和解」については、これを民法の不法行為とみなすのはケースによるとしながらも、「訴訟外の示談」を不法行為相当の被害にカウントしたのはおかしいと批判します。

裁判で和解した場合、問題にすべき不法行為であるとするかどうかは考え方によるが、示談で解決したものは、それによって不法行為関係は解消したともいえるのであるから、これも被害の中に入れるのは不当といってよいのである。

「旧統一教会への解散命令をどう見るか(2)」

さらに、再度の引用になりますが、

 今回、文科省が解散事由として集めたのは、被害者と名乗る人たちの被害の陳述である。
 が、被害者と名乗る人の被害の陳述だけでは不法行為は成立しない。その陳述内容が正しい内容なのか、そして被害として認定できるものなのか、それらが明確となって初めて不法行為となる。
 が、今回の文科省が集めた被害届は、本来検証能力を持たない文科省が集めただけあって、不法行為として成り立つか検証されておらず、さらには虚偽の申告が多数含まれていることがすでに判明している。
 例えば、月刊誌Hanadaの本年4月号に載った福田ますみ氏の「文科省の犯罪『統一教会陳述書』捏造の全貌」で見るとよいが、中には本人は返金を求めていないのに息子によって陳述書が創作されて提出した例など、あまりにもでたらめのものが多数含まれている。

「旧統一教会への解散命令をどう見るか(2)」

として、自称被害者の申告の捏造にも触れています。
福田ますみ氏が『月刊Hanada』4月号の「文科省の犯罪『統一教会陳述書』捏造の全貌」で明らかにしたように、文科省が証拠の1つとして裁判所に提出した約170人の陳述書の中に捏造されたものが多数含まれていたのです。公権力が証拠を捏造するとは! そしてそれを裁判所が見逃すとは!

折から、袴田裁判で検察の証拠捏造疑惑が浮上し、死刑判決が取り消されたばかりだというのに、政府自ら証拠をデッチ上げるとは狂気の沙汰です。
この証拠捏造については統一教会も、会見や「お知らせ・ニュース」でたびたび訴えています。

例を1つ引用しましょう。

「文部科学省の虚偽証拠捏造行為に関する報告書を掲載しました」(2025年2月19日)より

ついでにもう1つ。

「文部科学省の虚偽証拠捏造行為に関する報告書を掲載しました」(2025年2月19日)より

映画『パッション』のイエスの鞭打ちシーンと重なる旧統一教会メッタ打ち

「旧統一教会は人をだまして高額献金させている」とマスコミが吹聴する事例の多くが、こんなものだとしたら、これまでいったいマスコミは何を取材してきたのでしょう?
マスコミは自称被害者や、彼らを背後で操っていると覚しき反対派弁護士や脱会支援者らの言い分を鵜呑みにして、何の検証もせずに報道してきたのでは?
マスコミの統一教会報道は、まさに言葉の暴力であり、統一教会はマスコミからも政府からも往復ビンタを浴び続けてきたと言えるでしょう。そして今や社会的正義の最後の砦たるべき裁判所までが、とどめの一発をお見舞いしようとしている。
私にはこの悲惨な現状が、カトリック教徒メル・ギブソン監督の問題作、映画『パッション』(2004年)の、ゴルゴタの丘に向かう道すがらイエス・キリストが重たい十字架を背負い、繰り返し繰り返し、これでもかこれでもかと言わんばかりに鞭打たれるシーンと重なって見えます。

ダメ押しのつもり? 「顕在化していない被害」を持ち出した鈴木謙也裁判長の相次ぐ暴走

長くなったので今回で最後にしますが、東京地裁は、ここまでの話に加えて、「顕在化していない被害」なるものまで持ち出しました。
「顕在化していない被害」は、その言葉どおり、顕在化していないのだから、事実かどうか誰にも確かめようがありません。
宗教法人解散の要件である「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」に全く該当しない話を持ち込んできて、この裁判長はもはやその適格性を疑われても仕方のないレベルだと思います。
杉原氏も次のように述べて、厳しく批判しました。

そればかりではなく「顕在化していない被害」も否定されないと言って、顕在化していないものまで含めて判事は被害の極大化を図ろうとしているのである。まさに宗教法人法の「著しく」とか「明らかに」に反しているのだ。

「旧統一教会への解散命令をどう見るか(2)」

鈴木謙也裁判長としては、ダメ押しのつもりだったのかもしれません。しかし、公権力にここまであからさまに尻尾を振る裁判官も珍しい。
左に振り切れた針が、もう1回転して左の端まで飛んでいった、と言ったら言いすぎでしょうか。

(了)