洗濯ばさみは、洗濯物を留めるためだけじゃなかった。
朝。
まだ少し眠たい目で、
ベランダに出る。
洗いたてのタオルから、
柔らかな匂いがする。
ハンガーに掛かった白いシャツが、
朝の風にゆっくり揺れている。
いつもの朝の風景。
私は、
何気なく洗濯ばさみを手に取る。
タオルの端を挟む。
風でめくれないように、
もう一つ挟む。
たった、それだけのこと。
毎日繰り返しているのに、
洗濯ばさみについて、
考えたことなんてなかった。
ただ、
洗濯物を留めるためのもの。
ずっと、
そう思っていた。
でも、
風の強い日に気づいた。
ベランダで、
洗濯物が大きく揺れている。
タオルが、
何度も風に持ち上げられる。
白いシャツの裾が、
ぱたぱたと音を立てる。
今にも、
飛んでいってしまいそうなのに。
それでも、
飛んでいかない。
タオルの端には、
小さな洗濯ばさみがいる。
強い力で、
風を押さえつけているわけじゃない。
風に勝とうとしているわけでもない。
ただ、
挟んでいる。
それだけ。
それなのに、
その小さな力があるから、
洗濯物は風の中にいられる。
その姿を見ていたら、
ふと、思った。
私にも、
こんなふうにいてくれた人がいたな。
何か特別なことを、
してくれたわけじゃない。
ただ、
話を聞いてくれた。
急かさずに、
そこにいてくれた。
私が何も話したくないときは、
何も聞かずにいてくれた。
その人にとっては、
きっと何気ないことだったと思う。
もしかしたら、
覚えていないかもしれない。
でも私は、
覚えている。
あのとき、
あの人がいてくれたこと。
それだけで、
少しだけ呼吸がしやすかったこと。
人を支えるって、
きっと、こういうことなのかもしれない。
何かを変えてあげることでも、
正しい答えを教えることでもない。
ただ、
飛んでいかないように、
そっと端にいてくれる。
そんな人がいるだけで、
人はまた、
風の中にいられるのかもしれない。
そう思うと、
いつも何気なく使っていた洗濯ばさみが、
少し違って見えた。
目立たない。
小さい。
なくても、
すぐには困らないかもしれない。
それでも、
そこにあることで、
ちゃんと役目を果たしている。
誰にも褒められなくても。
誰かに、
「ありがとう」と言われなくても。
ただ、
そこにいる。
それだけで、
何かを守っているものがある。
洗濯ばさみを外そうとしたとき、
少しだけ、
外すのが惜しくなった。
こんな小さなものにも、
ちゃんと役目がある。
目立たなくても。
誰にも気づかれなくても。
ただ、
そこにいることで、
何かを支えているものがある。
ベランダに、
白いシャツが揺れている。
その端で、
洗濯ばさみが、
今日も静かに風を受けていた。
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