【聖なる経済学】 地域通貨のジレンマ
訳者コメント:
ここでは、地域通貨の成功に必要な条件と、体制権力がこれを阻害するために取ってきた手段が論じられます。第二次大戦後の焼け野原から立ち直った日本の取った方策が、独自の経済を守った成功例として語られます。一方、日本が小泉政権以降の「失われた30年」で自民党の取っている政策こそ、グローバル経済に国内の富を「大放出」する植民地経済だったことが、ここでの議論で露わになります。やって良いことといけないことが分かっていない、わざとやったのなら売国行為です。もはや為政者にとって日本国民は「他者」なのであり、破壊して搾取した後は、逃げ出せば良いのです。
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地域通貨のジレンマ
地域通貨が提案される目的の多くは、地域経済を活性化させ、グローバル市場の力から地域経済を守り、コミュニティを再構築する手段とするためです。現在、世界中には何千もの地域通貨が存在し、これらは一般市民のグループによって発行される非公式通貨です。理論の上では、地域通貨にはいくつかの経済的利点があります。
1. 地域通貨を受け入れて使用する意思があるのは地元業者だけなので、地元業者で買い物をするよう人々を促す。
2. 地域の通貨供給量を増加させ、需要を高め、地域の生産と雇用を刺激する。
3. 資金が遠方の企業に流出しないため、地域社会内に資金が留まる。
4. これにより、個人や企業は従来の信用ルートを迂回することができ、代替的な資金源が提供される。そして、その利息は(もしあれば)地域社会に還元される。
5. 国の通貨を十分に入手できないけれど、時間と技能を提供できる人々の間で、商品やサービスの流通を促進する。
例えばハンバーガーを買いたいとして、地域通貨を持っているとしましょう。マクドナルドは地域通貨を受け付けないため、たとえ値段が高くても、地元のレストランで買うかもしれません。では、ハンバーガー店は地域通貨をどう使うのでしょうか。もちろん、それを使って全国的な流通網から牛肉を仕入れることはできませんが、地元の農家から牛肉を仕入れたり、従業員の給料の一部を支払ったりすることはできるでしょう。では、農家や従業員はそれをどう使うのでしょうか。そのハンバーガー店で食事をする人も含め、地元の業者から商品やサービスを購入するでしょう。このようにして、地域通貨は地域経済を強化するのです。
残念ながら、地域通貨導入の実際の成果は期待外れに終わっています。よくあるパターンは、通貨が大きな熱意をもって導入され、創始者が宣伝を続ける限り流通し続けるものの、やがて熱意が冷め、目新しさが薄れ、人々が使わなくなるというものです。ある調査によると、2005年の時点で、1991年以降に導入された地域通貨の約80%が機能を停止していました[2]。また、よくあるパターンとして、地域通貨を受け入れる意思はあるものの使い道が見つからない少数の地元小売業者の所に蓄積されてしまうというものがあります。さらに、地域通貨が比較的成功している地域であっても、経済活動全体に占める割合はごくわずかです[3]。地域通貨の理論的な利点を本当に実現しようとするなら、それが現状では機能していないことを認め、その理由を突き止めることが不可欠です。結局のところ、地域通貨は19世紀から20世紀初頭にかけては非常にうまく機能していたのですから。 19世紀に、紙幣は地方銀行が発行する「銀行券」だけで、銀行が所在する経済圏でのみ通用していました。1930年代まで、地域通貨は非常に成功を収めていたため、中央政府は地域通貨の流通に対する締め付けを強めていました。それ以降の時代に、いったい何が起こった結果、(いくつかの注目すべき例外を除いて)地域通貨は社会理想主義者の遊び道具になり果ててしまったのでしょうか[4]。
そこにはいくつかの要因が作用しています。まず、経済が極度に脱地域化し、地域通貨の流通を維持することが困難になっています。ドイツのある商店主は、比較的成功している地域通貨の一つであるキームガウアーについて、「受け入れてはいるが、どう使えばいいのか分からない」と述べています。彼の受け入れは渋々でしたが、仕入先のほとんどが地元業者でないことを考えると、それも無理はありません。地域通貨が有効なのは、生産者が地元で消費される商品やサービスを生産し、その消費者自身も地元で消費される商品やサービスを生産している範囲に限られます。1930年代の経済は、まだ高度に地域的でした。人々は交換できる商品やサービスを持っていましたが、銀行破綻や貨幣の退蔵のせいで、交換手段として使えるお金が無かったのです。今日の状況は全く異なります。ほとんどの人が提供しているサービスは、広範で、しばしばグローバルな労働の調整があって初めて意味を成すものです。地域通貨は、何千もの場所で何百万人もの人々が関わるサプライチェーンや生産チェーンを円滑に調整することができません。
しかし、電子機器のように製造過程において本質的にグローバルな性質を持つ製品がある一方で、多くの製品は地域で生産できるにもかかわらず、グローバルな生産システムの一部となっています。これは、地域通貨にとって大きな潜在的可能性が秘められていることを示しています。残念ながら、地域生産と流通のインフラの多くは失われてしまいました。地域通貨はこうしたインフラ再構築の一翼を担うことができますが、それだけでは十分ではありません。他に何も変化がなければ、地域通貨の役割は非常に限定的で、通常は大して意味の無いレベルに留まるでしょう。現状では地域通貨はあまり役に立ちませんが、それは私たちが使用するもののほとんどすべてを地域外から輸入しているためです。
そもそも、なぜ人々は地域通貨を受け入れようとするのでしょうか。一つの理由は理想主義ですが、もし理想主義に頼るのなら、既存の通貨にその理想主義を適用して「地域産品を買う」ようにするという方法を取ればいいのではないでしょうか。なぜわざわざ補完通貨など使うのでしょうか。私たちが望むのは、理想と現実を両立させることであり、対立させることではありません。さらに、補完通貨の近年の歴史が示すのは、理想主義だけでは不十分であり、当初の理想主義的な熱意が薄れると、停滞し消滅してしまうことです。したがって問題は、地域通貨をいかにして経済的な自己利益に一致させるかということです。
地域通貨は、より大きな経済状況の中で捉える必要があります。ある地域が独自の通貨を持っていても、生産物のほぼ全てが域外に販売され、消費物のほとんどが域外から購入されるほどグローバルな商品経済に深く組み込まれている場合、その地域がわざわざ独自の通貨を持つ意味はないと言えるでしょう。このような状況下では、通貨は自由に交換可能でなければなりません(経済の循環はグローバル市場との間で行われるからです)。つまりその通貨は、支配的なグローバル会計単位(現在は米ドル)の代理通貨に過ぎないのです。このような地域は植民地と何ら変わりません。実際、多くの地域、特に米国では、都市が地域的な特徴を失い、グローバル経済の生産・消費拠点としてのみ機能するようになっています。地域、都市、あるいは国が強固な独自の通貨を持つためには、強固な独自の経済も必要です。その構築の鍵となるのは、経済学者のジェイン・ジェイコブズが「輸入代替」と呼んだもの、すなわち、部品やサービスを地元で調達し、関連する技能やインフラを開発することです。そうでなければ、その地域は世界金融の気まぐれに翻弄され、自らがコントロールできない商品価格に左右されることになります。
「発展途上国」には強固な地域経済インフラが残っていますが、地域通貨はそのインフラを維持し、グローバル金融の略奪から隔離するのに役立ちます。しかし、国家通貨または超国家通貨が支配的となる高度に発展した経済においては、地域通貨の導入を目指そうとすると、一種のジレンマに直面します。地域通貨が機能するのは、それが交換を仲介できる地域的な生産流通システムがその地域に存在する場合だけです。しかし、そのようなシステムが成長し、グローバルな商品経済の圧力に耐えるためには、保護された地域通貨が必要です。地域の生産者が無制限の安価な輸入品と競争しなければならない状況では、輸入代替は成り立ちません。だからこそ、そのような経済は意図的な選択としてのみ実現できるのであり、それを動機づける新たな「人々の物語」が、共通のビジョン、価値観、目標を生み出すのです。言い換えれば、その実現には何らかの形の民主主義、民衆の行動、国民の意思に応える政府が不可欠であり、国際銀行や投資家、債券市場の意思が入り込んではなりません。これらの勢力が毎度のように提示するのは、競争、成長、分断、征服、そして上昇という、古い「人々の物語」なのです。
この点を裏付ける歴史的な事例は数多く存在します。近年「自由貿易」のために「市場を開放」した国々の悲惨な結果と、これとは対照的に、輸入代替、関税、産業計画によって意図的に国内産業を育成し、同時に自国通貨の交換性を制限した台湾、韓国、日本の以前の成功例を比較してみましょう。私は台湾の事例に最も精通していて、1990年代には台湾の中小企業発展に関する複数巻の歴史書を翻訳しました[5]。1950年代と60年代、台湾は外国投資に厳しい条件を課しました。外資系工場は部品の大部分を現地で購入することが義務付けられ、国内産業の発展が促進されました。日本、韓国、シンガポールでも同様に、公式・非公式の仕組みによって国内企業が優遇されました[6]。同時に、これらの国々は為替管理と利益の本国送金制限を課しました。外国投資家は自国通貨を円、ウォン、台湾ドルなどに自由に交換できましたが、それを逆に交換することは自由にできませんでした。今日、これらの国々は、第二次世界大戦後の極度の貧困から出発したにもかかわらず、分厚い中間層、世界レベルの工業プラント、そして莫大な富を擁しています。
これら国々の政策をメキシコの政策と比較してみましょう。メキシコは外国の製造業者がマキラドーラ地帯に工場を設立することを許可し、税金も利益の国外送金制限もなく、メキシコ国内で部品を調達する義務も課しませんでした。メキシコをはじめとする多くの国々は、こうした「自由貿易地域」を提供することで、低コストの労働力と環境規制の免除を提供したに過ぎず、実質的には自国の自然資本と社会資本を売り渡しただけで、見返りにノウハウやインフラを得ることはほとんどありませんでした。経済を豊かにするどころか、むしろ放出したのです。そして工場はさらに安い労働力を求めて他国へと移転しました。まずGATT、そしてNAFTA、WTO、欧州の経済通貨同盟(EMU)は、次々と各国で、地域経済が商品輸出消費の無力な植民地となるのを防いでいた保護措置を破壊していきました。唯一の受益者は、地域経済から比較的独立しているエリート層だけでした。彼らは大衆とは異なり、必要なものを輸入でき、状況が悪化すれば移住することもできるのです。
金融の自主性は、政治主権の重要な要素です。結局のところ、外部の企業がその社会の自然資本や社会資本(資源、技能、労働力)を搾取し、グローバル市場に輸出できるのであれば、政治主権はほとんど意味をなしません。2010年以降、ブラジルやタイなどの国々は、FRBの量的緩和策によって流入した安価な米ドルから自国経済を守るための措置を講じました。もし規制がなければ、これらのドルによって外国人が国内の株式、鉱山、工場、公益事業などを買い占めることが可能になるでしょう。これらの国々は、真の主権とは経済主権であると認識しています。
国家に当てはまることは、より小さな地域にも当てはまります。しかし、金利をゼロ金利下限以下に調整することに比べると、地方政府や地域政府が独自の通貨を発行するという提案は、非現実的で甘い考えに見えるかもしれません。実は、これは非常に実現可能な解決策でありながら、常に抑圧されてきたのです。米国をはじめとする多くの国では、州が通貨を発行することは違法ですが、必要に迫られれば、人々は法律をかいくぐる方法を見つけ出します。
2001年から2002年にかけてのアルゼンチンの金融危機は、最も示唆に富む事例です。州政府が従業員や請負業者への支払いに充てる資金を完全に使い果たした時、彼らは代わりに少額の無記名債券(1ペソ債、5ペソ債など)で支払いを行いました。地元企業や市民がこれらの債券を喜んで受け入れたのは、いずれ本物の通貨に換金できるとは誰も期待していなかったにもかかわらず、地方税や手数料の支払いに使えたからです。税金の支払いに使えるようになったことで、社会的な価値認識が高まりました。あらゆる貨幣と同様に、価値と価値認識は同一なのです。これらの通貨は共通の会計単位で額面表示されていたので、発行地域をはるかに超えて流通しました。この債券によって復活した経済活動が、それまで停滞していたのは、結局のところ、人々は依然として他の人々が必要とする財やサービスを生産する能力を持っていたにもかかわらず、交換手段だけが不足していたからです。これが可能だったのは、アルゼンチンが根本的には豊かな国であり、輸出向け商品生産に完全に転換していなかったからに他なりません。同時に、アルゼンチン政府は対外債務の支払いを拒否し、一時的に輸入を断ち、国内自給の必要性を高めました。この時点でIMFは緊急融資を行い、アルゼンチンが債務を抱え続けるよう迫ったのです。
地域通貨と代替通貨を抑圧する方法の一つに税制があります。市民が作った通貨は税金の支払いに使えませんが、これらの通貨で行われた取引は所得税と売上税の対象となります。つまり、たとえ代替通貨だけを使って生活していたとしても、収入の全くない米ドルで税金を支払わなければならないのです[7]。使ってもいない通貨で人々に課税するのは非道なことです。それはアメリカ独立革命の原因であり、植民地主義の重要な手段でした(第20章の「小屋税」についての議論を参照)。
地域通貨が効果を発揮した地域では、政府の支援を受けているか、あるいは戦地のような極限状況で出現したかのいずれかです。2001年から2002年にかけてのアルゼンチン、そして大恐慌時代の米国とヨーロッパでは、実際に地方自治体が独自に通貨を発行しました。さらに、これらの地域と時代には、依然として多くの地域生産、自給自足農業、地域流通・供給ネットワーク、そして一般的に地域社会資本が存在していました。地域通貨はそのような所で実際に成功する可能性があり、当然のことながら中央政府の反発を招きました。アルゼンチンの場合、IMFは援助の前提条件として地域通貨の廃止を要求したのです。
第二次大戦以後(先進諸国では)初めて、「極限状況」が再び目前に迫っています。執筆時点で新型コロナウイルス感染症の経済的影響を予測することは困難ですが、米ドル覇権の旧秩序が解体する可能性は極めて高いといえます。その後に続く空白と、それに伴う社会的混乱は、新たな貨幣の生まれる場所になるかもしれません。同時に、暗号技術の発展によって、それを実現する新たな方法も現れてきています。
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注:
2. コロム、「アメリカ合衆国におけるコミュニティ通貨」1576頁。
3. 例えば、ある研究(ジェイコブら,「コミュニティ通貨の社会文化資本」)によると、最も成功した地域通貨の一つであるイサカ・アワーズの利用者は、年間平均わずか350ドル相当の地域通貨しか使っていないと報告しており、これらの利用者はイサカの人口のごく一部を占めているに過ぎませんでした。
4. 同研究(ジェイコブら,「コミュニティ通貨の社会文化資本」)によると、利用者は教育水準が高く、進歩的で、反体制的な活動家である傾向があるという。時間銀行や一部のLETSシステムはこの一般論の例外であり、特にタイムバンクは病院、高齢者介護施設、その他のサービスが行き届いていない人々に適しています。もう一つの重要な例外は、この章の後半で説明するヴィアのような商業信用通貨です。
5. C.J.李 他、『中華民国における中小企業の発展』。
6.非公式な仕組みとしては、外国企業に対するビジネス文化上のタブー、取締役会の兼任、地元企業を優遇する家族関係、契約締結における政府の非公式な優遇措置などが挙げられます。外部から見ると、これらの仕組みの多くは縁故主義や汚職のように見えますが、実際にはこれらの国の経済主権を守るために機能していたのです。次に外国政府の腐敗に関する記事を読んだときは、鵜呑みにしない方が良いでしょう。
7.一方で、国税庁の立場も理解できます。この要件がなければ、人々は代理通貨を使って脱税する可能性があるからです。とはいえ、この税制によって地域通貨や補完通貨は明らかに不利な立場に置かれます。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-15-local-and-complementary-currency/
翻訳メモ:
delocalization:(経済の)脱地域化。「本来の場所から移動させること」という意味。本来その地域にあるべき経済の機能が、他地域に移ってしまうこと。物理学などでは「非局在化」と訳されますが、これは特定の場所に留まらないという意味なのでズレています。
import replacement:輸入代替。
