【聖なる経済学】 富の集中
訳者コメント:
経済学者のトマ・ピケティが著書『21世紀の資本』で提唱した「r > g」という不等式は、資産運用などから得られる収益率(r)が、労働による賃金の伸びを上回る経済成長率(g)を長期的に超えることを示しています。つまり、お金を持っている人が、お金を持っているというだけで、労働による成果よりも多くのお金を得ることができ、したがって富の集中が進むということです。この節では、その中心にあるのが金利で、現代社会のあらゆるレベルに組み込まれていることが解き明かされます。
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富の集中
経済成長率はほぼ「常に」金利を下回るので、このような状況で起こることには何の不思議もありません。債務者が新たに生み出した富から利息の支払いを賄えない場合、既存の富をますます多く債権者に差し出すか、あるいは現在および将来の収入のますます大きな割合を債務返済に充てなければなりません。資産と可処分所得が尽きたら、債務不履行に陥るしかありません。投資元本を得るために支払った平均金利より、平均投資収益率が下回った場合、他に道はありません。一定割合の借り手にとって、債務不履行は避けられないのです。
少なくとも理論上において、債務不履行は必ずしも悪いことではありません。債務不履行は、公共の利益に寄与しない決定に対して、つまり人々が求める財の生産効率向上につながらない決定に対して、マイナスの結果をもたらします。貸し手は経済に貢献する可能性の低い相手には融資を控えるようになり、借り手は経済に確かに貢献するような行動を取るよう圧力を受けることになります。たとえ無利子制度であっても、愚かな決定をすれば債務不履行に陥る可能性はありますが、債務不履行が「必然的」に発生するような仕組みは存在しないでしょう。
経済学者を除けば、債務不履行を好む人はいません。特に債権者にとっては、資金が消えてしまうため、なおさらです。少なくとも一時的に、債務不履行を防ぐ一つの方法は、借り手にさらに資金を貸し付け、元のローンの返済を続けられるようにすることです。借り手が一時的な困難に直面している場合や、十分な生産性向上によってすべてのローンを返済できる見込みがある場合は、この方法は正当化できるかもしれません。しかし多くの場合、貸し手は債務不履行による損失を計上したくないという理由だけで、損失が膨らんだ後にもさらに資金を投入します。債務不履行は貸し手自身をも破産に追い込む可能性があるからです。借り手が返済を続けている限り、貸し手はすべてが順調であるかのように振る舞うことができます。
これが本質的に、世界経済が長年にわたって陥っている状況です。金利が経済成長をはるかに上回る状態が何年も、あるいは何十年も続き、債務不履行の増加がそれを補うこともなく、私たちは莫大な債務超過に直面しています。金融業界(つまり債権者、お金の所有者)の要請を受けた政府は、最善を尽くして債務不履行を防ぎ、帳簿上の債務の価値を全額維持しようとし、経済成長の再開によって債務の返済が継続できることを期待します[4]。「成長によって債務から脱出する」というのが彼らの期待です。
したがって政治レベルにおいても、個人や企業のレベルと同じように、「経済成長」を実現しようとする圧力が存在します。債務者は、借金返済の資金を得るために、たとえ自分の労働力しかないとしても、何かを売らざるを得ない状況に追い込まれます。成長促進政策も本質的には同じことで、この「何かを売る」ことを容易にし、自然や社会などの資本の金銭への転換を促進します。汚染規制を緩和すれば、生命維持に不可欠な大気をお金に転換するのが容易になります。原生林への道路建設に補助金を出せば、生態系をお金に転換するのが容易になります。国際通貨基金(IMF)が各国政府に社会サービスの民営化と歳出削減を迫れば、社会資本の貨幣転換が加速されるのです。
だからこそ、アメリカでは民主党も共和党も同じように「新たな市場を開拓する」「知的財産権の保護を強化する」などと熱心に取り組んでいるのです。アラスカの北極野生生物国家保護区に埋蔵されている石油、関税で守られている地域食料経済、アマゾン先住民の領域など、搾取の手が届かない共有財は、政治家、企業、密猟者による絶え間ない攻撃に耐えなければなりません。もし金融の世界が成長を止めれば、債務不履行と富の二極化の間を行く道は狭まって閉ざされ、社会不安、そして最終的には革命へと繋がります。成長がなければ、有限な世界で債務が指数関数的に増加するとき、他に選択肢はありません。
この成長、つまり共有財の金銭化が、利率よりも速いペースで進むならば、すべては順調です(人や生態系の観点からはそうではないかもしれませんが、少なくとも財政的な観点からはそうなのです)。鶏に対する需要が十分あり、鶏を養うための天然資源も十分にあるならば、村人は10パーセントの利率で借り入れを行い、鶏の数を20パーセント増やすことができます。経済用語でいうなら、資本投資は資本コストを上回る収益をもたらすので、借り手は債権者への返済分を上回る富を得るのです。開拓時代には確かにそうでした。所有されていないものが豊富にあり、取ってくれと言わんばかりの状態だったのです。今でも同じことが言えるのは、社会関係が完全に金銭化されていない社会で、それを経済学用語で「未開拓市場」と呼ぶのです。経済成長があって初めて「すべての船が浮かぶ」ことができ、債権者はますます豊かになり、借り手も繁栄することができるのです。
しかし好景気の時でさえ、成長率が金利の上昇に追いつくほど速くなることは滅多にありません。村人たちが鶏の数を年間5%しか増やせないと想像してみてください。以前なら鶏の増加分の一部を銀行に支払うだけで済んでいましたが、今では(平均すれば)増加分の全額に加え、既存の資産や将来の収入の一部も支払わなければなりません。所得と資産の両方における富の集中は、財やサービスの増加率よりも債務の増加率が高い場合、必然的に生じる結果です。確かに、政府は再分配課税によって富の集中を緩和することができますが、内在する傾向が変わることはありません。
アリストテレスの時代から、経済思想家たちはこの根本的な問題を認識してきました。アリストテレスが指摘したのは、貨幣が「不毛」である(つまり、牛や小麦のように子孫を残さない)ため、利子をつけて貸し出すのは不当だということです。その結果として生じる富の集中は、紀元前350年までにすでに何度も見られており、その後も何度も繰り返されることになります。これはローマ時代にも再発しました。帝国が急速に拡大し、新たな領土と貢納品を獲得している間は、すべてが何とかうまく機能し、極端な富の集中は起こりませんでした。帝国の成長が鈍化して初めて富の集中が激化し、かつては広範囲に及んでいた小農民階級、すなわちローマ軍の基盤であった人々が、債務奴隷に陥ったのです。帝国が奴隷経済となるまで、長くはかかりませんでした。
ローマと現代世界との類似点を改めて説明する必要はないでしょう。経済成長が鈍化するにつれ、今日では個人も国家も、ローマ時代の債務奴隷に似た状態に陥っています。収入のますます大きな割合が債務返済に充てられ、それでも返済が滞ると、既存の資産が担保にされ、差し押さえられ、最後には何も残らなくなるまで吸い尽くされます。こうして、米国住宅の不動産価値に対する純資産価値の比率は、1950年の85%から現在では約60%(無借金で所有されている住宅を含む)まで、半世紀にわたり減少してきました[5]。言い換えれば、人々はもはや自分の家を所有していないのです。私の知る限り、ほとんどの人は自分の車も所有しておらず、実質的には自動車ローンを通じて銀行から借りているようなものです。企業でさえ、かつてないほどの借入金の下で事業を営んでおり、収益の大部分が銀行や債券保有者に流れています。ほとんどの国家も同様で、債務残高の対GDP比が膨れ上がっています。あらゆるレベルにおいて、私たちはますます借金の奴隷となり、労働の成果は債権者の手に渡っているのです。
たとえ借金がなくても、購入するほぼすべてのものの価格には金利負担が反映されています。例えば、米国政府の支出(つまり税金)の約10%は国債の利息に充てられています。賃貸住宅を借りる場合、家賃の大部分は家主の最大の支出である不動産ローンの支払いに充てられます。レストランで食事をする場合、価格にはレストラン経営者の資本コストが一部反映されています。さらに、レストランの電気代、食材費、家賃には、これらの供給業者が資本に対して支払う金利も含まれており、それが芋づる式に続きます。こうしたお金はすべて、私たちが購入するすべてのものに対する一種の貢納品、つまり税金であり、それはお金の所有者に渡るのです。
金利は6つほどの要素から構成され、そこにはリスク保険料、融資コスト、インフレ保険料、流動性保険料、満期保険料、ゼロリスク金利保険料があります[6]。金利の影響についてより高度な議論を行うと、これらの要素を区別し、後者の3つだけ、特に最後の要素が高利貸しの性質を持つと結論するかもしれません。これらがなければ、その部分の資金が貸し手にとどまらないため、富の集中はもはや必然ではなくなります。(ただし、成長圧力は依然として存在します。)しかし現在のシステムでは、6つすべてが広く一般的な金利に寄与しています。つまり、お金を持っている人は、お金を持っているというだけで富を増やすことができるということです。借り手が同じ速さで富を増やすことができなければ、それが可能なのは経済が拡大している場合だけなのですが、富は貸し手に集中することになります。
簡単に言うと、金利の一部はこう言っているのです。「私はお金を持っていて、あなたはそれを必要としている。だから私はお金の使用料をあなたに請求する。その理由は、私にその力があるから。その理由はただ、私がお金を持っていて、あなたは持っていないから。」富の二極化を避けるには、この部分は経済成長率よりも低くなければなりません。そうでなければ、お金を持っているというだけで、生産資本投資の平均限界効率よりも速く富を増やすことができてしまいます。言い換えれば、生産するよりも所有する方が手っ取り早く金持ちになれるということです。実際には、これは「ほぼ常に」当てはまります。なぜなら、経済成長が加速すると当局が金利を引き上げるからです。その根拠はインフレを防ぐことですが、お金の所有者の富と権力を増やし続けるための手段でもあるのです[7]。再分配措置がなければ、富の集中は好況時でも不況時でも強まります。
一般的な法則として、お金が多ければ多いほど、それを急いで使う必要性は低くなります。そのため、古代ギリシャ時代からこれまで、人々が持ち続けているのは、ケインズが「流動性選好」と呼んだもの、つまり緊急に物が必要な場合を除き、物よりもお金を優先する傾向です。お金が普遍的な手段と目的になると、この選り好みは必然的に生じます。利子は流動性選好を強化し、既にお金を持っている人がそれを保持し続けるよう仕向けます。「今すぐ」お金を必要とする人が、お金を必要としない人に、お金の使用料を支払わなければならないのです。この支払い、つまり貸付金の利子は、将来の収入から支払われなければなりません。これは、利子が貧乏人から金持ちへとお金を吸い上げる仕組みを理解するもう一つの方法です。
長期で流動性が低くリスクの高い投資に利息を支払うことは、実際には流動性を放棄することに対する一種の補償であるため、正当化できるかもしれません。これは贈与の原則に合致しており、そこでは贈り物をすると、多くの場合、より大きな贈り物が返ってきます(が、常にそうとは限らず、絶対的な保証はなく、したがってリスクが存在するのです)。しかし、現在の制度では、政府保証付きの要求払い預金や短期のリスクフリー国債でさえ利息がつき、「投資家」は実質的に資金を自分の手の内に置きながら利益を得ることができます。このリスクフリー要素は、他のすべてのローンに隠れたプレミアムとして追加され、所有者がますます多くの資産を所有することを確実にします[8]。
私が述べた二つの圧力、つまり貨幣領域の拡大と富の二極化を推し進める圧力は、同じ力の二つの側面です。貨幣が、金銭化されていない領域を食い尽くすことで拡大するか、あるいは自らを共食いするかのどちらかです。前者が枯渇すると、後者の圧力が増大し、富の集中が加速します。そうなったとき、システムを救うための別の圧力が生まれます。それが富の再分配です。結局のところ、富と貧困の二極化が際限なく進むなどということは、持続可能ではありません。
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注:
4. これらの債務に基づく資産がゴミくず同然であり、債務が返済される見込みがないことが明らかになった後でさえ、当局は全力でこの事実を隠蔽し、額面通りの価値を維持しようとします。
5. この数字は大きく変動します。大恐慌時代には40%以下に下落しましたし、再び不動産バブルが弾けたら、さらに下落するでしょう。
6. 実際には、金利は「構成要素」から成り立っているわけではありません。これは分析上の虚構ですが、そうであるかのように装うことはできます。ほとんどの権威は、金利の構成要素を3つか5つしか挙げていません。ここでは定義は示しません。ご自身で調べていただければ結構です。ただし、最も重要なゼロリスク金利保険料については説明しておきます。これは、実質的にリスクがゼロで流動性〔換金の可能性〕が完全に確保されている短期米国債(Tビル)の金利に相当します。ここにもリスクがあると言う人もいるかもしれませんが、米国政府が紙幣を印刷できなくなるほど事態が悪化すれば、どの資産クラスも安全ではなくなります。
7. 金利を成長率以上に維持するための新たな手段は、連邦準備制度理事会(FRB)が銀行準備金に利子を付与する新たな権限を持つようになったことです。現在ほぼゼロ金利となっていますが、この金利は経済が成長し始めた時点でFRBが引き上げる予定です(例えば、Keister and McAndrews著「なぜ銀行はこれほど多くの超過準備金を保有しているのか?」を参照)。これにより、経済成長によって生み出された新たな富は、FRBの流動性供給策によって恩恵を受けた銀行や債券保有者のものになることが確実になります。
8. 近年、状況ははるかに悪化していて、リスクフリー投資のカテゴリーが拡大され、政府支援が決まったあらゆる種類の金融ジャンクが含まれるようになりました。政府は、リスクを取る金融機関の支払能力と金融商品の流動性を確保することで、実質的に資金を保有することによるリスクフリーの報酬を増やし、富の集中を加速させています。もはやフェデラル・ファンド金利や米国短期国債金利は、リスクフリー金利の指標ではありません。「大きすぎて潰せない」金融機関という文脈で浮上してきたモラルハザードの概念は、単なる倫理的な問題ではありません。リスクの高い高利回りの賭けが実際にはリスクを伴わない場合、そのような賭けをする資金を持つ者は、他の誰よりもはるかに速く(そして他の誰をも犠牲にして)富を増やすことになります。モラルハザードは、極端な富の集中への近道です。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-6-the-economics-of-usury/
翻訳メモ:
conventional:伝統的な言い方、ではなく、慣習に則った、という意味。経済学の慣習に則った、ということなので、「経済用語で」と訳しました。
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