【聖なる経済学】 価値という物語①
訳者コメント:
金本位制の時代なら、コンピュータ上の数字の操作だけで作り出される現代のお金と違って、貨幣の価値には金の価値による「裏付け」があったと考えられています。しかし金の実用価値というのは、錆びないという性質を使った電子機器のコネクターの金メッキぐらいのものです。金の首飾りとか金の杯というような装飾品は、金がお金と交換できるという慣習から逆に発生した価値なのであって、つまり価値とは社会的な合意なのです。
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第2部:再合一の経済学
分断の旅が終わり、私たちが自然と再び結びつくにつれ、自然の法則から人間だけが例外であるという私たちの考え方も終わりを迎えつつあります。何十年にもわたり環境運動が訴え続けてきたのは、「私たちに自然の法則が適用されないというのは間違いだ」ということです。私たちはますます、そして苦痛を伴いながら、その真実を実感しています。子どもは母親から受け取りますが、この上ない幸せの中で、母親の犠牲や苦しみを気に掛けることはありません。私たちも人類文明の長い幼少期の間、そのように地球から取ってきました。私たちの貨幣制度、私たちの経済思想は、良くも悪くも、そのようにして奪うことの原動力となってきました。今、地球との関係が恋人の関係へと変化するにつれ、自分たちが地球に与えている害を、私たちは痛切に認識するようになります。恋愛関係においては、パートナーにしたことはすべて自分に跳ね返ってきます。彼女の痛みはあなたの痛みなのです。
こうして、人類が現在の危機という試練に直面し、成人期へと移行していく中で、新たな経済制度が出現しつつあり、それが体現するのは、地球と共創的なパートナーシップの中で生きていく、つながり合う自己という新たな人間の自己観です。私たちの経済制度と貨幣制度は、もはや奪い、搾取し、切り離された自己を肥大化させる手段ではなくなります。その代わりに、与え、創造し、奉仕し、豊かさをもたらす手段となるでしょう。続く章では、この神聖な経済の要素について説明します。そのすべては、既に目に見え、古い制度の中に潜み、さらにはそこから生まれつつあります。これは古典的な意味での革命や粛清、つまり古いものを一掃することではなく、むしろ変容なのです。〈再合一の時代〉は、長い間、〈分断〉の制度の中で育まれてきました。今、それが表に現れ始めているのです。
第9章:価値という物語
それは古い物語で、もはや真実ではなかった……真実は物語から消え去ることがあるのだ。真実だったものが意味を失い、嘘にさえなる。なぜなら真実が別の物語の中に流れ込んでしまったからだ。泉の水が湧き出るのは、別の場所だ。―アーシュラ・K・ル=グウィン
お金が密接に絡み合っているのは、私たちの文明を特徴づける物語、つまり自己と人類全体の物語です。それは、「人類の上昇」の果てに地球の支配者となる、成長のイデオロギーとメカニズムの本質的な一部であり、同時に自然やコミュニティとの絆を解体する中心的な役割を果たしてきました。これらの物語が崩れ去り、その金銭的側面が急速に崩壊していく中で、それらに取って代わる新たな物語、すなわち地球と共創的なパートナーシップの中で生きる、つながり合う自己という特性を、意識的にお金に吹き込む機会が、私たちに与えられたのです。しかし、どうすればお金に物語を吹き込むことができるのでしょうか。
数千年に及ぶ歴史の中で、貨幣はその形を加速的に進化させてきました。最初の段階は商品貨幣、すなわち穀物、油、牛、金属など多くの物資であり、これらは交換手段として機能しましたが、信用価値は持ちませんでした。この段階に同時発生したのは台帳と割符で、これが数千年続きました。次の段階は貨幣鋳造であり、銀や金の本来の金属価値に信用価値が付加されました。こうして貨幣は、物質的側面と象徴的側面という二つの要素から構成されるようになりました。
最終的に象徴が金属から切り離されるのはごく自然なことであり、それは中世の信用貨幣の出現や、それ以前にも起こったことです。中国では、最初の紙幣(実際には一種の銀行手形)が9世紀までに使用され、ペルシャまで流通していました[1]。その頃にはアラブ世界でも小切手のようなものが広く使われていました。12世紀にはすでにイタリアの商人が為替手形を使用していましたが、この慣習は急速に広まって、16世紀と17世紀には部分準備銀行制度へと続きました[2]。これは、貨幣供給を金属供給から切り離し、経済活動に応じて自発的に成長できるようになったため、大きな革新でした。貨幣と金属の切り離しは徐々に進みました。部分準備銀行制度の時代は数世紀に及びましたが、銀行券は少なくとも理論上は金属に裏付けられていました。
今日、部分準備銀行制度の時代は終わり、貨幣は純粋な信用となりました。このことは広く知られていません。多くの権威者は、ほとんどの経済学の教科書や連邦準備制度理事会自身[3]も含め、依然として準備金が貨幣創造の制約要因だという建前を維持していますが、実際はほとんどそうではありません[4]。銀行の貨幣創造に対する本当の制約は、銀行の総資本と、意欲があり信用力のある借り手、つまり、活用されていない収益能力または担保として使える資産を持った借り手を見つける能力です。言い換えれば、貨幣創造を支配するのは社会的な合意であり、その中で最も重要なのは、貨幣は将来さらに多くの貨幣を生み出す者に渡されるべきだという、利子に内在する原則です。私がこれから説明するように、今日の貨幣を裏付けるのは成長なのです。そして今まさに起こっているように、成長が鈍化すると、金融という大建造物の全体が崩壊を始めます。
貨幣はテクノロジーと並行して発展してきましたが、同じ欠陥を抱えています。どちらも絶え間ない成長への衝動を持っているのです。テクノロジーは、「技術的対策」というイデオロギーのせいで、既存のテクノロジーによって引き起こされた問題を解決するため、さらに多くのテクノロジーを用います。貨幣は、私が述べた利子の力学のせいで、既存の債務の利子を支払うためにさらに多くの債券を発行します。この類似性は実に正確です。もう一つの類似点は、どちらも本来他の関係のあり方に属する領域を侵食していることです。しかし、どちらの場合にも、私は歴史を巻き戻せと主張するつもりはありません。テクノロジーも貨幣も、現在の形に発展してきたのは、目的あってのことだと私は信じています。信用貨幣は、貨幣が純粋な信託、純粋な合意へと進化する自然な終着点です。そこに到達した今、私たちはその合意に目的を与えることができます。私たちは思春期の少女のようなもので、子ども時代の遊びを通して身体的・精神的能力を発達させ、今まさにその能力を本当の目的に向けようとしているのです。
今日の信用通貨の悲惨な結果を目の当たりにして、金などの実物資産に裏付けられた古き良き通貨の時代へ戻れと提唱する人もいます。彼らの考えでは、商品に裏付けられた通貨はインフレを起こさないか、あるいは際限のない成長への衝動を排除できるということになります。私が思うに、こうした「交換可能通貨」や「本物のお金」を推す人の中には、物事が本来あるべき姿だった、より単純な時代に戻りたいという原初的な願望に駆られている人もいるようです。彼らは世界を客観的な現実と慣習的なものの2つのカテゴリーに分け、信用通貨は幻想、つまり嘘であって、必ず不況の循環が来るたびに崩壊すると信じているのです。しかし実際には、この二分法自体が幻想の構築物であり、より深い神話を反映しています。そこには物理学における客観性の教義などがありますが、その神話も現代において崩壊しつつあるのです。
裏付けのない通貨とある通貨の違いは、思ったほど大きくありません。一見すると、両者は大きく異なっているように見えます。裏付けのある通貨は実体のある資産から価値を得ているのに対し、裏付けのない通貨は人々がその価値を認めているからこそ価値があるからです。しかし、これは誤った区別です。どちらの場合も、最終的に貨幣に価値を与えるのは、それを取り巻く物語、つまり社会、文化、そして法的な慣習の集合体なのです。
この時点で、「本物のお金」や裏付け通貨の支持者は、「いや、まさにそこが重要な点であって、裏付け通貨はその価値を契約ではなく、基礎となる商品から得ているのだ」と反論するかもしれません。
それは間違いです。
まず、支持者が「本物のお金」と呼ぶものの典型的な例、純金と純銀の貨幣について考えてみましょう。彼らの主張では、これらの貨幣は、その原料となる商品自体が価値を持つからこそ価値があるのです。それが価値の源泉であり、刻印は重量と純度に対する信頼を与えるための保証として存在するのです。しかし、昔ながらの本物のお金への郷愁とは裏腹に、歴史的に見ても多くの金貨や銀貨はこの説明に当てはまらず、その商品価値を上回る価値を持っていました(第3章参照)。紙幣との違いは程度の問題であり、本質的なものではありません。紙幣や電子マネーは金属通貨からの逸脱ではなく、むしろその延長線上にあるものです。
さらに問題を複雑にするのは、「商品価値」とは一体何なのかという点です。お金と同じように、財産も社会的な構築物です。何かを所有するとはどういうことでしょうか。物的な財産は、その所有が社会的に正当である場合にのみ所有権を持つこととなります。正当性があれば、実際にその物を持っていることは必ずしも必要ありません。結局のところ、今日の商品市場では、ほとんどの投資家は購入した物に触れることすらありません。彼らの取引は一連の儀式であり、共有された信念を通して力を与えられた象徴の操作なのです。最終的にそれを裏打ちするのは武力です。所有の虚構性は、最近になって現れた現象ではありません。ヤップ島民の有名な貨幣、つまり重すぎて動かせない巨大な石の環は、非常に簡単に所有者を変えることができます。誰々が新しい所有者だと、皆が合意すればいいのです。金が通貨の裏付けとなるために、金庫から出す必要はありません。実際、地中から掘り出す必要さえないのです。たとえ金本位制を採用したとしても、ほとんどの取引には依然として紙やデジタルの象徴を使うでしょう。ただ、それらの象徴に価値を与える物語が違うだけです。
さらに、商品の価値もまた社会的な合意に左右されます。これは特に金に当てはまります。金は、牛やラクダといった他の本当の商品貨幣とは異なり、実用的な価値がほとんどありません。そのため、これまでに採掘された金の約3分の2が金庫室に眠っているのです。金で美しい装飾品を作ることはできますが、銀やプラチナといった他の貴金属と比べると、工業的な有用性は非常に限られています。それはつまり、金の価値は慣習に左右されるということです。すると、慣習に左右されない価値、つまり「本物の」価値を持つ貨幣を求める人々にとって、金は実に奇妙な選択肢と言えるでしょう。
金に当てはまることは他の商品にも当てはまります。私たちの社会のように分業が高度に発達した社会では、ほとんどの商品の有用性は、貨幣と同じように、社会的な合意の網の目に依存しています。あなたにとって鉄の延べ棒は、どれほど役に立つでしょうか。原油1バレルは? 工業用の水酸化ナトリウム1トンは? 大豆1ブッシェル〔約27.2キログラム〕は? それらは程度の差こそあれ、膨大な数の人々が織りなす文脈においてのみ価値を持ちます。その人々の担う特定の役割が相互に関連し合って、それらの物を活用するのです。言い換えれば、商品は貨幣と同じように、その本質的な価値に加えて信用に基づく価値も持っているのです。実際、詳しく調べてみると、その区別はほとんど完全に崩れてしまいます。
お金に裏付けがあるとはどういうことなのか、もっと深く考えてみましょう。表面的には単純明快です。1972年以前の米ドルを例にとると、「1ドルを連邦準備銀行に持っていけば、30分の1オンス(そうでなくても当時決まっていたレートの)の金と交換できる」という意味でした。しかし、この単純な説明には多くの複雑な問題が潜んでいます。たとえそれが許されていたとしても、ほとんどのドル利用者にとって、最寄りの連邦準備銀行の金庫に行くことは実際には不可能でした。私の知る限り、銀行間の収支決済でさえ、金が実際に輸送されることはほとんどありませんでした。銀行の金は連邦準備銀行に保管されており、銀行の金の所有権は帳簿上の記録であって、物的な所有ではありませんでした。金が物的に存在しなくても、この制度は機能したでしょう。外国の銀行を除いて、実際にドルを金と交換した人はいませんでした。お金として使われていたのが金ではなくドルだったのに、なぜわざわざ交換する必要があったのでしょうか。私たちは(金本位制の時代において)ドルに価値があったのは金と交換できたからだと考えがちですが、もしかしたらその逆、つまり金に価値があったのはドルに交換できたからだ、という方がより真実ではないでしょうか。
(②に続く)
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注:
1. テンプル、ロバート。『図説 中国の科学と文明』117、119ページ。
2. ヴァレリー、ポール。「イスラムの発明家はいかに世界を変えたか」。
3. 例えば、シカゴ連邦準備銀行の出版物「Modern Money Mechanics(現代の貨幣メカニズム)」を参照のこと。これはインターネット上で広く入手可能です。
4. 銀行の証拠金準備が要件を満たすのに不十分な場合、銀行は連邦準備銀行〔中央銀行〕または金融市場から必要な資金を借り入れるだけです。制度全体で準備金が不足している場合、連邦準備は公開市場操作を通じてマネタリーベースを拡大します。これが、M0の伸びが通常M1とM2の伸びから何ヶ月も遅れる理由です。これは、部分準備制度の下で暮らしていた場合に乗数効果から予想されることとは正反対です(スティーブン・キーン著「信用の放浪する騎士たち」を参照)。また、これが連邦準備銀行など中央銀行による最近の「量的緩和」がマネーサプライの増加にほとんど貢献していない理由でもあります。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-9-the-story-of-value/
翻訳メモ:
fiduciary value:信用価値。fiduciaryは信託、信用と訳されますが、信託は「財産運用を任せる制度」のことなので、ここでは当てはまりません。
credit account:(信用取引の)台帳。信用口座の原始的な形は「大福帳」だったはず。
token:割符。代用貨幣というと貨幣が発明された後のことになってしまうので。
grow organically:自発的に成長する。この場合のorganicallyを「有機的」と訳すと意味不明になってしまう。developing naturally over time without being forced(強制されることなく、時間とともに自然に発展する)という意味を一言で表せば、自発的か。
uncommitted earning potential:活用されていない収益能力。この場合のuncommittedは「使途が決まっていない」という意味。
