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神戸から神戸電鉄に乗って 摂津・播磨(兵庫)の城巡り 花隈城・三木城【駅からお城スタンプラリー2025 5月後編】

東は上越の高田城(新潟)から、西は九州の福岡城(福岡)まで53ある城を巡る…という、かなりぶっ飛んだJR西日本の「駅からお城スタンプラリー」

53全部とは言いませんが、手近な関西周辺を攻めようと思い、手始めに阪急電鉄のフリーきっぷを片手に、池田城(大阪)・有岡城(兵庫)を午前中かけて巡ってきました。
(JR西日本のスタンプラリーのはずなのですが)

昼からは、阪急沿線から更に足を伸ばしていきます。



13:10 花隈駅到着 神戸に城があった? (摂津国・兵庫)

阪急・伊丹駅から乗り継いで30分余り
ふと思い立って、阪急の神戸三宮駅から1駅の花隈駅で下車しました。

当初の予定では、そのまま真っ直ぐ、午後の目的地に向かう予定でした。

午前中に巡った池田城に、有岡(伊丹)城と、信長に反旗を翻した荒木村重と縁のある城を巡ったのもあり、神戸に荒木村重と縁のある城があったのを思い出したのです。

スタンプラリーとは関係ない「城」ですが、ちょうど通り道だったのもあり、寄ることにしたのです。


神戸高速鉄道・花隈駅から徒歩すぐの所にある「花隈城跡」

花隈城は、荒木村重の摂津国(大阪北部+兵庫県一部)の西の拠点だった城でした。海に近いこともあり、瀬戸内海から兵糧を有岡(伊丹)城に供給するための拠点ともなりました。

しかし、有岡(伊丹)城が落ちると、荒木村重は花隈城に逃げ込みます。しかし、こちらもほどなくして落城してしまいました。

荒木村重が追われた後は、信長配下の池田恒興(つねおき)によって、今の神戸周辺を治められ、本拠地もまた花隈城から南西にある兵庫津の近くに城が建てられることになります。


石垣の上に上ってみると、正面にはJR東海道本線(神戸線)が走っています。
少し東を見るとJR元町駅も見えます。
その線路の向こうは、しばらく行けば海が広がっています。

花隈城跡の歴史的な遺構は、池田恒興により破却されたのもあり、ほとんど残っていません。それもあって、石垣もまた歴史的な城の縄張りを示しているものではありません。

それでも、石垣に上ってみると、確かにこの場所が、海も陸も抑えられる拠点として考えられていたのは感じられます。

東西を行く列車を眺めつつ、神戸が交通路や航路の拠点として栄えるのに条件の良い場所だったのだと、改めて感じたのでした。


13:53 新開地駅発 神戸電鉄に乗車

花隈城でしばし時間を過ごしてやってきたのが、神戸電鉄・新開地駅。

神戸電鉄は、有馬温泉に向かうのであれば、乗ることもあるでしょうが、京都に住んでいると滅多に乗る機会がなかなかありません。

今回の目的地は、有馬温泉ではなく、神戸から山を越えて西にある、三木城です。

JR西日本の「駅からお城スタンプラリー」のはずなのに、JRの駅から大きく外れた場所が、スタンプの対象になっているのは、少々解せないものも感じますが…

ともあれ、神戸電鉄に乗って出発です。


丸山駅
旧菊水山駅

神戸電鉄は、新開地からまずは北へ。
一気に神戸市街の北にある山を一気に上っていきます。

この写真からは分かりにくいですが、急な傾斜の列車は上っていきます。

途中に「鵯越(ひよどりごえ)」という駅もあります。

平安末期の源平合戦の時の一ノ谷の戦いで、源義経が平家軍の背後をつくために、鵯越という「絶壁」から一気に下りて奇襲をかけたという逸話もあるくらいです。
(ただ、その奇襲を行った場所が別の場所だったという説もありますが…)

少なくとも、神戸の北側には急斜面の六甲山地がそびえている訳です。

鉄道にとっては急斜面は天敵。
そんな場所に鉄道を通した訳です。
線路は蛇行しつつ、北へ北へと向かいます。


三木方面と有馬方面とに分かれる鈴蘭台駅を過ぎてしばらくすれば、先ほどまでの急斜面が嘘かのような開けた台地に出てきます。

ノンビリした風景の中を列車は西へ西へと向かって行きます。


14:42 三木上ノ丸駅到着 三木城へ(播磨国・兵庫)

神戸・新開地駅から1時間弱かけてやってきたのが、三木上ノ丸駅
この右の山をのぼれば、すぐそこが三木城の跡になります。


駅から徒歩2分…

城山へ上る急傾斜の階段。
長さはさほどないものの、傾斜がややきつく、心理的にくるものがあります。


三木城より

眼下を流れる美嚢(みのう)川
両岸に広がる三木市街

城の下には、神戸電鉄が走っています。
この川を下れば加古川まで通じていて、東へは有馬へと通じる街道がある場所でした。
その交わる地点に小高い山があったため、ここに城が建ったのです。


三木城は、別所氏により、室町中期に建てられたと言われています。播磨守護だった、赤松家の家臣として、播磨東部を拠点にしていました。

赤松家が力を失っていたのもあり、尼子晴久、三好長慶、織田信長、毛利輝元など…東西の勢力に影響を受けることになります。

三木城が有名なのは、戦国時代の当主・別所長治が信長に反旗を翻して、籠城戦を戦うことになったからです。

中国攻めの指揮を執っていた秀吉により、三木城を包囲しますが、同時期に荒木村重が謀反を起こしたり、毛利方が西から攻めてきたりと、その包囲網を解こうと、播磨各地で戦闘となります。


最終的には、秀吉により、補給網が断たれ、およそ2年で別所長治は降伏します。


三木城の下に建ててあった看板をみると、華々しい合戦があったかのように見えますが、直接戦闘よりも、兵糧攻めでジリジリと削られる戦いだったのです。

もちろん、兵糧攻めの様子を描いた所で、見栄えのする絵にはなりませんが…


城をしばし散策して城下に降りてみると、所々に歴史のありそうな建物が残っています。

秀吉により攻略された後も、有馬へと通じる街道があったこともあり、城下町が整備されたのです。

15:28 三木駅から帰還

三木城から10分ほどでやってきた三木駅

ここで、今回の城巡りは終了。
神戸電鉄で1時間弱かけて、一旦神戸まで戻ります。

神戸・湊川公園

戦国時代の歴史が好きで、荒木村重や別所長治といった武将は知っていましたし、彼らの居城や、戦闘の背景も知識としては持っていました。

実際に1日でこの範囲を巡ってみて、信長と彼に対峙した武将たちの時代背景を複眼的に見られて、思っていたよりも楽しい旅でした。

複数の事象が、確かに繋がっている…
そう感じさせる旅でした。

その土地に実際行っ感じる空気感
これが旅の一番面白い所だなと。 

終わり


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