法の支配には暴力がつきものなのか――『ひとはなぜ戦争をするのか』を読んで
最近、『ひとはなぜ戦争をするのか』という本を手にする機会を得た。
アインシュタインとフロイトが、1932年に交わした書簡をもとに構成された一冊である。
この本が書かれたのは、第一次世界大戦が終わり、しかし第二次世界大戦が始まる前夜ともいえる時代だった。
つまり、本書は約90年前に書かれた書簡をベースにした本、ということになるのだが、その中で問われていることは、現代社会においても決して色あせていない、ということに、まず驚嘆した。
この本には、アインシュタインがフロイトに宛て書いた手紙と、フロイトのアインシュタインに対する返信、そして現代の論者による解説が収められており、いずれもたいへん興味深い内容となっている。
しかし、その中でも私が特に注目したのは、アインシュタインとフロイトの意見が一致している、以下の2点についてである。
人間には、一種の「残忍性」が備わっている。
法による支配を成立させるためには、結局のところ「暴力」が必要なのではないか。
上記のうち、今回は、「2」についての所感を述べたい。
Ⅰ.アインシュタインの指摘
この手紙がやり取りされた1932年(昭和7年)は、第一次世界大戦が終了し、第二次世界大戦の始まる前の時期にあたる。
第一次世界大戦後の1920年に国際連盟が設立され、国際平和への貢献が期待された。しかし、徐々に機能不全に陥り、最終的には第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできなかった。この手紙は、国際連盟の依頼によって書かれたものだが、アインシュタインの嘆きは、主としてその国際連盟の機能不全にかかわるものであると言ってよい。
アインシュタインが、手紙の中で言っている、「国際紛争の解決策」の内容をまとめると、次のようになる。
すべての国が一致協力をして、立法と司法を兼ね備えた機関を作り、すべての国に対して、その機関に権限を委ねさせるようにする。
その機関が定めた法に従う義務を各国に負わせる。
もし国と国のあいだに紛争が発生した場合には、どんな争いであっても、必ずこの機関に解決を任せ、その決定に全面的に従わせるようにする。
「ところが」とアインシュタインは続ける。
裁判を、周囲からの圧力に負けず公平・公正に行うことは、容易なことではない。
裁判によって何らかの決定が下されたとしても、それを押し通す力がないと、決定が効力を持たない。
実際問題、国際連盟は侵略に対する制裁のための軍事力を持たなかったため、紛争解決のための機関として機能しなかった、と指摘されている。
アインシュタインも、「現状では、このような国際的な機関を設立するのは困難です。判決に絶対的な権威があり、自らの決定を力尽くで押し通せる国際的な機関、その実現はまだまだおぼつかないものです。」と嘆いているのである。
Ⅱ.フロイトの返答
アインシュタインからの手紙を受けて、フロイトはアインシュタインよりも長い手紙を書いて、その質問に応じている。
アインシュタインは、「司法には権力が必要である」と言っているのに対して、フロイトは、「暴力」という言葉を敢えて使って、「権利と暴力は密接に結びついているのです。権利 (法)からはすぐに暴力が出てきて、暴力からはすぐに権利 (法)が出てくる」と言っている。
つまり、フロイトもアインシュタインの主張に基本的に同意している。権利を守ったり、法を守らせて治安を維持したりするためには、「暴力」が必要である、とフロイトは言う。
「しかし・・・」とフロイトは言う。
このようなあり方は、社会が発展していくにつれて少しずつ変わっていきました。暴力による支配から、法 (権利)による支配へ変わっていったのです。
つまり、当初は暴力による解決が中心であった人間社会であるが、次第に「法(権利)の支配」に移っていく。この際に、法(権利)とは、連帯した人々の力、共同体の力にほかならない、とフロイトは説明している。それは、法や権利に支えられた共同体である。
ここでフロイトは「ただし・・・」という。
「この力が暴力であることに変わりはありません」と彼は言う。
共同体は持続的なものにしなければならないが、そこには規則を作って守らせなければならない。そのためには、「法にのっとった暴力」を行使できる機関がなくてはならないのだ。
そして、「法によって支配される」社会ができあがっても、利害の対立が起きれば、暴力によって解決するしかない。
フロイトは、戦争を確実に防ぐためにどうすればいいか、ということについては、「皆が一致協力して強大な中央集権的な権力を作り上げ、何か利害の対立が起きたときには、この権力に裁定をゆだねるべきなのです。(本書より)」と言っている。
そしてそのためには、以下の2条件が必要だと主張している。
1.そうした機関を創設する
2.その機関が、自らの裁定を押し通すのに必要な力を持たせる。
これはまさに、アインシュタインの主張と一致している。
そして、国際連盟には、上記「2」の力、つまり自らの意思を押し通す力を持っていないことが問題である、と主張している。
つまり結局は、フロイトもアインシュタインの主張を肯定しているのである。
Ⅲ.国際連合の成立とその限界の露呈
アインシュタインとフロイトが危惧したとおり、国際連盟は平和の維持機構として機能することはできなかった。
次の大戦が終結後、今度は国際連合が新たに作られ、「法律」にあたる「国連憲章」が制定された。つまり、国際連合は「立法機関」として機能したことになる。
さらに、「国際司法裁判所」と「安全保障理事会」が新たに組織された。
安全保障同理事会の決定があれば、多国籍軍が組織されて軍事行動が承認されることになった。すなわち、国際連合は、司法機関と、暴力としての軍事力を保持することになった。
これによって、アインシュタインが、フロイトへの手紙で書いていた、立法、司法、さらに軍事力の3つを兼ね備えた機関が成立することになったのである。
しかし、2026年の年初にいる我々は、ロシアとウクライナの間の戦争や、イスラエルのガザ地区に対する軍事行動などを目にしてきたし、ウクライナではまだ戦争が継続している。現在も世界の複数の場所で、戦争が続いている。
つまり、アインシュタインが指摘した問題が、少なくとも表面的には解決したにも拘わらず、戦争は無くなってはいない。
さらに、実際に戦争は起きていなくても、他国を軍事力等で威圧する国も複数存在している。
日本やEU諸国などは、国際社会に対して「法の支配」を訴えているが、「むなしい努力」にも見えてくる。実際問題として、それは「むなしい努力」なのだろうか?
Ⅳ.フロイトの処方箋
さて、残念ながら、アインシュタインの疑問に対して、フロイトは「あなたのおっしゃる通りです」と答えるほかなかった。それでも、質問されている側として、そして、心理学の専門家として、フロイトは何とか回答しようとする。
彼は、次のように言う。
心理学的な側面から眺めた場合、文化が生み出す最も顕著な現象は2つです。一つは、知性を高めること。力を増した知性は欲動をコントロールしはじめます。二つ目は、攻撃本能を内に向ける。こと。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。
つまり、世界中の文化レベルを高めていくことで、平和主義者が増え、それによって戦争が起きる可能性を減らすことができるのではないか、という期待である。
フロイトは、叫びにも似た、次のような問いを投げかけるのである。
「すべての人間が、平和主義者になるまで、あとどれくらい時間が掛かるのでしょうか?」
最後に
アインシュタインとフロイトの手紙のやりとりから、すでに約90年が経過した。しかし残念ながら、現在も世界の複数の場所で、戦争が続いている状況が継続している。
フロイトは、人々の文化レベルが向上することで、平和主義者が増加し、それによって世界が平和になる、という世界を期待した。しかしそれが実現していない、ということは、フロイトが間違っていたのか、それとも世界の文化レベルがまだ十分に向上していない、ということなのか。
いずれにしても、本書を読んで私が感じたことは、アインシュタインとフロイトの平和に対する思いに対する強い共感と、彼らが願うような機関が出来上がっているのに、それが思うように機能していないことへの絶望感、さらには、平和の実現のために、今もあきらめずに努力しなければならない、という新たな思いであった。
アインシュタインとフロイトが交わした問いは、九十年を経た今も、形を変えて私たちの前に残り続けている。
それに対して、私たちはどこまで答えを出せているのだろうか。
そのことを考え続けること自体が、いまこの本を読む意味なのかもしれない。
皆さんにもぜひ、本書を読んでいただき、改めて戦争について考えていただきたい。そう強く感じた。
本書は書評であるが、書評として書くよりも、感想を中心に書いてみた。
書評として本書を評価すれば、星5.0(★★★★★)となる。
