Snowman of the Dead|短編小説(#シロクマ文芸部)
「雪だるま、作ってよ。溶けないやつをさ」
それが、彼女――エリカが僕に残した、最後の我がままだった。
一月の深夜二時。コンビニのバイト帰りに通りかかった街外れの児童公園。数日前から降り続いた寒波は、この地方都市を徹底的に白く塗り潰していた。ブランコも、滑り台も、象を模した小さなスプリング遊具も、全てが容赦なく降り積もる雪に覆われ、世界は真っ白な沈黙の中に埋もれている。
僕はひとり、誰もいない公園の真ん中で、手袋越しに雪の冷たさを感じていた。雪は重く、湿っている。明日の朝には、きっと子供たちが無邪気に遊び回るのだろう。しかし今、この場所は生者の領域というよりは、死者たちのための巨大な白い墓標のように見えた。
現代において、魔法なんてものはスマートフォンのバッテリー残量よりも頼りにならない。僕の家系は代々「季節の結び目」を管理する、いわゆる裏方の魔術師だった。だが、文明の発展と共に季節の巡りは空調設備と地球温暖化に支配され、僕らが振るう「冬を留める呪い」や「春を呼ぶ祈り」は、今や時代遅れの骨董品、あるいは質の悪いオカルト趣味と同列になってしまった。
かつては五穀豊穣を司り、神として崇められた一族も、今や深夜のコンビニで賞味期限切れの弁当を廃棄する青年に成り下がっている。
「さて、やるか……」
僕はかじかむ指先で雪を丸め始めた。まず、掌に収まる程度の核を作る。そこに、エリカが病院のベッドで僕に預けた、小さなガラス瓶の中身を混ぜ込んだ。その瓶の中には、彼女の記憶の欠片が入っている。
僕の一族には、人の感情や記憶を季節の事象に転化する秘術があった。エリカはそれを知っていた。彼女は僕の数少ない……いや、唯一の「こちら側」を理解してくれる友人だった。
街灯のオレンジ色の光が、降りしきる雪を琥珀色に染めていた。
雪を転がすと、ゴロゴロと重たい音を立てて球体は大きくなっていく。胴体ができ、頭ができる。僕はそれを慎重に重ねた。目は公園の隅に落ちていた黒い石ころ。鼻は折れた欅の小枝。口は僕のコートの第一ボタンを強引に引きちぎって、その赤い糸ごと雪の面に押し込んだ。
仕上げに、右手の指先を少しだけ噛み、滲んだ血をその雪だるまの胸元に垂らした。真っ白なキャンバスに、一滴の鮮血が染み込んでいく。
「――氷の理、忘却の淵。境界を守る盾となれ。命を吹き込む……」
その瞬間、風が止まった。シンと冷え切った空気の中で、雪だるまの石ころの目が、不気味に、しかし確かな意志を持って瞬きをした。
真っ白な身体が微かに震え、あろうことか、そいつは器用に「腕」として刺された小枝を動かして、僕に敬礼をしてきたのだ。
『お疲れ様です、ご主人様。えらくお粗末な器を用意してくれましたね。もう少し、雪質の選定には拘って頂きたかったんですが』
声は少年のようでもあり、老婆のようでもあった。雪が擦れ合うような、ザラついた、しかしどこか気品のある声色。
「贅沢を言うな。現代の魔力供給量はカツカツなんだ。お前を具現化させるだけでも、今の僕はへとへとだ」
『分かっていますよ。それで、私を呼び出した理由は? まさか、単なる雪遊びじゃないんでしょう? それにしても、この不自然な熱気……鼻が曲がりそうだ』
雪だるまは石の目を細めて、街の北側を見つめた。雪だるまが指摘した通り、空気は淀んでいた。雪が降り続いているというのに、北の空だけが不自然に赤みを帯びている。それはオーロラのような幻想的なものではなく、傷口から溢れ出した膿のような、どろりとした不浄の赤だった。
「不気味だな……」
「ええ、とても。それよりご主人様、私に名前をください。ぜひ、センスのいい名前を」
「じゃあ、シロ」
雪だるまは「普通ですね」と言って笑った。
今、この街では異常事態が起きていた。気象庁は「記録的な暖冬」や「局所的な異常気象」という言葉で片付けようとしているが、魔術の端くれを嗜む者には分かっていた。それは「冷熱病」と呼ばれる、概念的な災害だ。
人々の「冬は寒いから嫌いだ」や「早く暖かくなってほしい」という過剰なまでの欲望が現代の都市構造と結びつき、季節の循環を歪めてしまった。冬という季節を無理やり食い荒らし、本来の秩序を無視して春を強制的に引きずり出そうとするバグ。その熱源からは、人々の記憶を糧とする異形の化け物が這い出していた。
「シロ、移動するぞ。認識阻害の準備は?」
『いつでも。通行人の目には、私はただの『風に舞う雪の塊』にしか見えません。もっとも、この時間に歩いている物好きがいれば、の話ですがね』
シロは不器用に雪の体を引きずりながら、公園の出口へと向かった。歩くたびに、キュッ、キュッという雪を踏む音が響く。その後ろに着いて、僕はゆっくり歩いた。
深夜の住宅街は、死に絶えたように静かだった。だが、北へ向かうにつれて明らかな変化が現れた。道路の端に積み上げられている除雪された山が不自然な速度で溶け始め、アスファルトからは黒い湯気が立ち上っている。
――気温が急上昇している。
マイナスだったはずの体感温度は、今や春先、あるいは初夏のような不快な暖気に満ちていた。
「ひどいな……」
僕は呟いた。道端の側溝には、溶け出した雪が濁流となって流れ込んでいる。まだ一月だというのに、民家の庭先に植えられた梅の木が、狂ったように蕾を膨らませていた。それは生命の躍動ではなく、拷問にかけられて無理やり叫ばされているような、歪な開花だった。
『ご主人様、見えました。あそこです。この街の熱点、その中心地です』
シロが小枝の指で指し示したのは、街で最も高い建物――駅前にそびえ立つ、休業中の百貨店だった。その屋上から巨大な陽炎が立ち上っていた。夜空に揺らめく陽炎は、まるで燃え盛る心臓のようだった。
「あそこに、エリカの記憶の一部が囚われている可能性がある」
『彼女の? なるほど。あの中に閉じ込められた記憶を核にして、この冷熱病は拡大を続けているわけですね。未練、あるいは未完の願望。それこそが一番の燃料になる』
僕は拳を握りしめた。エリカが死ぬ直前、僕に預けたあのガラス瓶。その中身は、彼女の記憶の全てではない。
彼女が病院の窓から見ていた景色、僕と交わした他愛のない約束。そういった「まだ形になっていない未来の記憶」が、何者かによって奪われていた。
「行くぞ。僕の冬を、彼女の冬を、勝手に終わらせるな」
「了解」
百貨店の入り口は、熱気で歪んでいた。自動ドアは故障し、半開きになったまま固まっている。中に入ると、むせ返るような生ぬるい空気が僕たちを襲った。
「くそ、暑いな……」
『私にとっては死活問題ですよ、これ。放っておけば五分でシャーベットになります』
シロは自らの身体から冷気を放出し、周囲の気温を強引に下げていた。それでも、彼の白い身体は少しずつ小さくなっている。溶け出した水が、百貨店の高級な絨毯に染み込んでいく。
エスカレーターを駆け上がり、僕たちは屋上を目指した。フロアを上がるごとに、異形の影が姿を現す。それは、赤い半透明の身体をした、カゲロウのような羽を持つ怪物たちだ。
「シロ!」
『心得ました!』
シロが大きく口を開けた――いや、顔の雪が割れた。そこから放たれたのは、猛烈な吹雪。しかし、ただの冷気ではない。それは、「エリカが体験した、人生で最も冷たかった瞬間」を物理的な破壊力に転化したものだ。
――初めて一人で留守番をした、寂しい夜の廊下。
――模試の結果が悪くて、立ち尽くした冬の駅のホーム。
――病名を知らされた瞬間の、心臓の凍結。
それらの冷たい記憶は、カゲロウたちの赤い炎を瞬時に凍土へと変えた。パキパキと音を立てて怪物の群れが氷の彫像と化し、重力に従って粉々に砕け散る。
「すまない、シロ。彼女の辛い記憶を武器に使って」
『謝る必要はありません。記憶は使われなければただのゴミですから』
屋上のドアを蹴破ると、そこには地獄のような光景が広がっていた。屋上庭園の木々は全て枯れ果て、代わりに赤い結晶の触手が空に向かって伸びている。
その中心で、一人の少女のような形をした炎の塊が浮遊していた。その顔は、エリカによく似ていた。いや、エリカそのものだったかもしれない。彼女が捨て去りたかった病への恐怖と健康への渇望が混ざり合い、冷熱病の化身となった姿だ。
『……来……た……の……』
冷熱病の化身が口を開く。その声は、重なった何百人もの悲鳴のように響いた。
周囲の温度が、一気に数百度まで跳ね上がる。肌がジリジリと焼けるような感覚。喉が渇き、視界が淀む。
「あれはエリカじゃない。ただの燃えカスだ」
僕は自分に言い聞かせ、両手で印を結ぶ。
「シロ、全力で頼む。僕の魔力を全部くれてやる!」
『仰せのままに。ですがご主人様。これが終わったら、僕はもう形を保てませんよ?』
シロの石の目が、どこか寂しげに僕を見つめている。
「分かってる。だけどこのままじゃ……この街の冬が終わらない。彼女が愛した冬が、めちゃくちゃにされたままだ」
『なら、最高に綺麗なフィナーレにしましょう』
シロの体が青白い光を放ち始めた。彼は自らの雪の身体を燃料として燃やし始めたのだ。魔術師の血を引く僕の魔力を、雪だるまという媒体を通して、究極の絶対零度へと昇華させる。
冷熱病の化身が咆哮を上げた。赤い炎の触手が四方八方から僕たちを襲う。
僕は結界を張り、熱波を防ぐのが精一杯だった。足元のアスファルトが溶け、靴の裏が焦げる臭いがする。
「いけ、シロ!」
シロは地面を滑るようにして加速した。彼の身体は、もう半分もなかった。溶けた水が尾を引き、蒸気となって消えていく。それでも、彼は止まらない。
炎の触手を潜り抜け、熱波に身体を焼かれながら、彼は化身の懐へと飛び込んだ。
『喰らえ……これが、彼女が一番大切にしていた、春を待つ雪の情景だ!』
シロが化身を抱きしめた。その瞬間、世界が真っ白な、純粋な閃光に包まれる。それは破壊の光ではなく、全てをあるべき姿へと戻す、浄化の輝きだった。
エリカが死の間際、病院のベッドで最後に僕の手を握って言ったこと。
「雪が解けたら、また会えるかな」
その言葉に込められていたのは、死への恐怖ではなく、新しい季節へのささやかな希望だった。
シロの中に残っていた、最も美しく、最も純粋な冬の終わりの記憶。それが冷熱病の化身の核と接触し、莫大な中和反応を起こした。
爆発的な冷気が、百貨店の屋上を包み込む。赤い炎は一瞬で鎮火され、結晶の触手は霧のように霧散した。冷熱病の源は、その圧倒的な冬の真理によって上書きされ、消滅したのだ。
気づけば、僕は屋上の床に膝をついていた。周囲には、静かな雪が再び降り始めている。
先ほどまでの不快な熱気はどこにもない。鼻をつくのは冬の夜特有の、あの冷たくて澄んだ空気の匂いだけだ。
「……シロ?」
僕は声を絞り出した。目の前には、何もなかった。
シロがいた場所には、僕のコートから引きちぎった第一ボタンと、彼女から預かっていた空のガラス瓶が転がっているだけだった。
そして、わずかな水の跡。
空を見上げると、厚い雲の隙間から、明けの明星が静かに輝いていた。東の空が、微かに白み始めている。
『……ご主人様、聞こえますか?』
風の中に、声が混じった気がした。それはシロの声であり、同時に、どこか懐かしい他人の声のようでもあった。
『冬はいつか終わります。終わらなきゃいけないんです。でも、それは消えることとは違う。水になって、土に還って、次の春を育てる。あなたは、その春をちゃんと歩いてください』
僕は震える手で赤いボタンを拾い上げた。少しだけ、シロの氷のような冷たさと、魂の熱さが混じった感触が残っている。
「分かってる……分かってるよ、シロ」
僕は立ち上がった。全身の倦怠感と、魔力を使い果たした喪失感。でも、胸の奥にある重苦しい塊は、いつの間にか消えていた。
百貨店を出ると、街は静かに夜明けを迎えていた。駅前の電光掲示板が、現在の気温を「マイナス3℃」と表示している。正常な、正しい冬の朝だ。
新聞配達のバイクの音が、遠くから聞こえてくる。
日常が戻ってくる。誰も、この夜に何が起きたのかを知らない。一人の魔術師と、一人の雪だるまが、この街の季節を守ったことなど。
僕は歩き出した。
公園の横を通りかかると、僕が昨日作ったはずの雪だるまの土台は、もう跡形もなく消えていた。ただ、そこには小さな梅の木が一本立っていて、一輪だけ、まだ固い蕾が誇らしげに空を向いていた。
「お疲れ様……」
僕は誰にともなく呟き、コンビニの横にある自動販売機で温かい缶コーヒーを買った。かじかんだ指先に、缶の熱が心地よい。
この熱は、さっきまでの冷熱病とは違う。生命を蝕むものではなく、明日へ繋ぐための確かな温もりだ。
僕はポケットの中で、赤いボタンを転がした。
冬はまだ続く。でも、次にこの街に春が来る時、僕は少しだけ前を向いて歩けるようになっているはずだ。
空が、ゆっくりと青く染まっていく。
僕は一口、苦いコーヒーを飲み込み、新しい一日が始まる街へと足を踏み出した。
雪だるまが守ってくれた、この冷たくて愛おしい世界を、僕はもう少しだけ生きてみようと思う。
(了)
いや違うんですよ。聞いてくださいよ。
最初はね、冬のハートウォーミングストーリーを書こうと思ったんです。でも、どうしても、どうしてもあのディズニー映画の、あの雪だるまのキャラクターが頭から離れなくて……。
でも、他の人とネタが被りたくない一心で、
「こうなったらバトルものにしよう」
と思い立ち、3回くらい書き直して、こうなった次第です。
めちゃくちゃ楽しかったです、はい。
アフターストーリーも書きかけましたが、収拾がつかなくなるのでやめました。
こちらもどうぞ。
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