なぜ人は”斜に構える”のか?批判の裏にある本音と希望
合宿の場でよく相談を受ける“斜に構える人”
こんにちは、ばんです。
先日、とあるクライアント企業の合宿を行いました。経営陣と現場のメンバーが一緒になって、新たな事業の方向性や組織づくりを話し合おうという場。大事にしたいキーワードは「一緒につくる」。まさに、僕が普段掲げているコンセプト「事業をつくる、一緒につくる」に直結するテーマでもあり、やりがいを感じる一幕。
その中で、そこに参加していた何名かのメンバーが、なんだかちょっと「斜に構えている」ように見えると相談をもらいました。実際に、経営陣が方針を説明しているときに少し半笑いでにやける瞬間があったり、「本当にそんなことできる…?」と批判めいた投げ返しがあったり。
経営陣も今後の方針についは正解をもっているわけでもなく、悩みながら方向性を作ってみただけ。それを叩き台に一緒に作りたい。それなのに反抗的な態度に見えたようで、「ああいう姿勢に困っているんです」「合宿に呼んだのに、何だか全然乗り気じゃない」と相談を受けました。
ただ、これは特段珍しい話でもない。いろんな企業の経営合宿や全社会議などの場にいくとよくある光景でもあります。それに、僕自身も初めてマネージャーという役割を担ったとき、年上のメンバーの方から反発を経験したこともあります。(今は少し見え方が違いますが、当時はなんてやつだって思って「反発・反抗してる」と僕には映ってました。自分の力不足を棚にあげて。。笑)
そこで今回は、合宿でも話題にあがった“斜に構える”という態度に注目してみたいと思います。
そもそも「斜に構える」ってどういう状態?
改めてどんなシーンを見て「斜に構える」ように映るのか、から考えてみたいと思います。
“斜に構える”という言葉は、「ちょっと冷めた目で見る」「半笑いでバカにする」「何でも批判的にとる」といったネガティブな印象で使われることが多いですよね。例えば👇こんなイメージでしょうか。

実際によく聞く声としては、経営陣やほかの現場メンバーが「せっかく提案しても、あれこれ不満を言ってくる」「こちらの言い分を怪しんでいるような雰囲気で接しにくい」と口にされることも多いです。
いわゆる「不信感」が漂っていたり、こちらの言葉に対して「はいはい、どうせ…」と冷めた反応をしたり。
こうした態度をとられると、正直ちょっと傷つくというか、「え、そんなに批判しなくてもいいじゃないか」と落ち込んでしまう瞬間もありますよね。。
少し傷ついた自分の裏返しで相手を批判したくなりますが、振り返ってみると僕自身も斜に構えてしまったことは数知れずありますし(反省)、みなさんも心当たりがある方もいるかもしれません。
自分の身を振り返ったときに思うのは、好き好んで斜に構えているわけではないということ。言うまでもなく、人には人の事情や景色があります。ちゃんと話を聞いてみると実はいろいろ言いたいことがあるだけかも。
では、なぜ斜めに構えざるを得ないのか?斜に構えてしまう構造とは?次は、それを考えてみたいと思います。
なぜ斜に構えざるを得ないんだろう?4つの理由。

❶ 個人の尊厳・アイデンティティの防衛
DXなどで業務変革の話も最近よく聞きますが、変わろうというメッセージは、これまでの自分たちを否定する痛みも伴います。「自分の仕事や専門性が否定されている気がする」「長年やってきたやり方を急にダメ出しされた」こうなると、自分の尊厳を守るためにも、人は防御せざるを得なくなる。
また、そもそも経営方針や変革のメッセージが出た時に、自分で自分のやり方を決められるのではなく、自分の意志とは別のところで「上」から決められたように感じて、自分の主体性や自由を主張・強調したくなる心情もよく聞くところです。
❷ 経営や組織への不信感・疑念
「前にも同じようなことあったけど、結局何も変わらなかったじゃん」「上層部はきれい事ばかり言うけれど、本当は違う意図があって我々をコントロールしようとしてないか?」といった不信感。それと、夢物語に聞こえてしまって、現場のことわかってる?といった疑念もよく出てくる声の一つです。
過去の施策や方針が”失敗”と意味づけられていたり、経営への不信感(例えばリストラなどを組織として経験していたり)すると、余計に慎重になってしまう。人が疑い深くなってしまう背景にも、やっぱり理由がありますよね。
政治に対して陰謀論が出てくる…みたいなのも、真実かどうかは僕には分かりませんが、いずれにしても不安や不信感からそういった物語で見えてくるのと同じなのかもしれません。
❸ 集団のなかでの役割・正義感
合宿や大きなミーティングの場で「自分が代表して言わなきゃ」という責任感を持っている方も多いです。「みんな遠慮してるけど、本当は不満があるんじゃないか?」「集団が同じ意見に流れていて、ただのイエスマンの集まりになってしまう/集団浅慮に陥ってしまうのでは」といった使命感・正義感。
また、ちょっとだけ、周りに「上にもの申せる・異議を唱えた自分として表現したい/見られたい」というヒーロー意識があるという方もいらっしゃいます。
言いたいことを言ってくれる人の存在そのものはありがたいと思います。ただ、それが行き過ぎると「あいつ、いつも批判だけしてきて全然提案がないんだけど…」となり、結果的に周囲とギクシャクしてしまう。
また、集団の代表者として話されると「集団全体の声」となってしまい、そこにあった個々人で微妙に異なる景色や声が聞こえなくなったりしてしまう。それはもったいないので、その責任感や正義感には感謝をしつつ、個別の景色も聞いてみたくなりますよね。
❹ 変化すること自体への抵抗感・怖さ
「急に何かが変わるんじゃないか」「自分の仕事量が増えるんじゃないか」「そもそも自分の立ち位置はどうなるの?」といった不安が渦巻いていると、「なんでそんなことやるんだ?」と疑いの目で見てしまいがちです。
変化って、どんなにプラスの要素があっても怖いんですよね。人は本能的に安定を求めますから、変化の理由や背景をちゃんと理解していないと、つい守りに入ってしまうのも無理はありません。
ただし、具体的にどんな変化が起こってくるのかを、誰かが一生懸命考え抜いて説明していくのは難しい。実際にどんな変化が起きるかの解像度を高めるには、その業務につかれている方と一緒に高めた方が効率的・効果的です。そこは説明・説得をするより、感情面をきちんと理解しつつ、一緒に考える場を一緒につくっていく、というのが大事なのかも知れません。
斜に構えているように見えるとき、どう向き合ったらいいんだろう?
せっかく縁あって集まった組織・チーム。経営や事業を「一緒に」作りたいだけだが、それがどうしても難しい。。どうすればまっすぐに話ができるのでしょう?いくつかポイントを整理してみました。
尊厳・大事にしているものを否定しない。相手の正義は相手の正義。
当たり前のことですが、まずは相手が大切にしている価値観ややり方を、一方的に否定しないこと。
当たり前なんですが、これは意外とやってしまいがち。経営陣や経営企画など、外部に目を向けていたら変化しないとまずい…!という危機感を持つこともあり、その危機感から現状否定の文脈を伝えてしまいがちだったりもします。
ただ、今までやってきたことは「今後使えない・不要になる、ダメなもの」ではなく、「これまで大事にしてきた資産」でもあります。相手が大事にしていることを尊重する。当たり前のことですが、つい未来に向けて変わって行こうとするときに、これまで・今を軽んじてしまう力学も踏まえつつ、相手の大事にしている・これまでの自分たちを大事にする姿勢は大事だなと感じています。
パワーバランスを整える場づくり
合宿やワークショップをやるときは、あえて肩書・記号を降りる場を作るのも大事だなと感じています。経営陣が「社長」や「部長」として話をすると、どうしても圧力を感じる人はいますし、上の人が下の人に話しているように感じてしまう人もたくさんいらっしゃいます。
社長や部長が本意でなかったとしても・普段意識をしていなかったとしても、無意識にパワーをもっているように見える・感じるのも、社会的な生き物としての性だと思います。(自分自身を振り返ってみても、なんかすごそうな人を目の前にすると、色がついて見えてしまいますよね。)
だからこそ「いまはただの○○(個人名)で話させてください」というような言い方で、フラットに話す、もしくはフラットに話せる場づくりをする。
実際に、よく外部として入ってほしいと相談をいただきますが、それは第三者としてファシリテーターが介在すると、全員が「参加者」という同じ立場になれるという側面もあるんだろうなと思っています。
パワー自体はどうしても発生してしまうものとすると、パワーを「なくす」というよりは、完全にフラットにすることは難しい前提で、いかに一人の人として話す場のデザインができるか、といった感じでしょうか。
経営側の個人的な景色・感情面も開く
「なんで変化が必要なのか」「会社としてどんな危機感を抱いているのか」「どんな未来をつくることにわくわくしているのか」「正直な話、なんで変化したいのか(例えば創業者の方針を超えたいとか個人的な話でも)」を経営陣が素直に・ナラティブに開示することも大切です。
経営陣からすれば当然と思っている背景事情は、現場にとっては初耳だったりするんですよね。僕も支援の中で「今期このままだと会社として大ピンチなんです」と社長が腹を割って話した瞬間、急に現場が真剣味を増す……なんてシーンを何度も見てきました。言わなくても伝わるほど、人間ってテレパシー能力ないですしね。
あと、危機感を煽るよりも、めざしてみたくなっている未来のような前向きな話だったりその方個人の想いを知れた方が共感できることもめちゃくちゃよくあります。こないだの合宿でも、「経営陣が夢を語ってくれていること自体に共感した」という話があったり、「お父さんの背中を超えたいというのは自分も共感した」という話もありました。
「共感の連なり」はすごく大事なキーワードだと思っています。人は自分が共感できれば、仲間になれます。逆に無理に論理的に説得したりすると、頭で理解しても心が追いつかないような場合はもったいなさも感じてしまいます。できる限り自分の個人の景色・感情を開いていくのも大事ですよね。「共に感じる・感じ合える」組織づくりです。
事前に個別で対話する
合宿や大きな会議の場が初めてのプレゼンテーションだったり初出しの情報だったりすると、びっくりしてしまう・寝耳に水状態にもなります。先述のとおり、変化にストレスは絶対についてきます。どんな人でも強がっても変化適応はストレスがかかっているそうです。
そう考えると、びっくりした反動で、「そんなの無理!」と反発するのもわかりますよね。だからこそ、事前に1on1などで「今こういうことを考えているけど、どう思う?」と聞いておいて一人ひとりの景色をシェアしてもらうこともかなり大事。
言葉でのコミュニケーションも、受け取れる情報量にも限りがあるからこそ、少しずつ触れながら誤解が生まなくて済むようなコミュニケーションを丁寧にとっていくことも大事なのかもしれません。
対立が表面化することを避けたりせず、あえて立ち止まってみる
また、無表情で聞いている方や斜に構えている方に話を振っていくと、批判的に・攻撃的になるシーンもあります。そして、攻撃的になられると、こちらも攻撃をせざるを得なくなり、売り言葉に買い言葉で場として対立的な場になることもあります。
そういう場面をどうしても避けたい気持ちは出てくる人も多いかと思いますし、ひとまず対立の火を消そうと一旦やり過ごそうという人もでてきます。
ただ、対立すること自体を悪いことと捉えないこともできます。
ある意味、意見を聞いてくれ…!ときちんとスタンスを表明してくれようとしているわけですし、怒りが伴うものであったとしても、裏側に願いやこうあってほしいという期待があったりもします。
そして、一見”苦い”意見だったとしても、向き合ってみる中で、意外に新しい景色が立ち上がってくることもあります。
ご参考までですが、僕が上記の捉え方をしたのは「対立の炎にとどまる」というどんぴしゃの書籍に出会ったからでもあります。
斜めな人こそ、実は真摯に取り組もうとしているのかもしれない
これは最後に触れておきたいことなんですが、そもそも「斜に構える」のもとの意味には「物事に真摯に取り組む」というニュアンスがあるそうなんです。

つまり、パッと見は皮肉っぽく見えても、実は“真剣”だからこそツッコミを入れている、なんてこともあるわけです。
たとえば、どんなに気になるメンバーだったとしても、「そもそも合宿まで足を運んでくれた・きてくれた」という見方もできる。反発しているようで、「このやり方では動かない、このままじゃダメだ」と何かしらの危機感を持っている人もいるかもしれない。そう考えると、斜に構えている人こそ、実はもっと踏み込んで話をしたいのかもしれない。
だからこそ、一括りに「なんかイヤミ言うやつ」と決めつけてしまうのはもったいないのかもなとも思います。
いろんな企業組織を見てきた中で、チームで何かを作るときこそ、いろんな視点が混ざり合うと面白い化学反応が起きます。誰もが「よし!一緒にやろう!」とまっすぐ前を向くのが理想の姿かもしれません。
ただ、”斜に構える人”がいるからこそ、見落としていたリスクがわかったり、本質的な議論が深まったりすることもあります。もちろん、その“角度”が強くて周りを傷つけてしまうことは避けたいので、場づくりやコミュニケーションの工夫が必要ですが。(逆に斜に構えてしまったな…という方は、自身の感情・思いの伝え方として、違う表現方法を模索するのも大事だとも思います)
今回は、合宿の中かなりいい議論が繰り広げられて、合宿後に経営陣の方々から「時間はかかりそうだけど、意外とあいつらがキーマンかもしれないですね」と言われたとき、なんだか嬉しくなりました。僕の初マネージャー時代を思い出しながら、「そうそう、ああいう人が後からぐっとチームを引き締めてくれたりするんですよね」なんて会話をしました。
斜に構えているというのを単に悪いものと決めつけず、立ち止まって向き合って見るのも大事かもしれません。人生いろいろ、組織もいろいろ。関係に悩んでいる方に何かしら分かち合える内容だったら幸いです。
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