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もっと自由に生きてもいいのか? ― ヨルシカとHSPに気づいた自分へ

「もっと自由に生きてもいいのか?」
そう自分に問いかけるきっかけをくれたのは、ヨルシカの一曲だった。

ヨルシカを聴きはじめたのは、もう何年も前のことだ。
YouTubeのおすすめに流れてきた「ただ君に晴れ」を聴いてから
俗に言うハマった、、、。

それ以来、彼らの曲を繰り返し聴き、
歌詞に心を預けるように過ごしてきた。

歌詞の一つ一つが棘のように心に刺さり、
日常の中で忘れられない言葉になっていた。


ライブで沁みた言葉

数ヶ月前、ライブ「負け犬にアンコールはいらない」を観たとき、
心の奥に閉じ込めていたものが一気に溢れ出した。

「もう一回、もう一個だって落としても死ねない
負け続けても笑った君が白痴みたいじゃないか」

このフレーズを聴いた瞬間、
辛かったことがフラッシュバックして涙が止まらなかった。

押しつぶされそうな日々、体にまで出ていた不調。
それでも平然を装って、笑って誤魔化していた。
「まさに自分のことじゃないか」と思った。


視覚に刻まれる残像

さらに忘れられないのは、
ライブ映像で歌詞がスクリーンに映し出された場面だ。
耳から届く音と同時に、
その文字が脳裏に焼き付いた。

白い文字が光の残像のように焼き付いて、
今でもまぶたの裏に浮かぶ。
ただ聴くだけより、ただ読むだけより、ずっと強く。
音と言葉と映像が一体となって、心に深い刻印を残した。


suisさんの仕草と、心の悶え

サビで、suisさんが人差し指を掲げた瞬間、
胸の奥がえぐられるような感覚に襲われた。

「もう一回、もう一歩だって歩いたら負けだ
つまらないって口癖が、僕の言い訳みたいじゃないか」

その姿を見た途端、心が悶えるようにざわめいた。
ああ、自分は本当は辛かったんだ。
ずっと我慢していたんだ。
ずっと気持ちを抑え込んで、強いふりをしていたんだ。

ライブのその場で、初めてその事実を正面から突きつけられた気がした。


「強さ」を演じていた過去

私はずっと精神的に強いと思い込んでいた。
いや、思い込まなければやっていけなかったのだ。

弱さを見せてはいけない。
笑っていればなんとかなる。
そうやって必死に演じ続けてきた。

でも実際には、胸はざわつき、眠れず、些細な一言に心を乱されていた。
「強い自分」という仮面を被ることでしか、生き延びることができなかったのだと思う。


HSP気質に気づいた今

最近になって、自分がHSP気質だと気づいた。
人よりも敏感で、音や光、他人の感情に大きく影響されてしまう。

それは弱さではなく、持って生まれた気質なのだと知ったとき、少しだけ心が楽になった。
なぜ人混みで疲れやすいのか。
なぜちょっとした言葉で深く傷ついてしまうのか。
なぜ音楽や物語に、必要以上に揺さぶられてしまうのか。

理由がわかった瞬間、過去の自分をやっと許せるようになった。


敏感さは弱さじゃない

HSPであることは、決して欠点ばかりではない。

人の心の変化に気づける。

小さな美しさを見つけられる。

誰かの痛みに寄り添える。

それは「精神的に弱い」と切り捨ててきた自分が持っていた、もう一つの「強さ」なのかもしれない。

ヨルシカの歌詞に深く共鳴できたのも、この感性のおかげだ。
敏感だからこそ、あのフレーズが刃のように突き刺さり、同時に救いにもなった。


もっと自由に生きてもいいのか?

ずっと「強くなければならない」と思ってきた。
でも今は、「もっと自由に生きてもいいのか?」と問いかけている。

笑顔を作らなくてもいい。
弱さを抱えたままでもいい。
勝ち続けなくてもいい。

「負け犬」かもしれない。
けれど、負け犬なりに吠えて、生きていくことはできる。


終わりに

ヨルシカの音楽に出会い、ライブで心を揺さぶられ、HSPに気づいた今。
ようやく自分を少しだけ認められるようになった。
「強さを演じること」が正解ではなかったのだ。
敏感さを持っている自分だからこそ、感じ取れる世界がある。

だから、もう一度自分に言いたい。

――もっと自由に生きてもいい。


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