時行と新九郎を繋げたい~にわか歴史ファンによる妄想考察~
◆ はじめに
週刊少年ジャンプで連載している『逃げ上手の若君』(作者:松井優征)と、週刊ビッグコミックスピリッツで連載中の『新九郎、奔る!』(作者:ゆうきまさみ)はそれぞれ北条時行、伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)を主人公に据えた歴史漫画です。
本稿は、特に歴史の専門家でもなんでもない筆者が、この作者も時代も出版社も異なる二つの漫画の繋がりをなんとかしてひねり出すことを目的に書いてみた駄文となっております。
よろしければお楽しみあれ。
◆ そもそも
両作品について知らない方向けに解説しますと、『逃げ上手の若君』(以下、逃げ若)は、北条時行が主人公であることは先に述べましたが、時代としては鎌倉幕府滅亡から南北朝、室町初期。年号で言うと1333年から1353年までがおそらく漫画で描かれる範囲です。

おそらく、としたのは現在連載中のため、どこまで描かれるのかは作者の松井先生とジャンプ編集部(と、読者アンケート結果)にしか分からないためです。
本作、アニメ化もしており人気は磐石かと思っていたのですが、どうも結城宗弘(※)が活躍すると打ちきり寸前レベルでアンケート結果がヤバくなるらしいです。
打ち切りの可能性がゼロでなければ、ダイジェスト形式とかでその後が描かれる可能性もあると思います。作者の匙加減次第でしょうか。

南朝に仕える老将で忠実かつ有能な頼れる味方。一日三人老若男女問わず生首を見ないと調子が出ない快楽殺人鬼でもある。
『新九郎、奔る!』(以下、新九郎)は、備中伊勢氏、伊勢盛定の庶子として生まれた伊勢新九郎が、文正の政変、応仁の乱、今川家の家督継承への介入や明応の政変、そして伊豆討ち入りを経て関東を舞台に戦国武将となってゆく模様が描かれます。
時代で言えば室町中期~戦国初期。
こちらの作品、第一話で描かれた伊豆討ち入り(1493年)まで描かれるのは確実でしょう。連載は既に明応の政変まで来ており、伊豆討ち入りまでは秒読み段階です。
物語の結末はまだわかりません。
第一話に戻って伊豆討ち入りを成し遂げ『俺たちの戦いはこれからだ!』で終わるのか、最大延長して新九郎の享年である1519年まで描かれるのか、どこまで描かれるのかはまだ分かりません。
個人的には、息子の氏綱に家督を継承して北条姓を名乗るところまでは見たいなあ。(チラッ)
青年誌掲載であることと、作者のゆうき氏が大ベテランであることから、作品を作者がコントロールできる度合いはこちらの方が高いかと思われます。
たぶん──

『逃げ若』は少年漫画であることと、ストーリーベースになっているのが元々フィクション要素のある太平記であることから、『神力』の設定をはじめとして、現人神として数々の奇跡を起こす諏訪頼重、マッドサイエンティスト上杉憲顕やジャパニーズ呂布土岐頼遠、すべてにおいてイカれている『わけのわからない天下人』足利尊氏など、随所に漫画的誇張やファンタジー的な設定が見られます。

一方の『新九郎』は、盛定スクリーンをはじめとして、ギャグとして分かる範囲の嘘はあれど、ストーリーの根幹や武将の強さなどの描写においては徹底的に現実的な描かれ方をしています。

両者に共通するのは『北条』という姓のみですが、歴史学的にはこの二人の血縁は否定されています(新九郎に至っては存命中は伊勢で通し、北条を名乗ってすらいない)。
◆ じゃあなんで
このような無謀な考察を始めたのかと言いますと、ひとえに両作品の素晴らしさを広めたかったからです。
90年代くらいまで創作界では北条早雲の出自は素浪人説が主流で、かつかなり年を召してから表舞台に立ち始めた中年(老年?)の星という説が一般的認識(早雲という名前がまずジジイっぽいし)だったのですが、近年の研究ではそれが覆されます。
様々な史料研究が進んだ結果、出自は室町幕府の名門、伊勢氏の傍流、備中伊勢氏出身であるということがほぼ明らかとなり、没年も66歳、伊豆討ち入り時点で37歳と、当時からすると一般的な没年と年齢に応じた活躍度合いであることが分かります。
今となっては矛盾の方が大きいですが(北条幻庵の年齢とか見てて違和感を覚えなかったのか?80過ぎて作った子供が97歳まで生きたと?)、昔は88歳没年説の方が支配的でした。
司馬遼太郎の小説もこちらの88歳没年説に基づき書かれてたり、小田原市の公式サイト(平成7年ごろの資料が出展)では素浪人説が筆頭で、備中伊勢氏説は有力な新説くらいの書かれ方をしており、時代による変遷が見られます。
『新九郎、奔る!』は、この64歳享年説を土台に、作者のゆうきまさみ氏の軽妙なタッチと一匙のフィクションをまぶして作られております。
新九郎における一番大きなフィクショナルなところは、おそらく母親の浅茅さんの設定でしょう。

史実(というか、史実があやふやなので、定説かな)では新九郎の両親は父が備中伊勢氏出身の伊勢盛定、母が京都伊勢本家(新九郎においては、『須磨』という名前)出身です。
作者のゆうき氏曰く大道寺太郎との従兄弟設定を拾うためだそうですが、新九郎においては実母が横井家の娘、浅茅と設定されています。(盛定の正妻ではなく、側室。後に伊勢貞藤の正妻になる(ので、後の世で新九郎・伊勢貞藤息子説が出てくる)。)
この伊勢貞藤息子説もそうなのですが、あやふやで諸説ある北条早雲の出自を、可能な限り拾ってしかも矛盾なくまとめるゆうき氏の構成力は流石といか言いようがありません。
実は優先順位の第一は彼が大道寺太郎と従兄弟であり、伊勢貞藤の息子だったという俗説を成立させることで、そこに横井時任さんがうまく嵌ってくれたのです。 https://t.co/d4fw2dGkNI
— ゆうき まさみ (@masyuuki) December 25, 2022
横井家は伝承によると、北条時行の次男、時満の子、時任が愛知郡横江村へ逃れたところに始まり、いつからか地名に因んだ横井という性を名乗り出したそうです。
横井氏については記録が少なく、はっきりとしたルーツはわかりません。
時行子孫というのもあやふやなら、そもそも誰の代から横井を名乗ったのかもよくわかりません。
横井氏は北条時行の次男・時満の子・北条時任(横井時任)が愛知郡横江村に逃れ、その孫・横井時永が赤目城を築城し横井氏を称したことに始まるとされるが、それを証明する史料・資料は存在しない
新九郎における横井時任は、既に横井を名乗っているのは勿論のこと、歴とした官職をもった尾張国国人である模様。新九郎、大道寺太郎それぞれの母方の祖父です(太郎の母と浅茅が姉妹)。

この地味なおじさんが新九郎と時行を繋ぐキーマンになります。
年齢不詳ですが、見た目からするとこの時(1467年)50代後半~60代前半くらいかな。孫がいる年ですが、自ら焼けた家の片付けなどやってるあたり、70代まではいかないでしょう。
新九郎と時行を無理矢理家系図で繋ぐと、以下のようになります。もしかしたら時満と時任の間にもう一代くらい挟まる方が自然かも。
北条時行(1328~1353)━時満(1354?~?)━横井時任(1505ごろ?~?)━浅茅(1435ごろ?~)━伊勢新九郎盛時(1456~1519)
時行の息子、時満については後述します。
この美味しすぎる設定を拾っていただいたお陰で、逃げ若と新九郎の間を繋げることがギリギリで可能になります。ありがとうゆうきまさみ先生。サンクス松井優征先生。
◆ 逃げ若の今後(漫画で描かれないかも)を予想!
令和7年5月現在、少年ジャンプ本誌連載では1351年の打出浜の戦いが描かれています。この戦いは連載初期から悪役として大きな存在感を放っていた高師直との最終決戦です。
歴史的事実に基づきその先に控える主要イベントをざっくり述べると、薩埵峠の戦い(尊氏と直義の最後の戦い)、正平一統(南朝の勝利で南北統一がなされるも、一瞬で瓦解)、武蔵野合戦(時行最後の戦い)と続き、1353年に鎌倉龍ノ口で時行刑死となります。

ですが、漫画ではどういう展開になるのかまだ分かりません。一部読者間では、逃げ上手を最期まで発揮して生き延びる説も囁かれております。
死んだのは影武者で、顔を変えられる風間玄蕃が身代わりになる説、作中では根津孤次郎が主君と共に死ぬことが暗示されておりますが、史実では時行と共に斬られたのは長崎駿河四郎と工藤二郎であること。(孤次郎はこのとき死んでない=時行も死んでない?)などが、考えられる理由です。
◆ 逃げ若の結末は?
時行の結末以上に気になるところとしては、時行の子孫の行方です。
現在連載中の1351年時点で時行は三人の妻(!)を娶っています。
連載初期から行動を共にしてきた雫、亜矢子に加え佐々木導誉の娘、魅摩の三人。信憑性は微妙なところですが、伝わるところによると時行の子はちょうど三人(行氏、時満、高持)おります(一説ではさらに豊島輝時?)ので、漫画文脈的に考えると、おそらくヒロインそれぞれが一人づつ時行の子供を産むのでしょう(あれだけ尊氏を憎んでいるのに行氏とか付けるなよ……)。
武蔵野合戦から一年後──
尊氏に捕まり、遂に刑死した時行。
だが残された女たちのお腹には、新たな命が宿っていた──
~逃げ上手の若君、完~
では終わらせず、さらに先を妄想してみたいと思います。
先程の予想ですが、そもそも元・神様の雫なんかは子供産めるのか?という問題や、幼少期は若様の子を沢山産むの!と言っていた亜矢子も産むのは一人だけかよ。という突っ込みどころ問題もあり、実際どうなるかはまだまだ分からないところです。
まだ伏線めいた要素さえ描かれていないところなので、可能性は無限です。
極論を述べれば結局子無しで人生を終える可能性もあれば、誰か一人が三つ子を産む可能性だってあります。
──まあ、キリがないので各ヒロイン子供一人ずつとして考えてゆきます。
時行没後の歴史の流れを考えてゆくと、今後重要になってくるのは三人目のヒロイン、魅摩だと思われます。
多分読者的には(雫や亜矢子からの扱いも)なんか逆恨みしてくる敵役のメスガキという認識であったかと思いますが、最近の魅摩は違います。
メスガキはとうに卒業し、むしろ時行郎党の中でもっとも重要な南朝を支えるポジションに収まっています。
執事、便女といった北条家または時行個人に仕える二人とは異なり、香坂高宗共々、宗良親王の生活を支える文化コーディネーターみたいな立ち位置におり、普通に有能です。

史実としての宗良親王はこの後およそ20年あまり、計約30年間も信濃に留まり南朝としての活動を続けていた模様です。
大河原の地でなおも信濃の宮方勢力再建を図ったと思われるが、正平24年/応安2年(1369年)には信濃守護を兼ねる関東管領上杉顕房の攻撃を受け、文中3年/応安7年(1374年)、ついに頽勢を挽回できぬまま36年ぶりに吉野に戻った。
そして魅摩に話を戻すと、こちらも逃げ若設定を拾ってゆくと少なくとも1373年まで生きていることは確実です。
「ミま」について
また、「伊予佐々木家文書」に含まれる応安6年(1373年)2月27日付導誉書状に登場する「ミま」の存在が知られる。これは最晩年の導誉が息子の高秀に対し後事を託し、甲良荘尼子郷を「ミま」に譲ることを記した書状で、内容は「ミま」に対して深い愛情を示している。この「ミま」については導誉の孫の六郎左衛門(高秀の子の高久か)とする説と、導誉の妻「北」とする説がある。
◆ ここからは完全妄想です。
時行死後も亡き夫の遺志を継いで香坂高宗らと共に宗良親王を支え続ける魅摩でしたが、度重なる北朝との闘いの末、南朝の仲間たちもその多くが命を落としたり大河原を去ったりします。
やがて、父親の導誉が死亡。
導誉の遺言書が大河原に住む魅摩の元に届けられます。南朝としての活動も限界を迎えようとしており、宗良親王も帰郷を考えている中、魅摩は悩んだ末に時行の遺児を伴い、領地として引き継いだ甲良荘尼子郷(今で言う滋賀県あたりか)に引っ越す決断を下します。
だがそれは、生き残る為とはいえ北朝に恭順することを意味するのでした。
このときちょうど時行の死から20年後、魅摩は47歳です。35年(!)ぶりに佐々木家に帰ってきた魅摩。このとき家督は弟に当たる佐々木高秀が継承。
南朝武将の遺児を連れて帰ってきたこともあり、家中の居心地はすこぶる悪いものだったと思われます。
そこで魅摩は生き延びるため一計を案じます。このとき室町幕府の将軍は二代義詮から三代義満になっています。魅摩は北朝そして室町幕府への恭順の意を示すため、息子の元服名を将軍から一字貰い時満とします。
時満はこのとき19歳、遅めの元服でした(実際遅いんですが、新九郎の甥に当たる今川氏親なんかも20過ぎまで元服を遅らせていたようなのであり得ない話ではない)。
それからさらに19年後(1392年)、ついに南朝が倒れ、南北合一が成されます。
父親同様、当時としては長生きな魅摩でしたが、さすがにそろそろ寿命を迎える頃でしょう(66歳)。
ここで問題が生じます。魅摩が継承した甲良荘尼子郷の土地ですが、これはあくまで佐々木家娘として継承したのであって、一代限りのもの。時満に継承権は認められませんでした。
御大・導誉の孫とはいえ、北条の血を引き、佐々木氏を名乗ることももちろん許されず、片身は相当に狭かったと思われます。
時満は38歳にして近江国から出奔。
そして、流浪の末に尾張国(今で言う愛知県)へとたどり着きます。横江村と呼ばれる土地へと移り住み、熱田大宮司家の巫女を嫁に娶ります。
そして、やがて息子が生まれます。長じて時任と名乗り、横井姓を名乗り出しました。生き延びるため、北条姓は捨てざるを得なかった模様。
……という妄想が頭に降ってきました。
◆ なぜ魅摩か
話は前後しますが、この妄想を広げて行くにあたり、その軸となるのがなぜ雫でも亜矢子でもなく魅摩なのか。
それは彼女と雫、亜矢子との違いのためです。
雫は土着神ミジャクジ様の化身、亜矢子は信濃豪族、望月重信の庶子です。二人と魅摩とで異なる点を挙げれば、そのアイデンティティが信濃地方と深く結び付いているという点です。
彼女たちが時行死後も生存しているとして(雫なんかは時行の死とともに天に召されそうな気さえしますが)、まず亜矢子は父・望月重信から正式に土地を相続しており、子々孫々生活基盤も当然そこが中心となるでしょう。
一方の魅摩は、出自こそ佐々木氏と名門ですが、12歳で家を出た(割に、文通を続けたり京都のコネで仏師を紹介したり、実家との縁も完全に切れた訳でもない)という絶妙なところを拾う逃げ若設定のお陰で、『武家の娘として家と血脈を繋ぐ意識は高い』『土地持ちとはいえ、それに縛られることはない』『有力者とのコネがある』『必要とあらば実家でも生活拠点でもほいと捨てる』といった辺りが矛盾なく落とし込めます。
この辺りの要素から、家名も土地も捨てて尾張国で横井家を興す流れに乗れそうなのは、雫でも亜矢子でもなく魅摩なのかなと思いました。
◆ 最後に
より与太話っぽい考察を。
新九郎のキャラデザは、とんでもなく膨大な人物の書き分けもさることながら、血縁者はそれとなく分かる範囲で共通の特徴付けがなされています。
例えば、新九郎含む備中伊勢家の面々

中下:浅茅、右下:新九郎
こうして見比べてみると、目に特徴が現れている事が分かります。二重で厚ぼったい感じなのが須磨⇒貞興に、つり目でキリッとしている特徴が浅茅⇒新九郎に受け継がれています。
伊勢本家の血なのか、そういう遺伝子を持っているのでしょう。
次に、逃げ若における、時行の変遷。

松井優征氏のキャラデザにおいても、時行は幼少期から一貫してややつり目に描かれてますね。それにしても第一話からしたら随分大人になったものです。
逃げ若、時行の嫁三人(25歳時点)の顔はこんな感じ。

彼女らがそれぞれ時行の子供を産んだとして、子々孫々につり目の形質が受け継がれていきそうなのは誰か……。もうお分かりですね?

松井先生とゆうき先生は絶対裏で示し合わせてると思う。To be continued to Shinkuro hashiru!
北条時行(1328~1353)╤魅摩(佐々木導誉娘)(1328~?)
│
北条時満(1354~?)╤熱田大宮巫女
│
妻╤ 横井時任(1405(?)~?)
│
伊勢盛定(1419~?)╤浅茅(1436~?)
│
伊勢新九郎(1456~1519)
横井時任が生まれたとき、時満は推定50歳くらいということになるので、やっぱり一代挟まるのが自然かも。 時満の娘が横井家に嫁入りするとかで。
長々お読みいただき、ありがとうございました。
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