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「手術はあっけなく、点滴は地獄だった」——肺の手術と、XELOXの話

前回は、定期検査の受付票で肺転移を知った話を書きました。

「取れるなら、取る」。これまでの経験で、私の判断軸はもう決まっていました。

今回は、その2度目の手術——肺の手術と、そのあとに始まった抗がん剤治療(XELOX療法)の話です。

正直に先に書いておくと、この回は「身構えていた手術(入院期間)が拍子抜けするほど楽で、軽く見ていた点滴に地獄を見た」という話です。


入院前日まで連絡が来ない、いつものパターン

2024年6月。肺転移の手術のため、再び入院することになりました。

ここで、人工肛門の手術のとき(第5話)にも書いた「入院日は前日までに連絡します」問題が、またやってきました。

さすがに2回目なので驚きはしませんでしたが、「前日に言われても会社、普通そんなすぐ休めないでしょ……」という気持ちは変わりません。

入院病棟でのこの説明はどうやら決まり事のようです。なので今回も、こちらから主治医に予定を教えてもらい、だいたいの目途で動き始めました。

……予定通りの入院日で早めに連絡がきて、淡々と入院しました。


手術前日

術式は、左下葉の区域切除とリンパ節の郭清。

肺の手術だからか、事前説明や万一のリスクなど、手術についての説明は前回より多かったように思います。


手術当日

看護師さんが病室まで迎えにきてくれ、手術室に向かいました。2度目とはいえ、手術室へ向かうのはやはりとても緊張します。

手術台へ横になり、準備のあと、以前と同じように「麻酔入りますね~」と声がかかりました。

……数秒後。やはり、気づくと手術は終わっていました。

今回は、麻酔が切れて意識が戻る際に、看護師さんや家族と「何か受け答えした記憶」はありました。ただ、何を受け答えしたかは覚えていません。(家族が言うには、やはり前回同様しっかり受け答えしていたらしいですが……)

そのまま、ICUで一晩を明かしました。


術後の不安

正直、私はびくびくしていました。

1度目の大腸の手術では、術後にイレウス(腸閉塞)になりかけて、鼻から管を入れられ、ガスを抜く処置を受けました。私は嘔吐反射がひどく、廊下に叫び声を響かせるほどつらい思いを味わっています。

ほかにも制限が多く、入院中は色々と大変でした。だから今回も「つらくないといいな……」と、身構えていたのです。

……ところが——拍子抜けするほど、スムーズでした。

もちろん、前回とは違う大変さはありました。初日はICUでの経過観察でまったく眠れず、病室に移ってからも2日ほどは酸素吸入で部屋から出られず不便。咳をすると胸の内側が痛むので、咳をがんばって抑えないとつらい。

ただ、これらは想定内というか、「切ったら痛い」という当たり前のことだけでした。3日目からは普通に動けましたし、食事もすぐに普通のものを食べられました。

そして特に想定外のことはなく、術後1週間をまたずに退院となりました。

前回がつらかっただけに、手術の内容や部位によって、術後はこんなにも違うんだなと実感した入院でした。

「なにごともなく退院できてよかった」。本当に、ほっとしました。


入院中の仕事のこと

入院は、有給の範囲内で済みました。

今回は前回の入院時と違い、社内での立場が一段下がった状態だったということもあります。ですが、それ以上に、体を第一に考えてしっかり事前準備をしていたことが大きかったです。

おかげで、上司への引き継ぎも簡単に済み、部下へも前回と同じような説明をして、万全の体制でのぞめたと思います。

気持ちがずいぶん違いました。事前準備をしておいて、本当によかったと思います。


問題は、退院してから始まった

しばらくは、少しのことで肺のあたりが痛むので、生活に注意が必要でした。それでも、退院後の検査でも特に問題はなく、すぐに復職できました。

——本当の試練は、このあとに待っていました。

退院後の検査・診察で、術後化学療法の説明がありました。

私の場合は直腸がんの転移になるので、術後の抗がん剤治療(XELOX療法)が標準治療になること。抗がん剤治療を受けるか受けないかは選択できること。

そして、今までのカペシタビン単剤と違い、オキサリプラチンという点滴を3週間に1回、通院で受ける必要があること。そういった説明でした。

これまでの抗がん剤は、カペシタビンという飲み薬だけでした。倦怠感や手足の荒れはあったものの、付き合ってこられたレベルです。

でも今回は、それに加えてオキサリプラチンという点滴の薬が入ります。主治医からは「副作用が強く出る可能性があります」と説明を受けました。

2024年7月から、術後の抗がん剤治療(XELOX療法)が始まりました。3週を1クールとして、全8クール。期間はおよそ6か月の予定です。

このとき、私はそこまで深く考えていませんでした。

「副作用は個人差があるって言うし、前のカペシタビンも何とかなったし、まあ大丈夫だろう」と。

——この油断を、あとで本気で後悔することになります。


初回の点滴で、一気に突き落とされた

復職していたので、有給を使って通院を開始しました。

抗がん剤の点滴は、まず血液検査を受け、その結果をもとに事前診察を受けてから、という流れになります。診察時間から逆算して、2時間くらい前までに血液検査を受けなければなりません。

検査結果が出るまで約1時間30分待ち、ようやく医師の診察。結果は問題なかったので、説明を受け、点滴を受けるセンターで受付をしました。

ここで、またしても1時間から2時間待ち……。通院のつらいことの一つに「待ち時間」は、間違いなく入りますね。

ようやく呼び出しがあり、区切られた部屋でソファに座って、看護師さんから説明を受け、点滴の準備がされました。抗がん剤の前に、生理食塩水と吐き気止めが流されます。

そしてしばらくして、いよいよ初めての点滴による抗がん剤が流され始めました。

トータルで2時間くらいと聞かされていたので、スマホで動画などをのんきに眺めていました。

最初の数分は、特に何もなく過ぎました。ですが15分くらいで、点滴を刺しているあたりがしびれてきて、だんだんとしびれの範囲が広がっていきました。それ以外は、まだ気になりません。

異変を感じたのは、1時間以上経った頃です。

尿意を催してトイレに行こうとした、そのとき。「まぶたが重い、くらくらする」と気づきました。注意しながらトイレへ向かいます。

さらに、トイレのノブを触った時でした。「ピリピリ」——手から刺激がきました。事前に聞いていた「冷感刺激」です。

何とか用を足し、手を洗おうとすると、また「ピリピリ」。先ほどより強い刺激に、思わず顔をしかめてしまいました。

点滴センターのトイレの手洗いは温水なのですが、温水になる前の最初だけ冷たいタイプ(伝わりますかね……)。だから、少し待ってから手を洗わないといけない。そんなことを、身をもって学習しました。

何とか気をつけて部屋のソファまで戻りましたが、その頃にはもう、倦怠感もひどくなってきていました。

残りの時間を何とか終え、点滴前に買っておいたペットボトルのお茶を飲んだとき、「ピリピリ」——今度は喉から冷感刺激がありました。買ってから3時間ほど経って、少し冷たさが残る程度のお茶。それでこれです。

正直、先が思いやられました。その日はそのまま、家族に迎えに来てもらい、何とか帰宅しました。

帰宅後も、冷たいものに触れるとビリビリとしびれて痛い。冷たい飲み物が飲めない。冷たい食べ物が食べられない。全身がだるい、眠い、気持ち悪い。すべてが、いっぺんにやってきました。

「個人差、というか……これは自分は、ダメな方のやつだね」

正直、つらかったです。安静にしているしかないのに、吐き気で安静にしているのもつらいという、どうにもならない状態でした。

しかも、この耐えがたい状態は、だいたい3日続きました。そこから少しずつ軽くなるものの、結局2週間ほど引きずります。

点滴は3週間に一度。最後の1週でようやく回復してきたかと思ったら、また次の点滴がやってくる。その事実に、精神的にもかなり削られました。


我慢せず、正直に相談してよかった

転機になったのは、2クール目です。

「初回がこんなにつらかった」ということを、医師に正直に伝えました。すると、すぐに対処してもらえました。

薬の量を調整(減薬)し、さらに点滴のときの吐き気止めと、その後の吐き気止めも追加してくれました。

まず、減薬で点滴中のだるさが少し軽くなりました。そして帰宅後の状態も、つらいことはつらいのですが、少しマシに。10日目くらいには、かなり回復できるレベルにまで落ち着いたのです。

私は、抗がん剤は減薬や中止をしたら効果がなくなるので、「黙って耐えるもの」だと、少し思っていました。

でも実際に受けてみて、生活できないほどつらい治療は、続けること自体が難しいのだと知りました。

正直に伝えるほうが、その後の副作用への対応のためにもいい。医師も、伝えてもらわないと対処できません。だから、つらいときは必ず正直に伝えましょう。これは本当に大事なことです。


8クール、何とか乗り切った

減薬と吐き気止めのおかげで、その後は何とか続けられるようになり、結果的に8クールまで耐えきることができました。

ただ、抗がん剤というのは、終わったら終わり、ではありませんでした。

治療が終わったあとも、慢性的な倦怠感と、手足——特に足——のしびれが、なかなか抜けませんでした。オキサリプラチンの末梢神経への影響は、回数を重ねるごとに蓄積していくと聞きました。

実際、私の足のしびれは、このあともずっと残り続けることになります。

「治療が終われば元の体に戻れる」とは限らない。そのことを、身をもって知りました。


休職と、家計のこと

この治療のあいだ、私は再び休職しました。

当初は、通院日やつらい日だけ有給でしのごうと、上司と相談していました。ですが、1クール目でそれが無理だとわかり、すぐに残っていた有給を使い、有給がなくなった後、休職へと調整しました。

抗がん剤が終わったあとも回復に時間がかかり、結局2025年3月まで休職することになりました。

傷病手当金は受給できました。
ただ、時短勤務や降格、管理職手当の廃止などで、給付のベースになる標準報酬月額が下がっていたため、受け取れる額も以前より減っていました。さらに、障害厚生年金との差額調整もあるので、給付額はかなり少なくなりました。

このあたりから、貯蓄を取り崩しながらやりくりするようになりました。家計は、以前より確実に厳しくなっていきました。

それでも、私の会社は退職勧告などもなく、所属する部署の方も理解のある方々だったため、会社を辞めるような状況にはなりませんでした。これは大きかったと思います。

会社に所属できるということは、在籍し続けることで社会保険料の負担が軽くなる、会社の制度を利用できるなど、現実的なメリットがあります。

どうしても辞めなければいけない状況になれば仕方ありませんが、そうでなければ、会社の制度を利用して、短絡的に「辞める」という選択を選ばないほうがいいと思います。

(とはいえ、正直に言えば、このあたりから「いつか辞めることも考えないと」という思いも、少しずつ頭をよぎるようになってきました。)

休職中の傷病手当金や障害年金、家計のやりくりについては、以下の有料記事に詳しくまとめています。

お金の不安を感じている方の参考になれば幸いです。


おわりに

今回、私が学んだことは2つありました。

ひとつは、「軽く考えていたものほど、重かった」ということ。身構えた手術はあっさり終わり、甘く見ていた点滴に地獄を見ました。何が待っているかは、やってみないとわからない。だからこそ、油断は禁物だと痛感しました。

もうひとつは、「つらさは、正直に伝えていい」ということ。我慢せずに相談したことで、治療はずいぶん楽になりました。

つらい抗がん剤を終え、2025年3月に時短で復職しました。手足のしびれ、慢性的な軽い倦怠感、腹部の不調を抱えたままでしたが、また日常に戻れる——そう思っていました。

でも、その日常は、長くは続きませんでした。

次回は、定期検査では見つからず、私自身がふと触れて気づいた「しこり」の話を書きます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


※本記事は筆者個人の実体験に基づく記録であり、特定の制度、手続き、医療行為等の正確性や効果を保証するものではありません。掲載情報は時期や環境によって異なる場合があります。万が一、本記事の情報により損害や不利益が生じた場合も、筆者は一切の責任を負いかねますので、最終的なご判断はご自身の責任においてお願いいたします。



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