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海と狂言ーー野村万作さんの芸と人生


この日ぼくは逗子・葉山に、
友達が出演する市民劇団のお芝居を観に行くにあたって、
せっかくだから、ひさしぶりにこの街を
たっぷり味わうことにした。
午前中の駅前から京急バスに乗って、森戸海岸で降り、
しばらく海を眺めた。

空は青く、空が海に近づくあたりは青に白が混じり、
正面には富士山が空気遠近法で霞んでいて、
海もまた青い。
寄せては返す波の波頭は白く、やがてグレイになって、
白い泡が水面に散る。
遠くヨットの帆布が見える。
左手遠方には朱塗りの鳥居がちいさく見える。
空低く、カモメたちが飛んでゆく、翼を上下させながら。
カモメは白く、ただし翼の裏側はグレイだ。
沖合にはアジやカワハギも泳いでいるだろうが、
もちろんその姿は見えない。
湾の右手にはこんもり緑に覆われた丘が連なり、
ちいさな集合住宅が点在している。
波打ち際を、犬を連れた老人が散歩している。
若い女がジョギングで走り去る。
ぼくは砂浜に座って、海を見ている。

やがてぼくは立ち上がり、チノパンの尻の砂を払って、
街をあてもなく歩く。
ふと、カフェ&ミニシアターのシネマアミーゴを覗いてみたところ、
たまたま狂言師・野村万作さんのドキュメンタリー映画、
『六つの顔』の上映15分まえだったので観ることにした。
映画『国宝』を観て、ぼくは歌舞伎の世界の凄みとおもしろさを知った。
ならば、狂言の世界も覗いてみたくなるではないか。

この映画は、93歳の野村万作が、記念公演に『川上』を演じる姿を中心に、
かれの93年の人生と芸道の奥深さをかれ自身と萬斎たちが語る。

『川上』は残酷な物語である。
十年間盲人として生きてきた老人が、
お地蔵様に願をかける、
どうかふたたび私の眼が見えるようにしてください。
すると観音様はその願いを叶える約束をする。
ただし、ひとつだけ条件があった。
そなたの婚姻は悪縁である。
そなたは伴侶と別れるならば、
そなたの眼は見えるままでいられるだろう。
しかし、もしもこのまま夫婦を続けるならば、
ふたたびそなたの眼はめしいてしまう。
さて、男の眼はふたたび見えるようになって、
老人は狂喜乱舞するのだが。
しかし、問題は伴侶である。
なにせ、老人はめしいてからの十年間、
妻の努力に助けられ生きてきたのだから。
とうぜんのように、夫婦のあいだに激しいいさかいが生まれる。
さて、物語の結末はいかに?

この舞台の万作の演技にぼくはうなった。
見事な型があり、せりふには歌舞伎同様、
「芝居がかった」抑揚があり、
そして演技には止めと間があり、
それがドラマの迫真を作り出す。

撮影はソフトなトーンのモノクロと、
そしてカラーが自然に使い分けられ、
『川上』の舞台のカラー撮影が映える。

音楽は上野耕路さんの手によるもので、
ひかえめながら、意表を突いた音の合わせ方であり、
しかも、クライマックスにはあえて音楽を合わせずに、
沈黙で緊張感を作り出す。
それでいて、本編が終わり、
黒バックに関係者の名前が流れてゆくエンディングには、
現代音楽を刷新するような、打楽器アンサンブルが流れ、
それはコンサート・ピースのような完成度だった。



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