見出し画像

【追記に増補あり】髙市早苗論 エピローグ:髙市早苗とは誰なのか

フォトグラフィは日本語で「写真」と呼ばれる。
ずいぶんと買いかぶられたものだ、
私は溜息をつく。

なぜなら、ひとりの少女の写真がある。
ただし、それを誰が撮ったのか。
父親か。
姉か。
妹か。
恋人か。
女友達か。
撮る人間が違えば、そこにはすべて違った少女が立ち現れる。

髙市さんは高校時代、ドラムスの叩き方を教えてくれた大学生の男の子に、「これ、私が編んだマフラーなの♡」
と言って、実は百貨店で買った機械編みのマフラーをプレゼントした。

結局、それは彼氏の母親に、
「これ、機械編みよ」
と見破られてしまい、大失敗。
それでもかれは、髙市さんと会うたびに、
そのマフラーをしめて会いに来た。
彼氏は心優しい男の子なのだ。
後年、髙市さんはその彼氏を、
「おめでたい男だった」
とまとめておられるけれど。

私は、そんな当時の彼氏が撮った髙市さんの写真を見てみたい。
さぞや愛らしい少女が写っているだろう。
もしかすると、それはけっして、
客観的な少女髙市さんの「真実」ではないかもしれない。
しかし、それは当時の彼氏にとっての、
少女髙市さんの「真実」なのだ。

さて、私はここまで髙市早苗について書いてきた。
しかし、私は髙市早苗が何者なのか、
いまだによくわからない。

衣装を見た。
髪型を見た。
表情を見た。
視線を見た。
声を聞いた。
言葉を読んだ。
行動を追った。
沈黙を聞いた。
支持者を見た。
敵を見た。
身体を見た。

しかし、「髙市早苗」という人間そのものには、
最後まで到達できなかった。

それは失敗なのか。
いや、政治家とは、そもそもそういう存在なのではないか。


私は髙市早苗について書いていた。
しかし、いつのまにか、
私は「政治家を見る私自身」について書いていた。

私は何を見ていたのだろう。
髙市早苗を見ていたのか。
それとも、
髙市早苗を見ている自分自身を見ていたのか。

政治家を見るということは、
いったいどういうことなのだろう。
そんなことを考えているうちに、
髙市早苗さんは、
また次の場所へ行っている。

政治家は動き続ける。
観客はそれを見る。
芝居は、まだ終わらない。

髙市さんの政策が正しいか間違っているか。
円安はどこまでいってしまうのか。
あのでたらめな皇室典範はどうなのか。
移民政策はどうなるのか。
中国政策はどうか。

――こういう話を始めると、
たちまち世の中にすでに大量にある「髙市早苗論」の一つになってしまう。

しかし、私が見たかったのは、そこではない。
「なぜ、この人はこんなにも人を惹きつけるのか」
「なぜ政治家は、こんなにも身体を見せなければならないのか」
「なぜ私たちは、政治家の顔や声や服や歩き方まで見てしまうのか」
「なぜ政治は、これほどまでに劇場になってしまったのか」

そんなことを考えているうちに、
私は髙市早苗について書いているつもりで、
政治を見る私たち自身について書いていたのかもしれない。

私たちは、いわば毎日、髙市さんの写真を撮っている。

しかし、そこに写っているのは、
髙市さんそのものなのだろうか。
もしかすると、
そこに写っているのは、
私たち自身が髙市さんに注いでいる
私たち自身のまなざしなのではないか。


なお、この論考を書きはじめるきっかけは、
たまたま蓮實重彦著『「ボヴァリー夫人」論』を手に取って、
このスタイルで髙市早苗論を書いたらおもしろそうだな、
と思いついたことだった。

最初は、あの老練な蓮實文体をまねしてみたいと思ったものの、
しかし、書きはじめてみると、
あっというまに自分の文体になってしまった。
まあ、そんなものだろう。

なお、日本にいると、
ついつい髙市早苗のことを考えてしまう。

来週火曜日から二週間、
私はウズベキスタンを旅する。
多民族、多宗教、
そして、かつてソヴィエト連邦の一部だった国が、
近年、「ネイション」という物語の創造に着手した。
私は、このことに興味が尽きない。

「日本」という物語について考えていた私が、
今度はウズベキスタンという別の国を歩きながら、
別の「ネイション」の物語を読んでみる。

帰国後、私はウズベキスタン紀行を書くことになるだろう。
どうぞ、おたのしみに。

そんなわけで『髙市早苗論』は、とりあえず、おしまい。
数少ない読者のみなさん、ありがとうございました!

『髙市早苗論ーー衣装、表情、言動、そして政治』
とりあえず、完


【追記】
そして私は旅行準備に、呑気に下着のパンツなど洗濯していたのだけれど、
あまりのニュースが飛び込んできて、
これについて追記を書かずにはいられなくなった。

8月18日、トランプ率いるアメリカ政府は、
国際刑事裁判所ICC赤根智子所長を制裁対象に追加した。
ICCはオランダのハーグにある、
法による支配を護るため、
世界の秩序を破壊させないための国際法廷である。
赤根さんもそこで所長として働いておられた。
ICCには125か国が加盟しているものの、
ただし、アメリカ、イスラエル、ロシア、中国は非加盟。

ICCはロシアのプーチンや、イスラエルのネタニアフに、
戦争犯罪などの容疑で逮捕状を出している。
これがトランプ政権の気に入らないところなのだろう。
しかし、今回の制裁は、
まるで赤根所長をテロリストかなにかであるかのように
扱うしろものであり、
とんでもない事件である。

それにしても、そもそも前述のとおり、
アメリカはICCも非加盟なのである。
それなのに、なぜ、アメリカはそんな制裁を加えることができるのか?
そこにはアメリカの強権と、
ドルによる決済システムの力があるらしい。

さて、この非道に対して、
世界79か国、オランダもEUもフランスもスペインも、
そして国連も、アメリカを強く非難した。

ところがわれらが髙市総理の発言は、
「たいへん残念です。」
それだけ。

おそらく髙市さんのこの一言には、
トランプとの水面下での交渉の失敗への失意が込められているにせよ、
しかし、それであってなお、私は呆れる。
「口だけ番長、タカイチ! 腰抜け!
同胞の日本人の人権も守れないのか!??」
ネットにはそんな罵声が飛び交っている。

もっとも、髙市さんの苦悩もわからないではない。
なぜって、彼女は「世界に平和をもたらすのは、
ドナルドだけ♡」とさえ言ってのけた女である。
そのドナルドがこんなことをやられてしまっては、
髙市さんはメンツ丸つぶれである。
もしかしたら、髙市さんは泣き叫びたいのかもしれない、
「ドナルド、少しは私の立場を考えてくれたって
いいじゃない!!!」

他方、トランプにとっては、
「ICCは次はおれさまに逮捕状を出すんだろう?
そうはさせるか、ボケ!」
というわけなんだろう。

髙市さんは外交が下手ですね、
中国にもロシアにも、
おまえのことは大嫌い、
とあからさまに言ってしまっているようなもの。
わずかにトランプだけは味方のはずだったのに。

そこはさすがに安部さんは違って、
アメリカは言うに及ばず、
中国ともロシアともイランとも、
ちゃんとにこやかに外交をしてらした。
だから日本は、少なくとも大国との関係を
極端に悪化させずに済んだ。

髙市さんの「コミュニケーション」は、
一方的に自分がしゃべりたいことをしゃべるだけですからね。
相手と会話することがそもそもできない。
ましてや相手の出方に応じて、
自分の考えや戦略を調性するなんていう芸当は、
とてもじゃないけど、髙市さんにはできない。
相手が官僚であろうと、自民党の他の政治家であろうと、
外国の要人であろうと。
とうぜん髙市さんは引きこもりになる。

引きこもりって英語でなんて言うかしらん?
a shut-in、
あるいは homebody、
なるほどね。
たしかに髙市さんは官邸の homebody ですね。
そして日本もまた世界のなかで a shut-in してしまう。

円安が止まらないのもあたりまえ。

ほんらい立憲という概念は、
憲法によって国家権力を制限する。
もしも国家権力を野放しにすれば、
国家は剥き出しの暴力装置になりかねませんからね。

しかし、いまのアメリカと日本では、
その立憲がまともに機能しない。
なぜなら、アメリカ、イスラエル、
ロシア、中国の傍若無人なリアルポリティクスが、
立憲主義を乗り越えてしまったから。

したがって、もともとICCは、
構造基盤に限界を抱えている。
同様に、このリアルポリティクスの暴風のなかで、
左翼は左翼であるそれだけで、
お花畑のバカ呼ばわりされることになる。
もはや抑止力はまったく機能しない。
これでは北朝鮮や中国となんら変わりがない。

心底、不吉な予感がぬぐえない。

もしかしたら、日本人は立憲の概念に馴染んでいないのかもしれませんね。むしろ、天皇による権力のコントロールこそを望んでいる??? まさかとはおもうけれど、しかし松下幸之助率いるナショナルの提供番組『水戸黄門』が大人気だった国ですものね。まかりまちがっても『水戸黄門 冤罪事件』なんてドラマは作られない。

昭和天皇は、戦後、靖国神社がA級戦犯まで英霊としたことに対して激怒して、靖国神社には生涯お参りされなかったそうですね。また、真偽不明の説ながら昭和天皇は、太平洋戦争時に岸信介がアヘンでぼろ儲けしたことに激怒しておられたという話さえある。もしもそれはが本当ならば、そこには陛下にとって、自分の無力に対する怒りが含まれていますね。

まさかいま、昭和天皇の苦悩について考えさせられることになろうとは。


私は『髙市早苗論』の第二部を書くべきだろうか?
また一か月近くも朝から晩まで髙市さんについて、
考えてしまうのだろうか?
私は少しぞっとしてしまう。
しかし、もし書くとすれば、十月あたりになるかしらん。






いいなと思ったら応援しよう!