短編:シュッと、夏が鳴った
◉風まかせ文芸部【炭酸】参加作品
自動販売機で買ったサイダーを開けると「シュッ」という音が青空へ駆け上がる。その音が好きだった。まるで夏が始まる合図みたいで。
──高校二年の夏。
「はい」
隣に立っていた幼なじみの真帆が、一本のサイダーを差し出してきた。
「ありがとう」
プルタブを起こすと、炭酸が軽快な音を立てた。
「毎年同じことしてるね、私たち」
「そうだな」
小学一年生の頃から、夏休みの初日は必ずこの海へ来ている。砂浜を歩き、サイダーを飲み、波打ち際まで競争する。
あの頃は、来年も、その次の夏も、同じ景色が待っていると信じていた。
でも今年は違う。真帆はもうすぐ家族で北海道へ引っ越す。来年、この海でサイダーを飲むことはない。
そんなことを考えるだけで、胸の奥が少しだけ苦しくなった。
午後の海風が熱を運び去り、少しだけ涼しくなる。二人で防波堤に腰掛け、足をぶらぶらさせながらサイダーを飲んでいた。
「炭酸って不思議だよね」
真帆が空を見上げる。
「開けた瞬間が一番元気で、あとはどんどん静かになる」
「人間も同じだったりして」
「どういう意味?」
「子どもの頃って、毎日が泡みたいに弾けてたじゃん。でも大人になるにつれ、少しずつ落ち着いていく、みたいな」
真帆は笑った。
「じゃあ私たち、今が一番シュワシュワしてるんだね」
「そうかもな」
「もったいないね」
その言葉が、波の音よりも強く耳に残った。
夕方になり、僕たちは帰りの坂道を歩いていた。西日を浴びたアスファルトはまだ熱い。蝉が最後の力を振り絞るように鳴いていた。
「ねえ」
真帆が立ち止まる。
「最後に競争しよう」
「また?」
「最後だから」
僕たちは合図もなく走り出した。坂を駆け下りると、風が制服を膨らませる。汗が飛び、息が切れる。
笑い声が止まらない。
途中で真帆が転びそうになり、思わず手を伸ばした。二人の手が重なる。そのまま、どちらからともなく速度を落とした。
「負けた」
「私も」
「え?」
「今日は勝ち負けなんてどうでもよかった」
真帆は照れくさそうに笑った。
「一緒にゴールしたかっただけ」
その言葉だけで十分だった。
引っ越しの日。駅のホーム。真帆は小さな荷物を抱えていた。
「向こうでも元気で」
「うん」
「また会えるよ」
「もちろん」
言葉はそれだけ。でも、お互い分かっていた。『また』は、簡単には来ない。
列車がホームへ滑り込む。乗り込む直前、真帆がポケットから小さな缶を取り出した。
「これ、最後」
いつもの、サイダーだった。
「開けるのは私がいなくなってからね」
ドアが閉まると、列車はゆっくりと動き出した。真帆は窓越しに笑って、大きく手を振っていた。姿が見えなくなるまで、僕も振り返した。
ふと、僕の夏も一緒に遠ざかっていくような気がした。
家に帰り、サイダーの缶を開ける。
──シュッ。
静かな部屋に、小さな炭酸の音が響く。泡が立ち上り、光を受けてきらきらと輝いていた。
ほんの数分で、その泡は消えていく。でも、消えたわけじゃない。サイダーの中に溶け込み、見えなくなっただけだ。
きっと青春も同じなんだと思う。眩しかった時間は終わっても、消えてしまうわけじゃない。見えなくなるだけで、心のどこかに、ちゃんと溶け続けている。
最後の一口は、少しだけ炭酸が抜けていた。でも、胸の奥では、眩しい夏の日々が弾け続けていた。
