箱庭から妻への手紙 ― 私と“スカシカ”と、特別賞と
私は今、畑で軽トラックの中にいて、あなたへの手紙を書いています。
「斉藤ナミさん新連載スタート推し祭り」―あなたの嫉妬note書いて一緒にワイワイしよう!という企画の中で、特別賞をいただいた喜びを、どうしてもあなたに伝えたくて、こうして筆をとったしだいです。
振り返ってみれば、あなたと同棲を始めた頃、最初に言われたのが、「これは捨てようね」でしたね。
"これ"というのは、私の過去の女性とのアルバムで、私は少し渋っていたと記憶しています。
だって、使い捨てカメラで写真を撮り、写真屋さんで現像し、コメント付きでアルバムを作ったのです。
その作業のことを思うと、あのアルバムは“思い出”というより“作品”だったのです。
こう言うと、言い訳がましいとあなたは言うかもしれませんね。
それからあなたは、私の作品を燃やすだけでは飽き足らず、続けてこう言いました。
「私との思い出は、アルバムにしないの?」
すぐに返事をしなかった私に、あなたはずいぶんとご立腹でしたね。
結婚して十数年経った今なら、あなたからの質問が“半ば命令”なのだと理解できます。
ただ、あのときの私は、純粋な“質問”だと思い、返事を迷っただけなのです。
でも今、同じ質問をされれば、「はい、喜んで!」と即座に答えられるほどに、調教されていると断言できます。
それから、ふたりでタイトルをスカシカに決めました。noteで使っているものと同じ名です。
宮古島への移住も、ヒッピーのようにはなれず、バックパッカーをしようと言っても、沢木耕太郎みたいに、本格的な安宿に泊まって廃人のようになれるわけでもない。
本物への憧れはあるものの、腹を括れず、中途半端な私たちは、それを嘆くでもなく、ただ諦め、認めていましたね。
「俺たちって、なんかスカしてない?」
そう言う私に、
「スカシ家だね」と、あなたは笑って答えていました。
私たちが「スカシカ」になった瞬間です。
中身は雑誌風にしようとなり、ピーチジョンみたいな表紙にしようと、あなたは下着での撮影に臨みました。
当時はAKBの大島優子さんや小嶋陽菜さんが下着姿で表紙を飾っていて、その横にあなたの写真を合成しましたね。
あなたは満足気に頷いていましたが、私には『セーラームーン』に『浦安鉄筋家族』が割り込んでしまったような違和感しかありませんでした。
おっと、余談が過ぎましたね。
この雑誌アルバムの中で、私はエッセイのようなものを書きました。
旅行先での出来事を、面白おかしく文章にして、あなたがそれを読んでケラケラと笑う姿が嬉しくて、私は書き続けたのです。
あなたの笑顔が見たくて始まった私のエッセイは、今日この日、私を笑顔にしてくれました。
“特別賞”――とても嬉しいです。
あなたのおかげです。ありがとう。
追伸
スカしているのは、今も私のエッセイの根底に流れているようです。
斉藤ナミさんのように、気持ちの良いほど赤裸々に心を開く文章には、まだ至れていません。
彼女は本物なのです。
そんな私は、もはや「エセエッセイスト」と名乗るべきかもしれません。
エセエッセイにはコメントがつきません。だって、心を開ききれていないのですから。
池松潤さんのフィードバックでも、そのあたりをやんわりと、でも的確にご指摘いただいたのだと思います。
まるで、心の内を見透かされたようで、はい、恥ずかしかったです。
心を見透かされるというのは、おしりを見られるくらいの恥ずかしさです。わかるでしょ?
だって、あなたにしか見せたことがないのですから。
おっと、また話がそれました。
そう、今回の企画のすごいところを、まだあなたに伝えていませんでしたね。
一番驚いたのは、希望した人全員の作品に、池松さんがフィードバックをくださるという点です。
しかも、そのレスポンスがとても早い。朝でも夜でも、いったいいつ寝ているのか……。
いや、ひょっとしてAIなんじゃないか?という疑いすら抱くほどです。
でも、コメントやフィードバックを読むと、そこには確かなぬくもりがあるのです。
文章を、物語を、心から愛している人の言葉が、そこに並んでいました。
「池松さんって何者なの?」とあなたに問われても、私にはうまく説明できそうもありません。
肩書きや仕事を並べても、その人の在り方までは語れない気がするからです。
ただあえて言うなら、かっこいい奇特なおじさんとでも申しておきましょうか。
斉藤ナミさんを応援するにしても、記事で紹介するのみというやり方もあったはずです。
でも、それを良しとせず、企画を立ち上げ、しかもすべての作品にフィードバックを添える。
この労力はとんでもないはずです。一体どこからその情熱や男気が湧いてくるのでしょう。
常人にはできないことです。
私もおじさんですが、久しぶりに「こんなおじさんになりたい」と思いました。
池松さんが何者か、うまくあなたに伝えられたでしょうか。
その憧れに少しでも近づきたいという気持ちを込めて、これからも執筆に精進していきたいと思います。
ただ、執筆に力を入れ過ぎて、本業のブドウの作業は遅れ気味なのは、どうしたものか。
随分と長い追伸になってしまいましたね。
また、手紙を書きます。
愛しています。
(おしまい)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素晴らしい企画に出会えたこと、本当に感謝しております。
そこで少しでも、このお祭りを応援できたらと、私が特に感銘を受けた作品を、ほんの少しだけご紹介したいと思います。
まず、一つ目の作品は、
黒木郁さんの『親友になれなかった私たち』です。
文章がとてもきれいで、まるで教科書に載るような作品だと感じました。
このエッセイを読んで、小学校3年生の教科書で読んだ「はまべのいす」を思い出しました。
どうしてかと考えてみると、「はまべのいす」は、“静かに、深く、余白をもって語る文章”で、
その雰囲気がこのエッセイにもあったからだと思い至りました。
さらに、優しい語り口の中に、人間の持つドロドロとした感情が静かに潜んでいます。
誰もが持っているのに、目を背けたくなるような、そんな感情を、丁寧に、まっすぐに描かれています。
読みながら、私は思わず「もうやめてあげて」と叫びたくなるほど、感情が動きました。
これが文字どおり感動というのでしょうね。
黒木郁さんの作品を、また少しずつ読んでいきたい。そう思わせてくれる、すばらしい作品でした。
そして、もうひとつご紹介したいのが、
亜麻布みゆさんの『方位磁針はエマ・ワトソンを指す。』です。
このエッセイは、まるで“少女”のような雰囲気が漂っていました。
それが、全体から伝わってきます。
私が敬愛する、さくらももこさんのエッセイを読むと、子どもの頃の話や、現在の出来事が描かれていて、その時代その時代の“視点”で表現されています。
それは、とても難しいことで、子どものときのことを書いても、視点が今の自分でしか書けないこともありがちです。
でも、この作品では、そのときの言葉遣い、そのときの感情、表現のひとつひとつが、まさに“当時のもの”として描かれています。
だから、ずいぶんと昔の話のはずなのに、とても新鮮に感じられます。
まるで目の前で今、起きているような感覚。
だからこそ、まっすぐに、すっと胸に入ってくる作品だったのだと思います。
鮮度抜群の亜麻布みゆさんの作品も、少しずつ読んでいきたいと思います。
とても素敵な作品でした。
まだの方はぜひ読んでほしいエッセイです。私の感想への感想もいただけると、ワイワイできて嬉しいです。コメントお待ちしています。
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