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私が書いている文章って、コラム? エッセイ?

文学フリマで、古賀史健『意味よさらば』をゲットした。「エッセイが苦手で、コラムっぽい文章になってしまう」といった書き出しから始まる。

ハッとした。
あれ? 私が書いているのって、コラムだっけ? エッセイだっけ?

読み進めると、「コラムとエッセイはなにが違うのか」が紐解かれてくるのだけど、気になって我が家にある新明解さんを開いてみた。

・コラム
〔新聞・雑誌などで〕短い評論などを書く欄。また、その記事。

・エッセー
随筆。随想。エッセイとも。

・随筆
平易な文体で、筆者の体験や見聞を題材に、感想をも交え記した文章。

エッセイとして書かれている文章を読んだ時「うーん、これはエッセイなのか?」とふと立ち止まることがあった。自分でもなぜそこに引っかかるのか、分からずにいた。しかしその違和感が、本書のお陰で解決されたのだ。
実は、書き手自身も、コラムなのかエッセイなのかといった違いを特段気にせずに書いている場合が多いのではないか(もちろん、私も)
エッセイのつもりで書いていたものが、頭の中で繰り広げられただけの評論になっているなんてことは、多々ある気がする。


ちなみに、私の好きなエッセイは、さくらももこの『もものかんづめ』だ。
まごうことなきエッセイだ。
本を引っ張り出して、最初から読んでしまった。
何度読んでも面白い。
こんなエッセイ書けたらいいのにな。


ちなみに、初参加の文学フリマだったが、ひょんなことでお手伝いとして参加することができ、会場前から場内をうろうろしていた。
古賀ブースを発見し、興奮しながら鼻をフンフンならし「買っても良いですか?」と聞くと「まだ在庫の確認をしていなくて、すみません」と言われ、いやいやこちらこそ、すみません! ということで、不審者の如く近場をマーキングしていた。
会場してからでないと現金購入出来ないとのことだったため、場内アナウンスで「会場します」との案内があったのち、すぐさま本を手に取った。
私は現金をジップロックに入れていたため、もたもたしてしまい、同じブースにいらっしゃった田中裕子さんに「軍資金みたいですね!」と言われ、ゆでだこのようになってしまった。
たこと言えばタコジロー。
いや、どうでもいい、こんなこと考えるんじゃない私! 
でも、今日はそのタコジローの生みの親である、古賀さんを一目見たいという欲望もあった。
でも、生古賀をじろじろ見るわけにはいかない。現金を払い終わると「ありがとうございました」と生古賀の生声が、私に届いた。
その瞬間、目が合った。
心の中でスキップした。
大人だからね、落ち着いた大人の女風に去る。
その後、さまざまなブースを回ったが、生古賀が気になってしまい、何度か遠目にその姿を確認した。
すると、本を購入した方がサインを求めているではないか! なんと! 私も書いてもらえば良かった! 
あの時は近くに生古賀がいるだけで、興奮して、もうそれだけで良かったのに、人間の欲望ってば止まらないんだもの。
もう一度行って、サインをお願いする? 
閉場の5時までいたのだが、結局そんな勇気が出ないまま終わった。

まぁ、落ち込むなよ私。
その日以降、私の鞄には古賀史健の『意味よさらば』を忍ばせている。
さくらももこはもう絶対に会えないけど、もしかしたら、生古賀にはまた会えるかもしれない。
次会えたら、絶対サインを書いてもらうんだ。


私がエッセイのつもりで書いたこの文章は、
コラム? エッセイ?

©2025 m_douzono

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