方向音痴なのに、カナダで迷路に入った話
カナダ・バンクーバーに一人旅に行ったとき、公園に、植物でできた迷路があった。
背の高さより少し高いくらいの、生け垣の迷路。
3,000本の木でできているらしい。
それほど広くはない。
観光客が楽しそうに入っていく。

私は方向音痴である。
何度も通った道でも、新鮮な気持ちで迷う。
それなのに、なぜか入った。
やめた方がいいよ、という心の声は何度も聞こえた。
でも、こんなに遠くまで来たんだから、という旅行者ハイが、それに打ち勝った。
入ってみると、外から見たのどかな印象とは、ちょっと違った。
背丈ほどの生け垣と言っても、欧米人の男性サイズだ。
たぶん、大人が子どもを肩車すれば見えるくらいの高さ。
でも私の身長では、首を出して道を確認するというズルはできない。
前後左右は緑色の壁。
ほとんど同じ景色に見える。
1箇所だけ開いている方向に進んで行く。
適当に進んでもきっと、すぐに出口に着くだろう、と根拠もなく思う。
方向音痴の人にはよくある、謎の自信だ。
突き当たりで、引き返して別の道に入り、また突き当たりで引き返す。
どちらの道から来たのかは当然覚えていないので、なんだか同じところを何度も行き来している気がする。
じんわりと、冷や汗が出てきた。
周囲の楽しげな話し声が、私だけを置いていくように遠ざかっていく。
緑の壁の向こうにいる誰かと、別の次元にいるような錯覚。
遊園地のアトラクションのつもりだったのに、急に、一人という現実が重くのしかかってくる。
割と近くで「ジョン!」「ジェーン!」みたいな声がしている。
みんな楽しそうだ。
ただの公園の迷路なので、遭難することはないはずだ。
こんな程度の迷路で出られなくなるなんて、ありえない、はずだ。
そして、ただの遊びの迷路なんだから、救助に来てくれる人も、いなさそうだ……。
私はまた突き当たりにぶつかった。
そのとき、子どもの頃に読んだ本を思い出した。
「迷路では、片方の壁に手をついて進めば、必ず出られる」というやつだ。
本当かどうかは知らない。
でも、他に方法もないので、右手で壁に触れながら進むことにした。
途中で、他の観光客とすれ違った。
なんとなく恥ずかしくて、手を離した。
手を壁から離すと、まるで命綱を切り離したような心細さが襲ってきた。
さっきまでの冷静さはどこへやら、ここからはもう、ただの『迷い人』だ。
そして当然のように、どっちに進めばいいのか、わからなくなった。
次々に観光客がやってくる。
団体様も、やってくる。
狭い迷路ですれ違う。
もう、壁に手をついて進む作戦は諦めた。
とりあえず、手に持っていた水を飲む。
もう真夏は終わっているから、干からびる心配はない、はずだ。
空を眺め、遠く離れた故郷を思う。
……いや、そんな壮大な話ではない。
ただ、旅先で入った迷路で、方向を見失っただけだ。
私は水を飲んで休憩しているだけの余裕のある人のふりをした。
意外に演技派である。
あえて深く呼吸をしてみる。
肺の奥まで入り込んでくるのは、強烈に青臭い生け垣の匂いだ。
私はその匂いを、さも『カナダの自然を満喫している旅人』であるかのように、静かに味わうふりをした。
そして、気を取り直し、またもや適当に進む作戦を再開した。
突き当たっては方向転換し、ずんずん進む。
数打ちゃ当たる、ではないが、数多く曲がれば、そのうち道が開けるはずだ。
30分ほど彷徨っただろうか。
ふいに視界がひらけ、目の前には人だかりが見えた。
やった、出口だ。
達成感で胸がいっぱいになり、思わず駆け寄ろうとした。
しかし。
視界に入ってきたのは、見覚えのある案内板と、これから意気揚々と迷路へ飛び込んでいく観光客たちの姿だった。
「出口」ではなく、「入り口」に戻ってきたのだ。
30分の奮闘は、美しいループを描いて完結していた。
私はひとつ、大きなため息をつき、乾いた喉を潤した。
もう一度挑戦する気力も体力も、残っていなかった。
私はトイレという現実的な目的を優先し、迷路の入り口を後にした。
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