屋根裏資料館と、片付かない日々
私が働いている分野で、長く活動している宇野さん(仮名)という人がいる。
私は25年間、彼と仕事をしてきた。
宇野さんの行く先々には、山ができる。
砂山でもジオラマでもない。
資料の山である。
20数年前に事務所を引っ越す際、宇野さんの机の上にあった資料の山を箱詰めした。
宇野さんの机(右)、机(中央)、机(左)、机(後ろ右)、机(後ろ左)。
そんな箱が10箱くらいできた。
引っ越し後に半分くらいは開けた。でも残り5箱はそのまま。
その後、事務所は4回くらい引っ越した。
残り5箱は開けられないまま、次の事務所の資料の山を箱詰めして、箱は更に増え続けた。
10年くらい前には事務所に箱を置ききれなくなって、木造2階建の事務所の屋根裏に、さらに一部屋作った。そこに大量の箱を運び込んだ。
事務所の1階が宇野さんの自宅スペース、2階が事務所、そして屋根裏の3階が資料倉庫となった。
スタッフの私たちは日々、天井を眺めては言った。
「地震が来たら、私たち資料の山に潰されて死んじゃいそうですね」
宇野さんはまったく気にすることなく、山を作り続けた。
1階の宇野さんの書斎机、食卓、2階事務所の宇野さんの机はどんどん山に埋もれていった。
食卓にはノートPCを一つ置くスペースしか残っていない。
そのPCで仕事をして、終わったら蓋を閉じ、ナプキンを敷いて皿を並べる。味噌汁でもこぼしたらどうするつもりなのか。
机全部が埋もれてしまったので、宇野さんは2階事務所のミーティングテーブルにまで資料を常設するようになり、そこでリモート会議もするようになった。
宇野さんが心ゆくまで資料の山と一緒に過ごせるよう、私は第二事務所を作ってスタッフも連れて引っ越した。
宇野さんの事務所には週1回行って打ち合わせをする。
でもミーティングテーブルが埋もれていて、心地よくないのですぐ帰る。
宇野さんは不満そうである。
そんな2拠点生活が2年近く続いたとき、宇野さんは事務所整理をすると言った。
貴重な資料がたくさんあるから、アルバイトを雇って2〜3年かけて整理したいと。
「整理したい」というセリフは、私が宇野さんに初めて会った25年前のその日にも言っていた。
ボランティアとして行った私に、整理して欲しいとも言っていた。
私は、その後約20年かけて貴重な資料をほとんどすべて電子化した。
紙の資料だけでなく、ポスターや動画、写真、音声も。
資料は戦後すぐのものから、80年分近くあった。
寄付や助成金、国の補助金を使って、巨大なアーカイブを作り、一部はインターネットで公開した。
紙の資料は、宇野さんの宝物として愛でてもらって良いが、家賃をかけてまで保存するのは難しい。
でも宇野さんは言い募る。
「でも大事な資料がたくさんあるんだ。資料館を作りたいんだ」
私は、やさしく聞いた。
「どんな資料が、まだ手元に残っているんですか」
宇野さんは、少し考えてから言った。
「いや……電子化するほどのものじゃないんだ」
「では、飾っておきたいようなものですか?」と聞いてみた。
「そういうことでもなくて……」
少し間があって、宇野さんは続けた。
「残すべきものと、そうでないものの区別が、つかないんだ」
なるほど。
私は屋根裏資料館3年計画の予算を、
心の中でそっと計上した。
事務所が2つになったあと、自宅が2つになった話はこちらです。
↓
「気づいたら、家が2軒になっていた」
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また次の更新で、そっとお会いできれば幸いです。
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