【社会・歴史】承久の乱とは?|中学入試・定期テストに役立つ一問一答【まとめシート+4コマ漫画付き】
承久の乱|朝廷と幕府の力関係が大きく変わった戦い

はじめに
「承久の乱」は、鎌倉時代の中でもとても大事な事件です。
ひとことで言うと、
後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとしたけれど、幕府が勝った戦いです。
この戦いのあと、朝廷と幕府の力関係が大きく変わりました。
それまで朝廷は、天皇や上皇を中心とする古くからの政治の中心でした。
一方、鎌倉幕府は、武士をまとめる新しい政治のしくみです。
承久の乱は、
「朝廷の時代」から「武士の時代」へ大きく進んだ出来事
として覚えると分かりやすいです。
1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権・北条義時を討とうとして兵をあげましたが、幕府が勝利しました。戦後、後鳥羽上皇は隠岐へ流され、幕府は京都を監視するために六波羅探題を置きました。
この記事で覚えること
この記事では、次のことを親子で確認していきます。
承久の乱はいつ起きたのか
誰が、誰に対して起こした戦いなのか
なぜ後鳥羽上皇は幕府と対立したのか
幕府側の中心人物は誰か
北条政子の演説はなぜ重要なのか
承久の乱の結果、朝廷と幕府の関係はどう変わったのか
六波羅探題とは何か
後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇はどうなったのか
似た事件とどう区別するか
まずはお試し3問
第1問
承久の乱を起こした上皇は誰でしょう?
答え:後鳥羽上皇
30秒解説
後鳥羽上皇は、鎌倉幕府に対して強い不満を持ちました。
そして、幕府の中心人物である北条義時を討つように命令を出しました。
つまり、承久の乱は、
後鳥羽上皇が幕府を倒そうとした戦い
として覚えるとよいです。
親向けメモ
ここではまず、
「天皇」ではなく「上皇」が中心人物だった
という点を押さえると理解しやすくなります。
上皇とは、天皇の位をゆずったあとも政治に大きな影響力を持つことがあった人です。
間違えやすいポイント
「後白河上皇」と間違えやすいです。
後白河上皇:源平の争乱の時代に関係が深い人物
後鳥羽上皇:承久の乱を起こした人物
名前が似ていますが、時代が少し違います。
声かけ例
「“承久の乱を起こしたのは後鳥羽上皇”って、まず主人公を決めてから覚えると分かりやすいよ」
第2問
承久の乱は何年に起きたでしょう?
答え:1221年
30秒解説
承久の乱は、鎌倉時代の前半に起きた大きな戦いです。
年号は 1221年 です。
覚え方としては、
「いちににいち、承久の乱」
とリズムで覚えるのもおすすめです。
親向けメモ
年号だけを丸暗記するより、流れで覚えると残りやすいです。
1192年ごろ:鎌倉幕府が成立
1221年:承久の乱
その後:幕府の力がさらに強まる
つまり、鎌倉幕府ができてしばらくしてから、朝廷と幕府の大きな対立が起きた、という流れです。
第3問
承久の乱で勝ったのは、朝廷側と幕府側のどちらでしょう?
答え:幕府側
30秒解説
後鳥羽上皇は幕府を倒そうとしましたが、結果は幕府の勝利でした。
この勝利によって、鎌倉幕府は朝廷に対して強い立場を持つようになりました。
承久の乱の大事なポイントは、
戦いそのものより、その後に幕府の力が強くなったこと
です。
親向けメモ
子どもに説明するときは、
「勝ったのは幕府。だから、その後は幕府が政治の主導権をさらに強めた」
とつなげると分かりやすいです。


本編:親子で覚える一問一答7問
第4問
後鳥羽上皇が討とうとした、鎌倉幕府の中心人物は誰でしょう?
答え:北条義時
30秒解説
後鳥羽上皇は、鎌倉幕府そのものを倒そうとしました。
そのとき、討つように命じられた中心人物が 北条義時 です。
北条義時は、鎌倉幕府の 執権 でした。
執権とは、将軍を助けながら、実際の政治を動かした重要な役職です。
親向けメモ
ここで大事なのは、
「将軍」ではなく「執権」が実権を持つようになっていた
という点です。
鎌倉幕府では、源頼朝のあと、源氏の将軍家の力が弱まり、北条氏が政治の中心になっていきました。
小ネタ
北条義時は、北条政子の弟です。
つまり、承久の乱では、北条政子と北条義時という北条氏のきょうだいが、幕府側の結束に大きく関わりました。
声かけ例
「名前がたくさん出てくるけど、“幕府側の実力者は北条義時”って覚えると整理しやすいよ」
第5問
承久の乱のとき、御家人たちに幕府への協力を呼びかけた女性は誰でしょう?
答え:北条政子
30秒解説
北条政子は、源頼朝の妻です。
頼朝の死後も、幕府に大きな影響力を持ちました。
承久の乱のとき、御家人たちに対して、
「頼朝から受けた恩を忘れてはいけない」
という内容の呼びかけをしたことで知られています。
この呼びかけにより、御家人たちは幕府側としてまとまりました。
親向けメモ
ここは親子で説明しやすいポイントです。
御家人たちは、頼朝から土地を守ってもらったり、新しい土地を与えられたりしていました。
その関係を、前の記事でも触れた 御恩と奉公 とつなげると理解しやすいです。
御恩:幕府が御家人に土地や地位を保障すること
奉公:御家人が幕府のために戦うこと
承久の乱では、この関係が幕府側の結束を強める力になりました。
間違えやすいポイント
北条政子は、正式な将軍ではありません。
しかし、頼朝の妻として、また北条氏の中心人物として、幕府を支える大きな存在でした。
「将軍ではないけれど、幕府をまとめる力を持っていた人物」
と理解するとよいです。
小ネタ
北条政子は「尼将軍」と呼ばれることがあります。
これは正式な役職名というより、彼女が幕府で非常に大きな影響力を持っていたことを表す呼び方です。
声かけ例
「政子は戦場で刀を振った人というより、みんなの心をまとめた人なんだよ」
第6問
承久の乱のあと、後鳥羽上皇はどこへ流されたでしょう?
答え:隠岐
30秒解説
承久の乱で幕府が勝ったあと、後鳥羽上皇は 隠岐 へ流されました。
隠岐は、現在の島根県の北の海にある島々です。
上皇が遠くへ流されたことは、幕府が朝廷に対して強い態度を取れるようになったことを示しています。
親向けメモ
地図で場所を確認すると、印象に残りやすいです。
「京都から遠い島へ流された」
と見ると、ただの暗記ではなく、事件の重さが伝わります。
間違えやすいポイント
承久の乱のあと、後鳥羽上皇だけでなく、順徳上皇や土御門上皇も流されました。
ただし、基本問題ではまず、
後鳥羽上皇は隠岐
を優先して覚えましょう。
戦後、後鳥羽上皇は隠岐、順徳上皇は佐渡、土御門上皇は土佐へ流されたと説明されることが多いです。
第7問
承久の乱のあと、幕府が京都を監視するために置いた役所は何でしょう?
答え:六波羅探題
30秒解説
六波羅探題は、承久の乱のあとに京都に置かれた幕府の役所です。
目的は、朝廷の動きを監視し、西日本の御家人をまとめることでした。
先ほど触れたように、承久の乱のあと、幕府は朝廷に対して強い立場になりました。
六波羅探題は、その変化を表す重要語です。
親向けメモ
六波羅探題は、名前だけ見ると難しく感じます。
でも、役割はシンプルです。
京都に置かれた、幕府の見張り役
このイメージで十分です。
間違えやすいポイント
六波羅探題は、鎌倉に置かれた役所ではありません。
置かれたのは 京都 です。
なぜなら、監視したい相手は朝廷だったからです。
小ネタ
「六波羅」は京都の地名に関係します。
つまり、六波羅探題は、場所の名前が入った役職・機関名です。
「六波羅=京都方面」と軽く結びつけておくと覚えやすいです。
声かけ例
「朝廷を見張るためだから、鎌倉ではなく京都に置いたんだね」
第8問
承久の乱のあと、新しく多く置かれた役職は何でしょう?
答え:地頭
30秒解説
承久の乱のあと、幕府は朝廷側の貴族や武士の土地を取り上げ、そこに新しく地頭を置きました。
地頭は、土地の管理や年貢の取り立てなどに関わる役職です。
これによって、幕府の力は東日本だけでなく、西日本にも広がっていきました。
親向けメモ
ここは「守護と地頭」とつなげると理解しやすいです。
守護:国ごとに置かれ、軍事や警察の役割を持つ
地頭:荘園や公領に置かれ、土地の管理に関わる
承久の乱のあと、地頭が西日本にも広がったことで、幕府の支配が全国へ広がっていきました。
間違えやすいポイント
「地頭=土地の支配者」とだけ覚えると少し雑です。
中学レベルでは、
土地の管理や年貢の取り立てに関わった役職
と押さえるとよいです。
第9問
承久の乱によって、朝廷と幕府の力関係はどう変わったでしょう?
答え:幕府が朝廷に対して優位に立った
30秒解説
承久の乱の前から、幕府は武士をまとめる大きな力を持っていました。
しかし、朝廷も古くからの政治の中心として強い権威を持っていました。
承久の乱で幕府が勝つと、幕府は朝廷に対してより強い立場を持つようになります。
この事件は、武士の政治がさらに進む大きな転換点でした。
親向けメモ
ここは、承久の乱で一番大事なポイントです。
単に、
「後鳥羽上皇が負けた」
で終わらせず、
「その結果、幕府が朝廷より強い立場になった」
まで言えるようにしましょう。
声かけ例
「戦いの名前を覚えるだけじゃなくて、“そのあと何が変わったか”まで言えると強いね」
第10問
承久の乱は、何時代の出来事でしょう?
答え:鎌倉時代
30秒解説
承久の乱は、1221年に起きた鎌倉時代の出来事です。
鎌倉幕府が成立したあと、朝廷と幕府の対立が大きく表れた事件でした。
時代で迷ったら、
鎌倉幕府 vs 朝廷
という構図から、鎌倉時代と考えましょう。
親向けメモ
「承久の乱」は名前だけだと時代が見えにくいです。
そのため、人物とセットで覚えるのがおすすめです。
後鳥羽上皇
北条義時
北条政子
鎌倉幕府
六波羅探題
これらが出てきたら、鎌倉時代の前半です。

似た用語・人物との違い
承久の乱と保元の乱の違い
承久の乱:1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとした戦い
ポイントは、
朝廷と幕府の対立
です。
結果として、幕府が朝廷に対して優位に立ちました。
保元の乱:1156年、天皇や上皇、貴族、武士が関わった朝廷内部の争い
ポイントは、
朝廷内の対立に武士が関わったこと
です。
保元の乱は、武士が政治の表舞台に出てくるきっかけの一つです。
承久の乱は、すでにできていた鎌倉幕府が朝廷に勝つ事件です。
承久の乱と平治の乱の違い
平治の乱:1159年、源氏と平氏の争いが深まった事件
平治の乱では、源義朝や平清盛が関係します。
結果として、平清盛の力が強まりました。
承久の乱:1221年、後鳥羽上皇と鎌倉幕府の対立
承久の乱では、後鳥羽上皇、北条義時、北条政子が重要人物です。
見分け方は、登場人物です。
平清盛が出る:平治の乱
後鳥羽上皇・北条義時が出る:承久の乱
後鳥羽上皇と後白河上皇の違い
後白河上皇:源平の争乱の時代に大きな影響を持った上皇
源頼朝や平清盛の時代と関係が深い人物です。
後鳥羽上皇:承久の乱を起こした上皇
鎌倉幕府を倒そうとして失敗し、隠岐へ流されました。
名前が似ていますが、
後鳥羽上皇=承久の乱
とセットで覚えるのが一番安全です。
執権と将軍の違い
将軍:幕府のトップとして置かれた役職
鎌倉幕府では、最初は源頼朝が将軍として大きな力を持ちました。
執権:将軍を助け、実際の政治を動かした役職
承久の乱のころは、北条義時が執権でした。
つまり、名目上のトップだけでなく、実際に政治を動かしていた人物にも注目する必要があります。
六波羅探題と守護の違い
六波羅探題:京都に置かれた幕府の役所
朝廷を監視し、西日本の御家人をまとめる役割がありました。
守護:国ごとに置かれた役職
軍事や警察のような役割を持ちました。
どちらも幕府の支配に関わりますが、
六波羅探題は京都、守護は国ごと
という違いがあります。
親子で復習する確認テスト3問
確認テスト1
承久の乱を起こした上皇は誰でしょう?
答え:後鳥羽上皇
確認テスト2
承久の乱が起きた年は何年でしょう?
答え:1221年
確認テスト3
承久の乱のあと、朝廷と幕府の力関係はどう変わったでしょう?
答え:幕府が朝廷に対して優位に立った
まとめ
承久の乱は、鎌倉時代の大きな転換点です。
ポイントは、次の3つです。
1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとした
幕府側は北条義時を中心にまとまり、北条政子の呼びかけも重要だった
幕府が勝ち、朝廷に対して優位に立った
この事件を覚えるときは、
「誰が勝ったか」だけでなく、
その後、政治の主導権がどう変わったか
まで見ることが大切です。
承久の乱は、
武士の時代がさらに強くなった合図
として覚えると、歴史の流れがぐっと分かりやすくなります。

